「ゆとり教育」には否定的なニュアンスがありますが、実際にどのような結果につながったのでしょうか。「子どもの教育」というと、親が自分の経験で語ったり、周りの情報をうのみにして行動してしまったりするもの。そういった「思い込み」を排し、根拠に基づいた論理的分析で結果を導くために、経済学が活用できます。日経文庫『教育投資の経済学』(佐野晋平著)より抜粋のうえ紹介します。
否定的なニュアンスがあるが……
「ゆとり教育」は否定的なニュアンスを持つ表現です。そもそも「ゆとり教育」とは高度成長期の過密な授業内容への反省として「ゆとりある充実した学校生活」を目指し、その目標の実現のために学校教育内容の標準を定めた学習指導要領の改訂と対応したものです。
学習指導要領には、教育内容や授業時間の標準が規定されており、学校教育はその標準に沿って実施されます。「ゆとり教育」の評価は、学習指導要領の改訂に伴って変わる授業時間やカリキュラムが与える教育アウトカム(成果)に与える影響から評価されるものです。
学校教育内容を規定するものとして学習指導要領があります。学習指導要領を定める目的は、公平性と教育目標達成のための手段の確保です。ここでいう公平性とは、どの地域で教育を受けても一定の水準を保つことです。義務教育である以上、居住地域によらず同じ教育水準を保証する必要があります。
教育目標達成のための手段とは、何からの教育目標(例えば、生きる力など)を達成するための大まかな教科内容と標準授業時間数を定めることです。学習指導要領はあくまで「標準」として定めるものですが、それぞれの学校はこの「標準」を踏まえ、それぞれの実態に応じてカリキュラム編成を行います。
何をインプットすれば学力が伸びるのか
学習指導要領は教育の「生産関数」のインプットのルールを規定するともいえます。例えば、授業時間の長さを決めたり、科目の内容を決めたりします。また、特定の科目の拡充や新設により、それらの科目を教える教師の数にも影響を与えます。これらを通して、教育の量と質を変化させます。そのため、学習指導要領の評価は重要です。
学習指導要領は10年に一度改訂されます。学習指導要領の改訂により、授業時間や教える内容が変化します。1968年時点での小学校6年生の年間総授業時間は1085時間でしたが、1977年には1015時間に、1998年には945時間と減少していき、2020年時点では1015時間に増加しています。このように学習指導要領が変わると授業時間も変化します。以下では、ルールを変更することで何が生じたかのエビデンスを紹介していきます。
教育の生産関数において、授業時間は重要な学校資源インプットの1つです。授業時間の変化は学校で受けるインプット量の変化を通して、学力などの教育アウトカムに影響を与えます。
授業時間の変化は、家庭での時間の使い方にも影響を与えます。授業時間が延びれば、その分だけ家庭で過ごす時間は減ります。家庭で過ごす時間の変化は、家庭資源インプットを変化させます。
学習指導要領改訂により授業時間数が増えると、一方で学校での時間が増えますが、他方で家庭での時間が変化します。家庭での時間の使い方は、それぞれの家庭が決めることなので、増えるとも減るとも分かりません。その結果として、教育アウトカムにどのような影響があるかもまた自明ではありません。というのも、どのような教育アウトカムを考えるのか、学校と学校外でのインプットの質によって変わるからです。そのため、エビデンスによる評価が必要です。
授業時間の変化はもろに影響する?
筆者は小塩隆士・一橋大学教授と末富芳・日本大学教授とともに、首都圏と近畿圏の中高一貫校のデータを用いて、教育の生産関数を推定しました。中高一貫校に着目した理由は、受験を経て入学した時点の「能力」を学校の「偏差値」の形で、アウトカムである成果を大学の合格実績で把握したうえで、各学校の特徴との関係を調べることができるからです。分析の結果、アウトカムである合格実績を説明する大部分は入学時点の偏差値であることと、学校の特徴として授業時間の長さと合格実績に相関があることが分かりました。
ゆとり教育導入による授業時間の影響を計測した研究があります。菊地信義・内閣府経済社会総合研究所主任研究官は、学習指導要領の改訂による授業時間の変化が公立と私立で異なる点に着目し、授業時間の長さとアウトカムの関係を分析しています。
1981年の学習指導要領改訂により、中学校での授業時間の総数が320時間減少しました。改訂前の世代である1952〜1962年生まれにはその影響はそもそもありませんが、改訂後の世代である1968〜1974年生まれは授業時間が短くなっています。さらに、学習指導要領改訂は主として公立校に影響を与え、私立の授業時間の変化は生じていません。生まれ年や出身校の公私の違いが分かる女性のパネルデータを分析して、授業時間が短いとその後の教育達成が低くなることを発見しました。
より広範に授業時間と学力の関係を示した研究もあります。茂木洋之・国立社会保障・人口問題研究所研究員と及川雅斗・早稲田大学助教は、TIMSS(国際教育到達度評価学会により実施されている小4と中2の数学と理科の達成度調査)を用い教育の質と数学スコアの関係を分析しています。この研究の特徴は、2002年の学習指導要領改訂に伴い、数学と理科の授業時間が減少したことを対象としている点です。そのうえで、生徒と教師の組み合わせがランダムに決まることを利用し、教育の質によりその影響が異なるかについても確認しています。その結果、経験年数などで計測した教師の質の高さにより、授業時間の変化の影響が変わることを明らかにしています。
授業時間は意図せざることでも変化することがあります。海外の研究によると、天候不順、大雪、災害などにより、授業時間が減りその結果として生徒に影響を与えることが示されています。
それだけではなく、社会経済の変化により授業時間は変わります。川口大司・東京大学教授は、完全学校週5日制度の導入による土曜日授業の削減の影響を分析しています。
1988年に労働時間短縮を目指す労働基準法の改正により1週40時間労働が規定されました。その流れの中で、公務員の完全週休2日制が拡大していきました。学校現場で働く教員もその例外ではないため、学校週5日制の導入が進められました。当初は、月1度の土曜日休業だったものが、2002年4月より完全学校週5日制度が導入されました。これは児童生徒にとって授業時間の削減を意味します。
この変化を『社会生活基本調査』の2001年と2006年の調査で比較し、世帯主が高卒でも大卒でも土曜日の子どもの学習時間は減少すること、世帯主が大卒の場合は日曜日の勉強時間は増える一方で、世帯主が高卒の場合は日曜日の勉強時間が減るという時間の使い方に社会経済背景による差があったことを発見しています。さらに、学力を把握しているTIMSSと組み合わせて、学力への影響を検証したところ、やはり社会経済背景による差があったことを発見しています。
佐野晋平著/日本経済新聞出版/1320円(税込み)

