その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は安西巧さんの『 歴史に学ぶ プロ野球 16球団拡大構想 』です。

【はじめに】

MLBは球団拡張で発展してきた

 なぜ、日本のプロ野球には12球団しかないのだろう。ベースボールの本場米国では、国土の広さの違いがあるとはいえ、米大リーグ機構(MLB)に2リーグ・6ディビジョン(地区)の合計30球団が加盟している。さらにMLBの第10代コミッショナー、ロブ・マンフレッド(1958年生まれ)は2015年の着任早々、32球団への拡大を視野に入れていることを表明。その時期については「遠い未来のことではない」と話している。

 MLBは、1970年代後半に導入されたフリーエージェント(FA)制度による選手の年俸上昇や地上波テレビ中継の視聴率低迷などに悩まされ、第6代コミッショナーのピーター・ユベロス(1937年生まれ)は1985年、その打開策として、球団増設によってファンの裾野を広げる「エクスパンション(球団拡張)」を決断した。

 その実現までには8年を要したが、1993年のシーズンから、コロラド・ロッキーズとフロリダ・マーリンズ(2012年からマイアミ・マーリンズに改称)がナショナルリーグに新規加入。さらに、その5年後の1998年にもタンパベイ・デビルレイズ(2008年からタンパベイ・レイズに改称)とアリゾナ・ダイヤモンドバックスの2球団が誕生した。MLBはこうした拡張戦略と並行し、インターネットを活用したチケット販売や動画配信などに組織を挙げて力を注ぎ、球団単体ではなく、大リーグ全体の収益拡大に一丸となって知恵を絞っている。

 日本野球機構(NPB)の新球団といえば、2005年のシーズンからパ・リーグに加入した東北楽天ゴールデンイーグルスが思い浮かぶが、それ以前となると、1954年の高橋ユニオンズ(千葉ロッテマリーンズの前身の1つ)にまで遡る。

 楽天球団誕生の背景には、2004年のシーズン半ばに明らかになった近畿日本鉄道(現・近鉄グループホールディングス)のプロ野球事業撤退に伴う大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併があり、球団数が奇数ではペナントレースの対戦カードを組みづらいため、NPBはそれまで閉ざしていた門戸を急遽開き、楽天の新規参入を認めたという経緯があった。

 しかも、この2004年の近鉄球団撤退に端を発した「球界再編」騒動では、読売ジャイアンツ(巨人)や西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)などの首脳が1リーグ・10球団制への移行を画策したものの、プロ野球ファンの猛反発にあい、撤回に追い込まれたことも鮮やかな記憶として残っている。

 FA制度による球団財政悪化やテレビ中継の視聴率低迷、そしてそれに伴う放映権料収入の減少は、約20年のタイムラグを経て米国から日本に波及していた。つまり「プロ野球界の危機」は日米に共通していたが、対応は180度違った。MLBは球団増設のエクスパンションを志向したのに対し、NPBは1リーグ化へと縮小均衡に走ろうとしたのである。

ソフトバンク、楽天参入と日本ハム札幌移転で活気づく

 その「球界再編」騒動から15年余りが経過した。楽天球団が誕生したのと同じ2004年に、ソフトバンクが福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)を買収して球界参入を果たし、このIT大手2社の参入でパ・リーグは間違いなく活気づいた。それまで各球団がバラバラに営業戦略を展開していたが、2007年に6球団が共同出資で企画会社「パシフィックリーグマーケティング」を設立。MLBにならって、試合の動画配信や球団公式サイトの運用・管理、イベントなどを共同で手掛けるようになったのだ。

 日本ハムが本拠地を東京から札幌に移し、北海道日本ハムファイターズになったのも2004年だった。それまで「巨人ファン以外はいない」と言われた北海道のプロ野球市場だったが、新庄剛志(1972年生まれ)や稲葉篤紀(同)、さらにダルビッシュ有(1986年生まれ)といった人気選手の活躍で、移転3年目の2006年にパ・リーグ優勝、加えてこの年、中日ドラゴンズとの日本シリーズも制し、日本ハム球団は瞬く間に北海道のファンの心をつかんだ。

 パ・リーグだけではない。球団経営改革の波はセ・リーグにも及んだ。「球界再編」騒動が起きた2004年、経営不振でプロ野球市場からの撤退を余儀なくされた近鉄に続き、最も深刻に球団身売りの不安を募らせたのが広島東洋カープのファンだった。12球団で唯一親会社を持たず、「市民球団」の旗を掲げるカープ球団は、長年資金不足がささやかれてきた。

 1993年のシーズンオフに日本のプロ野球にもFA制度が導入されて以降、1994年に投手の川口和久(1959年生まれ)、1999年に内野手の江藤智(1970年生まれ)がいずれも巨人へ、2002年には外野手の金本知憲(1968年生まれ)が阪神へ移籍。主力選手が続々と同リーグのライバル球団に引き抜かれる一方、本拠地の広島市民球場(1957年竣工)は老朽化が進み、観客動員は低迷が続いた。

 「収益が増えないから選手に高額の年俸が払えない」→「高額の年俸が払えないから主力選手が流出する」→「主力選手が流出するからチームが弱体化する」→「チームが弱いから観客動員が低迷する」――。カープ球団はこうした悪循環にさいなまれていたのである。

カープは新球場で観客動員が2倍以上に

 こんな負の連鎖を断ち切ったきっかけが「球界再編」騒動だった。カープを巡っては、1990年代後半から、老朽化した市民球場の建て替えが広島市や県、地元経済界の間で懸案となっていたが、新たな建設候補地やドーム球場構想に対する議論が進まず、一向に結論が出る気配がなかった。

 ところが、近鉄の球団身売りで「球界再編」の動きが活発になる中、新球団申請のコンペで楽天に敗退したライブドアに対し、あるM&A(合併・買収)投資会社がカープ球団の買収を持ちかけた。ライブドアは即座に断ったが、そのニュースを耳にした広島のファンは「カープ買収」を間近に迫った現実として受け止め、広島市をはじめとする県内自治体や経済界を含むファンの間に「すわ一大事」と緊張感が一気に高まったのである。

 「球団買収を持ちかけられたら、カープのオーナーは同意してしまうのではないか」。そんな危機意識がバネになり、それまでマンネリ気味だった地元ファンの“カープ愛”が再燃した。行き詰まっていた新球場プロジェクトは、市が主導する形で広島駅東側の貨物ヤード跡地を建設地とすることで2005年夏頃には合意に至る。難題だった球場建設費約90億円の調達も、広島市と県、広島商工会議所を中心とする地元経済界が過半の46億円を負担し、残り44億円は球場使用料を担保にした借入金や市民の「樽募金」などで賄うことがトントン拍子で決まった。

 2009年4月に開場した新球場のマツダスタジアムは米大リーグの「ボールパーク」を強く意識した構造・レイアウトが特徴で、天然芝のグラウンドにバラエティに富んだ観客席などが話題を呼び、「家族で楽しめる球場」として好評を博した。

 2006年に101万人(1試合平均1万3829人)だったカープ主催試合の年間観客動員は、マツダスタジアム開場初年度の2009年には187万人(同2万6015人)となり、1度は米大リーグへ移籍した主戦投手の黒田博樹(1975年生まれ)がMLB球団からの巨額の年俸を蹴ってカープに戻ってきた2015年には211万人(同2万9722人)、さらに2016年からのリーグ3連覇を経て観客は増え続け、2019年には222万人(同3万1319人)に達している。

 広島市の人口が117万5756人(2019年10月末時点)であることを考えると、ペナントレースが行われる4~9月の半年間に地域人口の2倍の観客が球場に足を運ぶという経済インパクトはかなりのものだ。

 JR西日本は、マツダスタジアムでカープ戦がある日は福山や新尾道、三原といった広島県内各駅、さらに新岩国や徳山など山口方面からの乗客増に対応して新幹線こだまを増発。リーガロイヤルホテル広島など地元のホテルは遠方から訪れる観客の宿泊需要で潤い、福屋をはじめ広島市内中心部の百貨店はカープグッズなどの販売に加え、カープがペナントレースを勝ち抜けば優勝セールの恩恵も受ける。中国電力エネルギア総合研究所は、25年ぶりにリーグ優勝を果たした2016年のカープ経済効果を約350億円と弾き出した。

地方都市がプロ野球で活性化する

 地方の拠点都市がプロ野球球団の経済効果で活性化する――。これは決して広島だけの現象ではない。仙台市の宮城球場(現・楽天生命パーク宮城)を中心とする楽天の主催試合の観客動員は、球団創設初年度である2005年は98万人(1試合平均1万4369人)だったのに対し、2019年は182万人(同2万5659人)と倍増した。

 この間、楽天は繰り返し球場の改修工事を実施し、収容観客人員は2005年当初の2万人から、2017年までに3万500人へ増加。このほか高さ36メートルの観覧車をはじめ、4階建てのタワー型スタンド「イーグルスタワー」などを新増設し、マツダスタジアムと同様にボールパーク化を進めた。

 さらに、球界だけでなく全国の地方自治体関係者の注目を集めているのが、日本ハムが北海道北広島市で進める「北海道ボールパークFビレッジ」プロジェクトである。

 2004年に東京ドームからフランチャイズを移した札幌ドームはサッカーJリーグの北海道コンサドーレ札幌との共同利用ということもあって使い勝手が悪く、このため日本ハムは2018年10月、総工費600億円を投じ、北広島市に開閉式屋根を備えた新球場を建設すると発表した。完成予定は2023年。同市の人口は5万8375人(2019年8月末時点)であり、そこへ30倍を超える200万人近い観客が訪れることになれば、街の様相は激変する。市は「スポーツ・コミュニティ・イン北広島」の旗印を掲げ、ファイターズ球団と連動し、スポーツを中心に据えた街づくり計画を進める考えだ。

 広島や楽天、日本ハム、それに福岡に本拠地を置くソフトバンクを含めた地方球団の数年来の集客力向上は、ビジネスとしてのプロ野球の可能性を広げつつある。

 球団創設から半世紀以上の歴史を持つ広島や福岡はともかく、仙台や札幌という新規市場で短期間に熱烈なファンを獲得し地域に定着したことは、有効なサクセス・ストーリーとして次なるマーケット開拓への足がかりとなるはずだ。新潟、静岡、京都、岡山のほか、北関東(茨城・栃木・群馬)や北陸(富山・石川・福井)、四国(愛媛・香川・徳島・高知)、南九州(鹿児島・沖縄)など新球団創設の可能性を秘めた候補地は数多くある。

 ソフトバンクや楽天、DeNAなど「球界再編」騒動以降に球界へ参入したIT(情報技術)企業がファンを増やし、プロ野球市場の成長に大きく貢献したことは紛れもない事実である。

 1988年10月、阪急電鉄がオリエント・リース(オリックスへの社名変更は1989年4月)への球団譲渡を発表した際、セ・リーグ球団のある首脳が「カタカナ社名の企業の参入は容認できない」と発言し物議を醸した。マスコミや鉄道会社などオールド・エコノミー企業が既得権益者として「排除の論理」を振りかざす悪しき球界体質は、いまだ一部に根強く残り、完全に払拭できたとは言い難い。こうした“見えざる壁”を取り除くことも、プロ野球ビジネスの裾野を広げる重要なカギとなる。

観客動員が662万人増、33%の成長率

 本書は米大リーグで成功を収めたエクスパンション戦略を日本のプロ野球にも適用し、現状12球団から16球団への拡張を目指すにあたっての論点を提示する。それに加えて明治維新直後、ベースボール発祥の地である米国から渡来した日本の野球の起源を含めた長い歴史を書き連ねた。戦前の球団発足からリーグ創設、さらに2リーグ制への移行といった発展の過程をたどり、それぞれの時代の課題や解決策を分析・検証していくことが、日本のプロ野球を論じる際に適切かつ有効な材料になると考えたからである。

 昨今、少年野球人口の減少などにスポットを当て、プロ野球の衰退を予言する向きもある。ただ、異なる未来を暗示する数字もある。近鉄が球界から撤退し、楽天が新規参入した2005年、セ・パ両リーグの観客動員は1992万人だったが、2019年にはそれが2654万人に増大。14年間の成長率は33%に達した。さらに言えば、その間の増加数は662万人。これは3〜4球団分の年間観客数に匹敵する。「球界再編」騒動以降、変革の波に洗われた日本のプロ野球界は市場を大きく拡大してきたのである。

 2020年春、本書の上梓寸前に世界を襲った新型コロナウイルスの猛威により、NPBも例外なく、公式戦開幕を見送った。世界各地でスポーツに限らず、芸術・文化を含めたあらゆる興行ビジネスが逆境に立たされたが、時間は要するものの、いずれ平時は回復する。毎年当たり前のように行われていたスポーツや芸術・文化のイベントが、一時的にせよ失われたことで、その存在価値を再確認した向きも多かったに違いない。

 本書に記した内容はあくまで筆者個人の視点で考察したものであり、所属する新聞社の見解ではないことをお断りしておく。執筆に際しては本文中で引用した以外にも多くの文献を参考にし、様々な方々にお話をうかがった。登場人物の肩書は原則として当時のものとし、敬称は略させていただいた。事実誤認などがあれば筆者の責任であることは言うまでもない。

【目次】

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