その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はジャレド・ダイアモンドさんの 『第三のチンパンジー 完全版(上)人類進化の栄光と翳り』 (長谷川眞理子・長谷川寿一訳)です。
【主題】
ヒトという種が、短い間に
単なる大型哺乳類の一種から世界の覇者へと
どのようにして変化し、
また、その進歩を一夜にして
ふいにするような能力を
どのようにして身につけることになったか
【プロローグ】
もちろん人間は普通の動物とは似ても似つかない存在です。と同時に、からだの構造や分子のもっとも微細な点に至るまで、私たちが大型哺乳類の一種であることも確かです。このような矛盾こそが、人間という種のもっとも興味をそそられる特徴でしょう。それはその通りと思えることなのですが、どのようにしてそうなってきたのか、それは何を意味するのかをはっきりと把握するのは難しいことです。
一方では、私たちと他の動物の間には越えることのできない深い溝が横たわっているように思われます。私たちは、「動物」と呼ばれるカテゴリーに入れられるのを認めたがりません。それは、ムカデとチンパンジーと二枚貝とは、人間にはない彼らどうしの決定的な特徴を共有しており、人間に固有な特徴の方は欠いていると私たちが考えているということです。人間にユニークな特徴としては、話すこと、書くこと、複雑な機械を作ることなどが挙げられます。私たちは生活していくために、素手ではなく道具に依存しています。ほとんどの人間は、衣類を身につけ、芸術を愛好し、また、多くの人間は宗教を信じています。私たちは地球上の隅々にまで分布し、エネルギーと生産の大半を支配し、さらに、大洋の深海から宇宙まで領土を拡大し始めています。私たちはもっと暗い行動面でもユニークです。ジェノサイド(集団殺戮)、拷問好き、有毒物質中毒、何千という他の種を絶滅させたことなどがその例です。このような行動の一つ二つ(たとえば道具使用行動)を未熟な形でみせる動物もわずかにいますが、私たち人間はそのような行動に関してさえも動物たちをはるかに凌駕しているのです。
したがって、実際上にせよ法律上にせよ、人間は動物とは考えられません。1859年にダーウィンが私たちは類人猿から進化したという考えを提出したとき、ほとんどの人々は、まず彼の説は馬鹿げていると思い、人間は神によって別個に創造されたのだという考えに固執しましたが、それも無理はないでしょう。アメリカでは大卒の4分の1を含む多くの人々が、いまだにそのような信念をもっています。
しかし他方では、私たちが動物であることは明らかです。私たちは普通の動物と同じからだのつくりをしており、遺伝子などを構成している分子も同じです。私たちがとくにどのような種類の動物であるかを考えると、それはもっとよくわかります。外見上は、人間はチンパンジーとよく似ているので、神による創造を信じていた18世紀の解剖学者でさえ、人間とチンパンジーの類縁性にすでに気づいていました。ごくありふれた人々を誰か想像して下さい。彼らの衣服を脱がせ、身につけているものをすべてはずし、話し言葉の能力も取り上げ、うなり声だけ発するようにして、からだの構造だけはまったくいじらないとします。彼らを動物園でチンパンジーの隣の檻に入れ、服を着ておしゃべりする他の人々が動物園を訪れるとしましょう。そこで私たちが見るであろうこれらの言葉を持たない人々が、(動物としての)本当の私たちの姿なのです。そう、それはほとんど毛の無い直立歩行するチンパンジーです。宇宙からきた動物学者は一瞬にして、ザイールに棲むボノボ、それ以外の熱帯アフリカに棲むコモンチンパンジーと一緒に、私たちを単に第三番目のチンパンジーとして分類するでしょう。
過去6〜7年の分子遺伝学の研究によって、私たち人間が他の2種のチンパンジーと98%の遺伝的プログラムを共有してきたことが明らかになりました。人間とチンパンジー2種との全体的な遺伝的距離は、アカメモズモドキとメジロモズモドキのような非常に近縁な2種の鳥の間の距離よりさらに小さいほどです。すなわち、私たちは過去の生物学的遺産のほとんどをまだ背負ったままなのです。ダーウィンの時代以降、類人猿と現代人との間をさまざまに橋渡しする何百という生き物の化石が発見され、理性ある人間なら、もはやこれほど圧倒的な証拠を拒むことはできないはずです。「人間は類人猿の仲間から進化した」、かつては馬鹿馬鹿しく思えたこのことは、実際に起こったことなのです。
しかし、これら多くのミッシングリンクが発見されたものの、さらに興味深く、まだ完全には解けていない問題がますます生じてきました。私たちが獲得したほんのわずかな新しい部分――人間とチンパンジーの遺伝子の2%の相違分――が、私たちだけにユニークだと思われる諸特性をもたらしたに違いないということです【訳注1】。私たち人類が経験したのは、小さな変化なのにたいへん大きな帰結をもたらしたもので、私たちの進化の過程ではどちらかといえば急に起きた最近の変化です。実際、わずか10万年前ならば、宇宙からの動物学者は人間を単なる大型哺乳類の一種とみなしたことでしょう。宇宙からの動物学者の目から見れば、人間は二つの奇抜な行動を見せていたはずです。火を使うことと道具に依存することです。しかし、これらの行動も、もし地球外の訪問者がビーバーやアズマヤドリ【訳注2】の行動を見ていたならば、たいして奇抜にも思えなかったかもしれません。ともあれ、わずか数万年――個人の記憶に照らしていえばほとんど無限の長さですが、ヒトというひとつの種としての歴史の中ではほんの一瞬にすぎない長さです――のうちに、私たちはユニークで危なっかしい性質をはっきりと示し始めたのです。
ヒトを人間にした鍵となるほんのわずかな中味とは何だったのでしょうか? 私たちのユニークな特性は非常に短期間のうちに現れましたし、肉体的変化はほとんど伴っていないので、人間の諸特性、あるいは少なくともその先例は、動物のうちにすでに存在していたに違いありません。芸術や言語、ジェノサイドや薬物の濫用などについて、動物たちにはどのような先例が見られるのでしょうか?
今日、ヒトが種としての生物学的成功を成し遂げたのは、そのユニークな性質のおかげです。他のどんな大型動物も全大陸に生息していることはありませんし、砂漠や寒帯から熱帯降雨林まで、どんなところでも繁殖できるなどということもありません。どんな大型の野生動物も、個体数で私たちにかないません。しかし、私たちのユニークな性質の中の次の2点が私たちの存在を危うくさせています。お互いに殺し合う性癖と、環境を破壊する性癖です。もちろん、この二つの傾向は他の動物にもあります。たとえば、ライオンをはじめ多くの動物は仲間を殺しますし、ゾウやその他の動物は環境を壊します。しかし、人間の技術力や爆発的な人口増加のせいで、これらの性癖は、他の動物にはないほど人間にとって大きな脅威となりました。
もし私たちが悔い改めなければ世界の終末は近い、という予言は別に目新しくはありません。ただし、二つの理由から、今度は本当に実現するかもしれないというところが新しいのです。その第一の理由は、私たちを瞬時に抹殺する核兵器という手段を手にしたことです。かつて人類がこのような手段を所持したことは一度もありませんでした。第二は、私たちがすでに地球の正味生産量(すなわち、太陽から得るエネルギーの正味量)の約40%近くを専有していることです【訳注3】。いまのように約41年間で世界の人口が倍増し続けるならば、私たちが生物学的な成長の限界点に達するのは眼前のことでしょう。その時になると、地球上の資源の限られたパイをめぐって、人類は血眼になって相互に争い始めることでしょう。さらに、私たちが生物種の絶滅をこのままの速度で続ければ、世界中の種の大半は、次の世紀のうちに絶滅するか絶滅に瀕することになるでしょう。私たちが自分たち自身の生活を多くの生物に支えてもらっているというのに。
なぜこのようなお馴染みの憂鬱な事実を繰り返して言わねばならないのでしょうか? またなぜ私たちの破壊的な性癖の起源を動物にまでたどろうとしなくてはならないのでしょうか? もしそれらが本当に進化的な遺産の一部だとしたならば、それらは遺伝的に固定され、したがって変えることができないものだと思えてきます。
実際には、私たちの置かれている状況は希望が無いわけではありません。もしかしたら、よそ者や性的なライバルを殺したいという衝動は私たちの本能かもしれません。しかし、人間社会が、そのような本能の発現を妨げられない、または、殺されてしまうはずの大半の人々の命を救うことができないなどということはないのです。二つの世界大戦を含めて考えたとしても、20世紀の先進国では、石器時代の部族社会よりも相対的にずっと少数の人間しか暴力によって死ぬことはありません。過去の人類と比べて、多くの現代集団では寿命がはるかに延びています。環境保護論者は開発業者や破壊者との闘いでいつも負けているわけではありません。フェニールケトン尿症や若年性糖尿病のようないくつかの遺伝的な欠陥にしても、いまでは症状を軽減し治療できます。
私たちの置かれている状況を私が繰り返して述べる目的は、過ちを繰り返さないようにすることです。そして、行動を変えるためには、私たちの過去や性癖に関する知識を利用せねばなりません。このことこそが、この本の献辞の背後にある希望です。私の双子の息子は1987年に生まれました。彼らは2041年にいまの私の年齢に達します。私たちは現在の行いで、彼らの世界を作っているのです。
この本の目的は、私たちの置かれている苦境について特定の解決法を提言することではありません。私たちが採るべき解決法の大枠はすでに明らかだからです。それは、人口増加を止めること、核兵器を制限あるいは廃絶すること、国際紛争を解決するための平和的な手段を発展させること、環境に対する影響を低減すること、種と自然生息地を保全することなどが挙げられます。このような政策を実行していくにはどうしたらよいかについて、詳細な提案をした素晴らしい本も何冊も出されています。このような政策のうちのいくつかは、実際に実行されてきています。しかし私たちは、このような政策をずっととり続けていかねばなりません。今日、このような政策が大事であることを誰もが確信しさえすれば、明日、それらを実行に移すために必要なことは、もうほとんどわかっているも同然なのです。
そうではなくて、私たちに欠けているのは、それをするのに必要な政治的意志です。私たちがかかえている問題の多くは、私たちの祖先の動物から受け継いで来たものです。それらの問題は、私たちが昔から力を蓄え、人口を増やしてくるにつれて大きくなってきましたが、近年、それは加速度的に増加してきています。過去の多くの社会が、私たちよりもずっと自己破壊の度合の少ない手段しか持っていなかったにもかかわらず、自らの資源の基盤を破壊することによって自らを滅ぼしていったことを見れば、私たちがいまとっているような近視眼的な態度を続けていると、遅かれ早かれ、どんな不可避な結末が訪れるかは、明らかなのです。政治史を研究する学者たちは、過去から学ぶ機会を与えられるからこそ、個々の国家や指導者たちの研究をするのです。私たち人類の歴史を学ぶ意味こそは、そこに存在すると言えるでしょう。そこから学べることは、もっとずっと単純で明白なことなのですから。
本書のように広範囲な視野のもとに書かれる本には、何もかもを含めることはできません。読者の方々の誰もが、絶対に重要な自分のお気に入りのテーマが省かれており、かわりに他のものが長たらしく取り上げられているとお感じになることでしょう。そこで、皆さんががっかりしないように、初めから、私自身の興味がどこにあって、それはなぜであるかをはっきりさせておくことにしましょう。
私の父は医者で、私の母はたいへん言語能力の優れた音楽家です。私が子どものころ、将来なにになりたいかを尋ねられるたびに、私は、父のように医者になりたいと答えたものでした。大学の最終学年までにその計画は少し変わって、医学関係の研究をやりたいと思うようになりました。そこで私は生理学を学び、いまはそれをカリフォルニア大学ロサンゼルス校で教えたり研究したりしています。
しかし、私は7歳のころからバード・ウォッチングにも興味を持つようになりましたし、学校では外国語や歴史も学べたことは幸いでした。博士号を取ったあとは、その後の一生を生理学という単一の職業的興味に捧げることが、だんだん息苦しいものに思えてきました。その時点で、幸運な一連の出来事や人との出会いがあり、私は、ニューギニアの高地で一夏を過ごすことになったのです。この旅行の目的は、表向きは、ニューギニアの鳥の造巣行動の成功度を測定することでしたが、私はジャングルの中でただの一つの鳥の巣も発見することができず、着いて数週間後にこの計画は没になりました。しかし、この旅行の本当の目的は見事に達成されました。それは、この世界に残っている秘境の中でももっとも素晴らしいところでバード・ウォッチングを満喫し、冒険心を満足させることでした。アズマヤドリやゴクラクチョウなど、そのとき見たニューギニアの見事な鳥たちによって、それ以後私は、鳥類の生態学、進化学、生物地理学を第二の職業とすることになったのです。それ以来私は、鳥の研究をするために何度もニューギニアやその近辺の太平洋諸島へ旅しています。
しかし私は、自分の愛する鳥たちや森林がますます破壊されていく中で、自然保護学にかかわることなく研究を続けていくことはできませんでした。そこで私は、自分の学問的研究と実質的な仕事とをくっつけて、政府のコンサルタントとして働き、私が動物の分布について知っていることを応用して、国立公園のプランを考えたり、そのために適切な場所を探索したりしました。ニューギニアで仕事をすることはたいへんなことでもありました。ニューギニア人たちの持っている、鳥に関する百科辞典的知識を吸収するためにはその土地の言葉で鳥の名前を覚えることが不可欠なのですが、20キロメートルごとに話されている言語が変わるのです。そこで、私の外国語に対する興味が役に立つことになりました。しかし、鳥の進化と絶滅の研究をすればするほど、なによりも興味深い種である私たち人類の進化とその来るべき絶滅について考えるようになりました。この人類という種に対する興味も、ニューギニアでは無視できないものでした。そこには実にさまざまな人々が住んでいるからです。
この本で私が何度もお話することになる、人類に関する興味というのは、このようにして形成されてきたものです。人類学者や考古学者によって書かれた人類の進化に関する優れた本がたくさんあり、それらは道具や骨の進化を扱っていますから、ここでは簡単にまとめるだけにしてあります。しかしそれらの本は、とくに私が興味を持っているヒトのライフサイクルや地理的分布、ヒトが生態系に与える影響、動物としてのヒトなどについてはあまり多くを割いてはいません。しかしこのような観点は、これまでつねに扱われてきた道具や骨に関する事柄と同様、人類の進化にとって重要な話題なのです。
ニューギニアに関する例がごたごたと山のように挙げられていますが、それはそれでよいと思っています。ニューギニアはただの島にすぎず、しかも、世界の一部(熱帯太平洋地方)でしかありませんから、今日の人類のサンプルとして適当というわけではありません。それは確かです。しかし、ニューギニアは、その大きさだけから推測するよりはずっと大きな人類のサンプルをかかえているのです。今日の世界で話されているおよそ5000の言語のうちの1000がニューギニアにあります。ニューギニアの高地にいる人々はみな、ごく最近まで石器時代の農民でしたが、低地にいる人々は狩猟採集民や漁民で、農業は少ししか行いません。外の世界の人々を嫌う傾向は地域ごとに非常に激しく、それに伴ってそれぞれの社会が独自の文化を持ち、自分の部族のなわばりの外へ旅行することは自殺行為となります。私と一緒に仕事をしたニューギニア人の多くは、子どものころを石器とよそ者嫌いの中で過ごしたきわめて優秀な狩猟民でした。このようにニューギニアは、かつての人類の世界のほとんどがどうであったかを考える上での、非常によいモデルなのです。
私たちの興亡の物語は、五つの部分に分かれています。第1部では、数百万年前から始まってつい1万年ほど前に私たちが農業を始めるときまでを扱います。その中の2章では、骨や道具や遺伝子の証拠、考古学的遺跡や生化学的記録の中に残されているもので、私たちがどのような変化を遂げてきたかを直接に示しているような証拠を取り上げます。化石の骨や道具は年代のわかっているものがたくさんあり、私たちがいつごろ変わったのかについても教えてくれます。そこでは、私たちの遺伝子の98%はチンパンジーであるという結論を吟味し、残りの2%のおかげでどのような大躍進ができたかを調べてみます。
第2部では、言語や芸術の発達にとって、第1部で論じた骨格上の変化と同じくらい重要な役割を果たしたヒトのライフサイクルの変化について扱います。ここでは、子どもに離乳したあと一人で食べ物を探しに行かせるかわりに引きつづき食べさせてやること、おとなの男女の多くはカップルになること、母親だけでなく父親も子どもの世話をすること、多くの人は孫の顔を見るまで長生きすること、女性は閉経を迎えることなど、よく知られていることを考え直してみます。このようなことは私たちにとっては常識ですが、私たちのもっとも近縁な動物の目から見ればどれも奇怪なことです。これらのことは化石になりませんから、いつごろ変化が生じたのかはわかりませんが、私たちの祖先の状態からの重大な変化であるのです。人類の進化に関して、脳の大きさや骨盤の形の変化よりもこれらのことがずっとたくさん扱われている理由はそこにあります。人類に特有の文化が発達してくるために非常に重要なことだったのですから、このくらいたくさん扱ってもよいでしょう。
このように、第1部と第2部では、私たちの文化が繁栄してくるにあたっての生物学的基盤について検討します。第3部では、私たちと動物とを画然と分けると考えられているいくつかの文化的特徴について扱います。まず思い付くのは、私たちがもっとも誇りに思っている言語、芸術、技術、農業などで、私たちの隆盛を招いた特徴と思われているものでしょう。しかしながら、目を見張る文化的特徴には、有毒物質の濫用などのように暗い影も含まれているのです。これらの諸特徴のすべてが人類に特有のものかどうかは議論の余地がありますが、少なくとも動物の間に見られる先例のようなものから進歩してきたのでしょう。その先例は確かに動物たちの間に存在していました。それらの形質が花開いたのは、進化的にみてごく最近のことだからです。それらの先例とはどんなものだったのでしょう? それらが発展してきたのは、地球上の生命の歴史の必然だったのでしょうか? たとえば、そうなることが必然だとすると、宇宙のかなたには私たちと同じように進歩した生物がたくさんの惑星上に住んでいるのでしょうか?
化学物質の濫用のほかにも暗い影が二つあり、それによって私たちは滅亡するかもしれません。第4部では、その最初のものである、見知らぬ人々の集団を殺戮する傾向について扱います。この傾向は、動物たちの間にその前触れとなるものがはっきり存在します。それは個体や集団間の対立で、それによって相手を殺してしまうような動物は人類以外にもたくさんあります。私たち人類は、ただ、技術的進歩によって他個体を殺す能力を磨いてきただけなのです。第4部では、政治的な国家ができて私たちが文化的に同一化してくる前にはどこでも、よそ者嫌いで著しい隔離が行われていたことを検討します。ここでは、二つの歴史上有名な人類の集団間の対立の結末が、どのようにして技術と文化と地理的関係とに左右されたかを調べてみます。それから、世界中の歴史に見られるよそ者嫌いとジェノサイドについて検討します。これは実に心苦しい話題ですが、自分たちの歴史を見据えることを怠ると過去の間違いをますます大きくして繰り返すということの、これぞまさに、絶好の例となっているのです。
私たちの生存を脅かしているもう一つの暗い影は、私たちが、ますます大がかりに環境を破壊していることです。捕食者や寄生者によるコントロールをなんらかの理由で脱した動物の個体数は、自分たちの内部での個体数のコントロールをもなくし、自らが依存している資源基盤を破壊するまでに増加したあと、そのまま絶滅に向かうことがあります。人類には、とくにそのような力が働いているように思われます。人類に対する捕食圧はいまや無視できますし、どんな環境も私たちの手に負えないところはなく、動物を殺し、その生息地を破壊する私たちの力は限りないものになったからです。
このような事態は産業革命以後に現れたのであって、それ以前の人類は自然と共存して暮らしていたと考える、ルソーのような夢物語を信じている人々が、不幸にも多すぎます。もしそんなことが本当ならば、私たちがかつてはどんなに優れた美徳を持っていたか、いまはそれがどんなに堕落してしまったかということ以外、過去から学ぶことはないでしょう。第5部では第4部と同様、私たちの現状が、程度がひどくなったことを除けば目新しいものではないことに焦点があてられています。環境の管理を誤りながら人間の社会を管理しようとした試みは、過去に何度も繰り返されているのであり、そこから学ぶべきことは私たちの目の前にあるのです。
私たちが動物の祖先からのし上がってきた道筋をたどって、この本は終わります。その道筋は、私たちを滅亡に導く速度をだんだんに速める道筋でもあります。その危機がまだまだ先のことだと思ったならば私はこの本を書かなかったでしょう。しかしまた、もう人類はだめなのだと諦めたならば、やはり私はこの本を書かなかったでしょう。私たちの過去の記録と現在の窮地を見て絶望した読者の皆さんが、希望の兆しは見えるのであり、私たちが過去から学ぶ道はあるのだ、というメッセージを見落とさないでいて下さることを願ってやみません。
【訳注1】
ヒトの全ゲノムを解読しようという研究計画(ヒトゲノム計画)は、1990年にアメリカで始まりました。その後、国際的な科学者たちの共同により、2001年にだいたいの配列が読まれ、全ゲノムの解読は2003年に完了しました。そして、2005年にはチンパンジーの全ゲノムも解読されました。その結果、比較可能な塩基配列の置換だけを比べると、ヒトとチンパンジーの間の違いは1・2%しかないことがわかりました。しかし、もっと大きな範囲での挿入や欠失を含めると、およそ5%は違うようです。さらに、直接にタンパク質を作るのではなく、どのようなタンパク質をいつ、どのくらい作るかを指令するような遺伝子の違いを含めると、ヒトとチンパンジーの違いはもっと大きくなります。
【訳注2】
本書では、bowerbirdの通称として、英名を直訳したアズマヤドリをあてましたが、分類学上は、ニワシドリ(庭師鳥の意)科の鳥をさします。
【訳注3】
2000年代にはいってから、人新世という地質年代区分が提案されるようになりました。それは、地球の人口が70億を超え、私たちが石炭、石油、原子力といったエネルギーを使用し、大量の物を消費していることが、地質にもあとを残しており、これまでの完新世という区分のほかに、新たな地質区分を設けたほうがよいのではないかと考えられたからです。しかし、本当に地質区分として明確に分けられるのか、どこからが人新世なのかについて、まだ学者の間で合意は得られていません。最近の研究によると、1850年〜1950年の間の100年間で、それ以前と比べて、人口もヒトが使用する総エネルギー量も増え始め、1950年以降は、これまでとは比べ物にならない勢いで増加していることが明らかです。
Syvitski, J. et al. (2020) Extraordinary human energy consumption and resultant geological
impacts beginning around 1950 CE initiated the proposed Anthropocene Epoch.
Communications Earth & Environment 1:32, https://www.doi.org/10.1038/s43247-020-00029-y
【目次】