野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。日本推理作家協会賞なども受賞したことのある芦沢央(よう)さん。年に3、4回は出版社の主催する文学賞のパーティに行くそうです。前回(参照:ミステリ作家はなぜ「事務仕事ができない抜けた人」になったのか)、自分の職業として「小説家」と答えることに違和感を覚えると綴っていた芦沢さんは、パーティに何度行っても慣れることがなく、挙動不審になってしまうとか。なぜでしょうか?(編集部より)

(イラスト=くぼ あやこ)
(イラスト=くぼ あやこ)

パーティでは挙動不審な人間になる

 専業作家になって以降、すっかりダメ人間になった芦沢央が、失った社会性を取り戻すために奮闘する――改めて書いてみても情けなくなるテーマのエッセイだが、まず問題解決のために欠かせないのは現状把握だろう。

 そこで、しょっちゅう開催されている「ひとり反省会」のうち、社会性と関連していそうなものについて掘り起こしてみよう……と思ったものの、掘り起こすまでもなかった。あまりに最近のことすぎて、記憶はまだ優しい忘却の海まで辿り着けずに浜辺で蠢(うごめ)いている。

 1週間ほど前、出版社のパーティに行ったときの話である。

 出版社では、文学賞の贈賞式と合わせて作家や編集者、書評家や書店員を招待したパーティを行うところが多い。一般的な知名度が高い賞は芥川賞、直木賞、本屋大賞くらいだろうが、実は文芸界にはたくさんの文学賞がある。

 私が書いているミステリが候補になりうる賞だけでも、直木賞、本屋大賞の他に、山本周五郎賞、山田風太郎賞、吉川英治文学新人賞、大藪春彦賞、日本推理作家協会賞、本格ミステリ大賞――主にアマチュアを対象にした新人賞まで含めれば、江戸川乱歩賞、鮎川哲也賞、横溝正史ミステリ&ホラー大賞、メフィスト賞、『このミステリーがすごい!』大賞、アガサ・クリスティー賞、小説野性時代新人賞、創元ミステリ短編賞、小説推理新人賞――

 これ以上列挙するとエッセイの字数稼ぎ疑惑が浮上するのでここらで止めておくが、とにかく「え? そんなに賞があるの? だったら一個くらい私にくれてもよくない?」とつい思いたくなるほどの賞があるのだ(純文学系、SF系などの賞も入れればさらにものすごい数になる)。

 同じ出版社主催の賞はまとめて贈賞されるし、大規模な贈賞式を行わない賞もあるから、パーティの回数は賞の数ほどは多くなく、主催版元で仕事をしていないと招待されなかったりもする。私も年に3、4回くらいしか参加することはない。

 だが、それでも(コロナ禍で中止になった年を除いても)10年以上は参加してきているのだから、それなりの経験は積んでいるはずだ。なのに、何度行っても慣れることがなく、毎回挙動不審な人間になってしまう。

 ほとんどのパーティは、ホテルを会場にした立食形式である。最初に招待状を提示して受付を済ませ、入口で飲み物を受け取ったら、その後は大勢の人がたむろしている空間に踏み入っていかなければならない。贈賞式の間はみんな壇上を見て受賞者や選考委員のスピーチを聞いているから、とりあえず邪魔にならない場所に立って同じように聞いていればいいが、問題はその後だ。

 「それではしばらくの間、ご歓談をお楽しみください」

 司会者がそう言ってマイクを切った途端、完全にひとりで動かなければならなくなるのだ。

豪華な料理を食べつつ、人目を気にする

 歓談って何だ。打ち解けて親しく語り合うこと。普段人に会うこともなく、ひたすら家に閉じこもって小説ばかり書いているような人間にはハードルが高すぎないか?

 初手の定跡はいくつかある。知り合いを探すか、受賞者にお祝いを伝える列に並ぶか、料理を取りに行くかだ。

 私はまず、ビュッフェのコーナーへ向かう。だって、滅多に食べられないような豪華なホテルのご飯がそこら中にあるんだもの。お寿司、しゃぶしゃぶ、ローストビーフ、いくつものテーブルにずらりと並んだ色鮮やかなフィンガーフードたち……どれも美味しそうで、眺めているだけでテンションが上がってくる。ほら、お腹に何か入れないとお酒が回っちゃうかもしれないし。そう自分に言い聞かせながらお寿司を手に取る。うん、炭水化物はアルコールの分解にも必要だしね……誰へともなく言い訳をするものの、酒と寿司の皿を手にうろついているうちに人目が気になってくる。

 芦沢央がめちゃくちゃがっついてたってSNSに書かれたらどうしよう。いや、書かれなくても誰かが撮った会場写真の背景に映り込んでしまうかもしれない――考えすぎなのはわかっているが、クヨクヨと人目を気にして考えすぎるような人間だから、小説なんか書いているのである。

 何とかデビュー年の近い作家が集まっている輪を見つけて潜り込む。けれど、これでひと安心、と思ったら大間違いだ。立食パーティでは、次々に人が入れ替わる。そもそもできるだけ多くの人と交流できるようにという趣旨で立食形式にされているのだから、輪が固定されることなどありえないのだ。

 パーティは、作家にとっては業界の人間に顔を売るチャンスであり、編集者にとっても作家と名刺交換をして仕事の依頼に繋げる機会である。挨拶をし、ちょっとだけ雑談したら別れる、というのを延々と終会まで繰り返さなければならない。

出版社のパーティは「奇妙なゲーム」

 私は出版社のパーティに参加するたびに、「どれだけたくさんの人と楽しく交流できるか」という奇妙なゲームに取り組まされているような気持ちになる。

 気心の知れた作家仲間とずっといれば楽しく過ごし続けることはできるだろうが、その分他の人と交流する時間がなくなってしまう。しかし、普段交流する機会がない人と触れ合えば触れ合うほど、自分の挙動不審さが露呈するリスクが増す。

 パーティ慣れしたベテランの編集者は、時間配分が上手い。パッと目的の相手に近づき、2、3分話したらサッと次へ行く。そのまるでスタンプラリーのような無駄のなさを見ていると、相手を引き止めるのが申し訳なくなってくる。楽しく話せる人と出会えて、その人とずっと話していたくても、自分が引き止めている分だけ相手の時間と機会を奪っているような気がして、ほどほどのところで引き上げなければいけないようなプレッシャーを感じてしまうのだ。

 だが、去り際が一番難しい。結局、タイミングがつかめずにいるうちに「お話し中のところすみません」と誰かが入ってくると、何となくそれが解散の合図になるため、ほとんど毎回、きちんと別れの挨拶ができないまま、会話も途中のまま終わる。そしてそれを繰り返していくうちに、どんどん変なテンションになっていく。

 いつもの家に引きこもっているときのテンションでは、到底乗り切れないからだ。

 おそらく、パーティで私を見かけたことがある人は、私のことをそこまでコミュニケーションが苦手なタイプだとは思わないだろう。テンションが高い陽キャだと思われている可能性すらある。しかしパーティでの私は、慣れない場でほとんどパニックになっているだけなのだ。

 異常な状態だから、オーバーリアクションを取り続け、初対面の人への距離感を間違えてしまう。軽口を言う人が周りにいればそれにつられて言わなくていいことまで言ってしまうし、よくわからないノリで大御所の先輩作家になれなれしく接してしまったり、編集者に対して調子がいいことを言ってしまったりする。

 しかも、そうやって明らかにしゃべりすぎてしまっているのに、大抵の場合は後になって肝心のこと(相手に対するお祝いの言葉や、新刊の感想、会えたら伝えようと思っていたお礼など)を言いそこねたと気づく。

 お酒を飲むからいけないのではないかと思い、ソフトドリンクだけ口にするようにしても、前もって「今日はテンションを上げすぎないようにするぞ」と決意しても、無駄だった。

 アルコールが一滴も入っていなくても場の空気で酔っ払うし、テンションが上がっているのではなくテンパっているだけなので、決意したところで止められるものでもないのである。

淡い期待で二次会に参加するも…

 唯一の解決策は、もうわかっている。

 パーティには行かないことだ。

 けれど私は招待状が届くたびに、迷った挙げ句、結局参加してしまう。行かなければ何かの流れに乗り遅れてしまうような気持ちになるからだ。行っても別に取り逃がせないような何かはないことも、むしろ失敗した気分になる方が多いことも、経験上わかっているのに。

 パーティが終わると、受賞者を囲む二次会がある。受賞者や賞と関わりがある人間をメインに人数が絞られるため、一次会よりはぐっと小規模になる。多くて30~40人といったところだろうか。今度は着席形式で、普通の飲み会のような場である。普段から親しくしている同業者と一緒に行って近くの席に座っていれば、そこまで気を遣わなくても問題はない。パーティの余韻でテンションがおかしくなっているとはいえ、粗相をする確率は格段に下がる。

 パーティでの失態を挽回できるかもしれない、という淡い期待で参加を決める。行かなければ、帰宅しながら延々とひとり反省会をすることになる。ひとり反省会はつらい。できるだけ先延ばしにしたい。楽しい記憶で塗り替えて、あーいろいろやらかした気もするけど、まあ行ってよかったな、ということにしたい。

 大抵の場合は、この二次会のおかげで私は恥ずかしい記憶をうやむやにできる。だが、たまにさらなる失態を重ね、ひとり反省会の議題を増やしてしまう羽目になることもある。

 岐路になるポイントは、スピーチをさせられるかどうか、だ。

 この時点で、賢明な読者の方は私がハイパー超絶スピーチ大嫌い人間なことは想像できているのではないかと思うが、既にかなり長くなってきてしまったため、次回に譲ろう。

 次回、「スピーチとかいうシステムを考えた人は、ポップコーンを食べるとき固い皮が必ず歯に挟まりますように」!

日経ビジネス電子版 2025年12月18日付の記事を転載]