年間約300冊の本を読む東京カメラ部・塚崎秀雄社長の新連載。初回は『会社という迷宮』(石井光太郎著)を取り上げます。塚崎さんが起業前、そして起業後も考え続けている、「会社とは何か」という問いへの1つの考え方を提示してくれる本。経営者としての「姿勢」を正すため、今後、何度となく読み返すと確信する宝物のような1冊だと言います。

「知識」「技術」「姿勢」は本で高められる

 私は、仕事で成果を出すために必要なのは「知識」と「技術」と「運」だと思っています。とりわけ大きいのは「運」だと実感していますが、これも自らの「姿勢」を整えることである程度高めることができると考えています。そして「知識」も「技術」も「姿勢」も、すべて読書は高めてくれると思います。( 「塚崎秀雄 どの分野も30冊読めば論文を理解できるレベルに」 参照)。

 そこで、まずは土台となる「姿勢」に影響を与えてくれる本について取り上げます。この分野で私が重視しているのは、「量より質」です。数はそんなにいりません。自分にとって本当に良い本は、自身のステージが変わるたびに読み返しても、その時々で新しい学びがあるからです。私は、自分の現在地を確認する意味でも、一度良いと感じた本は定期的に読み返すようにしています。

 なお、「良い本」であっても、自分に準備ができていない段階で読むと、その価値が分からないことがあるので、そこは要注意です。

主観的な「価値」を世に問うてこそ会社

 今回ご紹介したいのは、 『会社という迷宮 経営者の眠れぬ夜のために』 (石井光太郎著/ダイヤモンド社)。最近刊行された本ですが、まさに何度も読み返すことになりそうな良書です。

『会社という迷宮』は、何度も読み返すことになりそうな良書だという
『会社という迷宮』は、何度も読み返すことになりそうな良書だという
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 その内容に触れる前に、私のちょっとした経験をお話しします。1990年代前半、私は東京証券取引所に勤めていました。最初に配属されたのは、いわゆるインサイダー取引や株価操作といった不公正取引を取り調べる部署。当時はまだ金融庁ができる前で、初期段階の取り調べは大蔵省証券局と東証の売買審査部が担っていました。

 その部署では、さながら警察のように、必要に応じて嫌疑のかかった企業の関係者に事情を伺うことがありました。そうしたなかで、多くの方は私欲のためではなく「会社のために」様々な行為を行っていると感じました。

 ところが、当の会社はいざとなると「その方が勝手にやっていたこと。組織としての関与ではない」と説明して、関係者をいわば切り捨てる。そんな光景を何度も見ているうちに、「会社とはいったい何なのか」と思い悩むようになりました。こうした経験もあって、私は留学と転職を経て起業に至りました。そのため、起業前も、起業後も、ずっと「会社とは何か」と、その存在意義を考え続けています。

 そうしたなかで経営者として出合ったのがこの本で、「会社とは何か」に対して1つの考え方を提供してくれました。著者の石井光太郎さんは一級の経営コンサルタントですが、コンサルタントの本によくある数字やグラフ、はやりの経営用語は一切出てきません。コンサルタントの本として読むと拍子抜けするほどです。その代わり、経営者に対して「それでいいのか」と厳しく問いかけてきます。

 本書で石井さんは、「社会に問うべき『価値』がない会社は存在理由がない」と言い切ります。会社が利益を上げるのは結果にすぎず、「会社は、社会的存在として、自ら提示する独自の『価値』を世間に問いかけることで、賛同者を主体的に募る存在」だと言うのです。その「価値」が顧客や従業員、取引先などのステークホルダーから認められれば、それが真の意味での企業価値になり、結果的に利益はついてくる。それが会社であり、事業だと言います。そして、石井さんは、経営者に「その優先順位を間違えていないか」と問うてくるのです。

 また、その「価値」とは、ビジネスモデルとか、時価総額とか、従業員を幸せにするといったレベルではなく、会社は、「社会がより善くなり、人がより善く生きられるために、リスクを取って挑戦することを社会から負託された存在である」として、社会への貢献レベルのものを求めてきます。

 経営者にはさらに辛辣で、「何が『価値』であるのかを決めるのが『経営者』の仕事なのであって、他人に決められた『価値』を追求するのが仕事ではない」と突き放します。あくまでも主観的に、世の中のために、あなたは、社会で何が課題だと感じていて、その課題解決のためにどういう貢献ができるのか、その実現のためにどういう仕組みをつくるのかを社内外に明示すること。それこそが経営者の役割だと説き、「それができているのか」と詰問してくるのです。

痛いところをグリグリ突かれる

 私も経営者の1人として、ずっと同じような問題意識を持ってきました。だからものすごく共感しながら読む反面、自分の至らなさ、覚悟の足りなさを思い知らされました。まるで自分のことをよく知る口うるさい叔父さんに、居酒屋で偶然会って、そこで「で、お前はどうなんだ?」と、痛いところをグリグリと長時間にわたって叱責されるような感じです(苦笑)。

 なお、この本は、経営者として苦渋の決断を求められた経験がなかったり、会社の存在意義や経営者の役割について疑問を持っていなかったりする状況で読むと、あまりピンとこないかもしれません。私も20年前に読んでいたら、「なんだ、この精神論ばかりの本は」と途中で投げ出していたかもしれません。しかし、今読むと、心の奥底の一番痛いところを執拗に突かれます。

 おそらく今後も何度となく読み返して、自分の「姿勢」を正したり、立ち位置を確認したりすることになると思います。この本は、私にとっては直面するのがつらくとも背骨となる宝物のような1冊になりそうです。

「自分の至らなさ、覚悟の足りなさを思い知らされる」と言う塚崎さん
「自分の至らなさ、覚悟の足りなさを思い知らされる」と言う塚崎さん
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人は育てるものではない

 本書でもう1点、非常に面白かったのが人材の生かし方です。人をどう生かせばいいのか、どう育てればいいのか、どう評価すればいいのか、大切に育ててきた人に辞められないようにするにはどうすればいいのか、社内の多様性をどう確保するのかなど、人にまつわる課題は、多くの経営者にとって切実な問題です。まして当社のような小さい会社は、1人当たりの重要性が高いので、悩ましさも増します。

 しかしこの本は、そもそも人を普遍的に育てるという発想が間違いではないかと指摘します。その人の価値は独立して存在するものではなく、組織内においてどれだけ能力を発揮できるかで決まる。だとすれば、その人を生かせるような組織をつくるほうが大事、というわけです。

 確かにその通りで、私もそれを痛烈に思い知ったことがあります。かつて経営コンサルタントとしてA.T.カーニーに勤めていた頃、メーカー系の企業を担当して工場を見学する機会がありました。

 そのとき、若い社員の方が私にこんな問いかけをしてきたのです。
 「溶接作業ってパチンと火花が出ることがありますよね。あれを見てどう思います?」と彼。
 「危ないなと思います。その分、スペースを広く確保しないといけないですね」と私。

 すると彼は、首を振りながら私に教えてくれました。「それは半分正解で半分間違い。火花は危ないだけではなく、溶接材料が飛ぶのでムダでもあります。ならば火花を飛ばさないように、温度や角度や材料を工夫すればいい。そうすれば余計な材料も広いスペースもいらないですよね」。

 実際、彼らはそれを実践することで、年間数億円もの経費削減を実現したそうです。戦略コンサルタントとして比較的高い報酬を得ていた私が、クライアントに、彼らのように数億円の利益をもたらしていたとは言い切れません。私はその場にいるのがとても恥ずかしくなりました。

 一方で、彼らがコンサルや金融機関に行って同じように貢献できるかといえば、それはおそらく違ったでしょう。彼ら自身が素晴らしいことはもちろんですが、彼らの能力を生かせる場を提供している工場、ひいてはその企業が生み出した仕組みがすごい。そして、それが経営というものです。

人材に普遍的な「市場価値」はない

 話を元に戻しましょう。昨今は、個人の能力にいわゆる普遍的な「市場価値」があるかのように喧伝(けんでん)されることがあります。しかし、もし、個人が独自に普遍的な「市場価値」を持っているのなら、その人はどんな企業に行っても同じ給料をもらえるはずです。ところが実際には、ある企業で年収1000万円だったとしても、別の企業に行くと500万円になってしまうことがある。(組織が正当な評価をしているという前提下において)所属する組織によって出せる給与(価値)が大きく変わるということは、その人は独自の「市場価値」を持っているわけではないということです。

 結局、人は、(たいていの会社、たいていの役割においては)単体で機能するものではありませんから、所属する組織によって価値が変動するのは当然なのですよね。そうであれば、人材を生かすために会社がやるべきことは、多様な人材を生かす仕組みをつくること、その会社でチームとして働くために必要なスキル・知識を身に付ける機会を提供すること、チームに価値を提供する人を正当に評価すること、となります。こうしたことを、この本は改めて気付かせてくれました。

 このように、この本は極めて示唆に富んでいます。経営の源泉に触れるような“熱さ”がある。ぬるま湯につかっている場合ではないと思わずにはいられません。経営者はもちろんですが、従業員やそれ以外の方にとっても、会社や経営者を評価するためのヒントを得られると思います。

「『会社という迷宮』には、経営の源泉に触れるような“熱さ”がある」
「『会社という迷宮』には、経営の源泉に触れるような“熱さ”がある」
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取材・文/島田栄昭 写真/鈴木愛子