ミステリの名手であり、ホラーや純文学なども手掛ける芦沢央(よう)さんのエッセイ連載。前回(参照:原稿の〆切は守ってもメールの〆切は守れなくて編集者があきらめかけた話)は、メールの返信が遅れがちでうまい対策が見つからない、という話でした。今回は、整理整頓が苦手で、同業の小説家にも呆れられてしまう話です。(編集部より)

同業者に好評の「ダメ人間エッセイ」
「芦沢央のひとり反省会」も、早くも10回目。
反省すべきことが山のようにあるため、一向にネタが尽きる気配がないのが誠に遺憾だが、発表媒体がWEBだからか、想像以上に同業者や編集者から「あのダメ人間エッセイ読んでますよ」と声をかけられるようになった。
特に同業者からは「めっちゃわかる~ってなりました!」と言われることが多く、ダメ人間なのは私だけじゃなかった……! とレベルの低い安堵を覚えている。
「じゃあ、この連載が本としてまとまって刊行記念イベントをすることになったら、対談相手として登壇してくださいよ」
「いいですよ。私も反省すること一杯あります!」
「トークイベントのタイトルはふたり反省会にしましょう」
「鼎談(ていだん)なら3人反省会、座談会なら4人反省会とか5人反省会とか、いくらでもできますね。この業界ダメな人多いし」
というようにみんな快く盛り上がってくれた。まだ本当に本になるかわからず、本になったとしてもイベントをできるとは限らないのに、対談相手の候補だけは現時点で既に4人もいる。何と心強いのだろう!
しかし、よくよく話を聞いてみると、意外にみんなそこまでダメ人間ではないのだった。
「立食パーティやスピーチが苦手」という人は少なくなく、「私もすごい方向音痴なんで、あるあるだーと思いながら読みました」と言ってくれる人や、「〆切前の追い詰められ方、自分のことかと思いました」と共感してくれる人はいたが、「この回はわかるけど、この回はそれほど……」という濃淡がそれぞれにあり、すべてに当てはまる人はいなかったのだ。
書いている私は、当然のことながら全部においてダメなのに……!
中でも、第9回の「メールがなかなか返せない問題」については、「1週間返さなかったりするのはさすがにないかな……」と、ダメ人間の同志として盛り上がっていたはずの同業者からも呆れられた。はい、そうですよね……
整理整頓ができない問題
それならこれではどうか、とばかりに、まだエッセイに書いていないダメ人間エピソードをいくつか披露してみたところ、もう一つ呆れられた話があった。
「整理整頓ができない問題」である。
「整理整頓が苦手なんですよ」と話すと、ほとんどの人が「わかります~」と返してくれる。けれど、それで私が調子に乗って、「こういうことありますよね」というふうにエピソードを積み上げていくと、少しずつ「ん? それはないかな」となっていくのだ。
そこで、今回はこれまでとは少し趣向を変え、整理整頓に関するダメ人間エピソードについてランキング形式で書いてみよう。「わかる!」と言われることが多かったエピソードが5位、つまり1位に近づくにつれて「それはひどい……」と言われたものになっていく。
〈第5位 買った本を見つけられず買い直す羽目になる〉
一般読者の方からは、早くも「は?」と言われそうだが、これは小説家や編集者にはすんなり「ある~!」と理解してもらえるエピソードだ。毎月本や雑誌が10冊以上のペースで増えていくため、すぐに家の中が本だらけになってしまう。読むペースよりも増えるペースの方が速いから、いわゆる「積ん読」状態の本が年々増殖を続けており、「そうだ、あの本読みたいんだった」と思ったときに探そうとしてもなかなか見つからないのだ。
私は本棚が埋まるたびに本棚を買い足してきたものの、本棚を設置するスペースがなくなり、床に積み上げていたら一部屋がまったく使えなくなってしまったので書庫のつもりでワンルームを借りたのだが、そこにもそれほど本棚は置けず、ウォークインクローゼットやシューズラックもすべて本で埋めた上で、結局床に積み上げるようになってしまった。
「あの本は買った記憶があるぞ」と思っても、家にあるのか書庫にあるのかわからず、家にないから書庫だろうと思って探しに行っても、表層近くにない場合は山をひっくり返して発掘作業をしなくてはならない。
結果、探すのに疲れて買い直すことになる、というわけだ。
これではさすがに買っている意味がないから、一度きちんと整理したいと思っているのだが、そう考えてから既に数年の年月が経っている……
〈第4位 領収書の整理ができない〉
小説家はフリーランスなため、確定申告をする必要がある。事務作業が苦手な人間にとっては地獄……というか有り体に言って不可能な作業だ。
私は専業になって白色申告から青色申告に切り替えるタイミングで税理士さんに頼むことにしたため、一番大変なところはやっていないのだが、それでも毎年2月になると白目を剥(む)いている(ちなみに、ちょうど今が確定申告の時期なため、この原稿も白目を剥きながら書いている)。
担当してくれている税理士さんは「2、3カ月ごとに適当に領収書を袋に突っ込んで送ってくれればいいですよ」と言ってくれているのだが、私はそれすらできないからだ。気づけばなぜか1年経っていて、「さすがにそろそろ送ってもらわないと申請時期に間に合わなくなりますよ」と催促されてから、慌てて領収書の山と格闘することになる。
適当に袋に突っ込んで送ればいいとは言っても、それは厳密な仕分けはしなくても大丈夫だという話であって、たとえば手土産代は誰への贈答用なのか、取材用の衣装費はいつどこで受けた取材のためのものなのかなどのメモ書きはしなければならない。その都度やっていれば記憶も新しいからそれほど手間がかからないのだろうが、1年分まとめてやるせいでカレンダーやメールを遡(さかのぼ)る作業も加わってしまう。
何とか無事に申告を終えるたびに、税理士さんからは「次はもう少しこまめに……」と苦言を呈され、「本当に申し訳ないです……来年は頑張ります」と小さくなって答えるのだが、「来年というか、今年からお願いしますね」と念を押す税理士さんは「こいつは次もダメなんだろうな……」というような諦念まじりの顔をしている。
そのうち、「もうあなたの確定申告は引き受けられません」と言われるかもしれない。ごめんなさい……見捨てないで……
〈第3位 自著の見本をどうすればいいかわからない〉
これも、同業者からは共感されることが多かったエピソードだ。
新刊を出すと、著者には10冊の見本が届けられる。重版されれば1刷ごとに1~2冊ずつ、海外翻訳されればそれぞれの言語ごとに5~10冊ずつ、アンソロジーなどに参加した場合にも毎回2~5冊ほど見本が送られてくる(見本の冊数は各版元との契約によって異なるため、冊数には幅がある)。
デビュー直後は、親戚や友達に配ったりしていたが、デビューして10年以上が経ち、刊行点数が増えてくると(単行本、文庫、アンソロジー、海外翻訳を合わせると70冊以上ある)、どうしても余りがちになる。
しかも私の場合、書いているものが嫌な話や怖い話であることが多いため、気軽には知人に配りづらい。自著を捨てるのも売るのも抵抗があるし……と思っているうちに段ボール数箱分になってしまった。
私はアンソロジーにはよく参加するとはいえ、単著は年に1、2冊しか出していないので、エンタメ作家の中では多作ではないはずなのだが、私よりたくさん出している人やベテラン作家さんたちはどうしているのだろう……
いい方法をご存知の方がいれば、ご教授いただければ幸いである。
〈第2位 データのバージョン管理ができない〉
小説を書いていると、途中で分岐に差しかかることがよくある。シーンAの後にBを書くかCを書くか迷うというような比較的大きなレベルの分岐だけでなく、「ここの描写は1行で済ませてテンポアップするか、じっくり数行書いて情景をクリアに見せるか」というような細かな分岐も無数にあるからだ。
私の場合、とっ散らかった思考をそのまま書きすぎる傾向があり、何度も読み返しながら書き進めていくため、執筆しながら削る改稿をすることが多い。ただ、その時点では削る判断をしていても、後でやはり入れた方がいいとなることもあるから、まとまった文章を削るたびにバージョンを変えて保存している。
すると、大体原稿用紙70枚程度の短編でも、第1稿が書き上がるまでに10個ほどのバージョンができる。「仮タイトル01」「仮タイトル02」……というように数字だけ変えて保存していくと、いつの間にかそのくらいに増えているのだ。
だが、この方法だと「あの文章はやっぱりあった方がいいな」と思ったときに、どのバージョンで削ったのかがわからず、いちいちすべてのファイルを開いて探すことになる。保存するタイミングで「仮タイトル◯◯を削った」などとすればわかりやすいのだろうが、執筆中は原稿の中身についてしか考えたくなく、「どういうファイル名にすれば後々わかりやすいか」という思考をすることができない。
この話をしたところ、ある小説家さんから「え、てかワードで書いているんですか?」と驚かれた。何でも、バージョン管理が簡単にできる執筆ソフトがあるらしい。
話を聞いてると、おお、それはたしかに便利だ、と思うのだが、そのソフトに慣れるまでにかかるだろう時間を考えるとなかなか挑戦できずにいる。
この腰の重さがダメ人間な理由なのかもしれない……
〈第1位 ネタ帳がしっちゃかめっちゃか〉
栄えある(ない)第1位は、ネタ帳が整理できない問題である。
「ネタ帳なんて、しっちゃかめっちゃかなもんでしょ。私だってほとんど殴り書きだから自分以外には読めないよ」という方、おまえレベルの話はしてない(すみません、使ってみたかっただけです……)(一応解説しておくと、私は『おまえレベルの話はしてない』というタイトルの小説を書いています)。
私は、字が殴り書きなのももちろんだが、それ以前に、その時々で思いついたことを視界に入った紙に書き散らかしてしまうため、どこにどのネタを書いたかがわからなくなり、しょっちゅう何十冊ものノートや使い終わった原稿の裏紙をひっくり返しているレベルだ。
そもそもなぜネタ帳が何十冊も存在するのかと言えば、新しい作品に取りかかるたびに、「今度こそちゃんと1作品1冊にネタをまとめるようにするぞ」と決意して新しいノートを買うからだ。
だから大抵どのノートも、最初の2ページくらいはある程度綺麗な字でアイデアや構成案、資料メモなどが並んでいる。作品ごとのネタ帳以外に、「スケジュールを整理するためのノートを作ろう」「打ち合わせ専用ノートを作ろう」などと張り切って新しいノートを使い始めることもある。
私はとにかく、新しいノートが好きなのだ。最初に1ページ目を開くだけで、よしやるぞ、と気が引き締まる。そこには束の間の万能感がある。
しかし、結局、どのノートもいつの間にか最初に決めた用途以外の内容を書いてしまうようになり、みるみるうちに混沌としていく。その結果、使い終わっていないノートが常時10冊以上存在することになり、「あのネタ、どこにメモしたっけ」と探し回る羽目になる。
以前、ある文学館で私の作品を展示してもらうことになった際、「作品のネタ帳などがあれば見せてもらえませんか」と頼まれたときには本当に困った。大量のネタ帳の中から該当する箇所を探し、付箋を貼って提出することにしたのだが、同じページに別の作品についてのネタも書かれていたり、アイデアの続きが別のノートに書かれていたりして、まとめてわかりやすく展示できるものがなかったのだ。
同じ展示で紹介されていた他の作家さんのネタ帳は、私が当初目指していた「この1冊にこの作品に関するネタがまとまっています」というようなもので、ああ、やっぱりその方がいいよな……と反省した私は新しいノートを買った(結果は……略)。
ただ、このダメさにはいいところもある。自分の書いたネタを探しているうちに、全然別の作品のために捻(ひね)り出したものの使わなかったネタを見かけ、そこから思いも寄らなかったアイデアが生まれたりするのだ。
そうだ、せっかくだから「使っていないネタをまとめた棚卸し用ノート」を作ろう。今度こそ、1冊当初の用途通りに使いきるぞ……!