天才的なイノベーターの中には、子ども時代に深刻ないじめに苦しんだ人物が目立ちます。イーロン・マスク、スティーブ・ジョブズ、ピーター・ティール、ビル・ゲイツ……。彼らはなぜいじめを受け、その体験はイノベーターたちの思考や行動原理にどのような影響を与えたのか。天才イノベーターに共通する「思考法」を解剖した書籍『 天才思考 世界を変えるイノベーションを生む10の思考法 』から一部を抜粋・再編集してお届けします。本連載の第19回では、マスクやティールらが受けたいじめと彼らのパラノイア(偏執症)的な思考について取り上げます。 =敬称略
イノベーターには、常に誰かが自分たちを脅かそうとしているという強い警戒心を持ち、危機のきざしを察知する能力が高い人物が目立ちます。「パラノイア思考」とも呼べるこのような思考の背景には、トラウマになるような子ども時代の体験があります。深刻ないじめや迫害を受けるような経験をすると、さまざまな脅威とその兆候に対する嗅覚が磨かれます。
例えば、イーロン・マスクは壮絶ないじめを受けており、父親からも精神的な虐待を受けていました。ビル・ゲイツも少年時代にいじめを受けていたことを告白しています。スティーブ・ジョブズも、飛び級の影響でクラスメートと比べて体が小さかったこともあり、よくいじめられていました。その結果、ジョブズは不登校になり、転校しています。
マスクがいじめを受けていたことは、アシュリー・バンスが書いた伝記『イーロン・マスク 未来を創る男』やウォルター・アイザックソンが著した伝記『イーロン・マスク』で詳しく述べられています。いじめっ子グループに学校で集団暴行を受けたこともあったそうです。マスクは顔面が血まみれになるほどの大けがを負い、病院で手術を受けました。執拗ないじめは長期間続き、マスクの心の傷になりました。いじめが原因で中学・高校時代には何度か転校もしています。
なぜマスクは少年時代にいじめにあったのでしょうか。
南アフリカで生まれ育ったマスクは、人見知りで内向的だったものの、記憶力に優れた聡明な子どもでした。本の虫で、みんなが集まってパーティーをしているときも、1人で別の部屋にこもって読書ばかりしているタイプだったそうです。集中力が高い一方、自分の世界にいったん入り込むと、周囲の人が大声で話しかけても返事をしなくなることがありました。他人とうまくコミュニケーションが取れないマスクは、周囲から見ると「何だコイツは」と思われがちで、トラブルになることが少なくありませんでした。2021年になってマスクは、自ら「アスペルガー症候群だった」とテレビ番組で明かしています。
典型的なオタクで人付き合いが苦手だったマスク
SFやコンピューター、ゲームが大好きなマスクは、典型的なオタクのようなタイプで、人付き合いは苦手でした。米ニューヨーク・タイムズ紙の記事によると、マスクが通った南アフリカの高校の同級生も「マスクは親しい友人がいない孤独な少年だった」と述べています。少年時代に体が小さかったこともあり、いじめられやすかったそうです。
マスクにとって、いじめはつらい経験だったことは間違いありません。少年時代を振り返り、当時のいじめの話をしているうちに、「マスクの目には熱く込み上げるものがあり、声を震わせていた」とバンスは著書で述べています。
しかし悲惨な少年時代を生き延びた経験は、マスクの強さになっています。「それ(いじめ)は確かに自分を強くした」と、南アフリカのメディアでマスクは語っています。
アイザックソンが書いた伝記でも「誰かにいじめられたら、相手の鼻をとても強く殴れば、もう二度といじめられない、ということに気づいた」とマスクは述べています。
親しい友人がいない孤独な少年だったマスクは、多数決や集団的な意見が常に正しいとは考えず、自分自身の判断を信じる思考を身につけました。「EV(電気自動車)は売れない」「再利用可能な宇宙ロケットは実現不可能だ」といった業界の常識を疑う姿勢は、孤独の中で生きてきた経験と切り離して考えることはできないでしょう。
何より、長期にわたるいじめは「いつ攻撃が来るか分からない」という慢性的な警戒心を育みます。これはパラノイア的な思考そのもので、マスクがAI(人工知能)の脅威、文明の崩壊リスクを過剰とも思えるほど真剣に受け止め、矢継ぎ早に対策を講じる姿勢は、危機意識が極度に研ぎ澄まされた結果とも解釈できます。
ジョブズも中学時代にいじめを受けています。優秀だったため、1年飛び級で中学校に入学したジョブズは、同級生よりも体が小さいうえに生意気で、クラスメートは絶えず彼に嫌がらせをしたり、いじめたりしていたそうです。
執拗ないじめに耐えきれなくなったジョブズは、両親に訴えて「転校させてくれないならもう学校には行かない」と主張します。そこで、ジョブズの両親は、本人が安心して教育を受けられそうな地区を熱心に探して、新しい自宅まで購入しました。孟子の母親が子どもの教育のために良い環境を求めて何度も引っ越しをした「孟母三遷」のような話ですが、いじめがそれほどまでに深刻だったことをうかがわせるエピソードです。
新刊『天才思考』で詳しく説明したように、ジョブズも多数派の意見に従うのではなく、自分自身が「反逆者」であることを信条にしていました。自分の心の声(内発的動機)に従って行動することを重視し、2005年の米スタンフォード大学の卒業式でも、「他人の考えに従って生きるのではなく、自分の心と直感に従う勇気を持とう」というメッセージを発信していました。
「笑っている姿を見たことがない」と言われたティール
パランティア・テクノロジーズ会長でペイパルの共同創業者でもあるピーター・ティールも学校で絶えずいじめられており、「笑っている姿を見たことがない」と当時の同級生に言われるような子どもでした。中学校時代には、いじめっ子がティールの自宅前に「売り出し中」の看板を立てたりしていたそうです。高校時代のクラスメートも、ティールがロッカーに押しつけられたことを目撃したと述べています。
いじめ体験はティールの思考や哲学に深く刻み込まれています。著書『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』で描かれているような「多数派の意見は必ずしも正しくない」という群集心理への警戒や逆張りの哲学は、多数派=「いじめる側」に傷つけられた少年時代の原体験と無縁ではなさそうです。
ティールという人物と思想を理解するためには、マックス・チャフキン著『無能より邪悪であれ ピーター・ティール シリコンバレーをつくった男』とトーマス・ラッポルト著『ピーター・ティール 世界を手にした「反逆の起業家」の野望』が参考になります。
子どもにとって学校とそこでの人間関係は、世界の全てのようなものです。逃げ場のない世界で、いじめを受けて、どこにも居場所がなくなるような経験をしたことは、地獄に等しかったことでしょう。多くのイノベーターは、飛び抜けた才能を持つ一方、もともとの性格は内気で、発達障害などを持つケースも多く、周囲に合わせることが苦手な人物が目立ちます。
天才はなぜいじめられやすいのか
天才的なイノベーターは、なぜいじめを受けやすいのでしょうか。
「真の天才とは優等生ではなく、不穏分子である。彼らは一般的な社会生活になじめずに、孤立しやすい。彼らの才能は、周囲になかなか理解されない。むしろ、一般の人からは、扱いにくい異物として目をそむけられやすい。天才たちの言動は常識からかけ離れていることが多く、常人の理解が及ばない危険なものに見える。それゆえ、天才は社会から意識的に排除されやすい。人々は能力のある個人を警戒し、意味なく嫉妬心を向けてしまうからである」。精神科医の岩波明は、天才と発達障害の関係に迫った書籍『天才と発達障害』で、こう指摘しています。
いじめは被害者に「いつ攻撃されるか分からない」という慢性的な恐怖と疑念を植え付けがちで、病的なまでの心配性であるパラノイア的な思考につながります。過度な被害妄想はもちろん危険ですが、新刊『天才思考』で詳しく説明したように、イノベーションを実現するうえでは、心配性で、あらゆる脅威に目を向けようとするマインドセットは強みにもなります。
悲惨ないじめを乗り越えた経験は、イノベーターたちの精神的な強さにもつながっています。不屈の精神の原点と言ってもいいでしょう。自分のアイデアを周囲に否定され、味方になってくれる人がほとんどいなくても、自分の信念を貫き、成功するまで努力を続ける──。そんな精神的なタフさは、逆境において培われます。

[日経ビジネス電子版 2026年6月30日付の記事を転載]
山崎良兵(著)/日経BP/2640円(税込み)
