その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は杉本貴司さんの『 ユニクロ 』。「プロローグ」をお届けします。
【プロローグ】
人が消えた商店街
「見ての通りのシャッター街です。昔はごった返していたから、人を避けながら通りを歩いたものなんですけどねぇ」
山口県宇部市。瀬戸内海の周防灘に面した街の中心地にある宇部中央銀天街という古びた商店街を私が初めて訪れたのは、12月末のことだった。商店街にとっては書き入れ時であるはずの師走も押し迫ったこの時期、通りを歩く人影は皆無だった。
この日は雪がちらつく底冷えのする寒さだった。人のいない商店街。頭上を覆う錆び付いたアーケードのせいだろうか、乾いたカラスの鳴き声がやけに耳に響いた。
シャッター街というよりもはや商店街の残骸といったほうがよさそうな、ほとんど人の気配がしない通りの中で、ドアを開けている数少ない店のひとつが山内静香園という日本茶の店だった。
「銀天街のことを知りたいんです」と言って突然現れた私に嫌な顔ひとつせずに温かいほうじ茶を出してくれたのが、この店で生まれ育ったという山内美代子さんだった。山内さんが淹(い)れてくれた湯気が立ちのぼる一杯の茶が冷えた体にしみたのは、シャッター街で思いがけず出会った人の温かさのせいだろうか。
山内さんは趣味で銀天街の歴史を記録しているという。その冊子を見せてくれた。手描きで記した地図には、かつて銀天街に存在した店が時代ごとに描かれていた。よほど几帳面な人なのだろう。店の寸法はメジャーを手に持って実際に商店街を歩いて測ったのだという。ページをめくっていくと、かつての商店街のにぎわいとその後の衰退が手に取るように理解できた。
「私が高校生だった1970年代には130ほどのお店がありました。ここに来れば生活に必要なものはなんでも手に入ったんです。宇部で『街に行く』と言えば、この銀天街に来ることでした」
かつては行き交う人の波でごった返したという商店街は、時がたつほどに衰退の一途をたどっていった。長く続く不況の波が日本列島を覆い始めた1990年代の後半からは次々と店が消えていき、2010年を過ぎるとかつての繁華街を更地とシャッターが埋め尽くしていったのだという。
日本のどの地方の街にも存在するようなさびれた風景と言ってしまえば、それまでなのかもしれない。シャッターだけではない。かつてはスナックやそこで働く人たちの集合住宅、それになにかの店だったのであろう建物が、朽ち果てたまま放置されている。
この日がたまたま人の気配がない日だったというわけではないようだ。「もう、ずっと前からですよ。平日も週末も特に変わらないですね」。山内さんはこう話した。
今では世界的なアパレル企業として君臨するユニクロ──。その原点が、この時代の流れから取り残されたようなさびれた商店街にあった証しは、そこにはなにひとつとして残されていなかった。
山内静香園の隣にも更地になった駐車場があるだけだ。そこにはかつてメンズショップ小郡(おごおり)商事という紳士服店が存在した。もはや地元の人でもこの店の名前を記憶しているのはある程度の年齢以上の人たちだけだろう。地方のどこにでもあるようなこの一軒の紳士服店からユニクロが生まれたのだ。
人の気配がしないアーケード街──。
かつて小郡商事があった駐車場の前には古びた鮮魚店の汚れたシャッターが降りていた。
あるのは、それだけだ。
ユニクロは世界中に店舗を展開する、日本が生んだ一大アパレルチェーンだ。今では欧州のZARAやH&Mと肩を並べ、世界一の座をうかがう勢いを見せる。バブル崩壊から「失われた30年」と言われる衰退の時代のなかで、日本から飛び出した数少ない世界的な企業である。
その出発点は、時代の波に取り残された地方のシャッター街にあった。
ユニクロはどうやってここから生まれたのか。地方のさびれた商店街の紳士服店は、なぜ世界的なアパレル企業になりえたのか。本書では、その謎をひもといていくことを目的とする。
では、その歩みから何が見えてくるのだろうか。現代を生きる我々に何を教えてくれるのか。
私が見つけたのは「希望」である。この国に存在する名もなき企業や、そこで働く人たちにとって希望になるであろう物語である。
日本の会社の99%以上が名もなき中小企業だ。ユニクロもまた、この国に数え切れないほど存在する中小企業のひとつだった。それも東京や大阪のような大都会で生まれたわけではない。現在のスタートアップのように「世の中を変えてやろう」という志を胸に若い才能がしゃれたオフィスに集まったというわけでもない。
店の2階に住居があるような典型的な家族経営の地方の一商店が、やがて世界的な企業へと飛躍していったのだ。しかも、それは高度経済成長期という現代の日本にとってはもはや神話のように思える恵まれた時代の話ではなく、この国から成長が失われた頃に起きたことである。
名もなき地方の小さな紳士服店がかくも稀有な成功を収めた理由の多くは、柳井正という経営者の手腕に帰するのだろう。その実績から見れば天才的な人物だろうと思えてしまうが、果たしてそうなのか。
酒も飲まず毎日早朝から仕事に取りかかる柳井は自らを厳格に律する一方で、部下にも敬語を使って厳しく接する。「泳げない者は沈めばいい」という身も蓋もないような言葉を好んで使う時期もあった。
歯に衣着せぬ語り口には直接的というよりぶっきらぼうという印象を受ける人も多いだろう。必要だと思うこと以外はあまりしゃべらない。普段から気の利いたジョークを飛ばすことも少ない。
そのため冷徹な経営者だという印象を持つ人もいるだろう。とかく誤解されやすい人だというのが、柳井との付き合いが長い者たちに共通する印象のようだ。一代でユニクロ王国を築いたというまばゆい実績もまた、どこか近寄りがたいイメージを周囲の人に植え付けるのかもしれない。
だが、今では日本を代表する経営者と称されるこの人も、もとをたどれば日本の津々浦々のどこにでもいるひとりの若者に過ぎなかった。それも、後の成功を予感させるような才気あふれるエピソードに満ちた若者と呼ぶにはほど遠い人物だった。
高校の教室では影が薄く、級友のほとんどが柳井正という同級生のことなど記憶にないと振り返るような、内気で無口な少年だった。早稲田大学に進んでからもマージャンやパチンコに明け暮れ、せっかく宇部から遠く離れた東京に出て来たというのに人付き合いも同じように上京した高校時代の友人ばかり。挙げ句の果てには働くことを放棄して数少ない友人のアパートに居候として転がりこむような無気力な青年だった。
嫌々ながら継いだ家業の紳士服店では、すぐに古参の従業員たちの反感を買ってしまう。店員たちは散り散りになり、たったひとり残ってくれたのは、付き合いが長い住み込みで働く兄貴分だった。
そこからも鳴かず飛ばずの時代が続く。運命的とも思える出会いをへて結ばれ、宇部で一緒に暮らすことになった妻からは「私の青春を返してよ」と迫られる始末だ。
ここまでの柳井正の足跡は、典型的な「中小企業のお気楽跡取り息子」と言っていいだろう。だが、ここから先が違った。
若き柳井正は、もがき続けた。
仲間が去った商店街の紳士服店でひとり思索し、答えのない未来を探し続けたのだ。
(どうすればここから抜け出せるのか……)
自問自答を繰り返し、どこに存在するのかも分からない成功への道筋を見つけようともがき続けることを、やめようとしなかった。ヒントを求め続けた20代はしかし、手掛かりさえ見つからないままにただただいつもと変わらない毎日が通り過ぎていった。
この頃の柳井にとって、忘れられない記憶がある。店頭に立っていたある日のことだった。高校時代の教師が商店街を通りがかった。
「あれ、柳井君? キミ、ここの店番をしてるのか」
そう声をかけられて、「はあ、そうです」としか返す言葉が出てこなかった。
「君は東京の大学まで出て、なんでこんなことをやっているんだ」
その教師はそうは言わなかったものの、短い会話から露骨に伝わってきたのがさげすみにも似た視線だった。当時の柳井は「やっぱり世間の人からはそう思われるんだ」と受け止めるしかなかった。たまたま商店街を通りかかった顔見知りの教師との何げない会話だが、強烈なコンプレックスのような感情が自分自身を支配していくのを感じざるを得なかった。今でも昨日のことのように思い出すという。
地方のどこにでもいる、なんとなく店を継ぐことになった力なき若旦那──。それが柳井正という後のカリスマ経営者の偽らざる原点だった。そこにいたのはカリスマでもなければ、周囲が認める輝く才能でもない。
だが、この男は成功に飢え、その手掛かりを探し続けた。暗く長いトンネルの中で掘り当てた金の鉱脈。ユニクロの「発見」は柳井が求め続けた成功への第一歩だった。
その後も、この男は違った。もがき続けた。
ユニクロという金の鉱脈を探り当てたことに満足することなく、誰よりも貪欲にその先を求めて走り続けたのだった。現状の延長戦上にあるものを自ら否定し、それを越えるものを求めて──。そこに待っていたのは成功を約束された者が登る平凡な坂道ではなく、新たな苦悩の連続の物語だった。
私なりの解釈では、柳井正とユニクロの物語とは、足し算と引き算の積み重ねだ。
坂道を登っては、時折、転げ落ちる。そしてまた坂道を上へ上へと登っていく。
足を止めることなく愚直なまでに繰り返してきたその歩みの積み重ねの上にあるのが、現在我々が知るユニクロという巨大企業なのだ。
その物語にマジックはない。
あくまで、かけ算ではなく足し算。時に足し算が大きすぎるため、そこになんらかのマジックが存在したかのように見えてしまうのだが……。
数々の失敗や矛盾を結果的に成功といえるものに塗り替えてきた歩みと言い換えれば良いのかもしれない。それはデジタル全盛の現代に見られるような奇想天外なアイデアやひらめきであっという間に栄光をつかんだ、というような類いの話ではない。
それどころか生来口数が少なく誤解を招きやすい内気な男の物語である。働く意味さえ見いだせなかったというどこにでもいるはずの男の、どこまでも地道な歩み。それこそが「ユニクロ物語」の本質なのだろう。
だからこそ、思うのだ。
この物語は誰の手の中にも存在しうるものなのではないか、と。言葉を換えれば、誰もがつかめるはずの栄光が、そのチャンスやヒントが、この物語の中に存在するのだと。ユニクロの歩みを取材していると、常々そんな風に思えてくるのだ。
私がユニクロの物語を「希望」と表現するのはこんな理由からであり、この本を書こうと思い立ったのは、それを伝えたいと考えたからだ。もちろん栄光だけではない。時には社会から糾弾されるような矛盾と直面してきたこともまた、事実だ。
「ブラック企業」、あるいは「弱者切り捨て」。
そんな批判の数々にもさらされてきた。本書でもそのことには言及する。真正面から向き合わなければならないことだからだ。それに、繰り返しになるがそもそもユニクロの歩みは失敗の連続である。
そんな「引き算」から、柳井正とユニクロはどう這い上がってきたのか。数々の引き算をどう足し算に置き換えながら乗り越え、どうやって坂の上を目指して歩んできたのか。
ここから先はその物語をできる限り丹念に追うことにしたい。この本を手に取っていただいた皆さんには伝えたいことが多い。すごく、多い。だから長い物語になるだろう。
ユニクロという長い物語に、これからしばらくお付き合いいただきたい。
*本書では文中、敬称略とさせていただきます。
【目次】



