CAF(Cloud Adoption Framework:クラウド導入フレームワーク)とは、主要クラウドサービス提供事業者で採用されているクラウド導入のベストプラクティスのことです。本特集では、書籍『CAFではじめるAzureクラウド導入&運用ガイド AI Ready実現の最適解』(日経BP)から抜粋し、著者が実際に支援した企業の実話に基づく、「AI Readyのためのクラウド導入」を進めたエピソード(数社の事例を組み合わせたフィクション)を紹介します。第3回では、クラウド基盤が整った後に、社内データをどう円滑に流通するようにしていったかを取り上げます。

(写真:tadamichi/stock.adobe.com)
(写真:tadamichi/stock.adobe.com)

 インフラとしてのクラウド基盤(Azureランディングゾーン)は整いました。しかし、CCoE(組織横断型クラウド推進チーム)のメンバーは、ここからが本当の戦いであることを予感していました。なぜなら、「AIはデータという燃料がなければ、ただの鉄の箱にすぎない」からです。そしてA社における最大の難関は、長年積み上げられた「データのサイロ化」という厚い壁でした。

「データを出したくない」――部門の壁を“技術”で突破する

 CCoEのデータアーキテクトが、各事業部に「AI活用のために、そちらのデータをクラウドのデータ基盤(データレイク)にコピーさせてください」と依頼して回ったとき、返ってきたのは予想通りの拒絶反応でした。

「ウチの顧客データは極秘扱いだ。IT部門といえども、部門の外に出すわけにはいかない」

「そのデータを抽出するETL(データ変換)処理を作る予算も人もいない。我々の業務を増やすな」

 これは日本企業で非常によく見られる“データの囲い込み”です。データオーナー権限を持つ部門長たちは、「データを手放すことによるセキュリティーリスク」と「余計な仕事を増やされる手間」を恐れ、門を閉ざしてしまうのです。この膠着状態を打破するために、CCoEは「Microsoft Fabric」と「OneLake」の機能を切り札として提示しました。

 彼らが提案したのは、データを物理的に移動・コピーする従来のやり方(ETL)ではなく、「ショートカット(Shortcuts)」機能を使った論理的な統合でした。

「部長、データを物理的に移動させる必要はありません。データは今の場所(例えば、AWS S3やAzureの別ストレージ)に置いたままで構いません。我々が欲しいのはデータそのものではなく、そこへアクセスするための“窓(リンク)”だけです」

 さらに、「Microsoft Purview」を組み合わせることで、ガバナンスへの懸念に対策しました。

「誰がいつ、どのデータを見たかは、すべてシステムが監視・記録します。もし不正アクセスがあれば即座に検知し、遮断します。Excelでパスワードをかけてメールで送り合うより、はるかに安全です」

 データを渡す(所有権の喪失)のではなく、その場にあるデータを安全に参照させるだけ(アクセス権の付与)――。この提案の転換(パラダイムシフト)が、かたくなだった部門長の態度を軟化させました。こうしてA社は、数年かかるといわれた物理的な統合作業をスキップし、仮想的に全社のデータがつながる「One Data Layer」を短期間で実現したのです。

最初の成功体験――「社内RAGチャットボット」の衝撃

 データがつながり始めたとき、CCoEが必要としていたのは、懐疑的な声を黙らせるための“目に見える成果”でした。「優先順位付けマトリックス」で「Quick Win(優先度高・難易度低)」に選ばれたのは、売上予測のような複雑な数値分析ではなく、「社内ドキュメント検索AI(RAG)」でした。

 A社には、過去数十年にわたる技術資料、設計図面、トラブル報告書が、ファイルサーバーの深層にPDFやWord形式で死蔵されていました。若手エンジニアは必要な情報を探すのに毎日何時間も費やし、結局見つからずにベテラン社員の時間を奪って質問するという非効率が常態化していました。

 CCoEは、OneLakeに統合されたこれらの「非構造化データ」をAIに読み込ませ、Azure OpenAI Serviceを使った対話型検索アプリを、わずか2週間でプロトタイプとして開発しました。

 そのデモが行われた日、会議室の空気が一変しました。これまで「AIなんて信用ならん」と公言していた製造部のベテラン工場長が、腕組みをしながらAIに意地悪な質問を投げかけました。

工場長:「5年前、Bラインで製品に黒い傷がついたトラブルがあったはずだ。その原因と対策を答えてみろ」

AI:(数秒の沈黙の後、回答を生成)「2019年5月のトラブル報告書によると、Bラインの搬送ベルトのテンション不足により、ガイドレールとの接触が発生したことが原因です。当時の対策として、テンション調整の頻度を週1回から毎日始業前に変更し、ガイドレールの材質をフッ素樹脂加工のものに交換しています。詳細は以下のリンクを参照してください」

 画面には、スキャンされた手書きの報告書のPDFが引用元として表示されました。工場長は目を見開き、モニターに顔を近づけました。「おい、この報告書、俺が係長時代に書いたやつだぞ。ファイルサーバーの奥底にあって、俺ですら忘れていたのに……。よくこんなの見つけてきたな!」

 会議室にどよめきが走りました。これまで“ゴミ”だと思われていた過去のデータが、AIという触媒によって、現役社員を助ける“宝の山”に変わった瞬間でした。

「AI Ready」への空気の変化――FOMOが加速させるデータ共有

 この「社内RAG」の噂は、瞬く間に全社に広まりました。すると、これまであれほどデータ提供を渋っていた事業部から、CCoEに逆の問い合わせが殺到するようになったのです。

「ウチの営業日報もAIに読ませたい。そうすれば過去の提案事例がすぐ探せるようになるんだろ?」

「コールセンターの音声ログがあるのだが、これも分析できないか?クレームの傾向を知りたいんだ」

 事前に定義した「データ→AI→価値」のフライホイール(弾み車)がついに回り始めたのです。社内の空気は一変しました。「データを出すのはリスクだ」という守りの姿勢から、「データを出さないと、自分たちがAIの恩恵を受けられず損をする(FOMO:Fear Of Missing Out)」という攻めの姿勢へと、文化がオセロのように裏返ったのです。

 技術(Fabric/OneLake)が障壁を下げ、成果(RAG)が意識を変える。この勝利によって、A社はついに「AI Ready」の入り口に立ちました。しかし、AIが業務に深く浸透すればするほど、次は「運用」という新たな壁が立ちはだかります。24時間365日、止まることが許されないAIシステムを、限られた人数のIT部門でどう守り抜くのか。

 次回は、属人化していた運用体制を、いかにして「AIOps」を取り入れたモダンな運用へと昇華させたか、その変革の記録を描きます。

(書籍『CAFではじめるAzureクラウド導入&運用ガイド AI Ready実現の最適解』を基に再構成)

日経クロステック 2026年3月18日付の記事を転載・改題]

本書が提唱するのは「AI Readyのためのクラウド導入」。その中核にあるのが、戦略、計画、準備、導入、ガバナンス、セキュリティ、管理という7つのフェーズを明確に整理した「クラウド導入を成功させるためのフレームワーク」=CAF(Cloud Adoption Framework)です。CAFを基軸にして「AI Ready」なクラウド基盤を構築・運用するための実践的なノウハウを提供。技術解説のみならず、経営・企画・現場が一体となって進めるための道筋を示します。

田中健司、木幡健文(著)/日経BP/3300円(税込み)