ミステリの名手であり、ホラーや純文学なども手掛ける芦沢央(よう)さんのエッセイ連載。前回(参照:整理整頓が苦手という作家が同業者にドン引きされた衝撃のエピソード)は、整理整頓が苦手で同業の小説家にも呆れられてしまう話でした。今回は、文学賞の発表を待つ「待ち会」での自分の言動についての話です。(編集部より)

文学賞の発表を待つ「待ち会」を反省する
ここまで、自分が反省すべきだと思っていることについて反省会を行ってきた。
しかし、本当に反省すべき点は往々にして本人に自覚がないものだ。一般的には、自覚がある時点で改善の第一歩を踏み出していることが多く(私の場合は頭でわかっていてもできないため、踏み出しているとは言い切れないが)、本人が気づいていないところにこそ根深い問題がある。
やはり、私もひとりでぐるぐる反省しているだけでなく、たまには人から指摘してもらった方がより課題がクリアに浮かび上がってくるだろう――そう考えて、この連載の担当編集者に「私に書いてほしいテーマとかあります?」と尋ねてみたところ、「待ち会の話とかどうですかね」という答えが返ってきた。
ん? 待ち会?
私が直近で待ち会をやったのは2025年上半期の直木賞候補になったときで、その頃はまだこのエッセイ連載は始まっていなかったから、担当さんには私の待ち会には参加してもらったことがない。
なのになぜ、私の待ち会に反省すべき点があることを知っているのか……と動揺したが、「文芸業界特有の文化ですし、面白いと感じる読者も多いんじゃないかと」とのことだった。
なるほど、たしかに私自身、デビュー前から待ち会の話が好きだった。私は大学生の頃から文芸誌を愛読していたのだが、そこには作家のインタビューや対談、エッセイや文学賞の受賞の言葉などが掲載されており、待ち会の話がたまに出てきていた。そのたびに「これが待ち会か~」とはしゃぎながら読んでいた記憶がある。
待ち会とは、その名の通り「待つ会」のことだ。受賞者記者会見がある賞では、受賞したらすぐに記者会見場へと向かわなければならないため、候補者は選考会の間、会見場の近くで担当編集者と結果を待つことになるのだ。
本物の待ち会で終始ニコニコしていた
私が初めて「待ち会」をしたのは今から14年前の2012年3月12日。新人賞である野性時代フロンティア文学賞の最終選考に残ったときだった。
と言っても、新人賞では記者会見はないし、まだ担当編集者もついていない。ただ、待ち会なるものに憧れていた私が勝手に「待ち会」と銘打って夫に一緒に連絡を待ってもらっただけの話で、そういう意味では「待ち会もどき」と表した方が正しいかもしれない。
このとき私は、「落ちたらどうしよう……」とばかり繰り返していた。
「ここで落ちたらまた1次からやり直しなわけじゃん? もう無理、これ以上頑張れない……」
当時の私は、新人賞に応募し始めてから12年目で、新人賞の最終選考に残るのが2度目だった。最初に最終候補まで残ったのは2010年で、そのときは最終候補になったという連絡は特になく、結果についてもWEB上の発表で知ったため、「待ち会もどき」をすることもできないまま落選したのだが(デビューしてからその版元の編集者に話したところ、「え? 連絡はしてたと思いますけど」とのことだったので、もしかしたら私が連絡先を書き間違えていたのかもしれない)、翌年に同じ新人賞に応募したところ、2次選考で落ちた。
つまり、最終選考まで残っても落ちれば本当に1次選考からやり直しというのを身をもって知っていたため、かなりナーバスになっていたのだ。
夫が相手であることもあって延々と弱音を吐き続けていたのだが、受賞の報を受けて一転、上機嫌で飲みまくったことはいまだによく覚えている。
(ちなみに、受賞の連絡は電話で、「ただいま選考が終わりまして……」となぜか申し訳なさそうに始められたため、あ、落ちた……と目の前が真っ暗になった。その後「今回は2人同時受賞ということになりまして」と続けられ、「え? それは私も受賞したということですか?」と混乱しながら確認したのも記憶に強く残っている。後に、なぜ申し訳なさそうだったのかと訊いたところ、賞金が半分になるのが申し訳なかったらしい)
次に待ち会をしたのはデビュー3年後の2015年、「許されようとは思いません」という短編が日本推理作家協会賞短編部門の候補に残ったときだった。ついに、待ち会もどきではなく、本物の待ち会をする機会が訪れたのである!
このとき私は、終始ニコニコしていたはずだ。文学賞の候補になったということ自体が、とにかくものすごく嬉しかった。既に候補になった時点でかなり満足しており、本物の待ち会ってこんな感じなのか~と呑気に楽しむことができた。落選の報を受けたときにも「また頑張るぞ!」とむしろやる気になったくらいだ。出身賞の野性時代フロンティア文学賞がノンジャンルの賞だったこともあり、自分の作品をミステリと言っていいのか自信を持てずにいたため、「推理作家協会」の賞にノミネートしたことでミステリだというお墨付きをもらったように感じて、どんどんミステリに挑戦したい気持ちに火がついたのだ。
さらにその2年後、上記の「許されようとは思いません」を表題作として収録した短編集が吉川英治文学新人賞の候補になったときの待ち会も、ノミネート自体がご褒美のような感覚だったので、心持ちとしては比較的気楽なものだった。
たしか各社の担当編集者が集まってくれて、10人ほどの会になったはずだ。それぞれにお世話になっているものの、普段は一堂に会すことはない違う版元の編集者たちがわいわいしゃべっているのを見ていると、ここにいるのはみんな私を応援してくれている人たちなんだよな、と実感できて幸せだった。落選しても「まあ、そうだよな」というくらいの感覚で、それほど落ち込むこともなく、楽しくそのまま残念会と称して飲み続けた。
プレッシャーに耐えきれず後ろ向き発言を連発
だが、さらに翌年、再び日本推理作家協会賞の短編部門にノミネートされた辺りから、私にとって待ち会は純粋に楽しいものではなくなってきた。
2度目の候補であることもあり、「今回はワンチャンいけるのでは……?」という期待が腹の底で蠢(うごめ)き、落ち着かなくなってしまったのだ。表面上はそれまでと変わらず明るく振る舞い、落選しても「受賞しない限り何度でも候補になれるってことですから、むしろありがたいですね」などと強がっていたが、帰りのタクシーでは呆然としていた。
恥ずかしいからあまり書きたくないが、もう正直に書いてしまうと、私はこのとき、受賞した場合に記者会見で話すことや、SNSに投稿する文面まで用意していた。スマートフォンのメモアプリに書いていたその文面を削除し、落選について報告する文面を作成している間、私は完全に無表情で目が死んでいたと思う。
日本推理作家協会賞の短編部門には、その翌年の2019年にも候補になって落選したが、このときは前年ほど落ち込むことはなかった。ほとんど同時に別の作品で山本周五郎賞にノミネートしており、その選考会が数週間後に控えていたこともあって、編集者に対しても「また来月!」と前向きな言葉を口にでき、自分自身の気持ちも切り替えられたからだ。
しかし、そうして落ち込みを繰り越した分、山本周五郎賞の待ち会はひどかった。プレッシャーに耐えきれずに「たぶん落ちると思うんですけど」と繰り返して、その作品を一緒に作った担当編集者から「そういうことを言うのはやめてください」と叱られたのである。
落選したときも、その編集者は泣きながら悲しんでくれたのに、私はずっとヘラヘラしていた。「いい作品だったと思いますよ?」と慰めるような言葉を口にしたりして、どちらが書き手なのかわからないと周りからは笑われ、私も笑っていた。
あのとき私が平気なふりをしていたのは、ただ、ショックを受けていることを悟られるのが恥ずかしかったからだ。私が落ち込んでいるところを見せることで、周りに気を遣わせてしまうのも嫌だった。だから大したことではないというポーズを取り続け、帰途についてからまたひとりでひっそりと項垂(うなだ)れた。
これは、一見すると周りに気を遣わせない良い振る舞いに思えるかもしれない。けれど、心のありようとしてはまったく健全ではなかった。
そのことに気づいたのは、2021年に初めて直木賞にノミネートされたときだ。
応援してくれた相手をがっかりさせるのが怖かった
業界内にはたくさんの文学賞が存在するが、一般の人にまで注目される賞となると、やはり芥川賞、直木賞、本屋大賞辺りになる。ニュースで大々的に報じられることもあり、普段はあまり小説には興味はない人の耳にも候補段階から情報が入る。
前々から「直木賞の候補になるといろんな人から連絡が来る」とは聞いていたが、本当に驚くほどたくさんの人から連絡をもらった。編集者や同業者だけでなく、親戚、小・中・高・大の同級生や先輩後輩、勤め人だった頃の同僚などから、一斉にお祝いと応援の連絡が届いたのだ。
一人ひとりのメッセージは、もちろん嬉しかった。久しぶりに連絡を取り合う人も少なくなかったし、ニュースを見て私のことを思い出してくれたのだと思うと、温かい気持ちにもなった。
だが、私は「応援してます!」という言葉だけは、上手く受け止めることができなかった。「たぶん今回はダメだと思うんだけど」とか、「初回で受賞できることはあんまりない賞だから、今回は顔見せくらいの感じで」とか、予防線を張るような返信をせずにいられなかったのだ。
私は、応援してくれた相手をがっかりさせるのが怖かった。「せっかく候補になったのに落選するなんてかわいそう」と思われたら、惨めになるのではないかと恐れた。だから、できるだけ落選したときの感情の落差を作らせないよう、「そんなに期待しないでほしい」というメッセージを発し続けたのである。
以前、事前に受賞した場合の言葉を用意して惨めな思いをしたことから、落選したときに投稿するための文面を準備するようにもなっていた。大丈夫、落ちる心の準備はできている。落ちるのが当然なのだから、本当に落ちても殊更(ことさら)に傷つく必要はない――さすがにここまで来ると、恥ずかしいを通り越して痛々しい。
そして、結果は落選。このときはコロナ禍だったためオンラインで待ち会をしていたのだが、オンラインでは一度にひとりしかしゃべれないこともあって参加者が発言するか迷う「お見合い状態」になってしまい、結局私が「これを励みにますます頑張ります」という演説をぶちかまして終わった。
いつもより無駄に大言壮語してしまったためか反動も大きく、ひとりになった後は疲れ切って風呂場で静かに泣いた。
期待に応えられなかったこと以上に失礼なこと
しかし、翌朝、ああそうだ応援してくれていた人たちにも御礼と報告の連絡を入れなければ……とヘロヘロになりながらメッセージを送ると、大学時代のある友人からこんな返信をもらった。
〈実は15時からずっとそわそわして、発表15時じゃないのかーーーとドキドキしてました笑 こんなに直木賞の発表を楽しめたことなかったので、もう感謝しかない!!〉
憑き物が落ちたような心持ちがした。感謝……?
私は、応援してもらった以上、受賞という結果を出さなければ喜んでもらえないような気になっていたが、彼女は発表を待つ時間自体を楽しんでくれたというのだ。
候補作発表時に彼女からもらっていたメッセージを読み返してみると、〈おめでとうーーーー!! ほんとすごい!!! 応援してます!!!!!!!〉というハイテンションな文面があった。――私は、こんなにも真っ直ぐな応援の言葉に対して、水を差すような返答をしていたのか。
そして、彼女の言葉を素直に受け取れたことで、私は他の人たちも同じだったのではないかと気づいた。応援してくれる人たちは、応援している時間そのものを楽しんでくれるのかもしれない。応援してもらった上で結果を出せなかったとしても、それは期待を裏切ったということではないのかもしれない。
そもそも、私は文学賞で落選するたびに私の作品を面白いと思ってくれた読者に対して申し訳ない気持ちになっていた。せっかく作品を楽しんでくれたのに、私が落選したせいで一緒に「その作品をいいと思った気持ち」まで否定されてしまったように感じていたからだ。
だが、賞とは本来そういうものではない。選考委員がそれぞれの小説観やその賞に求められる方向性に基づいて候補作に無理やり優劣をつけているだけのものであり、どれだけ酷評されて落とされようと、作品自体は何も損なわれないのだ。なのに落選のショックのあまり賞によって作品自体が損なわれてしまったように感じるのなら、賞に関係なく作品を楽しんでくれた読者を私自身が否定することになってしまう。
それは、期待に応えられなかったこと以上に失礼なことだろう。
反省した私は、2025年、再び直木賞の候補になった際は、「たぶん落ちると思うんですけど」と言いたくなるのを必死に堪(こら)え、意識して「応援してください」という言葉に変換するようにした。つまり、「結果についてはそこまで期待していないポーズ」を取り続けてしまう癖は何とか直せたのだ。
ただ、落選した際に「あまり気にしてないポーズ」を装ってしまう癖の方は直せなかった。相変わらずヘラヘラし、前向きな言葉を吐き出し続けて帰宅し、翌日をしょんぼりして過ごした。
次に待ち会をする機会に恵まれたら、落ちたときにも堂々と「悔しい」というひと言が言えるようになりたいと思っている。
――いや、これだとまた落ちたときのことを考えていることになってしまうか。
では、やはりこの言葉で締めよう。
まずは、そうした機会がまた来るよう応援してください!!