南海バブル事件は、株式会社というシステムの持つダイナミズムとパワーをみせつけた事件だったということもできる。市民は「有限責任制さえあれば、誰でも出資し運営に参加できる!」と気づいたのだ。それはやがて、巨額資金を必要とする事業を成立させ、産業革命を後押しすることになる。しかし現代的には「ホールディングスのあり方」という新しい課題を生んでいる。『会社と株主の世界史 ビジネス判断力を磨く「超・会社法」講義』(中島茂著/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。
株式会社は信用できない?
南海会社狂騒曲と南海バブル事件(第3回「 法人は人に危害を加えても責任を負わない 法人制度の欠陥 」参照)の結果、英国民の間に「株式会社不信」が芽生え、その後も長く残り続けます。ニセ特許会社を運営する怪しげな「経営者」は信用するな、そんな会社に出資する「株主」も信じるな、という具合です。株主有限責任などという「特典」を与えるなど、とんでもないことだ! という意見が支配的になっていくのも自然なことでした。
英国で一般的に有限責任制が認められるのは、事件から約150年を経た1856年のことです。
他方、英国では、株式会社には「情報開示」を積極的に行わせるべきという問題意識が生まれました。南海会社が崩壊したときには議会で、「帳簿と議事録を議会に提出させるべきだ」と決議されたのはその表れです。南海会社については「うわさ」ばかりが飛び交い、株を買った人たちは何をしている会社なのか、本当のところは知らなかったのです。
「南海バブル事件」はマイナス面だけではなかった
南海会社狂騒曲、南海バブル事件の波及効果については、「バブル経済を生んだ」「株式会社制度の問題性を露呈した」などとマイナス面ばかりが指摘されます。しかし、私は、社会全般に対して株式会社というシステムの持つダイナミズムとパワーをみせつけた事件だったと思っています。
事件の影響で、市民は「有限責任制さえあれば、誰でも株式会社に出資し、運営に参加できる」と気づきました。他方、企業家は、「有限責任制さえあれば多くの人々から出資を募ることができ、その資金でビッグビジネスが展開できる」ことを心に刻みました。
こうした影響が、株主有限責任制の実現へと、時代を後押しすることになります。
株主の有限責任制採用が産業革命を支えた
18世紀末になると、企業家たちが、議会などに「有限責任制度は事業の成功に欠かせない」と陳情をするようになります。にもかかわらず、英国政府は相変わらず1720年6月制定の泡沫会社規制法を堅持し、なお「有限責任が認められるのは正式な特許会社だけ。一般には無限責任を負うべき」という基本姿勢を崩そうとはしませんでした。
長い議論の後、1855年法、そして1856年法をもって、英国は株主有限責任制の採用に踏み切ります。この段階に至っても、反対派の勢力は依然として強かったことは、1855年法を「強行可決させた」というエピソードからも察することができます。
では、英国の政府と議会が、株主有限責任制を導入する大きな決断を下した背景には、いったい何があったのでしょうか。それが、鉄道事業の登場と増加です。
英国では1770年ころから産業革命が始まります。英国の伝統的産業は羊毛事業でした。しかし、東インド会社がインドからもたらした綿織物(キャラコ)は柔らかく、吸湿性もよく、圧倒的な人気を獲得します。
産業革命とは、端的にいえば、キャラコに劣らない綿織物を英国内で生産できるようにするためのイノベーションでした。インド職人の腕に匹敵する品質の綿織物を作るためには、どうしても機械生産が必要だったのです。ケイの飛び杼(ひ)、ジェニーの紡績機、アークライトの水力紡績機、ワットの蒸気機関、そして、カートライトの力織機など、産業革命時に発明、改良された技術は、すべてが機械による綿織物の生産に向けられた技術です。
その成果物である綿織物を海外に輸出するために、生産地マンチェスターから輸出港リヴァプールまで輸送する必要が出てきました。これに応えるため1830年、世界初の定期旅客鉄道「リヴァプール・マンチェスター間鉄道」の運行が始まります。
鉄道敷設に欠かせなかった有限責任制
鉄道敷設には巨額の資金が必要で、政府は一般市民から広く出資を募る必要に迫られます。そこで、有限責任制度を取り入れて、株式会社によって資金を集める案が浮上したのです。賛成論が論拠としていた「市民が安心して事業に投資できる自由」というポイントが、まさに当てはまりました。
英国の議会が株主有限責任制をなかなか認めなかった要因の1つは、その構成にありました。貴族院(上院)の議員は当然に貴族ですが、庶民院(下院)の議員も貴族の子弟が多かったのです。そのため、「会社は、資産と心構えを持った名士によって運営されるべきである。有限責任制となって多様な市民が入ってくるのは好ましくない」という抵抗感が強かったと考えられます。
しかし、国家にとって、鉄道、運河、道路などの公共事業はどうしても取り組まなければならない重要課題です。進めないわけにはいきません。1855年法が可決されるとき、ジョン・ステュアート・ミルは、「大規模な事業に関しては、政府管理以外には株式会社しか選択肢はない」と述べています。この言葉は、有限責任成立の背景を知るうえでの大きなヒントです。ミルが言いたかったのは、次のようなことでしょう。
「鉄道、運河、道路など大規模事業は、本来、政府が管理すべきだ。だが、政府がすべてを管理しきるのは非現実的だ。そこで、多くの人々から資金を集めるため、『株主有限責任制』を採用するのもやむを得ない。ただし、有限責任採用に際しては、政府が管理するときと同様に、(1)事業目的が正当であること、(2)運営管理が適正に行われることを、経営者と株主とに約束してもらうべきだ」
こうした2つの願いを込めて有限責任制が採用されたのです。
株式会社は設立された瞬間から公共性を帯びる
株主有限責任制は、株式会社が、(1)正当な目的、(2)適正な方法での運営、の2つを交換条件として採用されたのです。さもなければ、株主有限責任制というとてつもない「特典」を生じさせるのは不合理です。出資する国民も、また、資金を運用する経営者も、その趣旨を十分に理解したうえで、2つの条件を守ることを約束して、株主有限責任制という「特典」をありがたく受け入れたのだといえます。
ここから、「株式会社は設立された瞬間から公共性を帯びている」という考え方が生じます。公共性は、株主有限責任制を享受する株主も、その株式会社を運営する経営者も、ともに銘記すべきことです。
株主有限責任制の現代的な課題
株主有限責任制は、社会を今日まで発展させた原動力です。そうでありながらも、現在、その理念からすると、気になる事象が起きています。それは、ホールディングス(持株会社)と呼ばれる会社の存在です。多くの子会社を持ち、様々な事業を展開させ、全体をグループとして統括しています。ホールディングスは親会社であり、同時に「大株主」です。
「気になる」というのは、子会社が「加害行為」を行ったとき、ホールディングスは、普通の個人株主と同様に、「単なる株主ですから、悪しからず」として株主有限責任の恩恵に浴してよいのだろうかということです。株主有限責任制が想定している株主とは、個人(自然人)であったといえます。そうした有限責任制を、法人にそのまま適用してよいのでしょうか。
この点については、現在の実務、判例、学説では、「法人も株主になれる。当然のことだ」と、解決済みのこととされています。株主有限責任制をホールディングスに適用することには何ら問題がない、ということになります。
子会社の加害行為についてホールディングスは株主有限責任を主張できるのでしょうか。仮に、あるホールディングスの子会社が、大規模PL事故を起こしたとします。被害者団に対して20億円の賠償義務が生じていますが、子会社にはとてもそんな資力がありません。そこで被害者団は、ホールディングスに対して「賠償金を支払え」と請求してきました。
これに対するホールディングスの対応は、「『株主有限責任の原則』があります。子会社に代わって賠償することはいたしかねます」というものでしょう。それが現状では正解です。
でも、なんとなく腑(ふ)に落ちない気がしませんか。そこにホールディングスの問題があります。ポイントは、株主有限責任制が認められるときの、(1)正当な目的、(2)国の管理に劣らないような管理、という2つの約束です。子会社の加害行為については、2番目の「適正管理」に問題はなかったかが問われるべきではないでしょうか。
同じ株主でも、ごく少数の議決権しか持っていない個人と、過半数、場合によっては100%の議決権を持ち、調査能力面でも人材面でも大きなパワーを持つ法人とでは状況がまったく違います。今後は、ホールディングスの子会社管理責任について議論がなされるべきだと考えます。
ホールディングスの責任を問うた行政庁
行政庁は、グループ会社の違法行為、不正行為について、親会社に行政処分を課す姿勢を示しています。行政庁は「国民を守るため」に活動しているのですから、法律の規定に細かく拘束される司法権の担い手である裁判所よりは、広く柔軟に考えることが可能です。
「子会社データ改竄(かいざん)事件」(2010・4・13 行政処分)は、製薬会社の子会社が血液製剤の試験データを改竄していた事案です。厚生労働省は子会社に30日間の一部業務停止命令を出しましたが、親会社に対しても25日間の業務停止と業務改善を命じました。当時、「子会社の不始末で親会社が業務停止になるなんて」という驚きの声も上がりました。しかし、国民の健康に関することであり、株主有限責任制の2つの約束の視点で考えると、適正な行政権の行使です。
2023年、中古自動車販売会社が、自動車整備で不要な修理、整備を行い、不当に自動車保険金を請求していた不正事案が発覚しました。この件で金融庁は、損害保険会社の損害調査にも不適切な点があったことを指摘し、損害保険会社と、さらに親会社のホールディングスに対しても「業務改善命令」を出しています。金融庁は処分理由として、「グループの法令遵守体制について、深度あるモニタリング体制を整備していなかったこと、問題を認識した後も、踏み込んだ実態把握をしなかったこと」を挙げています。
自動車保険事件は、自動車の整備という、国民の安全に直結する事柄であり、損保会社のホールディングスも、社会的な責任を問われてしかるべき事案です。こうした点に、株主有限責任制の「特典」は、経営者、株主が、(1)正当な目的、(2)適正な管理と交換条件で与えられたという、そもそもの由来が大きく影響しているのです。
中島茂著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)


