森岡毅氏率いる刀(大阪市)が2022年10月から協業するのが製粉大手のニップンだ。乾燥パスタの訴求ポイントを、ゆで時間などの機能性から「ど真ん中」にある「おいしさ」に転換。売上高は65%増となり、新商品の売れ行きに全国の小売店から驚きの声が相次いだ。『森岡毅 必勝の法則 逆境を突破する異能集団「刀」の実像』(中山玲子著、日経BP)から一部を抜粋してお届けする。(本文敬称略)

 「本当にそんなことがあるのか」

 2024年2月。製粉大手ニップン(旧日本製粉)のカスタマー営業統括部の大石和浩はある知らせを聞いて一瞬、耳を疑った。聞くと、首都圏が拠点の大手スーパーで、ある商品のPOS(販売時点情報管理)データの数字が大きく伸びているという。

 その商品は、ニップンが2月20日に新発売したばかりの乾燥パスタ「オーマイプレミアムもちっとおいしいスパゲッティ(以下、もちっとおいしいスパゲッティ)」だ。この大手スーパーが全国で実施した食品の新商品フェアでもこの商品が売上金額でトップを獲得。カレールーやドレッシング、麺つゆなど約10種の食品カテゴリーがある中で、他の食品を抑えての堂々の1位だ。

西日本のスーパーは取扱店舗数を150店から250店に

 予想を覆す販売実績を出したのは、この大手スーパーだけではない。

 全国のスーパーから「好調です」「よく売れています」と、同様の声が届いた。西日本を拠点にする大手食品スーパーは、発売から間もなく、扱う店舗数を約150店から一気に約250店に拡大すると決めた。

 大石が好調な販売に驚いたのは、売る直前まで「本当に売れるのか」と半信半疑だったからだ。それは、08年に入社以来、営業一筋だった大石にとって衝撃的な出来事だった。なにしろ、今回の商品は、ニップンが長らく続けてきた、ゆで時間の短さや価格の安さを訴求する従来商品とは一線を画しているからだ。

 パッケージに描かれているのは、湯気が立つパスタの写真と「もちっとおいしい」の大きな文字。機能性より、おいしさを前面に出した。おまけに、価格は同社の定番の「オーマイ」ブランドのパスタより1包装当たり100円程度高い。

 販売はその後も堅調に推移している。23年3月から24年8月までの乾燥パスタの売上高は、前年同期比で65%増えた。

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 簡便さや安さを売りにしていたのは、多くの競合も同じ。各社の乾燥パスタのパッケージにはゆで時間や太さの数字が並ぶ。

 乾燥パスタとは、簡便性や価格で売るもの──。業界では当然のものになっていた勝負の基軸。だが、刀の担当者は「工業製品のようなパッケージ」と違和感を覚え、ニップンの新商品ではその固定観念を覆した。

 22年秋の刀との協業開始以降、ニップン社員が大きく考えを変えることになったのが「おいしさ」についてだ。おいしさを追求するのは、食品会社として当たり前。しかし、ニップンにとっては、あまりに当たり前過ぎて、その価値を追求することを忘れていたところがあったという。

 実際、乾燥パスタの材料は基本的に小麦粉、水。それだけだ。「少ない材料でつくる乾燥パスタで消費者に違いは分からない」。いつしかそう考えてしまっている部分があった。

2024年2月、ニップンが発売した乾燥パスタ「オーマイプレミアムもちっとおいしいスパゲッティ」(写真=ニップン)
2024年2月、ニップンが発売した乾燥パスタ「オーマイプレミアムもちっとおいしいスパゲッティ」(写真=ニップン)

 「従来、新商品を出しても徐々に右肩下がりで売り上げが落ちていくのが、うちの商品の一般的な傾向だった」

 ニップンのマーケティング推進部長を務める佐藤良樹は言う。新商品を出した直後は売れるので、「数を打てば当たる」と、少し味を変えて商品数を増やしたこともあった。

ニップンのマーケティング推進部の石倉あすみ氏(写真=北山 宏一)
ニップンのマーケティング推進部の石倉あすみ氏(写真=北山 宏一)

 刀側が出してきた仮説には当初、ニップン社員らは戸惑った。その仮説は、「消費者は、本当はおいしさを求めている」といった内容だった。

 「初めて聞いたときは、なお『おいしさ』なのか、と。本当にその戦略がうまくいくのかと思った」。ニップンのマーケティング推進部の石倉あすみは振り返る。

 しかし、その考えは徐々に払拭されていく。

 22年の冬、ニップンと刀は、消費者に求められるパスタづくりに向けて、お宅訪問をしていた。消費者インタビューをするためだ。このときのインタビューの相手は主婦だ。

消費者の表情が一瞬で変わる

 「どんなパスタがおいしいと感じますか」
 「どこで食べたパスタがおいしかったですか」

 様々な角度から尋ねて消費者が真に求める価値を探していく。その一連のインタビューの中で、こんな場面があった。

 「こんなパスタがあったらどうでしょうか」

 ニップンの担当者が乾燥パスタの試作品のパッケージを主婦の目の前に差し出す。

 「もちっとおいしいスパゲッティ」の原型のようなモックアップだ。その商品を見た瞬間、主婦の表情がまるで花が咲いたかのように変わった。

 「わぁ、こんなパスタがあるんですか。ぜひ食べてみたい」

 その表情は、ニップン社員らにとって驚くべきものだった。明らかに一連のインタビューの中で主婦のテンションの高さを表す針が大きく振れた瞬間だった。こうした反応を示したのは1人ではない。

 その後に実施したインタビューでも、複数の消費者が同じ反応を示した。消費者の深層心理が表出した瞬間だった。

刀との協業は社員への「人的投資」との意味があるというニップンの前鶴俊哉社長(写真=北山 宏一)
刀との協業は社員への「人的投資」との意味があるというニップンの前鶴俊哉社長(写真=北山 宏一)

 モックアップのパッケージに書かれた「もちっと」に消費者が反応したこともニップン社員にとっては意外だった。ニップン社長の前鶴俊哉は話す。「我々は(かんだときに少し芯が残る)『アルデンテ』が好まれると思って展開してきたが、消費者には、もちっとしたパスタが食べたいとの要望も相当数あることが分かった」

 消費者が乾燥パスタでおいしさの追求を忘れたのは、ニップンをはじめとする各メーカーが、ゆで時間の速さや麺の太さなど機能性ばかりを訴えていたことが大きい。ニップンは、おいしさに原点回帰する戦略によって、消費者が忘れかけていた需要を呼び覚ました。

 刀によると、「パスタに限らず、当初はど真ん中を攻めていた訴求点が成熟市場になって本質から離れてしまうことはよくある」という。乾燥パスタでいうど真ん中とは「おいしさ」だ。

 刀CEOの森岡毅は言う。

 「早くパスタがゆであがるというのは素晴らしい便益だ。ただ、その数分の違いとおいしさとをてんびんにかけた消費者はいなかっただろう。消費者が本当に欲しいのは、おいしさ。消費者の脳内構造を深く分析していった結果、実は、この“ど真ん中”が空いていることに気付いた」

 世間の多くの企業は消費者起点が大事と言う。ニップンもそうだった。最近、ニップン社内でよく聞かれる言葉がある。

 「これは消費者のためになるでしょうか」

 社員がチームに問い、自らに問う。ニップンにとって、刀との取り組みは「本当の消費者起点」とは何かを再認識するきっかけになっている。

日経ビジネス電子版 2025年2月27日付の記事を転載]

希代のマーケターとして知られる森岡毅氏の強さの根源を日経ビジネス記者が徹底解剖。挫折を経験した森岡氏はどのようにして立ち直ったのか。快進撃の背景にある、森岡氏率いる100人の異能集団「刀」とは?マーケティングだけでなく、森岡流の組織論やリーダー論も学べる1冊!2024年12月発売。

中山玲子著/日経BP/1870円(税込み)