『LIFE SCIENCE(ライフサイエンス)』や『LIFE SPAN』、『WHAT IS LIFE?』など、生命科学の本が売れています。その理由の一つは、ウイルス、ワクチン、遺伝子組み換えなどの話題が身近になり、専門家でなくても生命科学をある程度理解して判断した方がよくなっているからでしょう。「40年研究者をしているが、ここ数年の科学の変化は脅威を覚えるほど速く、知識を身につけておいた方がいい」と世界的な生命科学者である吉森保・大阪大学栄誉教授も言います。今回対談をした読書猿氏も「生命科学を学ぶ姿勢が、あらゆる人にとって大切だ」と共鳴します。この対談では、『 LIFE SCIENCE(ライフサイエンス) 長生きせざるをえない時代の生命科学講義 』を切り口に、生命科学の学び方について考えます。今回は対談の前編です。

判断を科学者に委ねていいのか?

吉森保(以下、吉森):生命科学のことを、みんなに知ってほしいととても思っています。なぜかというと、すごく危機感を覚えているからです。皆さんは生命科学と無関係ではいられない時代に生きています。

 一昔前は知らなくてよかったんです。ところが今は、遺伝子や免疫などの言葉を耳にする機会が増えています。新型コロナウイルスに関連する情報が典型的ですが、科学が多くの人の人生に入り込んできています。それなのに、判断を全て科学者に委ねてしまう人も多くいます。報道を見ても、いろいろな専門家が全く異なる主張を並べていて、判断に困っている人も少なくないはずです。偉そうかもしれませんが、生命科学の基本を知れば、こうした状況で自分の頭で考えて、情報を取捨選択できるようになるはずです。

<span class="fontBold">読書猿氏 プロフィル</span><br>ブログ「<a href="https://readingmonkey.blog.fc2.com/" target="_blank">読書猿Classic: between / beyond readers</a>」主宰。「読書猿」を名乗っているが、幼い頃から読書が大の苦手で、本を読んでも集中が切れるまでに20分かからず、1冊を読み終えるのに5年くらいかかっていた。<br/> 自分自身の苦手克服と学びの共有を兼ねて、1997年からインターネットでの発信(メルマガ)を開始。2008年にブログ「読書猿Classic」を開設。ギリシャ時代の古典から最新の論文、個人のツイッターの投稿まで、先人たちが残してきたありとあらゆる知を「独学者の道具箱」「語学の道具箱」「探しものの道具箱」などカテゴリごとにまとめ、独自の視点で紹介し、人気を博す。現在も昼間は一組織人として働きながら、朝夕の通勤時間と土日を利用して独学に励んでいる。<br/> 『アイデア大全』『問題解決大全』(共にフォレスト出版)はロングセラーとなっており、主婦から学生、学者まで幅広い層から支持を得ている。ベストセラーの『<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/4478108536/ref" target="_blank">独学大全</a>』は3冊目にして著者の真骨頂である「独学」をテーマにしている。なお、「大全」のタイトルはトマス・アクィナスの『神学大全』(Summa Theologiae)のように、当該分野の知識全体を注釈し、総合的に組織した上で、初学者が学ぶことができる書物となることを願ってつけたもの。<br/> ツイッター<a href="https://twitter.com/kurubushi_rm" target="_blank">https://twitter.com/kurubushi_rm</a>
読書猿氏 プロフィル
ブログ「読書猿Classic: between / beyond readers」主宰。「読書猿」を名乗っているが、幼い頃から読書が大の苦手で、本を読んでも集中が切れるまでに20分かからず、1冊を読み終えるのに5年くらいかかっていた。
自分自身の苦手克服と学びの共有を兼ねて、1997年からインターネットでの発信(メルマガ)を開始。2008年にブログ「読書猿Classic」を開設。ギリシャ時代の古典から最新の論文、個人のツイッターの投稿まで、先人たちが残してきたありとあらゆる知を「独学者の道具箱」「語学の道具箱」「探しものの道具箱」などカテゴリごとにまとめ、独自の視点で紹介し、人気を博す。現在も昼間は一組織人として働きながら、朝夕の通勤時間と土日を利用して独学に励んでいる。
『アイデア大全』『問題解決大全』(共にフォレスト出版)はロングセラーとなっており、主婦から学生、学者まで幅広い層から支持を得ている。ベストセラーの『独学大全』は3冊目にして著者の真骨頂である「独学」をテーマにしている。なお、「大全」のタイトルはトマス・アクィナスの『神学大全』(Summa Theologiae)のように、当該分野の知識全体を注釈し、総合的に組織した上で、初学者が学ぶことができる書物となることを願ってつけたもの。
ツイッターhttps://twitter.com/kurubushi_rm

読書猿:生命科学のことを知りたいなら「まず『細胞』を知りなさい」と先生は『LIFE SCIENCE』で書かれていますよね。「読み手は細胞にだけ着目していればいい」という姿勢を徹底されていました。僕は文系で、まさに知識を持たないのですが、生命の原理原則は、細胞というシンプルな視点から見たら理解できるんだ、と思いました。この本は、科学の世界に飛び込みたいけど飛び込み方が分からない人の踏み切り板になる一冊ですよ。

 体や病気の話となると、複雑に考えてしまいがちです。まあほんとに複雑なんですけど、細胞から終始一貫して考えるというアプローチのおかげで、老化や病気のメカニズムや最新の知見まで見通しよく理解できる。「体がおかしいということは、どこかの細胞がおかしいことだ」という考え方を身につけたら、明日から世の中の見え方が変わりますよ。例えば新型コロナウイルスのニュースも聞こえ方が違ってくると思います。

吉森:前提として、科学者に勝手に物事を決めさせないようにするためには多くの人に基礎知識が必要になります。大人からも「もう勉強したくない」「今からは無理」という声が聞こえてきそうですが、読書猿さんのご感想の通り、原理原則は簡単なんです。数式も記号も必要ありません。生命科学の基本さえ知っておけば、「エセ科学やインチキ科学を見破れる思考が身につく」とも思います。ちょっと知っているだけでいいんです。

失敗の繰り返しから研究成果は生まれる

読書猿:「科学のことは専門家しか分からないから科学者だけで決める」でもダメですし、「科学者にカネを出している、支えているのは俺たち民衆だから、科学者は言うことを聞け」というのもポピュリズムになってしまってダメですよね。専門家をジャッジできるのは専門家なので、多数決やポピュリズムに流されない専門家自治が必要なのは間違いありません。ただ、ダメな研究や研究者を専門家同士できちんと批判できて、自浄作用が働いていなければ、外部からの信頼も得られない。そういう意味で、より広い民主主義的な視点も必要になります。

 鉄筋とコンクリート、異質な物が組み合わさって、互いの長所、短所を補い合って鉄筋コンクリートというものができる。科学と社会も、異質だからこそ補い合う、そういう関係が望ましく思うのですが、今は社会と科学が乖離(かいり)してしまっている気がします。先生の『LIFE SCIENCE』からは、そこを結びつけようという強い意志を感じました。

吉森:最近私は、社会と科学の乖離の責任はわれわれ研究者にあるのではと思い始めました。研究者が面白さを訴えてこなかったから、社会が科学から離れてしまったのではないかと思っているんです。

読書猿:自分で自分の行動を決めるには、前提となる知識も最低限必要ですが、そこからどう考えるかが大切だと思うんです。『LIFE SCIENCE』という本で一番面白かったところは、研究の成果だけじゃなくて、研究のプロセスがたくさん描かれているところです。科学者が生身の人間で、何に着目して、どんな壁にぶつかって、それをどんなアイデアと工夫で突破するのか、研究成果に至る道のりが分かる。私も含めて一般の人はテレビや新聞の報道を通じて、勉強する人なら教科書や論文を読んで、科学研究の成果には接するけれども、道のりまでは知らない。論文に書いてあるのも、工業製品で言えば、何度も試作品を繰り返した果てに出来上がった「製品版」みたいなものですよね。

 企業の商品だったら、それまで何度も試作品をつくってテストを繰り返して試行錯誤の末にこの製品はできてるんだと想像が及ぶんですが、私も含めて世の中の多くの人は、実験の現場で何が起きているかを知る術(すべ)がありません。科学と社会の乖離があるから、科学者は正解を知っているんだとか、あまり失敗しないと思い込んでいる人も多いと思うんです。

吉森:実際は、ほとんど失敗ばかりの毎日ですからね。泣けてきますよ。

読書猿:現場発の科学入門書というか、それがすごく伝わってくるのが非常に意義深かったです。なぜ失敗したのか、どのように克服したのか、そもそもなぜその実験を思いついたのか。研究者以外の人にしてみれば、研究成果そのものよりも、このプロセスから浮かび上がる思考法こそ、一人ひとりの身近な問題解決の役に立つ気がします。

吉森:正直、私は長い間、自分の仕事のことを話しても理解してもらえないと思っていましたし、自分が分かっていればいいとすら考えていました。自分の研究に没頭していたかったんです。ただ、最近、改心したんですよ。「研究者だから、世間のことは知らない」と隔離した世界で好きなことを言っていると、科学が社会に見捨てられるのではと思い始めました。

STAP細胞事件が科学を広めなければと思ったきっかけ

読書猿:きっかけになる出来事はあったのですか。

吉森:いくつもあるんですが、決定的だったのはSTAP細胞を巡る世の中の反応ですね。

読書猿:本にも書いてありましたね。小保方晴子さんの発言についてですね。

吉森:彼女は「STAP細胞はあります」と泣きながら言っていました。でも、問題はあるかないかではないんですね。もしかしたら、STAP細胞はあるかもしれません。問題なのは、彼女の論文に再現性がなかった点です。それなのに、世の中は「もし、あったらどうするんだ」という議論にすり替わっていった。話が通じないはがゆさを感じていました。

読書猿:STAP細胞があるかないかではなく、あれは論文がねつ造されたというか、科学研究として当然あるべきプロセスがない、実験が成り立っていないことが問題ですからね。

吉森:そうなんです。あの事件は、一流科学雑誌の「Nature」に掲載されたり、理研(理化学研究所)が総力を挙げて応援したり、いくつもの要因が重なって話が大きくなり、いつのまにか論点がずれてしまった。論文のねつ造ではなく、STAP細胞があるかないかに議論が変わってしまった。それが私や私の周囲の研究者には衝撃でした。私たちの「常識」は通じない。これはマズいぞと思ったんですが、私たちは研究の外の世界の「常識」が分かっていなかったんです。

読書猿:そう聞くと、とてもショックだっただろうと伝わってきます。

吉森:はい。だから、今回は自他共に「理系嫌い」を認める筋金入りの文系編集者と何が分からないのか、何を知りたいのかを徹底的に話し合って書きました。社会と科学をつなぐためにも、楽しく学べることを意識しました。

読書猿:正直、生命科学の本と聞くと、多くの人は怯(ひる)むと思うんです。知らない用語が覚えきれないくらいたくさん出てきて、ついていけないんじゃないかと。実際、私も高校では生物を選択していなかったので、ハードルが高いと思っていました。でも『LIFE SCIENCE』は、そういう用語をなるべく使わず、普通の言葉で説明してある。だから事典も要らないし、インターネットを検索しなくても読み進められました。最近、生命科学の本が話題で、売れている本もいくつかありますが、ここまで難しい言葉を使わずに説明しているのがすごいと思います。読んで驚いたのは、一気に読み終えることができたことです。「読み終えたことがすごいって何だ」と思われるかもしれませんが、本当に最後まで詰まることなく読めて楽しかったです。

(対談後編に続く)

(写真:Shutterstock)
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日経ビジネス電子版 2021年5月6日付の記事を転載]

世界的生命科学者であり、ノーベル賞受賞者の共同研究者でもある著者による、入門から最先端まで、生命のことが分かる一冊!

2016年ノーベル生理学・医学賞受賞 大隅良典氏、元日本マイクロソフト社長 成毛眞氏推薦!!

 人生100年といわれる時代ですが、それはただ寿命が延びただけの話。寝たきりやアルツハイマー病で何年も過ごさなければならないこともあります。しかし、生命科学は「死ぬ寸前まで健康でいる」ために日々発展しています。
 この本では、世界的生命科学者が、細胞の話といった生命科学の基本から抗体やウイルスの話、そして最先端の知見を、極めて分かりやすく教えてくれます。昔は医療の選択肢は多くなかったので、知らなくてもよかったのですが、現代は、医療はもちろん、生活にも生命科学は入り込んでおり、一度学んでおかないと自分で判断ができません。
 筆者は、2016年にノーベル賞を受賞した大隅良典氏とともに研究に取り組んだ「オートファジー」の世界的権威でもあります。オートファジーが分かれば、「細胞を新品にする機能」=「アルツハイマーや生活習慣病をなくす可能性がある」ことが分かるので、必然的に「老化」はどのようにして起きるかなど長生きの最先端研究まで知ることができます。

吉森 保(著)、日経BP、1870円(税込み)