その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は石戸奈々子さんの 『賢い子はスマホで何をしているのか』 です。
【プロローグ 子どもにスマホは悪ですか?】
「子どもにスマホを触らせる=育児放棄」という誤解
「子どもにスマホをもたせても大丈夫でしょうか?」
保護者の方々から受ける質問で、もっとも多いもののひとつです。ケータイ時代からずっと同じ質問をされてきました。子どもとデジタル機器の関係をどう考えればいいか。親御さんたちの悩みが深いことを実感します。
その背景にあるのは、ケータイ悪玉論・スマホ悪玉論が次から次へと現れてくること。スマホの危険性を訴えて全否定する論調が絶えません。それを聞いて不安になる気持ちは、わからなくはないのです。
でも、私は正直、「使ってもいい」「使ってはダメ」の二択で語られていることに、ものすごく違和感をもっています。大人だって、スマホを見すぎたら目が悪くなるし、時間も奪われる。詐欺にあう人もいれば、スマホ依存になる人もいます。それでも、そうしたデメリットをはるかに上回るメリットがあるから、ここまで愛用されているわけです。
いかにすればデメリットを極限まで減らし、メリットを極限まで増やせるか? そう発想するのが大人の知恵です。決して「リスクがあるから全否定」とはならない。
子どもにスマホやタブレットを使わせることについても、同じように考えないほうが不自然だと思うのです。リスクがゼロかと問われたら、問題点はあるでしょう。でも、メリットだってすごく大きい。「どうすればリスクを極限までおさえ、デジタルを活用して大きな教育効果を上げられるか」という議論に時間を割くほうが生産的です。
もちろん私も、子どもにスマホだけ与えて、何時間も放置するようなことには大反対です。でも、反対する理由は、それが育児放棄を意味するからであって、スマホが悪いと考えるからではないのです。そこを分けて考えないといけません。子育てをスマホに丸投げすることと、スマホを活用することは、まったく別問題です。
本書で具体的に見ていきますが、スマホやタブレット、パソコンは非常に有効な学習ツールですし、親子のコミュニケーションツールとしても有効です。要は、どういうコンテンツを選び、どういう使い方をするかなのです。
私の子どもは0歳のときからタブレットに触っています。いろんなアプリで勝手に遊ぶうち、教えてもいないのにひらがなや足し算を覚え、小学校に入る前には都道府県の大半を言えるようになっていました。
あるとき、「ねえ、ママ、知ってる? モンゴルじゃあ、サインバイノーって挨拶するんだよ」と、世界各国の言葉で「こんにちは」を言い出したときは、さすがに唖然としました。大人の私も知らない知識を、幼児がひとりで身につけたのですから。学習ツールとしていかに効果的なものか、わかっていただけると思います。
ここまでメリットが大きいなら、利用しない手はありません。あとは、いかにデメリットを減らしていくかだけです。
たまにはスマホに丸投げでいいじゃないか
日本小児科医会の「スマホに子守りをさせないで」というポスターを見て、不安をつのらせている親御さんも多いでしょう。教育熱心で、情報をたくさん収集している良心的な親ほど、悩みは深い印象があります。
ただ、ポスターをよく読んでみると、医学的エビデンスは何も書かれていません。では、どうして日本小児科医会はスマホ子育てを否定するのでしょうか?
ポスターには、親子のコミュニケーションが大切なこと、絵本の読み聞かせなど親子で一緒に過ごす時間が大切なこと、外遊びや運動も大切なこと、デジタル機器とばかり向き合っていては親子の会話の時間が減ってしまうこと……などが並んでいます。
でも、ちょっと待ってください。これらはスマホ子育てと両立しないことでしょうか? タブレットで一緒に遊べば親子の会話は増えますし、外遊びにスマホを活用することだって簡単にできます。図鑑のようなアプリを使えば、これまでの単なる外遊びを、さらに深い学びの場に変えることができる。
要は、日本小児科医会は「スマホに丸投げしてしまうのはダメだよ」と言っているにすぎないのです。私が「育児放棄としてのスマホ子育て」に反対しているのと同じこと。このポスターを見て「子どもにスマホを使わせちゃ医学的に危険なのかな?」と誤解してしまう親が少なくないという意味で、罪は深いと思います。
逆に、乳幼児にスマホで遊ばせると情緒的発達をうながす、という研究もあります。専門家にも賛否両方の意見がある。要は、スマホが子どもに与える影響について、確定的なことは現時点で何も言えないのです。
スマホにまかせっきりにすることに関しても、私は否定的だといっても、ときには認めたほうがいいとすら考えています。10分20分なら、なんの問題もないはず。「お母さん、すごく疲れちゃったから、ちょっとのあいだだけスマホを見ててね」さえ許されないとしたら、保護者の息がつまってしまいます。
核家族化が進み、昔のように子どもの面倒を見てくれるおじいちゃん、おばあちゃんはいません。しかも、専業主婦はどんどん減り、働くお母さんのほうが多数派になりました。仕事も家事も、子育てもやらなきゃいけないなかで、短時間、スマホにまかせっきりにすることすら否定されたら、親の側がパニックになりかねません。
精神的に追い詰められた親が、キーッとなって子どもに当たり散らすよりは、スマホに一息つかせてもらうほうが、よっぽどいい。精神的な余裕ができれば、それだけ愛情をもって子どもに接することができるのですから。それぐらい大らかな気持ちでスマホと接すればいいのだと考えています。
ゼロリスク以外は否定される教育現場
毎年、交通事故で50万人前後の死傷者が出ますが、それを理由に「自動車みたいに危険なものが、街を走っているのは許せない。使用禁止にせよ!」と叫ぶ人はいないと思います。包丁で指を切るのは日常茶飯事ですが、「こんな危険物がどこでも入手できるなんて、けしからん!」と怒る人もいないでしょう。
食の安全・安心に敏感なお母さんのなかには、塩素系漂白剤の「混ぜるな危険」という表示を見て、「そんなに危ない塩素が水道水に入っているなんて、なんか気持ち悪い」と感じる人がいるかもしれません。でも、そんな人だって、水道水の残留塩素は人体に影響がないぐらい微量であること、塩素消毒しなければコレラや赤痢、腸チフスといった感染症にかかりかねないことを説明されれば、納得するはずです。
要は、この世にリスクがゼロなんてものは存在しないのです。メリットとデメリットをはかりにかけて、メリットのほうが大きければ、それを使う。ただし、デメリットを極限まで減らす方法だけは徹底的に考える――。そういう風に社会は動いている。
ところが、なぜか教育に関しては、リスクがゼロでないと許せない人が多い印象があります。少しでもリスクがあると全否定されてしまう。
例えばクラウド問題。一般社会ではもはやクラウドで情報を管理するのが常識ですし、文部科学省も「クラウド・バイ・デフォルト」といって、クラウドを活用することで効率的なICT環境を整えるよう呼びかけています。
でも、実際には、自治体に個人情報保護条例があって、学校は子どもたちの学習データをクラウドにアップできない。情報漏洩の恐れがあるというのです。
じゃあ、クラウドに上げなきゃ安全なのかというと、データの入ったUSBを先生が紛失する事件がたびたび起きています。東日本大震災では学校が津波で流されて、子どもたちの大切なデータがすべて消失してしまいました。アナログに管理したってリスクは存在するのだ、という点が完全に忘れられている。
もう「銀行預金が安全か、タンス預金が安全か」みたいな話です。銀行は倒産するリスクがある。タンス預金は盗難にあうリスクがある。どちらにもリスクは存在するのです。むしろ、銀行が倒産した場合に預金を保護する仕組みさえ用意しておけば、前者のほうがリスクは低くなります。
にもかかわらず、「これまでずっとタンス預金でやってきた。新しく登場してきた銀行なんて信用できない」と言っているのが、クラウド問題の本質だと思います。
クラウドのセキュリティ技術はどんどん進化しているのに、そこを見ずに、「新参者はうさんくさい」という理由だけで、リスクの存在を過剰に騒ぎたてる。その結果、「なじみ深いタンス預金のほうが安全だ」という、おかしな結論になってしまう。
日本の先生たちは真面目で熱心で、世界的に見ても非常に優秀だと思います。でも、周囲の無理解のせいで、そのポテンシャルを十分に発揮できずにいる。学習データを効率的に活用できれば、もっと一人ひとりに合わせた教育が可能になるのです。先生たちのためにも、子どもたちのためにも、冷静な議論が必要だと思います。
デジタルとアナログは対立するものではない
私はCANVASというNPOを立ち上げた2002年から、新しいテクノロジーを使って子どもたちの創造力や表現力を高める活動を続けてきました。
その一方で、その活動を国のレベルにまで広げるために、デジタル教科書やプログラミング教育の導入を目指し、政府の委員などもつとめてきた。NPOの活動だけでは限界があると感じたからです。
その過程で多くの有識者たちと協議したのですが、議論になる前に終わってしまうことが多くて疲弊しました。
これからの教育にはデジタルが重要だと言うと、必ず「じゃあ、アナログは要らないのか!」と反対される。いやいや、デジタルにもアナログにも一長一短があるから、ケースバイケースで使い分ければいい話です。アナログを全否定しているわけじゃない。
アナログにだって短所があるという点を見ずに、新参者のデジタルだけ「うさんくさい」と否定するのは不自然だ、と言っているのです。
創造力が重要だと言うと、「じゃあ、基礎学力は必要ないのか!」と返ってくる。いやいや、基礎学力も必要です。いままでの教育は、大量の知識を覚えることに力点が置かれてきた。でも、知識を覚えることではAIに絶対に勝てません。だから、AIにはできない創造性を育むことにも力を入れてはどうですか、と言っているだけ。
ところが「基礎学力+創造力」ではなく、「基礎学力vs.創造力」という二項対立にもっていかれる。こうした二項対立の発想は、どんなテーマを議題に載せたときも、よく登場してきました。
当たり前のことを、当たり前にやる――。本書でたびたび言及すると思いますが、私が日本の教育にもっとも求めるものはそれです。
「外遊びか、スマホか」の二択にひそむ矛盾
私はデジタル万歳派ではなく、「デジタルもアナログもバランスをとって、最適な組み合わせを考えましょう」派なのですが、そこがなかなか理解されません。
決して「外遊びか、スマホか」の二択ではないのです。「スマホを活用すれば、外遊びの価値はこれまで以上に上がりますよ」という話なのです。
とにかく頭ごなしに否定されがちで、「どうして、変わることをここまで恐れるんだろう?」と不思議に感じました。いまにして考えれば、反対する人たちには、最新技術をよく知らないがゆえの不安も大きかったのでしょう。
デジタル教科書を導入しようと言うと、こんな反対意見が出てきます。
「これまでなら先生が『242ページを開いて』と言ったら、すぐ開けた。でも、タブレットだと、242ページぶんスクロールしなきゃいけないじゃないか。そんなに画面を見つめ続けたら、子どもの目が悪くなる!」
それって、いつの時代の話ですか。むしろデジタル教科書のほうが242ページへ一瞬でジャンプできるのに、そのことを知らない。
「紙のほうがいいよ。ページの端っこにパラパラ漫画を描く醍醐味がある」なんて反対意見もありました。でも、パラパラ漫画なら、デジタルのほうがもっと立派な、もうアニメーションに近いものが、子どもでも簡単に作れます。
なかには「教科書って、紙の匂いがいいんだよね」と反対する人までいました。「うーむ……」という感じですが、そこまで紙の匂いが好きだというなら、それをデジタル上で再現する技術だって、もはや実現しつつあります。
要は、最新のデジタル事情を知らないのです。知ったうえでの反論であれば議論もできるのですが、会話がかみ合わないことのほうが多かった気がします。
機械に置き換えられない仕事を考える
まあ、知らないものに不安を抱くのは当然のことです。この本を手にとっておられる親御さんのなかにも、こんな不安を抱えた方は多いのではないでしょうか。
「近い将来、ほとんどの仕事がAIに奪われるっていうけど、その頃、大人になるこの子は、いったいどんな職業につくんだろう? どんな能力が求められるんだろう? そのために、いま何を学ばせておくべきなんだろう?」
まったく正しい不安だと思います。
ただ、残念ながら、専門家ですら、未来を正確に予想できる人はいません。いきなり期待を裏切るようで恐縮なのですが、その答えは、それぞれが考えるしかありません。私自身にもわからないのですから。
でも、現在の状況を知れば、だいたいの方向性は見えてきます。AI時代に求められる能力だって、なんとなくは予測できる。要は、「機械には置き換えられない仕事とは何か?」と考えていけばいいわけです。
そこで、この本では、いま教育がどのように激変しているのか、その先に待つ「まったく新しい学び方」はどんなものになるのかを解説し、考えるためのヒントを提供したいと思っています。結論を出すのは読者のみなさんだとしても、そのときに役立つヒントならふんだんに用意できます。
第1章では、いま世界中の学校で起きている革命的変化について紹介したいと思います。なぜみんな教育のデジタル化を急ぐのか? 日本ではプログラミング教育の必修化はプログラマー育成のような誤解を招くことがありますが、プログラミングはこれまでの学び方を根底から変えるものだから導入するのだ、という点を説明したいと思います。
第2章では、「プログラミング教育が小学校で必修化されたけど、いったいどんなことを教えているの?」という疑問に答えたいと思います。自分が経験していない授業を、子どもたちが受けている。親にとって、こんな不安はないでしょうから。もちろん、なぜすべての子がプログラミングを学ぶ必要があるのか、も説明します。
第3章では、「デジタルにしかできないことは何か?」を考えたいと思います。具体的な授業例を紹介すれば、その長所と短所が見えてくるので、アナログとどう使い分ければいいかもわかるはずです。これからの教育にはデジタルが不可欠なことを納得していただけると思います。
第4章では、親御さんからよく聞かれる「何歳からスマホをもたせていいの?」「何時間までならOKなの?」といった質問に答えたいと思います。ここで扱うのは学校ではなく、家庭におけるデジタル教育の問題。幼児からデジタルで学ばせるとして、どんなアプリがあるのか、といった具体論もやります。
そして第5章。いまの私の最大の関心事ですが、この先、学校はどう変わっていくか、学ぶという行為はどう変わっていくか、という未来像を語りたいと思います。私は「もう大学なんて必要なくなる」と考えていますが、この先に待ち受ける学びの形を知れば、親の側の心構えも変わってくるはずです。
この本が、悩めるお母さん、お父さんたちの不安を少しでも取り除けたら、そんなに嬉しいことはありません。
【目次】