その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は 『関西スーパー争奪 ドキュメント 混迷の200日』 です。
【はじめに】
2021年、日本の産業史に残る劇場型の争奪戦が繰り広げられた。舞台となったのは、関西を地盤とする中堅食品スーパー、関西スーパーマーケットだ。かつて「スーパーの教科書」と呼ばれた名門企業とはいえ、全国的な知名度は高くない。それでもこの争奪戦は日本の産業界から多くの注目を集めた。結果が二転三転するジェットコースターのような展開はもちろんだが、日本企業の株主総会の運営や政策保有株のあり方などに多くの教訓を残したからだ。
関西スーパーを巡っては、阪急阪神百貨店を運営するエイチ・ツー・オー リテイリング(H2O)と、首都圏地盤の食品スーパーであるオーケーが買収を争った。関西スーパーの株主である食品メーカーや卸の思惑も絡み合い、争奪戦の行方は混迷を極めた。関西スーパーは臨時株主総会と、その後の法廷闘争を経て、H2Oの傘下に入った。
関西スーパー・H2Oとオーケーの対立は、2016年にさかのぼる。関西進出を狙うオーケーによる関西スーパー株式取得が、オーケーの提出した大量保有報告書で明らかになる。これに反発した関西スーパーは地元のH2Oに駆け込み、関西スーパーを救済する形でH2Oが筆頭株主となった。
関西スーパー争奪戦再燃の引き金の一つとなったのは、新型コロナウイルス禍だ。巣ごもり需要で潤った食品スーパー業界だが、人口減少による市場規模の縮小が避けられず、ネット通販やキャッシュレス決済などIT(情報技術)投資の負担ものしかかり、将来の見通しは厳しい。こうして、アフターコロナの成長戦略として再編構想が動き出した。
21年6月9日にオーケーが水面下で買収を提案し、因縁の対決が再燃した。関西スーパーはまたしてもこれに反発し、再びH2Oに相談した。オーケーは低価格を売り物にしたディスカウント業態のスーパーだ。ディスカウントへの業態変更に抵抗があった関西スーパーは、H2O子会社の食品スーパーとの経営統合を選んだ。関西スーパーの臨時株主総会へ向けた攻防が始まった。
関西スーパー・H2Oは当初、臨時株主総会での勝利を楽観視していた。オーケーによる買収提案はあったものの、関西スーパーの株主には取引先の卸や食品メーカーが多く、株式を持ち合う会社もあり、取引先株主は会社に対して波風を立てるような行動をとらないと考えたためだ。
淡々と進んでいた争奪戦に一石を投じたのが第4位株主の伊藤忠食品だ。10月12日、関西スーパーの取引先持ち株会の理事会で自主投票を提案した。これまでは、理事長一任で会社提案の議案に賛成するのが慣例だった。提案を受け、取引先持ち株会は会員企業の持ち分に応じて賛成や反対などの票を割り振ることになった。取引先持ち株会は、H2Oに次ぐ第2位株主だ。H2O首脳は「まさか持ち株会が切り崩されるとは」と驚きを隠せなかった。
伊藤忠食品はこの日、関西スーパーに対する質問状をホームページで公開し、「検討に足る十分な情報が開示されていない」とかみついた。伊藤忠食品の幹部は「ここまでの騒ぎになって、なあなあの判断はできない」と話した。同社も上場企業であり、自社の株主への説明責任があるとの考えだ。政策保有株など「コーポレートガバナンス」という観点は、取引先株主の判断に少なからず影響した。
この「伊藤忠食品の乱」ともいうべき動きから、関西スーパーを巡る争奪戦の行方は混迷を深めていく。関西スーパーの株主の卸や食品メーカーには、オーケーと取引する企業も多い。関西スーパー・H2O側とオーケー側のどちらかに肩入れすれば、もう片方との取引を失いかねない。こうした状況のもとで株主は板挟みとなり、難しい判断を迫られた。
関西スーパーは臨時総会の前夜になっても票を読み切れず、経営統合の行方は総会当日の会場でのマークシート方式による投票に委ねられた。機関投資家などの議決権行使で事前に結果が判明していることが多い日本企業の株主総会では、異例の展開だ。
10月29日、関西スーパーが本社を置く兵庫県伊丹市のホテルで朝10 時に始まった臨時総会は、2度の休憩を挟み6時間にも及んだ。H2O子会社との経営統合に関する株式交換議案は、可決に必要な3分の2を0・02ポイント上回る僅差で承認された。
ところが、思わぬ延長戦が待ち受けていた。1週間後の11月5日、臨時総会に立ち会った検査役の弁護士が神戸地裁に報告書を提出したのだ。こうして、総会当日に棄権となる白票を投じた株主の議決権を賛成に切り替えることで経営統合が承認された経緯が明らかになる。「棄権」が「賛成」にーー。にわかには信じられないような出来事が起きていた。
臨時総会の結果を受け入れ、関西スーパー買収を諦めたオーケーが、一転して法廷闘争に打って出た。統合手続きの差し止めを求める仮処分を神戸地裁に申し立てたのだ。
司法の判断は割れた。神戸地裁が統合手続きを差し止める仮処分を決定した後、大阪高裁はこれを覆した。最高裁が12月14日、大阪高裁の決定を追認し、経営統合を認める司法判断が確定した。翌15日に関西スーパーはH2O子会社と経営統合した。6月のオーケーによる買収提案から、約200日にわたる争奪戦が決着した。関西スーパーは22年2月、H2Oの食品スーパー事業を統括する中間持ち株会社となった。
法廷闘争では、今後の株主総会の運営に影響しそうな論点も浮かび上がった。関西スーパーの臨時総会では、議長を務めた社長の福谷耕治が株主の賛成の意思は明確として会場で投じた棄権票を賛成票として扱ったが、議長の裁量はどこまで認められるべきなのか。総会への出席経験のある株主でも、マークシートによる投票には不慣れだ。賛否の拮抗しそうな議案を諮る総会では、会社側がより丁寧な説明をする必要もある。
本書では、関西スーパー争奪戦の舞台裏で何が起きていたのかを、関係者らの証言をもとにまとめた。執筆に際しては、日本経済新聞や日経MJ(流通新聞)などに掲載した記事を大幅に加筆修正し、記者会見や臨時総会などのやりとりはできる限り肉声を再現している。
日本でも敵対的な買収提案は珍しくなくなった。株主総会で、会社側と株主が対立するケースも増えている。本書が、関西スーパー争奪戦を通じて、日本企業の株主総会のあり方を検証する一助となれば、取材班にとってこのうえない喜びである。
登場する方々の肩書や事実関係は原則、取材時点のままとした。また一部を除き、敬称は略させていただいた。
2022年4月 日本経済新聞社
【目次】