「スペースX」という企業は、ロケットの再利用や全世界高速インターネット衛星通信網など、常人では実現できない“奇策”で成長してきました。そのため同社の経営は「天才・イーロン・マスクがやることだから」で思考停止しがちです。が、実はいくつかの補助線を引くと、スペースXのテクノロジーやマネジメントについての考え方は案外すっきり理解できます。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の現役ロケットエンジニアと、ディープテックへの投資経験が長いベンチャーキャピタリストが、ビジネスパーソンに参考になる形で、スペースXの考え方を読み解く書籍『 ロケット開発者と投資のプロが読み解くスペースX 』から、抜粋してお送りします。その第1回。=一部再編集あり、文中敬称略

(写真=Ensar/stock.adobe.com)
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 空前絶後の調達額857億ドル(約13.7兆円)。スペースXが2026年6月12日に上場、株式を公開しました。調達額としては史上最高、上場初日終値の時価総額としても史上最高で、「史上最も価値ある会社の上場だと、株式市場が評価した」ことになります。上場初日終値時点での株価を時価総額に換算すると約2.1兆ドル(約336兆円)。イーロン・マスクが2002年にゼロから設立した宇宙企業が、創業から24年でここまで急成長しました。

 筆者の一人である後藤大亮は、長年、ロケットや衛星の開発実務を担当してきた技術者です。スペースXの創業期から宇宙ビジネスと技術開発の分野に身を置いて、同業者として時に驚き、時に訝しみ、時に賞賛を送ってきました。もう一人の小松伸多佳は、宇宙ビジネスのベンチャーキャピタリストとして、現在上場した日本の宇宙ベンチャーに実際に投資するとともに、投資検討した企業も含めて経営や資金調達に携わってきました。2人が持つ経営と技術の視点からスペースXの急成長の理由を分析し、この先を予測してみよう、というのが本書のテーマです。

 私たちは、「宇宙は技術だけでなく、企業経営を厳しく試される場でもある」と考えています。宇宙ビジネスの事業を経営する人は、地上のビジネスが抱えている課題と同じ経営課題を、たとえば資金・技術・時間のいずれの側面からも、非常に困難な形で解かなければなりません。経営者の能力が、地上よりも数段厳しく問われる世界なのです。

 そんな過酷な実験場で生き残り、大企業に成長したスペースX。成功の理由は創業者にして経営者、イーロン・マスクの能力に依るところが大きく、彼の評伝もたくさん出版されているのはご存じの通りです。

 しかし「マスクが天才だからできた」というまとめ方は正しいのでしょうか? そもそも「天才」とはなんでしょう? 失敗せずに成功し続ける人間のことでしょうか? いいえ、マスクはそうではありません。彼が何度も繰り返してきた失敗、そこから挽回する手腕こそが、我々が学ぶべき点だと考えます。

マスクの「奇策」を読み解く補助線

 スペースXのここまでの道のりは、決して順風満帆ではなく、多くの誤算と失敗にまみれています。そして逆境に直面するたびに、マスクは業界関係者の度肝を抜くような「奇策」を打ち出し、大きなリスクをとって投資を行います。スペースXは、この繰り返しで劇的な成長を遂げました。そんなマスクの考え方と手腕を理解する補助線を2つ引いてみましょう。

 昨今、マスクの思考を「第一原理思考」と呼ぶことがあります。常識にとらわれず、課題の根源にある法則に戻って考える、という意味です。

 スペースXは、ロケットと人工衛星を打ち上げ、運用し、サービスを行う会社です。物理法則は、これらの技術の原理原則です。経営者マスクの物理法則に対する深い理解が、いくたの危機を乗り越える原動力となったことは間違いありません。「業界の慣習、慣例にとらわれることなく、物理学の原則に則ってゼロから考え実行する」マスクが、熟考の末に打ち出した数々の戦略はたいへん面白いので、エンジニアではない方々にもできるだけわかりやすくお伝えしていこうと思います。これが第1の補助線です。

 第2の補助線はビジネスの面での原理原則です。ビジネスの成功の秘訣は、実はシンプルです。「良いものを、早く、そして安く提供する」です。ビジネスパーソンなら当たり前の話です。

 現実にマスクがやったことを短くまとめると、「宇宙技術にそれまでになかった規模で、大量生産・高頻度打ち上げ・垂直統合を導入する。そして、品質を劇的に向上させ、超スピードで開発し、前例のないコストダウンを実現することでライバルを突き放す」となります。「良いものを、早く、そして安く提供する」なのです。

再使用は「打ち上げ頻度」を上げるため

 スペースXの経営戦略は、この第1と第2の補助線を統合したもの、と見ることができます。物理的な原理に基づいて、「良いものを、早く、そして安く提供する」ということです。

 その象徴的な例を、スペースXのロケット打ち上げ頻度に見ることができます。

 現在のスペースXが実施している2日に1回(厳密には2025年で年間170回ですので「2.2日に1回」です)という驚異的な打ち上げ頻度は、火星植民というスペースXの“企業理念”を実現するための必要条件です。そして、それがビジネスにもしっかり結びついているのが、この会社の面白いところです。

 たとえば、「ファルコン9」や「スターシップ」の第1段の着陸・再使用。宇宙に行ったロケットが地上に戻ってくるのは、物理法則を深く理解したマスクが成し遂げたたいへんな技術的偉業です。ファルコン9のデビューにより、1億ドル(160億円)以上かかっていた大型衛星の標準的な打ち上げ価格は0.6億ドル(96億円)、あるいはそれ以下まで低減されました(打ち上げには各種オプションが設定されており、顧客の要望で上下するため正確な価格情報の入手は困難で、あくまでも参考値です)。

 しかし、このコストダウンは回収・再利用によるものが主だと見誤ってはいけません。価格を下げられた最大の理由は、再使用によって打ち上げ頻度を上げたことです。同じロケットを使い回せるので、ロケットの生産を待たずに打ち上げが行えるわけです。

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 回数が増えることは、事実上の「ロケットの大量生産」として効果を発揮します。ビジネスの速度が上がる、開発や製造の現場で、手が慣れ、納期が短くなり、検証、改善の機会も増える。技術が磨かれ、さらにコストが下がる。この好循環へと導いたことが決定的でした。本書ではこのメカニズムを詳しく説明します。

ビジネスパーソンが学べる多くのポイント

 打ち上げ頻度へのこだわりを筆頭に、スペースXの技術・経営には「宇宙ビジネスは数(回数、頻度、大量生産)が決め手」という非常にシンプルな哲学が徹底されています。「火星植民」という抽象的な理念と、「数」という具体的な目標が見事に一致していることが、この会社が宇宙ビジネスで急成長した大きな理由だと言えるでしょう。

 もしかしたらあなたのビジネスでも、既成概念が邪魔をして見つけられずにいる、実はシンプルな目標があるのかもしれません。スペースXの成長と成功を「天才だから」で片付けず、「経営戦略の合理性」「既存の商習慣の打破」「絶望的な状況からの挽回」「原理・原則からの徹底的な再検討」のヒントとして、活用してはどうでしょうか。

 スペースXは数多くの危機を乗り切ってきました。これらの史上最高額上場への歩みの裏にどのような物語があったのか、技術と経営の両面でみなさんと共有したいと思います。スペースXへの投資を考えている方はもちろん、宇宙ビジネスのみならず、地上のあらゆる分野のビジネスパーソンにとって貴重な「参考書」になると信じています。

(次回に続きます)

日経ビジネス電子版 2026年8月21日付の記事を転載]

スペースXはなぜ2日に1回ロケットを打ち上げるのか? この会社が成功している理由は、物理学の原理を利用しながら、ビジネスの原則を徹底的に貫いているからだ。ロケットの打ち上げ頻度を高度な技術で跳ね上げることが圧倒的な価格競争力につながった。数多くの失敗や危機を原理原則にこだわり抜いて突破したスペースXの技術と経営を、専門家が分かりやすく読み解く、ビジネスヒントにあふれた1冊です。

小松伸多佳、後藤大亮(著)/日経BP/2200円(税込み)