「コンプライアンス」と聞くと、多くの社員は楽しくなくなり、やる気を奪われてしまう。なぜそうなってしまうのか。2つの典型的な事例から、形式主義に陥っているコンプライアンスの問題点を明らかにする。豊富な実務経験を持つ企業不祥事対策の第一人者、國廣正弁護士の著書、 『企業不祥事を防ぐ』 (日本経済新聞出版)から抜粋して解説。
コンプライアンスは元気が出ない
コンプライアンスという言葉を聞いて、元気になり、やる気が出てくる人は、まずいない。コンプライアンスという言葉には暗いイメージがある上に、「またコンプラかよ」といった面倒くささや「やらされ感」がつきまとう。
なぜそうなのか。
まず、それは不祥事を起こした企業の決まり文句だからだろう。「このたびは、皆さまにご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。今後はコンプライアンスを重視した経営を行ってまいる所存です」というように、マスコミのカメラのフラッシュを浴びながら社長が頭を下げて口にする言葉、それがコンプライアンスだ。
一般社員には、上から降ってくる「コンプライアンス=法令順守」が過剰な足かせと感じられている。たくさんの社内規則、チェックリストやテンプレートがコンプライアンス部門から下りてきて、「あれをしてはいかん、これをチェックしろ、この報告をせよ」という細かいルールの嵐。これでは元気が出ないし、仕事が楽しくない。
多くの人がコンプライアンスに対して持つイメージはこのようなものだ。
本来は企業の成長戦略と一体のもの
では、本来のコンプライアンスとは、どういうものか。
コンプライアンスは企業不祥事を予防するための基本となる考え方だ。同時に、不運にも不祥事が発生したときに、現実から目をそらさずにそれを克服するための危機管理の基本となる姿勢でもある。そして、コンプライアンスとは、企業が時代や社会の変化に伴う不確実性(=リスク)に柔軟に対応して生き抜いていくためのダイナミックなリスク管理の実践論だ。
また、コンプライアンスは、企業で働いている一人一人の社員の自分の仕事に対する誇りと結びついた、企業の成長戦略と一体となる考え方でもある。しかし、なぜ企業はその本質から外れてつまらないコンプライアンス、疲れるだけのコンプライアンスに走ってしまうのか、事例で見ていくことにしよう。
「支店」に○印を付けなかっただけで……
数年前、私は引っ越しをした。新しい住居の電力料金の契約で、料金を銀行引き落としにするために申込用紙を電力会社に送ることにした。申込用紙には、料金を引き落とす私の銀行口座(銀行名・支店名・口座の種類・口座番号・名義人)を記入して、印鑑を押すことになっている。
私は、申込用紙に必要事項を記入し、銀行印を押して電力会社に郵送したが、数日後に電力会社から電話が入った。「書類に不備がありまして、いったん返送させていただきますので、訂正して同封の返信用封筒でご返送ください」ということだった。
私は「どこがまずかったの?」と聞いたのだが、電話オペレーターは「申し訳ございません。私には分かりかねます」とのことなので、「じゃあ、送ってください」と言うほかない。
ほどなくして申込用紙が返送されてきた。
どこに不備があったのか。申込用紙には付箋が貼り付けられていて、そこには「銀行の『支店』に○印をつけてご返送ください」と書かれていた。要するに「三菱UFJ銀行」「日本橋支店」の「支店」に○印をつけていなかったのが書類不備として返送されてきた理由だったのだ。
あまりのアホらしさに黙って返送する気にならず、私は電力会社の担当者に電話をして文句を言うことにした(親切なことに、送られてきた封筒には担当者名と電話番号が書かれていた)。
私「三菱UFJ銀行の日本橋は支店に決まっているじゃないですか。そっちでマルをつけてくれればいいじゃないですか」
担当者「そのようなわけにはまいりません」
私「だって、間違いようがないでしょう。往復で無駄な切手を使うし、私にもあなたにも無駄な手間と時間がかかると思いませんか」
担当者「申込用紙はすべてお客さまに書いていただくルールになっておりまして、こちらが勝手に記入するわけにはまいりません」
私「確かに、お客に自書を求めるのは分かるけれど、それは不正な代筆をさせないためじゃないですか。でも今回はそっちでマルをつけても不正になりえないし、それに文句を言う人なんていませんよ」
担当者「申し訳ございません。当社のコンプライアンス上、そのような取り扱いはいたしかねます」
私「(何がコンプライアンスだ! 責任者を出せ! と喉まで出かかったクレーマー的暴言を意志の力で何とか押さえて)だって、常識で考えてもおかしいし、無駄じゃないですか」
担当者「当社のコンプライアンス上、そのような取り扱いは致しかねますので申し訳ございません」(この「壊れたテープレコーダー的対応」はおそらく、「顧客対応マニュアル」に従った繰り返し返答のパターンと思われる)
私「(これ以上、話をしてもらちが明かないし、担当者自身もおかしいと思いながらもマニュアルどおりの返答をさせられているだけだろうと自分を納得させて)……分かりました。マルをして送り返せばいいんだね」
担当者「はい、そのようにお願いいたします。どうもありがとうございます」
私「そうしますよ!(ガチャン:電話を切る音)」
多くの人が経験しているコンプライアンスとは、この電力会社の対応のようなものではないだろうか。
「再発防止策」をなぜ求めるのか
友人の銀行員に聞いた話だが、次のような事例もある。
その銀行の支店が本店に送ったローンの関係資料で、融資を受ける顧客の生年月日について、「昭和30年」と書くところを間違って「平成30年」と書いてしまった。このミスを見つけた本店から支店長が厳しく叱責された上に、コンプライアンス部門から「再発防止策の策定」を求められ、支店をあげて対応したとのことである。そして、支店長の怒りの矛先は「平成30年」と書いた担当者とそれを見逃した管理職に向けられることになった。
しかし、そもそも平成30年生まれの5歳児がローンを申し込むなどあり得ない。本店・支店長間でも、支店長・担当者間でも「気をつけてね」「すみませんでした」で済む話だと思うのだが、コンプライアンス部門が出てくるとそうはならない。「再発防止策の策定」まで求められるという大げさなことになってしまう(一体、どういう再発防止策があるというのだろう?)。これでは皆がコンプライアンス嫌いになっても仕方ない。
なぜ不正は起きるのか? 不祥事を防ぐために必要な対策は? “規則を厳守”するからうまくいかない。「コンプラ疲れ」を脱する3つのカギを明かす。企業不祥事対策の第一人者で、日本経済新聞社「2018年 企業が選ぶ弁護士ランキング」(危機管理分野)第1位の著者が解説。
國廣正著/日本経済新聞出版/1870円(税込み)