「ホワイトカラーが路頭に迷う時代がきている」。そう語る、日本共創プラットフォーム(JPiX)会長の冨山和彦氏は、プライシングを基礎から学ぶことは日本企業の思考様式そのものを変える契機になり得るとみています。経済学者の慶應義塾大学の星野崇宏教授・政策研究大学院大学の安田洋祐教授が冨山和彦氏を迎えて行った特別鼎談の最終回は、ノーベル賞理論を応用した最新のプライシング手法と、日本人に求められる「経営リテラシー」についてです。
文豪ゲーテも実践していた値付けの科学
星野崇宏(以下、星野) 前回までの議論で、日本企業が「思考の経路依存」から抜け出せないこと、積分的な思考が極端に苦手であることなどが明らかになりました。それに関連して、私と安田さんたちで創業したエコノミクスデザインで今、研究・提唱しているのが、「科学的なプライシング手法」です。
部分最適にとどまってしまっている日本企業による値付けに、これまで蓄積されてきた経済学的な視点を取り入れ、全体最適をはかる。この取り組みを、コンサルとして実際に企業に入って進めていて、さっそく成果が上がり始めています。
冨山和彦氏(以下、冨山) 実際にやってみてどうですか?
安田洋祐(以下、安田) おかげさまで最近では企業との取り組みの成果をプレスリリースで出せるくらいにはなってきています。
特に企業の方が悩んでいるのが、新商品・新サービスのプライシングですね。過去のデータがないから、機械学習も使えない。かといって、「なんとなく980円」では、本来得られるはずの利益を逃してしまう可能性がある。
星野 新商品は過去の売上実績がない。でも高く売りたい。そこで、普通にアンケートで「いくらなら買いますか?」と聞いても、正直には答えてくれません。顧客にとっては、安く答えたほうが得だからです。
冨山 そうなるよね。本音を引き出すのは難しい。

ボストン コンサルティング グループ、コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年、産業再生機構設立時に参画しCOOに就任。解散後、07年、経営共創基盤(IGPI)を設立し代表取締役CEO就任。20年、日本共創プラットフォーム(JPiX)を設立。東京大学法学部卒業、スタンフォード大学経営学修士(MBA)、司法試験合格。近刊に『日本経済AI成長戦略』(文藝春秋)がある。(写真=尾関祐治、以下同)
安田 そこで登場するのが「BDMオークション」です。これは1964年にベッカー、ドゥグルート、マーシャックという3人の研究者が論文で発表した理論を応用したもので、「正直に答えることが、回答者にとって最も得になる」ように巧妙に設計された仕組みです。
面白いことに、この理論が発表される200年近く前に、文豪のゲーテがほぼ同じ方法を編み出していたという逸話があるんです。
冨山 ゲーテですか。
安田 ゲーテは自分の原稿料が安すぎると感じていて、出版社の「本音の支払い意欲」を知りたかった。そこで、こんな交渉をしました。
まず、ゲーテは自分が考える原稿料を封筒に書いて、出版社には見せずに持っていく。次に、出版社に「次回作にいくら払えますか?」と尋ねる。ここからがミソですが、出版社が提示した金額が、封筒の中の金額以上なら、契約は成立する。ただし、契約金額は封筒の中の金額(ゲーテの希望額)です。逆に、出版社の提示額が封筒の金額より低ければ、契約は不成立。ゲーテは他の出版社にいくことになります。
冨山 出版社側はどう動くのが合理的か、試されるわけだ。
安田 出版社からすると、安く買いたたこうとして低い金額を言うと、ゲーテの希望額に届かず契約できないリスクがある。契約できたとしても、支払うのは自分の提示額ではなく「ゲーテが封筒に書いた額」で済むので、本音の金額より低く提示するメリットがない。じっくり考えると、出版社にとって一番得な戦略は、「本当にこの原稿に払ってもいいと思うギリギリの額」、つまり本音の評価額を正直に提示することになります。
これがBDMオークションの基本原理です。嘘をついても得をしない仕組みを作ることで、本音を引き出すことができる。
2倍以上の価格で売ることにも成功?
星野 我々はこの理論を需要予測まで可能にできるように修正して特許を取得し、実際の企業のプライシングに応用しています。実際に潜在顧客を集めて、BDMオークションの仕組みで「本当にいくらまで払えるか」を調査します。
冨山 実際の効果はどうだったの?
星野 ある企業のサブスクリプションサービスで、当初「980円」で設定しようとしていたものがありました。でも、BDMオークションで調べたら、2480円でも全然問題ないという結果が出たのです。つまり2.5倍です。

冨山 面白いですね。企業側が勝手に「これくらいだろう」と遠慮していた価格の、2.5倍でも売れる可能性があると。
星野 しかも、このビジネスはサブスクですから、変動費はほとんどかかっていない。価格を上げても、コストはほぼ変わらない。だから、利益が劇的に改善します。
安田 従来の値段の決め方だと、「競合が980円だから、うちも980円にしよう」とか、「消費者は1000円を超えると買わないだろう」という勝手な思い込みから逃れられない。でも科学的に調べてみると、顧客はもっと高い価値を感じていることが多いと分かったわけです。
冨山 経験と勘じゃなくて、ちゃんとデータで裏付けるわけだ。
星野 そうです。ただ、このBDMオークションで分かるのは、調査に参加した数百人程度の「支払い意欲」です。そこから先は、その人たちの属性(性別、年齢、所得など)を使って、市場全体の需要を予測します。そうすると「この価格なら何人が買うか」「いくらに設定すれば売り上げが最大化するか」を計算できます。
サブスクのほかにも、一般消費財については調査会社のインテージさんと組んで、会場調査(特定の場所に参加者を集めて行う調査)をして値決めした飲料などが、実際に市場に投入されて企業の利益率の改善に貢献しています。
安田 ほかにも、「A社が価格をX円上げたら、B社はどう反応するか。そのとき、市場全体のシェアと利益はどう変わるか」といった、競合企業の動向を織り込んだり、インフレの影響を予測したりなど、経済学の学知を活用しないとできないようなプライシングの提案もたくさんあります。その意味でも、経済学者が企業に入る意義があると考えています。

「価格差別」が実は平等を実現する
冨山 少し話は変わりますが、日本企業が苦手なのが価格差別でしょうね。劇場やスタジアムで、席によって値段が違うのを「不平等だ」と思う人が多い。
安田 そうなんですよね。「同じものには同じ値段をつけるべき」という平等主義の感覚を持つ人が多いです。
冨山 でも、経済学的にいえば、価格差別はむしろ、平等を実現する手段ですよね。天井桟敷(さじき)を安くできるのは、1階の良い席から高い料金を取っているからでしょう。価格差をつけないと、全部の席を中間の値段にせざるを得なくて、結局、学生さんたちみたいなお金に余裕がない人は入れなくなる。
安田 その通りです。価格差別によって、より多くの人が楽しめるようになったり、消費者の満足度を足し合わせた消費者余剰が増えたりすることもあります。
冨山 昔、チケット価格について席料をもっとダイナミックに変えようと提案したことがあるんです。「良い席は10万円くらい取っちゃえ」と。そうすれば、その分、学生向けの席を安くしてあげられるから、結果的にいろんな人が見に来られて平等でしょう?
でも、そのときも「それはダメだ」と反対されてしまいました。「みんな同じ値段、同じ条件」というのが平等だと思っているから、価格差をつけることにアレルギーがある。
星野 日本だと「価格に差をつけない」ことが平等だと思われているのですね。
冨山 実は逆なんですが、それもなかなか分かってくれない。
安田 最近のインバウンド需要の話で「二重価格」の議論もありますよね。観光地で、日本人と外国人で価格を変えるという。
冨山 あれは露骨にやるとダメだけど、工夫次第で実質的な価格差別ができるよね。
安田 やりやすい方法として例えば、日本語メニューと英語メニューで、商品の載せ方を変えることが考えられますね。日本語メニューではリーズナブルな定食を目立たせて、英語メニューでは高級だけど「日本らしい」と感じやすいウニ丼とかを目立たせる。デフォルトで何をお勧めするかという行動経済学的な工夫で、商品の価格そのものは変えなくてもインバウンドの方が自然と高額なものを選ぶような仕掛けができます。
冨山 インバウンド客は「せっかく日本に来たんだから、ちょっと高くてもいいものを食べたい」って思っているわけだから、そもそも売れ筋が違うはずだもんね。
安田 あとは年間パスや回数券も実質的な価格差別ですよね。地元の人は何度も来るから、1回あたりの単価は下がる。でも、観光客は1回しか来ないから、1回あたりの単価は高い。
星野 そうした価格差別の手法も、きちんと計算して設計すれば、消費者に納得してもらいながら、利益を最大化できますね。
冨山 結局、プライシングというのは、経営の中で最も重要な戦略的ツールです。コストサイドをいくら削っても限界がある。でも、プライシングは売り上げの全体像を決めちゃうわけだから。
安田 それなのに、日本企業は「経験と勘」に頼ってきた。
星野 今求められているのは科学的なアプローチです。BDMオークションで本音の支払い意欲を引き出す。ゲーム理論で競合の動きを織り込む。価格差別で消費者余剰を最大化する。これらは全て、データと論理に基づいた意思決定です。

冨山 それは大賛成なんだけど、ただ、導入のハードルは、マインドセットなんだよね。「安く売ることが善」という経営倫理、「シェアを守りたい」という思考の経路依存、「細かい解釈論に逃げ込む」微分思考。これらを全部ひっくり返さないといけない。
安田 だからこそ、我々のような経済学者が、ビジネスの現場に入っていく意義があります。抽象化が得意で、微分思考に陥らないような人間が、「そもそも論」を言う役割を果たす。
冨山 まさに。プライシングというのは、単なる値付けの技術じゃなくて、日本企業の思考様式そのものを変える契機になり得るんです。経路依存から脱却し、積分思考を身につけ、科学的にプライシングする。これができるかどうかが、日本企業が生き残れるかどうかの分水嶺(ぶんすいれい)です。
星野 冨山さんのおっしゃる通り、プライシングは単なるテクニックの問題ではなく、経営哲学の問題でもあります。「顧客が受け取る価値をもとに適切な利益を得て、それを新しい価値創造のために投資することで社会に貢献する」という「そもそも論」に、アートではなくサイエンスとして貢献できればと思います。
(構成=加藤純平)