経営者の中には、直観に頼って戦略的意思決定を下していることを公言する人がいます。しかし、消防士や囲碁・将棋の棋士と違って、ビジネスの世界ではほとんどの場合、直観は「腕の悪い意思決定のガイド」となります。その理由を『 賢い人がなぜ決断を誤るのか? 』の一部を抜粋・再構成して解説します。
「成功を再現できる」と買収したが……
1994年、独立企業として好業績を上げていたクエーカー・オーツ・カンパニーは、清涼飲料水ブランドのスナップルを、競合企業が提示した金額をはるかに上回る17億ドルで買収した。クエーカーのCEOウィリアム・スミスバーグは、買収価格をはるかに上回る相乗効果が生まれるので高い買い物ではない、と確信していた。彼はその10年前にゲータレードを買収し、超優良ブランドに育てあげた。自社のマーケティング力を駆使すれば、スナップルでもその成功を再現できる、と考えた。
しかし、3年後、クエーカーは買収金額の5分の1以下の価格でスナップルを手放し、スナップル買収は巨額の損失をもたらした。この失敗のせいで、最終的にスミスバーグは職を、クエーカーは独立性を失った(2000年にペプシコに買収された)。投資銀行の間では、「スナップル」という単語が「重大な戦略的ミス」という意味で使われるようになった。しかし、スミスバーグは、飲料業界での経験が豊富で、尊敬されていた経営者だった。そのため、自分の直観に自信を持っていた。
それを「直観」と呼ぶか、「ビジネス本能」「ビジョン」と呼ぶかは、人それぞれだが、ほとんどの経営者は、直観に頼って戦略的意思決定を下していることを公言する。矛盾しているように思えるかもしれないが、合理性が最優先される現代社会で、直観の能力を持つ人は称賛される。偉業を成し遂げた登山家や発明家を評する際は、努力ではなく、インスピレーションの強さが強調される。そして、成功を収めた起業家や傑出した経営者、偉大な政治家のストーリーで、多く語られ称賛されるのは、彼らの合理性や努力ではなく、洞察力や直観力だ。
もちろん直観は、意思決定において何らかの役割を果たしている。それも多くの場合、重要な役割だ。私たちは、直観がどんな場合に役立ち、どんな場合に失敗するかを知り、直観を手なずけ、コントロールする方法を身に付ける必要がある。さらに、戦略的意思決定を下す場合、残念ながら直観は当てにならないガイドであることを知っておくべきだ。

直観で危機を回避した消防隊長
直観の研究者として最もよく知られているのは、「現場主義的意思決定理論(NDM理論)」を構築した心理学者のゲイリー・クラインだろう。この理論の研究者は、現場で働く専門職に注目する。軍の司令官、警察官、チェスのグランドマスター、新生児集中治療室の看護師などだ。これらの人々には時間の余裕がないので、状況をじっくり分析して実行可能な選択肢を選び、何らかの確立された基準に照らして最善策を選ぶ、というのは不可能だ。つまり、合理的な意思決定の標準モデルを使うことができない。では、これらの人々はどうやって意思決定するのだろうか。答えを一言でいえば、直観である。
クラインの著書では、消火作業中の家が崩壊することを察知した消防隊長のエピソードが紹介されている。消防隊長が部下に避難を命じた数秒後、家の床が地下へと崩れ落ちた。この素晴らしい決断をどうやって下したのかと尋ねられた消防隊長は、「全く分からない。もしかすると超能力なのではないか」と答えた。
当然ながらクラインは、超能力かもしれないという消防隊長の言葉を信じない。直観は魔術ではない。かつてナポレオンは、「戦場において、ひらめきの大部分は記憶にすぎない」と書いた。現代の研究者の大半も同じ考えだ。彼らによると、直観は、すでに経験済みの状況の中から現状に合うように素早く選び出された状況がベースになっている。
多くの分野の専門家は、経験を生かして弱いシグナルを即座に認識するこの能力によって、瞬時に正しい意思決定を下すことができる。マルコム・グラッドウェルの著書『第一感』はこのテーマを掘り下げている。その主張は、私たちは直観だけに耳を傾けるようにすれば、直観に基づいて素晴らしい決断を下すことができる、というものだ。
カーネマンたちが出した「正反対の結論」
しかし、この問題はそれほど単純ではない。クラインたちが現実の極端な状況を観察して理論を発展させていた頃、ヒューリスティクスとバイアスの研究に先鞭(せんべん)をつけたダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーは、1969年に、経験豊かな統計学者たちを被験者とする独創的な実験を行った。
被験者たちが取り組む課題はごくシンプルで、ある研究にとって最適なサンプルのサイズを決める、というものだ。単純だが、重要な問題だ。サンプル数が多すぎると無駄に費用がかかり、逆に少なすぎると結果が明確に出ない。もちろん統計学者たちは、最適なサンプルのサイズを決める計算式を熟知していて、過去に何度もそれを使っている。
しかしこの実験では、計算を省略して、似たような研究での経験を基に大まかな見積もりをする人が多かった。消防士と同じように経験こそ大事で、経験に従えば正しい答えに早くたどり着けるのだろうか。
だが、統計学者たちが出した答えは、最適なサイズと呼ぶにはほど遠かった。統計学者たちは自分の意思決定を信用し、過去の経験とそれを基に推測する自分の能力を過大評価していた。しかも、自信満々だった。のちに他の分野の人を対象にした多くの研究でも、同様の結果が出た。それらの研究を踏まえて、ヒューリスティクスとバイアスの研究者が出した結論は次の通りだ。
「自分の直観を信じ過ぎる自信過剰な専門家には、注意したほうがいい」
直観が有効に働くための「2つの条件」
NDM理論とヒューリスティクス&バイアスという2つの観点がもたらした結論は、正反対のように思える。しかし、2009年にカーネマンとクラインは、主張の違いを超えて、意思決定における直観の役割を解明するために協力することにした。彼らは、問うべきは「どちらの陣営の主張が正しいか」ではなく、「直観を信じていいのはいつか」だと考えた。問題を捉え直したことで、2人の心理学者は共通の認識を持つようになった。
私たちはいつ、直観を信じられるのだろうか。カーネマンとクラインが合意したのは、次の2つの条件が満たされた時だ。1つは、状況の「高い妥当性」。同じ原因が同じ結果につながりやすいことを意味する。もう1つは、当事者が「長期にわたる実践経験と、迅速かつ明確なフィードバックを通じて、その状況について十分学んでいること」。言い換えれば、直観は過去に経験済みの状況を認識することなので、それを信用できるのは、置かれている状況が過去に経験したものと同じで、その状況に対する正しい反応を当事者が習得済みである場合だ。
経営上の意思決定に直観が役立つこともあるが、それは、当事者が似たような状況を何度も経験し、本当の意味での専門知識と経験を積んでいる場合に限られる。もちろん、多くの場合、そうではない。
先に述べたウィリアム・スミスバーグによるスナップル買収では、彼の直観は、ゲータレードの買収成功というたった一度の経験に基づいていた。ゲータレードの買収を、簡単に再現できる成功例と見なしたくなる気持ちはよく分かる。しかし、外部の観察者による分析で判明したことを、彼の直観は見落とした。
ゲータレードの時と違って、買収時のスナップルはすでに市場シェアを失いつつあった。また、スナップルの流通形態はクエーカーの製品とは異なっていて統合するのが難しく、お茶をベースにしたスナップル飲料の独特の製造方法も、クエーカーにはなじみのないものだった。さらに、自然でやや風変わりな飲み物というのがスナップル・ブランドのポジショニングだったが、クエーカーのような大衆的なイメージの会社がそれを維持するのは簡単ではなかった。外部の観察者から見れば、ゲータレードとのこうした違いはどれも重要だった。だが、直観に自信を持つスミスバーグの目には、類似点しか見えていなかった。
重大な意思決定ほど直観に頼るのは危険だ
スミスバーグの事例からはもっと多くのことが学べる。意思決定者が直観を信じていいのはいつだろうか。もう一度、カーネマンとクラインが挙げた2つの条件をおさらいしてみよう。それは、高い妥当性のある環境で長期にわたって意思決定を行い、そこから明確なフィードバックを得ていることだ。スミスバーグがスナップルの買収を決めた時、その条件は満たされていただろうか。また、一般に、何らかの戦略的意思決定を検討する時、その条件は満たされているだろうか。
戦略的意思決定の特徴の1つは、それらが比較的まれに行われることだ。従って、戦略的意思決定を下さなければならない経営者が、過去に同じ種類の意思決定を数多く経験している可能性は低い。経営者が抜本的なリストラクチャリングに着手したり、革新的な商品を市場に投入したり、会社の命運を左右する買収を試みたりする時、それらはたいてい初めての経験だ。中には、スミスバーグのゲータレード買収のように、一度だけ経験していることがあるかもしれないが、その場合、過去の事例と、現在直面している事例との類似性を過大に評価しがちだ。
戦略的意思決定のもう1つの本質的な特徴は、企業の長期的な針路を決めるために行われることだ。そのため、戦略的意思決定の影響を読み取るのは難しい。将来あなたが目にする結果は、戦略的意思決定の影響だけでなく、景気の低迷や回復、市場の新たな動向、予期しなかった競争、環境の変化など、無数の要素の影響を受けている。明らかな成功や失敗は別にして、戦略的意思決定のフィードバックは、迅速でもなければ明確でもない。そのため、たとえ過去に戦略的意思決定を行っていたとしても、その経験は真の学びをもたらさない。
つまり、本当の意味での戦略的意思決定は、カーネマンとクラインが挙げた、直観が役立つ場合の条件を満たすどころか、その正反対だ。戦略的意思決定は妥当性の低い環境で下され、意思決定者の経験は乏しく、フィードバックは遅く、曖昧だ。もし、直観が育たない状況の教科書的な例を探すとしたら、これ以上ふさわしいものはない。
[日経ビジネス電子版 2021年7月21日付の記事を転載]
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