科学が発達し、情報があふれる時代にどう生きるか。世界的な生命科学者である吉森保・大阪大学栄誉教授は、「科学的思考」こそが、これからの時代を生き抜く基礎教養になると説きます。研究者でなくても、科学的思考を身につけることで、エセ科学やフェイクニュースにだまされにくくなります。今回対談をしたのは、行動経済学の第一人者である大竹文雄・大阪大学大学院教授。行動経済学から見ても、「科学的に考える」力を持つことはとても重要だと大竹氏は言います。吉森氏の著書『 LIFE SCIENCE(ライフサイエンス)長生きせざるをえない時代の生命科学講義 』を切り口に、科学的思考について考えます。その前編です。
断言する人は科学的に怪しい
吉森保(以下、吉森):一昔前まで、生命科学は医師など特定の専門家だけが知っていればよいものでした。しかし今は違います。科学が急速に発展したので、いろいろな場面で生命科学が使われ、その知識が必要になりました。身近なところでも、新しいワクチンの技術が生まれたり、遺伝子組み換えの食品が増えたりなど、科学技術がどんどん複雑に、しかも進化が速くなっているので、自分にとって最良の判断をするのに科学的思考が必要なのです。
『LIFE SCIENCE』にも書いたのですが、特に「相関関係」と「因果関係」の違いを知ることはとても重要です。推察できるのが「相関関係」で、いろいろな実験などをした末に、これは確からしいぞ、となるのが「因果関係」です。この2つを知っていると、例えば「エセ科学」にだまされることはなくなると思います。
大竹文雄氏(以下、大竹):『LIFE SCIENCE』は、受験勉強の理科しか知らない文系の人にぜひ読んでほしいと思います。理系、文系と便宜上分けられていますが、考え方、この本でいうところの「科学的思考」は、やはり身につけておいて損はありませんので、文系だからといってこの考え方を知らないのはあまりにも惜しい。文系であろうと理系であろうと、大切なのは、まず疑問に思うことです。「何か変だな」と気づくのが第一歩です。
研究者は、そのあと「なぜそうなっているのか」の仮説をたくさん立てます。そこから、実際に検証して絞ります。仮説を立てて検証するというのは、吉森先生が指摘しているように研究者でなくても必要な力ですね。この本にはいかにして仮説を立てるのか、「良い仮説」の発見のプロセスが多く描かれているところも印象的でした。
吉森:そうそう、私から見ると「皆さん、疑わなすぎだな」と思います。日常生活で、「あれっ」と思うことは意外に多いはずです。それを大事に「これは相関関係ではなく、きちんとした因果関係であるか」と考えることが大切です。

1961年京都府生まれ。1983年京都大学経済学部卒業、1985年大阪大学博士(経済学)。大阪大学社会経済研究所教授を経て現在大阪大学大学院経済学研究科教授。専攻は行動経済学、労働経済学。『日本の不平等』(日本経済新聞社)により2005年日経・経済図書文化賞、2005年サントリー学芸賞、2005年エコノミスト賞を受賞。著書に『行動経済学の使い方』(岩波新書)、『経済学的思考のセンス』(中公新書)などがある。2006年日本経済学会・石川賞、2008年日本学士院賞受賞。
大竹:そうですね。ただ、文系からすると理系がうらやましい思うところもあります。本にも書かれていましたが、政府の緊急事態宣言の効果について因果関係を完全に調べることは不可能に近いわけです。理想は、同じ都市で緊急事態宣言を実施した場合とそうでなかった場合を比較することですが、現実にはできません。できることは、「緊急事態宣言を実施した都市」と「同じような条件で実施しなかった都市」を比較することです。
ところが、似たような都市で、片方だけ緊急事態宣言を実施していないというケースは現実にはなかなかありません。できるのは、ボーダーライン同士の都市を比較することくらいです。東京が緊急事態宣言をしなかった場合にどうなったかを検討するには、比較対象はないですね。なんらかの理論モデルに基づいて、緊急事態宣言がなかった場合を計算して、それと比較することになります。このように、社会科学の場合は因果関係の証明にどこまで近づけるかは永遠の課題です。
吉森:その点は非常に重要です。状況に合わせて「これは効いたようだ」などと、たくさんの相関関係から「真実に近づく」ことをしていかなければなりませんよね。科学は確かに実験がしやすく、因果関係を確かめるための介入ができますが、それでも、やはり社会科学の悩みと方向は同じで、たどりつくのはようやく「確からしい」という答えです。
「確か」ではなく「確からしい」です。神様ではないので、100%の「答え」にはたどりつかないんですね。だから、マスコミなどで、絶対にこれは大丈夫です!などと断言している人は、怪しいと思って間違いありません。これもエセ科学にだまされないための心得ですね。でも皆さん、科学者にすぐ「確かな」答えを聞いてきます。
答えなんてないから、一人ひとりが自分の頭で考えなければならない
大竹:私も研究プロジェクトを立ち上げると、学生から「正解を教えてください」と言われることがあります。でも、分からないから研究プロジェクトを作ったんですよね。確かな答えはなくて、私たちが自分で考えてたどりつくしかありません。
吉森:今、正しいと思われているものが、数百年後に正しくないと分かることもたくさんあるでしょう。私がこの本を書いたのも、生活に科学的なものが入り込みすぎた中で、一人ひとりが自分の頭で判断することが大切だと思ったからです。
教育の問題も大きいですよね。日本の場合、入試を突破するには素早く正解にたどりつくことが求められてきました。国単位で見ても、欧米に答えがあって、それをまねすれば良い時代が長く続きましたからね。
大竹:日本の戦後、つまり発展段階の頃は、先進国の政策や企業動向を調べて、コピーするのが効率的だったのは間違いありません。実際、その能力が高い人が社会でも重宝されました。ところが、日本が先進国になった今抱えている問題、例えば少子高齢化の答えは、世界中をいくら必死に探しても見当たりません。解は自分たちで考えなければいけません。そろそろ、発想を変えなければならないでしょう。
吉森:分かりやすいのが、新型コロナウイルスにどう向き合うかですね。世界中の誰も正解が分からない中、自分で判断しなければいけません。情報はあふれていますが、真実に近い情報もあればガセネタもある。
大竹:情報の見分け方についても書かれていますね。
吉森:はい。科学的思考に基づけば、ただテレビを見ているだけでも、インターネットを見ているだけでも、ある程度見分けることは可能になります。例えば、先ほども言いましたが、「断定するコメンテーター」は怪しい。科学には絶対に確かなことはないので、科学的思考に基づくなら「この仮説に基づけば、こういうことがいえます」としか言いようがないんですね。
大竹:『LIFE SCIENCE』の中で印象的だったのは、先生がビーズで実験をしたことです。吉森先生の専門のオートファジーが「細菌を攻撃する仕組みの機能」を確かめるために、本来なら細菌を使いそうなところでビーズを使っていました。詳しい説明は長くなるので、ぜひ本を読んでほしいのですが、この実験により、細菌を使っていないのに、オートファジーと細菌の関係性がはっきりした。吉森先生は、因果関係を明らかにするための実験計画のアイデアが素晴らしいです。超一流の研究者は、皆さんそうですが。
吉森:研究者はどんな実験をするかのひらめきが勝負というか、大切ですよね。この本では、理系の研究者の世界では、実は論文がどのくらい引用されたのかが1つの評価ポイントであることや、科学者がどういう経緯で「大発見」するのかを示す実験の様子なども書いてみました。それは、先ほどの話にも出ていたように、用意されている「答え」はなく、科学者はこう考えているということにプラスして研究の楽しさも伝えたいと思ったからです。
ノーベル生理学・医学賞受賞者である師匠の大隅良典先生は、常々「科学は文化だ」とおっしゃっています。役に立たなくてもいいけれど文化であれと。ただ、芸術やスポーツならば見れば分かりますが、オートファジーは説明しないと、誰にも理解してもらえません。
大竹:みんなに面白いと思ってもらう姿勢が必要だと。
吉森:そうです。そのためには面白さを発信しなければいけません。
大竹:私も「経済学で景気を回復させることはできないのか」と役に立たないことを批判されることもあり、「そんなに経済は簡単じゃないよ」と愚痴の1つもこぼしたくなることがあります。そこで思ったのは、「役に立つ」ということを発信するのも重要だけれど、「経済学は面白い」ということも発信しなければいけないということで、一般向けの本も書いてきました。すべての研究者が発信する必要はありませんが、研究者が学問を維持発展させるには、興味を持ってもらえるようにすることも大事ですね。

(対談後編に続く)
[日経ビジネス電子版 2021年2月18日付の記事を転載]
世界的生命科学者であり、ノーベル賞受賞者の共同研究者でもある著者による、入門から最先端まで、生命のことが分かる一冊!
2016年ノーベル生理学・医学賞受賞 大隅良典氏、元日本マイクロソフト社長 成毛眞氏推薦!!
人生100年と言われる時代ですが、それはただ寿命が延びただけの話。寝たきりやアルツハイマー病で何年も過ごさなければならないこともあります。しかし、生命科学は「死ぬ寸前まで健康でいる」ために日々発展しています。
この本は、世界的生命科学者が、細胞の話といった生命科学の基本から抗体やウイルスの話、そして最先端の知見を、極めて分かりやすく教えてくれる本です。昔は医療の選択肢は多くなかったので、知らなくてもよかったのですが、現代は、医療はもちろん、生活にも生命科学は入り込んでおり、いちど学んでおかないと自分で判断ができません。
筆者は、2016年にノーベル賞を受賞して話題になった「オートファジー」の世界的権威でもあります。オートファジーが分かれば、「細胞を新品にする機能」=「アルツハイマーや生活習慣病をなくす可能性がある」ことが分かるので、必然的に「老化」はどうなっているかなどの長生きの最先端研究まで知ることができます。
吉森 保(著)、日経BP、1870円(税込み)