その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は、このたびブッカー国際賞のショートリストにノミネートされたことでも話題の小説家、楊双子(著)の『 オールド台中食べ歩き 歴史小説家が案内する老舗屋台の味 』(木内貴子 訳)です。

【はじめに】
台中の食いしん坊からの招待状
本書を片手に、台中の街を食べ歩きしてみませんか

 小学生が栄養満点の給食を食べるときの挨拶、「先生いただきます! 皆さんいただきます! ではどうぞ!」のように、本書は古都台中(オールド台中)の街をのんびりと気ままに食べ歩くエッセイです。皆さんには、食べる前に、ぜひ心の中ででもいいので、給食の時のように「いただきます(開動[カイドン])!」と言っていただきたいです。なぜなら、この言葉には、もうひとつ大切な意味があるからです。

 現在のいわゆる台中旧市街は、鉄道が「開通(開動)」した時を起点に、徐々に街として形成されていきました。1908年4月20日、台湾北部の基隆(ジロン)から南部の高雄(ガオション)までを通る「縦貫鉄道」が全線開通し、同年10月24日には台中で「縦貫鉄道開通式」が行われました。

 もともと鉄道を中心に栄えた街でしたが、それ以降はさらに台中駅を中心に発展し、20世紀の明治、大正、昭和の間に3度の地区改正を経て、現在知られている台中旧市街の街並が形成されました。

 「飲食を読み、歴史を食べる」というのが、この本を書くにあたり掲げた目標でした。読みながら歩き、歩きながら食べる。本書には、20種類の屋台グルメの由来を整理して記しました。時には、回り道をした末にわずかな手がかりしか得られないこともありましたが、ほとんどの場合はこんなふうに飲み食いしながら、調査もしつつ、新しい発見を得ました。

 「なるほど、この『とろみスープの煮込み麵』は、このようにして発明されたのか」「『甘くて冷たいシロップに浸かったタロイモ』は、もともとはそんなところから来たものなのか」「『バブルティー』と『昔ながらの紅茶』を見分けるカギはここにあったのか」「『バカ麵』は、屋台の知恵が詰まった究極の逸品だった」……。

 実際に、筆者である私は、本書を書くための食べ歩き取材を通して、楽しい驚きをたくさん経験することができました。そうやって、この100年の歴史を持つ古都の輪郭を、新たに引き直すことができたのです。


 本書のための食べ歩き取材の大枠は、早々に決めていました。例えば、取材対象とする地域は、台中駅を中心に東端は「早渓(ザオシ)」、西端は「麻園頭渓(マユエントウシ)」という川、南北の端までは台中駅を挟んでだいたい同じくらいの距離を取りました。

 食べ物は、台中らしさを含みつつ、あまり知られていないものを選ぶことによって「台中らしさ」を炙(あぶ)り出そうとしました。お店はチェーン店でなく、代々受け継がれている老舗を中心にしました。なぜなら、老舗の味には古い台中の歴史的な痕跡が比較的残っているからです。

 こうして、最初に設定した大枠に沿って取材を進め、途中で少しそれた部分もありましたが、おおかた予定通りに進めることができました。本書に掲載した20種の屋台グルメのうち、その所在が台中駅以南のものはひとつだけだったことから、やはりかつての台中は駅を中心に、私が最初に設定したエリア内で主に発展した街であることを再認識しました。

 台中は、南部から北部に人々が流れていく通過点にあたり、人口の流動が様々な文化をもたらしたことで、食における「台中らしさ」はぼやけていきました。そんな中でも、本書に掲載した老舗17軒と、加盟店ながら非フランチャイズモデルの3軒は、比較的「台中らしい味」を維持しています。

 20章という限定的な現地調査でしたが、台中に中南部各地から人々が移り住んだことで、南北の食文化が融合していることが分かりました。オールド台中を形成している要素は、次のいくつかにまとめることができます。

 1. 地理的な特性。主に南投(ナントウ)県から台南市までの地域から人々が移り住んできており、台湾中部の重要な都市として人々を惹きつける大きな磁力を持っている。

 2. 住人構成。台中の住人は、清国時代に中国大陸から移住してきた泉漳福佬人(せんしょうホーローじん)注1、日本統治時代に本島人(ほんとうじん)〔日本統治以前から台湾に住む漢族系住民〕と呼ばれた人々と、日本本土から移住してきた内地人(ないちじん)〔日本人〕、戦後〔第二次世界大戦後〕に中国から来た外省人(がいしょうじん)〔中国人〕、中南部に引き寄せられてきた本省人(ほんしょうじん)〔戦前から台湾に住んでいた人々〕、台湾に駐留していたアメリカ軍人などから構成されている。

 3. 階層。労働階級が人口の大きな割合を占めている。

 これらにより、台中では住人と文化において「融合」が何度も繰り返されました。人々はそれに迅速に対応せざるを得ず、新しいものと古いものとの融合を拒むことはありませんでした。その文化融合の足跡は、街のあちこちにある屋台グルメに色濃く残されています。

 人々が言う台中「旧市街」は、実は台湾の歴史においてはかなり若い都市です。日本統治時代、市外からの人々を多く受け入れる目的で人為的に設計され、多様な文化や人材を受容し、新しさと変化を求め続けてきました。いわゆる「一府二鹿三艋舺注2」といった歴史ある街の重厚な佇(たたず)まいはほとんどありません。

 多くの人々が来ては去り、去っては来ることが繰り返されたことで、台中人の味覚の幅はだんだんと広がっていき、台中の味は、100年を越える各時代の味の蓄積によって、作り上げられていったのです。

 台中人の舌は、時代の流れの中で累積した様々な味とともに歩んできました。それは、長い年月をかけて「東協(ドンシエ)広場注3」にベトナム、タイ、インドネシアなどの東南アジアの飲食文化が伝わり、花開き、根を下ろし、半世紀後にはその味が台中の屋台グルメとして当然のように売られていることでもよく分かります。


 本書は、台湾のWEBメディア「太報」にて、2020年5月から2021年1月まで、月2回配信してきた1600文字前後の飲食に関するコラム16本が元になっています。書籍化にあたり、すべての章に加筆したほか、4つの屋台グルメについて新たに書き加えました。

 どうすれば、各章で確実に台中を代表するものを紹介できるだろうか?

 思いついたのは「屋台グルメ」です。紹介する食べ物を決めたら、あとはお店を厳選するだけでした。より台中らしいものをと、執筆の途中で何度も、紹介するお店や食べ物を変更しましたが、それでも最終的に多くの価値あるものを紹介しきれませんでした。

 例えば、「麻薏湯(モァーイータン)注4」について書きたいと思っても、このような家庭料理は市場や屋台では売っていないため、紹介するべき店がありません。しかし、よくよく探してみると「麻薏ミルクティー」という革新的で創意に富んだメニューを持つ〈默契珈琲(モチカフェイ)〉というお店がありましたが、最初に設定したエリア外でした。

 また、デザートが紙幅をとりすぎないように、以下のものは涙を吞んで割愛しました。興中街(シンジョンジエ)〈豆乳紅茶(ドウルホンチャ)〉〔ドリンクなど〕、原子(ユエンズ)街〈阿明(アミン)紅茶〉〔ドリンクなど〕、〈雙江茶行(ショアンジャンチャハン)〉〔ドリンクなど〕、〈龍川氷果室(ロンチュアンビングオシ)〉〔かき氷など〕、〈一福堂(イフタン)〉〔レモンケーキなど〕、〈中華麻糬(ジョンホアマシュ)〉〔きなこ餅など〕、〈瑪露連(マルリエン)〉〔仙草ゼリーなど〕、合作金庫銀行前〈那瑪卡西(ナマカシ)〉〔カステラ巻きなど〕などです。

 石鍋や一人鍋は、屋台グルメに分類していいものか迷いましたし、屋台料理でもここで同列に扱うべきか分からない料理もありました。調べ終えていたものの、掲載を見送ったのは、〈高林(ガオリン)鉄板焼〉〔鉄板焼きなど〕、〈烤肉沙拉店(カオロウシャラディエン)〉〔バーベキューなど〕、〈金大元(ジンダユエン)〉の草袋飯(ツァオダイファン)〔排骨弁当など〕、〈小漁兒(シャオユアル)〉の焼酒鶏〔鶏の薬膳鍋〕、〈陳沙茶火鍋(チェンシャチャフオグオ)〉〔火鍋〕、〈黄記鵝肉(ホアンジエロウ)〉〔ガチョウ料理など〕、〈老美牛排(ラオメイニュウパイ)〉〔ステーキなど〕などです。

 最も心残りなのは、切り口に迷って断念した屋台グルメの数々です。例えば、〈楊清華潤餅(ヤンチンホアルンビン)〉〔台湾式春巻き〕、〈今日密麻花之家(ジンリミマホアジチャ〉〔揚げ菓子など〕、自由路〈上海点心〉〔肉まんなど〕、自由路〈花蓮瑞穂(ホアリエンルイスイ)臭豆腐〉〔揚げ豆腐など〕、篤行路〈林家烤肉〉〔串焼きなど〕、中華路夜市の十字路〈中華臭豆腐蚵仔煎(オアジエン)〉〔カキ入りオムレツなど〕、健仁(チエンレン)路〈肉蛋吐司(ロウダントゥス)〉〔豚肉と卵をサンドしたトーストなど〕、一中(イジョン)街〈八両碳烤鶏排(バリャンタンカオジパイ)〉〔台湾風唐揚げ〕……。第2巻もすぐに書けるほど、紹介したいお店はたくさんあります。

 第2巻はさておき、本書はほんの小さな始まりにすぎません。正直に言いますが、私は決して台中の歴史に最も詳しい研究者ではありません。また、料理を評論する美食家でもありません。ただ、この両者が交わる場所にいることは確かで、台中の歴史を熱心に研究し、食を愛する者であり、屋台グルメの探求に勤しむ台中人です。一言で言えば、私は台中の食いしん坊です。

 本書は、市外の方々にちょっとディープな台中の街歩きコースをご紹介するだけでなく、市内の方々にも改めて歴史を感じながら食べ歩きを味わってほしいという気持ちを込めました。

 だから、ぜひ本書を片手に台中の街を食べ歩いて下さい。

 我々台中人にぜひ、「初めての人も、慣れ親しんでいる人も、皆さんどうぞめしあがれ」と言わせて下さい。オールド台中食べ歩き、さあ始めましょう!

注1 中国福建省南部から来た人々で主に泉漳(せんしょう)語という言語を話す。泉漳語は、現在の台湾で台湾語または台湾閩南(びんなん)語などと呼ばれている

注2 19世紀半ば以前、清国時代の台湾で最も栄えた3つの港町を順に表した俗諺。「府」は、かつて府城と呼ばれた台南府(台南市)。清朝の雍正(ようせい)年間に建設された台湾府城が発展のはじまりで、台湾で最も早く開発された都市。「鹿」は、台湾中部の彰化(ジャンホア)県にある港町・鹿港(ルガン)。清朝時代は台南に次ぐ第二の都市で、表通りには100年続く老舗が並び、古い建物が今でも多く残る。「艋舺(バンカ)」は、台北市内にある龍山寺を中心とした萬華エリア。「艋舺」は台湾語(閩南語)で「バンカ」と発音したことから、日本統治時代に「萬華」という漢字をあてられて今に至る。

注3 台中市内の大きな市場は6つあり、「東協市場」はそのうちのひとつ。1908年、日本統治時代に台中市公有第一市場として建設されたが、火災発生後に娯楽施設として生まれ変わり、時代の変遷を経て「東協市場」と名前が変わった。今では、東南アジアの各種食品が売られており、異国情緒たっぷりの雰囲気を持つ。

注4 「麻薏湯」は、麻袋や縄の原料にする植物・黄麻(こうま)の若葉を煮て作ったスープ。かつては、黄麻を作る農家や貧しい家の人の食べ物だったこともあり、市場や食堂などで売るものではない。


【目次】

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