リスキリング(学び直し)が注目される今、リベラルアーツ(教養教育)としての茶道を見直してみませんか。戦国大名や近代の実業家たちがたしなんだ茶道。ビジネスやアカデミア、アートの世界を代表する先駆者たちが、日本の伝統文化である茶道を現代の新しい視点で読み解きます。今回はポーラ社長の及川美紀氏に、茶道との関わりや今後の展開についてお聞きしました。(聞き手は、日経BP 総合研究所上席研究員 大塚葉)

及川美紀(おいかわ みき)
及川美紀(おいかわ みき)
ポーラ社長。1991年、ポーラ化粧品本舗(現ポーラ)入社。埼玉エリアマネジャー、商品企画部長を経て、2012年に執行役員、2014年に取締役就任。2020年1月から現職。誰もが自分の可能性を拓くことができる社会をミッションに、パーパス経営、ダイバーシティ経営を牽引。著書に『幸せなチームが結果を出す』(共著/日経BP)
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及川さんの茶道歴は6年目とのことですが、実は25年前に茶道を経験なさっています。

 20代で埼玉の事業所にいたとき、組織のリーダーだった50代の女性グランドオーナーが茶道をたしなんでいました。彼女が3時間の営業会議のうち1時間半を使い、先生を招いて点前(てまえ)の講習を行ってくれたのです。ただ当時の私には、茶道を理解する心の余裕がなくて……。正直言って、会議でお茶など点(た)てていないで、売上目標の話をしたいとさえ思っていました。

 2018年、海外事業の担当になって外国の方へのおもてなしを考えたときに、そもそも自分の立ち居振る舞いが日本人として正しいのか、美しい所作が身に付いているのだろうか、と不安になったのです。

 そんなとき、25年ほど前のグランドオーナーの言葉がよみがえってきました。当時、彼女は「人の心を導くリーダーは、自分たちの中に『心の余白』を持たないといけない」と口にしていました。それを思い出したとき、ポーラの販売員の仕事はお客様の心に寄り添うことで、その販売員の成長を促すには、育成する立場であるリーダーが茶道を通じて多面的な視点を養う必要があるのだと分かったのです。

 同じ頃、旧友がたまたま着物姿で自宅を訪ねてきて、「近所で茶道のイベントがあった」と言うのです。これもご縁ですね。その友人の先生を紹介してもらって入門したのが、49歳で茶道を再開したきっかけでした。

臨機応変な対応を求められるのはビジネスと同じ

及川さんにとって、茶道のどんなところが魅力ですか?

 お抹茶がおいしいのももちろん魅力ですが、お稽古でリフレッシュし、デトックスできるのがいいですね。今は月2回を目標にお稽古に通っています。先生のお宅の茶室で朝の空気を吸いながらお稽古をすると、心がすっきりします。サウナでいう「ととのう」感覚に似ています。床の間の掛け軸の説明を聞き、その日の自分の気持ちにぴったり合っていると「やられた」と感じることもあります。

 茶道には、道具の取り合わせや所作などに細かい決まりごとがあります。いくつかの型とルールが共通言語となり、亭主とお客はその共通言語のもとにお茶を楽しむことができるのだと思います。

 また、季節によって使う道具が変わります。例えば茶碗なら夏は浅く、冬は深いものを使うことがあり、形によって扱い方も変わります。道具の扱いをなかなか覚えられず苦労することもありますが、こうした可変的な部分が面白く、臨機応変な対応を求められるのが興味深いですね。

 ビジネスの場合も一定のセオリーがあるものの、時代とともに社会や人の意識は変わります。定石や過去の成功体験に頼らない、状況に合わせた対応が必要になるのと同じだと思います。

茶道は「終わりのない旅」のようなもの

今後、どのように茶道に取り組んでいきたいですか。

 私の先生はよくお茶会を企画なさるのですが、いつも「お茶会に来てくださるお客様の気持ちを考えることが一番大事」とおっしゃいます。「お客様がどんな心持ちでいらっしゃるのか、どのようにお茶会を楽しんでどんな気持ちで帰っていただくか。それにあわせて道具を選び、しつらえを考える。その時間を心から楽しむのです」と。これを聞いて、本当のおもてなしとはこういうことなのだと分かった気がしました。私もこの気持ちを大事にしていきたいと思います。

 お稽古をしていてよかったのは、教えていただく機会があることです。私くらいの年齢になると、誰かに注意されたり叱られたりすることが少なくなりますから。お点前がうまくいかず、何をやってもダメなときもあります。でも「できない自分」と素直に向き合う時間を持てるのが、今はとても大事だと感じます。50代半ばになってもこうした経験ができるのは、ありがたいことですよね。

 幸運なことに先生が素晴らしい方で、社中(同門)の皆さんも気持ちのいい方ばかり。生徒さんの装いも様々で、着物を着たり、洋服に稽古着を着けたり、帛紗(ふくさ)をはさむベルトを締めたりと、思い思いの格好でお稽古しています。茶道の楽しみ方も、人それぞれだと感じます。

茶道人口が減りつつあります。もっと多くの人、特にビジネスパーソンに茶道を知ってもらうにはどうしたらいいでしょうか。

 茶道を気軽に体験できる機会を増やすといいかもしれません。甘味処などで抹茶を飲んだことがある人は多いと思いますが、自分でお茶を点てることはあまりないと思うので。ビジネスパーソンがグローバルに活躍するには、まず日本を知る必要があります。茶道を学ぶことで、日本人の考え方や感じ方のバックグラウンドを確認できるのではないでしょうか。

 茶道は堅苦しいように見えますが、おおらかな部分もあります。冒頭でお話ししたグランドオーナーに「お茶は、言葉ではなく体で理解するのよ」と言われましたが、その意味が分かるようになってきました。私にとって茶道は、「終わりのない旅」のようなものです。ありのままの自分と向き合いながら、お稽古を続けていきたいと思います。

「ビジネスパーソンがグローバルに活躍するには、まず日本を知る必要があります。茶道を学ぶことで、日本人の考え方や感じ方のバックグラウンドを確認できるのではないでしょうか」
「ビジネスパーソンがグローバルに活躍するには、まず日本を知る必要があります。茶道を学ぶことで、日本人の考え方や感じ方のバックグラウンドを確認できるのではないでしょうか」
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「人との関わり方やもてなしの心」が学べる

最後に、及川さんがお薦めする、茶道に関する本をご紹介ください。

 今日は、2冊ご紹介します。まずは『 茶の本 』(岡倉覚三著、村岡博訳、大川裕弘写真/パイインターナショナル)。これはGINZA SIX(銀座シックス)の銀座 蔦屋書店で、一目ぼれして買いました。明治時代の美術研究家、岡倉天心(注:本名は岡倉覚三)が書いた『茶の本』がありますが、本書はそのコンテンツに写真を加えたビジュアルブックになっています。

岡倉天心は『茶の本』の中で、茶道には日本の伝統文化や精神が凝縮されていると説き、歴史や哲学の視点から茶道の持つ独特の世界観をグローバルに発信したのでしたね。

 はい。ただ、以前『茶の本』を読んだときは、「茶道とは東洋民主主義」という表現があったりして、難しくてなかなか理解できなかったのです。こちらのビジュアルブックの『茶の本』は写真も美しく、写真に助けられながら岡倉天心の思想への理解が深まるような気がします。

『茶の本』(岡倉覚三著、村岡博訳、大川裕弘写真/パイインターナショナル)
『茶の本』(岡倉覚三著、村岡博訳、大川裕弘写真/パイインターナショナル)
日本の美意識を世界に伝えた美術研究家、岡倉天心(注:本名は岡倉覚三)の名著『茶の本』をビジュアルブック化した書籍。『茶の本』のコンテンツが、畳に置かれた茶碗、炉で赤く燃える炭、夕刻の茶室などの美しい写真とともにデザインされている。写真集としても楽しめる1冊

 もう1冊ご紹介したいのは『 侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力 』(春秋社)で、松岡正剛さんの講義録です。「侘び・寂び」の本質は何かを解説していて、「日本文化とは自分と向き合う内省の文化なのだ」と感じました。だからこそ、経営者がお茶を習うのかもしれません。

 この2冊を読むと、茶道を通じて学べる「人との関わり方やもてなしの心」など、日本人が大事にしてきたものを、改めてポジティブに受け止めることができます。

『侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力』(松岡正剛著/春秋社)
『侘び・数寄・余白 アートにひそむ負の想像力』(松岡正剛著/春秋社)
編集者、著述家の松岡正剛さんが、日本文化やアートについて語る特別講義「連塾」を2003年にスタート。本書は、連塾全8講のうち4~6講の講義録をまとめた。工学者の金子郁容さん、資生堂の元社長である福原義春さんほか、参加者と松岡さんとの対話も収録している

取材・文/大塚葉(日経BP 総合研究所) 写真/稲垣純也

[日経BP 総合研究所 「リベラルアーツ経営 ビジネスに生かす茶道」の記事と、インタビューを基に構成しました]