私たちの社会では多数派の基準に合わない者に「異常」のラベルを貼り、排除しがちですが、生命科学者の吉森保・大阪大学栄誉教授は「生物の多様性こそが生き残りのカギ」と強調します。今回の対談相手であるジャーナリストの川端裕人さんは、色覚の最新の研究ではこれまで「異常」と判断されてきた人と「正常」と判断された人とは2つに明確に分けられるものではなく、その違いは実は曖昧であることを指摘します。「異常」と「正常」の境界はどこにあるのか。吉森氏の新著『 LIFE SCIENCE(ライフサイエンス)長生きせざるをえない時代の生命科学講義 』を切り口に、「生き物の多様性」について考えます。対談後編です。

対談前編 から読む)

いまだに色覚異常の社会的な受けとめ方は最悪

吉森保(以下、吉森):実は私、先天色覚異常なんです。なので、川端さんが出版された『 「色のふしぎ」と不思議な社会 』を何度もうなずきながら読みました。日本社会が色覚をどのように捉えているかが非常に詳しく書かれていますね。小学生の頃の、色覚検査が嫌で嫌でたまらなかった記憶もよみがえりました。

 今でも覚えていますが、図工の時間に描いた絵を、私だけ担任の先生に持って行かなければいけませんでした。色覚異常なので変な色を使わないかチェックされていたんですね。毎年、身体検査のときに「異常」の烙印(らくいん)を押されるのは幼心にも傷つきますよ。ただ、私の場合は、今に至るまで生活上困ることはほとんどありませんでした。あれだけ苦痛だった色覚検査は何だったんだという思いはありますね。

川端裕人氏(以下、川端):昔は色覚異常だと理系の学部や教育学部には進学できないといわれていた時期もありましたが、先生の頃は問題なかったんですか。

<span class="fontBold">川端裕人氏 プロフィル</span><br>1964年兵庫県生まれ。千葉県育ち。文筆家。東京大学教養学部卒業。ノンフィクションの著作として、科学ジャーナリスト賞、講談社科学出版賞を受賞した『我々はなぜ我々だけなのか』(講談社ブルーバックス)のほか、『動物園から未来を変える ニューヨーク・ブロンクス動物園の展示デザイン』(共著、亜紀書房)、『「研究室」に行ってみた。』(ちくまプリマー新書)、『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)など。小説には『夏のロケット』(文春文庫)、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)など多数。</a>
川端裕人氏 プロフィル
1964年兵庫県生まれ。千葉県育ち。文筆家。東京大学教養学部卒業。ノンフィクションの著作として、科学ジャーナリスト賞、講談社科学出版賞を受賞した『我々はなぜ我々だけなのか』(講談社ブルーバックス)のほか、『動物園から未来を変える ニューヨーク・ブロンクス動物園の展示デザイン』(共著、亜紀書房)、『「研究室」に行ってみた。』(ちくまプリマー新書)、『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)など。小説には『夏のロケット』(文春文庫)、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)など多数。

吉森:まさにそうで、私は小さい頃、医学部や理学部に行けないと言われ続けました。幸いにして、私が受験するときには、それはほとんど廃止されていました。結局、大学は理学部、大学院は医学部、そして今、医学部で研究しています。自分で言うのもおこがましいかもしれませんが、色覚のせいで他人より研究実績が劣るとも思いません。

 もちろん、運が良かった面もあるんだなとこの本を読んで痛感しました。進学や就職、結婚で科学的根拠がない差別を受けた人たちが私の想像以上にたくさんいたことを思い知らされましたから。そして、再び色覚検査の機運が高まっていることも私には驚きでした。もちろん、パイロットなどごく限られた一部の職種には検査は必要かもしれませんが、私自身は医学系の研究をする中で、できないことはないですね。

川端:今も自分の子どもが色覚異常と聞いて、泣いてしまうお母さんは少なくありません。いまだに色覚異常の社会的な受けとめ方は最悪です。職業選択に制限が出るのでは……など「異常者」のイメージがつきまとっています。お母さんがショックを受けると、何よりも子どもが「自分はできそこないなんだ」「できないことだらけなんだ」と自分自身にラベリングしてしまいます。最近は、その悪循環をどうにか断ち切りたいと考える若い眼科医も確実に増えているんですが、伝統的な眼科の世界では「色覚異常は異常ではない」と考える人はまだ少数派なので、世の中にどう広げていくかが課題ですね。

吉森:眼科の先生にも、お母さん方にも、ぜひこの本を読んでもらいたいですね。最先端の色覚研究が描かれていて、多くの人には目から鱗(うろこ)なはずです。私たちが受けさせられた色覚検査が、いかに曖昧だったのかも分かります。

正常と異常の境界は極めて曖昧

川端:最近の科学的な研究は、色覚は正常か異常かという議論ではもうないんですね。正常と異常の境界は曖昧で連続的であり、正常とされてきた人でも、色の見え方はさまざまであることが分かってきています。ヒトの色覚は赤―緑、青―黄の2つの軸で表現できるんですが、主に違いが出るのは赤―緑軸の方で、その方向の弁別能力(色の見分け方)で正常色覚か色覚異常かが判断されてきたんです。

 でも、21世紀になってからの研究では、「正常」の中にも分布があって、「異常」の中にも大きな分布があり、その間に切れ目はないんですね。今、視覚や色彩の学会では、色覚多様性や連続性が新しい研究テーマになっています。

吉森:それを聞いて、長年、私が想像していたことは間違っていなかったんだと感動しました。というのも、私は小さい頃、検査に引っかかって落ち込むと同時に「本当に私は異常なのだろうか」とも疑っていたんですね。

 色覚検査に使うおなじみの「石原色覚検査表」では、点の中に浮き出る数字を読み取りますね。その中に、色覚異常の人にしか読めないページも何ページかあります。普通の人には読めないけれども私には読める。子ども心にも「自分には人には読めないものを読める能力があるんだ」と考えました。正常、異常と言っても人間が勝手に決めているだけなのではと疑問を抱いたんですね。ある意味、この体験は私の研究の原点になっています。

川端:そう自分で気づくことができたのが、吉森先生の偉大さだと思います(笑)。見え方に連続性があると言いましたが、1990年代から、見え方が(正常色覚と色覚異常の)中間に位置する人たちが人口の4割くらい存在することは分かっていました。これはこれまでの色覚検査では正常とされる人たちの中にも、ということです。

吉森:4割もいるんですか。

川端:はい。ただ、多様だということは分かっていましたが、ここまで連続性があると複数の研究で確かめられたのは2010年代なんです。だからまだ極めて最近の知見で、少なくともメディアを通じては言及されていませんでした。先日、霊長類の色覚進化の研究で有名な東京大学の河村正二先生が、NHKの番組でヒトの色覚の連続性について言及していて、それが大手メディアでは初めてじゃないかと思います。この本(『「色のふしぎ」と不思議な社会』)が刊行されてからの色覚に関する大きなトピックですね。

吉森:本の中でも、海外で航空パイロット向けに開発された検査法によると、色覚の違いは明確には線引きしにくく、連続した分布になっていると書かれていました。

川端:そうです。これまで一般的に考えられていた「正常」か「異常」かは、石原表が読めるか読めないかなんですね。ところが今、海外の航空パイロット向けの新しい検査(英国のCADや米国のCCTなど)と照らし合わせると、石原式では「正常」と「異常」をうまく切り分けられていなかったことが分かっています。つまり、石原表では「正常」なのに、赤―緑軸の弁別能力がかなり悪いような人がたくさんいるということです。

 これで、「正常の中に異常が混じっている!」と問題にすべきかと言うとそうではなくて、多くの人は生活上何も問題がなかったわけですから、「騒ぐほどではなかったのでは?」と最近、私はよく言っています。もちろん、もっと強度の色覚異常で、社会的に困っている人がいるのは事実で、そこが覆い隠されてはならないんですが、その一方で、これまでの「異常」のラベルが検査表依存で恣意的な面もあったことは知られるべきでしょう。

英国の航空パイロット試験のために開発されて、すでに使用されているCAD検査の図表。この検査を受けた731人の色の弁別能力をプロットしている。横軸は「赤―緑軸の弁別能力」、縦軸は「青―黄軸の弁別能力」。先天色覚異常が関わるのは横軸で、スコアが高いほど(右側に行くほど)その程度が強いことになる。現在の眼科の診断では、石原表の「誤読」が4表以下で「正常」、8表以上で「異常」と診断されるが(間の5~7表の「誤読」については、問題が複雑になるためここでは触れない)、CADでの検査結果によると、検査表のみで「正常」とれされた人の中にもスコアが大きい人(先天色覚異常の程度がかなり強い人)が無視できない割合で混ざっていることが分かった。【Barbur&Rodriguez-Carmona "Colour vision requirements in visually demanding occupations" British Medical Bulletin, 2017"から著者提供の図表を改変】
英国の航空パイロット試験のために開発されて、すでに使用されているCAD検査の図表。この検査を受けた731人の色の弁別能力をプロットしている。横軸は「赤―緑軸の弁別能力」、縦軸は「青―黄軸の弁別能力」。先天色覚異常が関わるのは横軸で、スコアが高いほど(右側に行くほど)その程度が強いことになる。現在の眼科の診断では、石原表の「誤読」が4表以下で「正常」、8表以上で「異常」と診断されるが(間の5~7表の「誤読」については、問題が複雑になるためここでは触れない)、CADでの検査結果によると、検査表のみで「正常」とれされた人の中にもスコアが大きい人(先天色覚異常の程度がかなり強い人)が無視できない割合で混ざっていることが分かった。【Barbur&Rodriguez-Carmona "Colour vision requirements in visually demanding occupations" British Medical Bulletin, 2017"から著者提供の図表を改変】

吉森:ここ10年くらいで色覚の研究が急激に進んだこともあるのでしょうが、刊行(20年10月)のタイミングも最適でしたよね。多様性、ダイバーシティという言葉を最近はよく耳にしますが、浸透しているとは言えません。

 例えば、性転換する人間がいますよね。これが、生命科学では、例えば環境によって性別が変わる魚なんて結構いますから、「そういうこともあるよね」と思うわけです。ただ、そんなことを言ったところで、「それは魚の話でしょ」で世間はおしまいですよね。ですから、多様性が社会に受け入れられるには、多くの人が「自分のこと」と捉えられるテーマから考えるのが最適なんですね。その点、色覚は非常に良いテーマになると思います。

川端:ありがとうございます。ただ、やはり、日本社会での多様性のハードルはまだまだ高い印象ですね。

吉森:色覚は典型的な例ですが、線引きをしているのは人間です。勝手に引いた線の向こう側の人をかわいそうな人たちと決めつけているわけです。例えば、数年前に「障がい者は何の役にも立たない。死んだ方がいい」と考える人による無差別殺傷事件がありました。でも、『LIFE SCIENCE』に詳しく書きましたが、生き物は多様性があるから進化してきたことは明白です。生物学者ならば誰もがそう考えます。

 もちろん、障がい者の方の中には生きているだけで身体的痛みを伴うとおっしゃる人もいたり、そういう問題はあります。ただ、それは別の議論です。いろいろな人が存在するというのは生物学上、非常に自然なんです。存在するだけで価値がある。でも、一般的には「多様性がないと生き物は死に絶える」ということは理解してもらえません。

川端:先生の『LIFE SCIENCE』の中で言及されていた「死なないクラゲ」のベニクラゲが象徴的ですよね。生き物は、死ぬことによって、長い時間をかけながらも、環境に少しずつ適応できるようになっていく。一方、死なない生き物はそのサイクルが機能しないから競争上は不利になる。おそらく死なない生き物はベニクラゲ以外にもかつては存在したが、死ぬ生き物との競争に敗れたのではと書かれています。

色覚「異常」とされる人たちに見えやすいものがある

吉森:はい。これは検証はできませんので、あくまで推論ですが、私たちの世界ではかなり有力な仮説です。ただ、いかんせん、ベニクラゲはマイナーかもしれませんね。川端さんの本でも言及されていましたが、猿が餌をとるときに2色型と3色型のどちらが有利かという話は分かりやすいなと思いました。

 赤と緑の区別が得意な3色型の色覚は、森の中で色のついている果物を探して食べることに有利とされた。逆に、赤と緑を区別しにくい2色型は、明るさや形の違いを見分けるのが3色型よりも得意で、昆虫などはよくとれる。色覚生物学的には2色型は派生型の色覚ということになりますね。私も、もしかしたら、人間の色覚「異常」者は人の中では進化した存在ではないかと思っていたんです。

川端:実際、人間の祖先が、森から草原に出たときに草の色でカムフラージュされた獲物を見つけるには、2色型の方が有利だったと唱えている人はいます。また、人類が移動を繰り返して高緯度の場所まで進出した際も2色型が適していたはずです。北欧が分かりやすいですが、高緯度だと、1日の中で薄暗い時間が長いですよね。遠くを見る視力や輪郭やコントラストを捉える能力は2色型の方が高い。一方、そうした能力を犠牲にして赤や緑の果実を見分けやすくしたのが3色型です。ですから、北欧の人は2色型が多いという仮説もあります。

吉森:2色型と3色型では顕微鏡の解像度のような違いがあるわけですね。

川端:3色型は色を細かく見るために、輪郭やコントラストを見る回路を流用しているんです。だから、コントラストの検知や解像度にも影響が出ます。それも、空間解像度、つまり視力だけでなく、時間解像度も違うかもしれないといわれています。

 そういうわけで、ぼくはこういうことに関心を持つ友人と「2色型がポテンシャルを発揮する舞台は月や火星だよね」と冗談交じりに話しています。月はモノトーンでものすごく遠くまで見渡せるし、火星もモノトーンで薄暗い。もちろん、移住するとなれば人工エリアも造らなければいけませんが、そうした施設はカラーユニバーサルデザインを取り入れればいいですね。宇宙に移住して一定期間が経過すれば、3色型の人の割合がすごく減って、2色型が増えるかもしれません。まさしく環境によって必要とされる能力が変わるわけで、生き物が長く生き残っていくという意味での多様性の大切さが分かりますね。

吉森:正常、異常というものがいかに曖昧なものかということを改めて思い知らされます。人類が多様性の重要性に気づき始めたのも宇宙に旅立とうとしているからかもしれませんね。

(写真:Shutterstock)
(写真:Shutterstock)

日経ビジネス電子版 2021年3月12日付の記事を転載]

世界的生命科学者であり、ノーベル賞受賞者の共同研究者でもある著者による、入門から最先端まで、生命のことが分かる一冊!

2016年ノーベル生理学・医学賞受賞 大隅良典氏、元日本マイクロソフト社長 成毛眞氏推薦!!

 人生100年といわれる時代ですが、それはただ寿命が延びただけの話。寝たきりやアルツハイマー病で何年も過ごさなければならないこともあります。しかし、生命科学は「死ぬ寸前まで健康でいる」ために日々発展しています。
 この本は、世界的生命科学者が、細胞の話といった生命科学の基本から抗体やウイルスの話、そして最先端の知見を、極めて分かりやすく教えてくれます。昔は医療の選択肢は多くなかったので、知らなくてもよかったのですが、現代は、医療はもちろん、生活にも生命科学は入り込んでおり、いちど学んでおかないと自分で判断ができません。
 筆者は、2016年にノーベル賞を受賞した大隅良典氏とともに研究に取り組んだ「オートファジー」の世界的権威でもあります。オートファジーが分かれば、「細胞を新品にする機能」=「アルツハイマーや生活習慣病をなくす可能性がある」ことが分かるので、必然的に「老化」はどのようにして起きるかなど長生きの最先端研究まで知ることができます。

吉森 保(著)、日経BP、1870円(税込み)