そもそもどうして「介護と仕事の両立」は難しいのでしょうか。理由はシンプルで、事前の情報不足です。突然、非日常の異常事態に直面するから難易度が上がるのです。新刊『上司に「介護始めます」と言えますか? 信じて働ける会社がわかる』から抜粋、いつかやってくる「その日」に備えて、知っておきたい勘所をご紹介します。その第2回。
介護に直面したときに「老化は病気じゃないから、時間をかけても治らない。むしろ状況はここから悪化する」という意識ができるかどうかが、うまくいくかどうかの境目だというお話を前回しました。
NPO法人「となりのかいご」代表理事・川内 潤(以下、川内) そこは大事なポイントですね。「介護は撤退戦だ」という、介護ルポ『母さん、ごめん。』シリーズの著者、松浦晋也さんの名言をぜひ知っておいて頂きたいです。
介護は撤退戦、考え方としては事業縮小に似ている
言い換えると「介護は撤退戦だ」と認識しないで、攻めの姿勢て、状況を改善しようと考えてしまうから、問題がどんどん大きくなってしまうんですね。
川内 そうです。ビジネス書っぽく言いますと、介護は「粛々と事業を縮小する」という意識で向かうべきものなんですよ。
そもそも老化って人間の宿命です。体力、気力、記憶の衰えが、誰にも必ず訪れる。それに対応するのが介護です。なので「新しい市場に参入してシェアを取りにいく」とか、「失った顧客を取り戻す」といった攻めの意識ではなく、「縮小していずれ消える市場から、犠牲をできるだけ抑えつつ撤退する」意識で対応するのが正しい。店舗を畳み、社員を減らし、その間の損失を極小化することを目指す。それが介護です。
老化は病気じゃないから、若返って機能を取り戻すことは基本的にあり得ない。そんなことは、大人ならみんな知っているわけですが、こと自分の親だと冷静になれなくて、「ちゃんと世話をすれば回復してくれるのでは」「リハビリで治るのでは」と、期待してしまいます。
川内 わかります。いくら「介護は撤退戦」と理解しようとしても、「親に元気な頃に戻ってほしい」という思いはなかなか抑えきれません。
そして、服薬忘れ、食べ散らかし、失禁といった「情けない」姿を見るたび、子どもは親の老いと、もう戻ることはないのだという現実を思い知らされて、悲しみ、時に怒りを覚えるわけです。親を怒鳴りつけたり、無理なリハビリを強制したり。
自分も母親の脚が弱くなったことにいら立ち、「運動が足りないからだ」と、バスに乗せずに無理やり歩かせたことがあるんです。それで母に運動の習慣が付くわけもなく、その後「あれは虐待では」と、自責に苦しみました。
川内 いやいや、Yさんのそれは全然たいしたことじゃないですよ。私、「泣きながら握りこぶしで親を殴りつけている現場」に、何度飛び込んで「やめましょう」と止めたかわからないですから。本当に残念なことですが、親を思うが故に自分で介護することは、子どもにそれほどのストレスをかけてしまうんです。
「親不孝介護」は「会うのがつらいなら、会わない」
だから川内さんは「親不孝介護」を主張しているんですよね。介護は、周りから見たら親不孝に見えるくらいでちょうどいい、と。
川内 言葉はちょっとアレかなと思いますが、気持ちとしてはその通りです。老いる親の姿は、子どもに強烈なストレスをかける。だったら、距離を取って直に見たり話したりしないほうがお互いにとって楽だし、介護の質も高くなる。
「親を見ているとつらいんです」と川内さんに話したら「だったら会わなければいいんですよ」と言われたときの、縛りが突然緩んで、ぽかーんとした気持ちを今も覚えています(笑)。
川内 もちろん、会わずに放置する、ことを勧めているのではないですよ。包括に早めに相談して、第三者が支援をしやすい環境をつくって、親御さんが望む支援を与えてあげられるようにするのが、本当の意味での親孝行につながる介護だと思います。
子どもは介護を「撤退戦だ」とわかっていても心の中では抵抗があるから、冷静に戦える第三者に任せるべきだ、ということが、親不孝介護の真意ですね。
川内 そう、子どもは親の撤退戦を冷静に見守ることができない。これは介護のプロでも同じなんです。介護職が研修で最初にたたき込まれるのは、「ここで身につけた技術を自分の親の介護に使おうとしてはならない」ということですから。どうしても過度に面倒を見てしまい、結局、親のできることを減らしてしまうんです。
うーん。さっきちょっと思ったんですけれど、「撤退戦」を受け容れるのが難しい、という話で。
川内 はい。
あれはつまり、親の介護を撤退戦だと認識するということは、親の老い、そして死を受け容れる、ということだからじゃないでしょうか。
川内 はい、その通りです。はっきり言えば我々は、親の死を考えること自体をタブーにしてしまうところがあります。これはおそらく親だけじゃなくて、他人の、自分の死についてもそうですが。
まして親本人のそばにいたのでは「この人はいずれ死ぬ」と受け容れるのはますます難しい。だから第三者であるプロの介護職に依頼し、ケアプランの作成を手伝ってもらい、実務を担当してもらうことで、あえて親と距離を取る。そこまでやって、子は初めて親の「撤退戦」と、冷静に向き合える。そういうことだと思います。
なるほど、その意味では私のような遠距離介護のほうが「自力の介護は物理的に無理、プロに任せよう」と割りきって決断しやすいですから、親と必要な距離を維持する上では有利かもしれませんね。それでも親を東京に連れてくるべきかと悩んで、川内さんに止められたわけですが。
危うさを理解しないで法改正を迎えると……
川内 さて、ここでようやく2025年4月に改正・施行される育児・介護休業法の問題に入ります。
この改正の目的をざっくり言うと、企業は介護支援制度とその利用を従業員に超アピールしなさい、ちゃんと制度を使わせなさい、ということですね。
川内 そうですね。でも、介護で親と向き合った子どもが抱え込む、こうした心労や悲しみを理解していないまま、介護支援策の利用を呼びかけるのは大変危険だと思います。
たとえばテレワークです。改正で、テレワークがしやすい環境を整えることが企業の努力義務となりました。仕事の時間や場所を柔軟に調整して、介護体制の構築、たとえばケアマネとの打ち合わせの時間捻出などに活用すれば、仕事と介護の両立にとても有用です。
いやでも、テレワークと介護と聞いたら、ほとんどの会社員は「これで家で親の面倒を見ながら仕事ができる」と受け止めますよね。
川内 それって、最悪です。「親の老いと向き合うストレス」と「仕事のストレス」に同時に直面することになる。「仕事をしていても、認知症の親はかまわず話しかけてくる。ようやく離れて台所に行ったら行ったで『やかんを空焚きしないかな』と気になって業務に集中できない」、そんな訴えがもう個別介護相談で続出しています。親の老いを見せつけられ続けながら仕事なんて、できるんでしょうか。
そして冷静に考えると、仕事をしながら介護、って、何をするんでしょうね?
川内 私も「テレワークしながら介護を」という話が相談で出るたびに、じゃ、テレワークで仕事をしながら何をするんですか、と聞くんです。そうすると「見まもりとか」という返事が返ってきます。
見まもり。
川内 介護の見まもりって、超絶難しいですよ。特に肉親だと。
見ていて、危ない状況になったら手助け、じゃないんですか?
川内 親子の情愛が正しい介護と相反することがあるんです。たとえばプロの介護職は、要介護者が立ち上がるのに苦労していても、本人の身体機能維持のためにあえて手を貸さず、見まもることもあるわけです。
そういえば母の家に来ていたヘルパーさんが、「○子(母の名前)さんのできることを減らさず、できるだけ維持していくことがとても大事なんです」と言っていました。
川内 親への自然な情愛が、親のできることを減らすことにつながってしまう場合もあるわけです。でも、目の前で立とうとして苦労している親がいたら子どもは助けたいですよね。まして「助けてくれ」と親から言われて「ごめん、お父さんのために手助けしないほうがいいんだ」と返せる子どもはいないし、言ったら子どもの心も親の心も傷ついてしまう。
それにそもそも、あなたの仕事は、親から目を離さずにいられるほど集中力がなくてもできるんですか? という疑問もあります。
たしかに……。
『上司に「介護始めます」と言えますか?』
第1章 親の介護の間違った常識「自力で親孝行」が悲劇を招く
より抜粋、編集したものです。
川内潤+山中浩之(著)/日経BP/1980円(税込み)
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