その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は小柳建彦さんの『 ニッポン半導体復活の条件 異能の経営者 坂本幸雄の遺訓 』です。
【はじめに】
日本の半導体業界が久しぶりに熱を帯びている。
2024年12月、世界最強・最大の半導体製造受託(ファウンドリー)会社、台湾積体電路製造(TSMC)が熊本県菊陽町で建設を進めてきた第1工場が本格稼働を始めた。2025年には第2工場の建設を着工し、2027年の量産稼働を計画する。
ファウンドリーは顧客の半導体メーカーが設計した半導体製品の製造を請け負う業態で、TSMCは技術面と規模の両面で世界最強を誇る。最先端の微細加工技術を使ったロジック半導体の製造を得意とし、AI(人工知能)半導体のエヌビディアやパソコン向けプロセッサーのインテルやアドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)、スマートフォン(スマホ)向けプロセッサーではクアルコムやアップルなど、世界の大手半導体メーカー各社を顧客にそろえる。
同じ12月、北海道千歳市では、技術レベルはTSMCの最新工場に比肩し得る先端半導体向けファウンドリーを目指す国内企業Rapidus(ラピダス)の第1号工場に、最新の製造装置の搬入が始まった。2025年4月の試作ライン稼働に向けて急ピッチで準備が進む。
さらに、広島県東広島市のマイクロン・テクノロジーの工場(マイクロンメモリジャパン)でも次世代の微細加工技術で製造するメモリー半導体「DRAM」の量産設備向け投資が2025年に始まろうとしている。こちらは2026年の量産開始を計画する。
つまり2027年までに国内で新たに3つのロジック半導体とDRAMの量産工場が稼働する。そのうち2つはその分野の世界最大手が運営し、2つは最先端の微細加工技術で製造する工場になる。全てが計画通りに行けば日本企業が先端半導体の製造から手を引いた2010年から数えて17年を経て、本当に久しぶりに日本という地が半導体製造の先端競争の表舞台に復帰することになる。
これだけ半導体の設備投資プロジェクトが同時並行で進めばいきおい、製造装置や材料、クリーンルーム関連などの半導体サプライチェーンに絡む内外企業も熱くなる。
2024年12月11~13日に東京の国際展示場ビッグサイトで開かれた半導体の国際業界団体SEMIが主催する展示会「SEMICON JAPAN 2024(セミコンジャパン2024)」には、前年を大きく上回る1100社を超える企業が出展し、前年の8万5000人を大きく上回る延べ10万3000人の来場者でごったがえし、熱気に満ちた。
開会式には石破茂首相がビデオメッセージを寄せた。石破首相はその中で2030年までにAI・半導体分野へ10兆円以上の公的支援を実施する方針を改めて強調した。その大きな部分が2027年の量産開始までに5兆円の投資が必要とされるラピダスを念頭に置いていると目される。
過去20年余り、国内の総合電機メーカーが次々に半導体事業から撤退し、一時は5割を超えた日本企業の半導体世界シェアは1割を切るようになった。「半導体敗戦」とさえいわれてきた状態から再浮上できるのでは、という期待が政官民で膨らんでいるのだ。
だが、「ニッポン半導体」復活への期待の高まりに、違和感を訴える業界関係者も少なくない。経済記者である筆者の目から見ても期待先行、政府による補助金先行の色彩が目に付くのが正直否めない。
特に、ラピダスの事業には懐疑的な声も聞こえてくる。それどころか極めて悲観的な見通しを述べる業界関係者や専門家も一人や二人ではない。
「IBMの半導体技術をライセンス利用して成功した企業はまだない」
「世界の微細加工技術をリードするTSMCもサムスン電子もまだ量産できていない先端技術を、いきなり新規参入のラピダスができるとは思えない」
「そもそも客がいなければファウンドリー事業は成り立たない。実績がない新参の企業にどんな主要企業が発注するのか」
「事業化の見通しが立っていないのに、政府以外に誰が投資するのか」
などなど、技術そのものから資金面まで、ありとあらゆる側面について悲観的な意見に事欠かない。
ラピダスとTSMCへの国の支援策から筆者の目に映るより根源的な問題は、「先端半導体メーカー」より先に「先端半導体工場」を再興しようという、考え方そのものだ。かつて日本の総合電機メーカーが捕らわれて痛い目にあった「工場主権」「ものづくり信仰」の罠に、またぞろはまってはいまいか。
業界関係者とそんな議論をしていると、「あの人なら今、何と言うだろう」と必ず頭に顔が浮かぶ故人がいる。旧エルピーダメモリを社長として率い、万年赤字会社を黒字化して世界3位のDRAMメーカーに育てた坂本幸雄氏(以下敬称略)だ。日本の半導体産業復興を狙う国策投資計画が膨らみつつあった2024年2月中旬、埼玉県の自宅で心筋梗塞のため急死した。享年76歳だった。
筆者と坂本は1990年代からの知己だ。特に2020年代に入ってからは筆者にとって大切な知恵袋的存在の取材先でもあった。半導体ビジネスや技術トレンドに関する筆者の素朴な疑問に、いつも明快な見解を与えてくれた坂本に、日を追うごとに明らかになるラピダスの事業戦略について突っ込んだ意見を聞きたかった。というのも、2021年のTSMCの日本進出決定や2022年秋のラピダス設立発表のタイミングなど折に触れ、坂本は違和感を口にしていたからだ。
「まず先に工場を作ろうというのは順番が違いませんか。どんな需要に向かって何を作るのかという戦略があって、それから製造のことを考えるのが筋でしょう。自分の半導体を作って、それが売れて事業として成立することこそが半導体産業復興なのではないですか」
他社の半導体の製造を請け負うファウンドリーという業態を半導体産業復興の核に据えようという戦略、政策に対する素朴な疑問だった。
米中対立の先鋭化、中国への技術流出を最小化するサプライチェーン構築の必要性など、地政学的ビジネス環境の変化を踏まえれば、製造力を重視する考え方も成り立つ。しかし坂本は自分の製品を作るのではなく、請負で他社製品を作る工場の建設に多額の税金を使うことに、強い違和感を持っていた。高値でも売れる「製品力」の確立に失敗して半導体事業に挫折する日本の総合電機メーカーの失敗を長年目の当たりにしてきた坂本にとって、「いつか来た道」に見えたのかもしれない。
そもそも生前の坂本には、日本の半導体産業復興のためには何をどうすべきか、政府や産業界に言いたいことがたくさんあった。半導体だけではない。テクノロジー産業におけるグローバル経営の在り方にも、常に一家言を持っていた。自分の意見を一顧だにせず、昭和的な「ものづくり」基盤の再興を進める日本の業界人へのもどかしさもあり、異論を唱えたかったのだろう。
自分の知見が評価されていないという鬱屈した思いは長年蓄積されていたようだ。官僚も政治家も近年、坂本に直接意見を聞きに来ることはなかったのだ。
「俺が経験してきたことを、なんで彼らは聞きに来ないんかなと。どうも霞が関や永田町の人たちは俺のことが怖いみたいですよ。あまりにズケズケものを言うんで」
まだラピダスのプロジェクトが立ち上がる前のことだったが、取材の合間に坂本がそうつぶやいたことがある。冗談にまぶして笑ってはいたが、言葉の裏には、自分が蚊帳の外に置かれたまま、血税を財源とする巨額の補助金が国民にとっての勝算がはっきりしない半導体工場プロジェクトに投じられていくことへの悔しさがにじんでいた。
坂本は2002年に日本で唯一残されたDRAM専業メーカーとなることが決まっていたエルピーダの社長を引き受け、5%未満に落ち込んでいた同社のDRAMの世界シェアをピーク時で19%まで押し上げ、世界3位のDRAMメーカーに育てた実績を持つ経営者だ。しかしその後、市況悪化と一時1ドル=80円を割る超円高が重なった2012年2月、社長としてエルピーダの会社更生法の申請を決断した。事業と雇用の存続のために現金を債権者以外の金融機関に移したうえでの電撃申請だったため、金融界からは「計画倒産」となじられ、経営失敗のそしりを受けた。
会社更生法の適用申請後にはマイクロンによるエルピーダ吸収合併をエルピーダの管財人として完結させ、一銭の退職金ももらわずに同社を去る。完全子会社化された旧エルピーダはその後、マイクロンメモリジャパンに名前を変え、エルピーダの名前は消えた。この一連の流れは日本の半導体敗戦における象徴的な出来事として記憶されている。
坂本がエルピーダを潔く去ったのは、おそらくその後、新たな事業を成功させて汚名を返上したかったからだろう。しかしそもそも日本に先端半導体の製造事業がなくなってしまい、坂本が力を発揮する場がなかった。
そんな坂本に着目して声を掛けてきたのが勃興しつつあった中国の半導体産業だった。
素材や製造装置など幅広い裾野産業があって初めて可能になる半導体製造は、1990年代から駆け足で工業を育ててきた中国にとって育成が最も遅れた産業といってよい。フリーになった坂本に半導体事業育成の指南を請う案件が中国から舞い込み、坂本はことあるごとに参画する。
習近平が政権を握った2013年以降、経済安全保障の観点から中国への技術流出を止めようとする圧力が日米の間で年々高まる。いつしか坂本は経済安全保障の観点で最大の脅威である中国を助ける「裏切り者」というレッテルさえ貼られるようになる。
だから日本の半導体産業の復興に本気で挑むならフルに生かすべき実務的知見の持ち主である坂本に、官僚も政治家も表だって相談しなかった。それどころか、坂本を通じて日本の半導体製造技術や技術を使える人材が中国に流出するのではないかと、官僚や政治家は坂本の動向を遠巻きながら実質的に“監視”していたようだ。
そんな状況を肌で感じて悔しくもあり、寂しくもあったが、口では「怖がられている」と強がりを言ってみたように筆者には聞こえた。
官僚や政治家が聞かないなら、代わりにメディアが話を聞いて世に問えばよいのではないか。冷静に考えれば、アップルやインテルなど世界有数のテクノロジー企業のトップ級と1対1で渡り合い、半導体の製造プロセスの作り方、それを動かす組織の作り方について知見を蓄積してきた坂本に、日本半導体復興へのヒントを聞かない手はないだろう。
そう考えた筆者は米中対立が深刻度を増すなか、世界的な半導体不足が大問題になっていた2020年秋ごろから折に触れ坂本に業界動向や彼自身の中国企業でのプロジェクトの進捗について話を聞いて記事にした。さらに、それまでDRAM事業立ち上げのトップとして関わっていた中国の国策半導体企業、清華紫光集団(紫光集団)が2021年夏に経営破綻したのを機に坂本が一瞬フリーの身になっていた2022年春、まとまった連続インタビューを実行し、技術系ウェブメディアの日経クロステックに連載した。
坂本はその後、中国・深圳市の投資ファンドが出資し、2022年3月に立ち上げたDRAMスタートアップである深圳市昇維旭技術(スウェイシュア・テクノロジー)の最高戦略責任者へと招かれ6月に就任。微細回路を立体化した最先端のDRAM製造プロセスの開発体制の構築に向け、張り切っていた。急逝はその矢先のことだった。
2022年春の連載に収容できなかった内容を含め、坂本は1980年代から積み上げてきた日米半導体業界での経験を踏まえた分析や教訓を一連のインタビューで山ほど言い残してくれた。
ここまで述べてきたように坂本は、日本では珍しい半導体事業のプロ経営者である。体育大学から“倉庫番”として入社したテキサス・インスツルメンツ(TI)で頭角を現し、90年代以降は幾つもの国内半導体事業会社を立て直した。その実績を買われて赤字会社だったエルピーダの社長に就任。目覚ましい手腕を発揮してエルピーダを立て直し、世界シェア5%未満から世界3位まで引き上げた。
だが前述の通りエルピーダ倒産後、国内の官僚や業界は坂本を遠ざけ、失望した坂本は中国に活路を求め、無念を抱いて急逝した。坂本の志に報いるためにも、国を挙げた半導体産業復興に走り始めた日本は今こそ、坂本が身をもって遺した知見を生かすときではないか。
他の証言者の意見を踏まえた検証や事実関係の確認と分析を交えて坂本の「遺訓」をまとめれば、これから日本の半導体や他のテクノロジー産業が進んでいく際の指針のようなものが浮かび上がるのではないか。本書をまとめることにしたのはそんな思いからだ。
本書のテーマは大きく分けて3つある。
■日本から先端半導体メーカーはなぜなくなったのか
■ファウンドリーを核にした半導体産業復活という戦略に勝ち目はあるか
■どんな戦略にせよ、日本の半導体産業が輝きを取り戻すためのカギは何か
通底するのは、「日本のテクノロジー企業経営の在り方、産業政策の在り方が抱える、克服すべき本質的弱点は何か」である。坂本の遺訓を補助線にしつつ、それをあぶり出していけば、必然的に今後のニッポン半導体の復活の道筋が見えてくるのではないか……。
そう筆者が考えるのは、坂本自身がニッポン半導体の復活を諦めてはいなかったからだ。晩年客員教授を務めていた東京理科大学大学院の技術経営(MOT)専攻コースの学生に送った色紙に坂本はこう書いている。
「日本はまだKOは食らってません。これからです。皆様の画期的な発想でもう一度再出発です」
テクノロジー産業の現場を支える日本人技術者の力量を高く評価していた坂本が、日本はまだ復活できると信じて若者に送ったエールだった。
では何をどうしたらよいのか。異能の経営者、坂本幸雄の軌跡を追いつつ、彼が生前投げかけた問題提起をヒントに、掘り起こしていこう。
【目次】






