その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は小野圭司さんの 『日本 戦争経済史 戦費、通貨金融政策、国際比較』 です。
【まえがき】
戦争は経済的に見ると、政府による大規模な消費活動である。交戦国は経済活動によって生産した付加価値を戦争目的に投入する。こうして軍は兵を養い、弾薬や燃料を消費し、兵器を調達する。軍以外の政府機関も外交交渉や財政措置、国境警備や輸送の強化などで軍の運用を支援する。この付加価値の消費は平時も同じであるが、戦時にはその量が一時的に膨れ上がり、その構成比率も変化する(兵士の動員増による人件費などの増加)。
新古典派を代表するマーシャル(Alfred Marshall)は、世界の歴史を形成する要因に経済的な力と宗教的なそれを挙げた(注1)。同時に彼は、軍事的・芸術的な情熱が時として支配的であったとも述べる。しかしマーシャルが経済学者として活躍した19世紀末期には、既に宗教や芸術は歴史形成の主役の座からは降りていた。そうなると人類は、軍事と経済が歴史を形成する要因として残った形で20世紀を迎えたことになる。
それでは「戦争の世紀」に突入してから、軍事と経済はどのような関係にあったか。偶発的な大規模消費たる戦争は、中山伊知郎が示したように経済にとって「一時的な病理現象」と捉えることも可能だろう(注2)。ところが日本では「日清戦争以来、今次の敗戦に至るまでの五十年間の中で、戦争およびその処理のための支出(広義の戦費)が財政統計の上にあらわれていない年は、ただの一度もなかった(注3)」。換言すれば近代の日本では、「一時的な病理現象」が波状的に発生して社会を影響下に置いたのであって、マーシャルが指摘するように「時として支配的(for a while predominant)」であったわけではない。もっともこれは日本に限ったことではなく、同時期の欧米列強も同じであった。
戦時には戦費調達が最大の経済課題となり作戦を左右することもあるが、近代の日本では、その方法が驚くほどにそれぞれの戦争で異なっている。古来戦費調達という財政政策には、通貨金融政策の側面支援は必須であった。ただし通貨金融政策の手法は近代に入って大きく進展したために、その側面支援の在り様は時代が下がるにつれて急速に変化してきた。そして日本の場合、戦費調達に対する通貨金融政策の関わり方が、2つとして同じものは無いという特徴が現われる。
本書の問題意識は、この点を起源とする。即ち「2つとして同じものはない」理由は、通貨金融政策の発展という普遍性と、欧米列強から遅れて始まった社会・経済の近代化が、遅れたが故に急速に進められたという特殊性とが絡み合ってもたらされたという認識である。この問いに答えるために、本書では前者に対して近代における日本の戦費調達問題を世界のなかで捉え、後者に向けてはそれを通史として論じることとした。
明治維新以降、経済の近代化・工業化を急いで推し進めた日本において、経済社会環境が数年単位で変貌するのは必然であり、戦争や戦費調達もその枠からはみ出ることはできない。このことは国際比較を通じた演繹的推論から導き出されるが、近代日本の戦費調達を通史として把握することで帰納的にも証明される。
ポール・ケネディ(Paul Kennedy)も言うように、「国際関係において富と力、つまり経済力と軍事力は常に相対的な関係にあり、そう見られるべき」である(注4)。しかし近代日本にとって時間的な遅れと経済力の規模の格差がもたらす、相対的な関係の不利はいかんともし難かった。そこで戦費調達で頼ったのが通貨金融政策、端的に言えばあの手この手の金融緩和とその管理であった。
現代においても偶発的な経済危機が生じた際には、日本は金融緩和に依存する度合いが大きいが、これは明治期の戦費調達で既に見られる傾向である。さらには欧米列強が数世紀かけて経験した戦費調達と通貨金融政策の関わりの変遷が、日本ではわずか80年の間に凝縮されて生じている。あまつさえ太平洋戦争では、欧米諸国では行われなかった日本独自の方法も編み出された。
このような戦時の通貨金融政策が、日本の特性として炙り出されることはほとんどなかった。戦争史研究では経済課題として、「モノ(兵器生産・物資動員:国家兵站)」を語ることはあっても「カネ(戦費)」が論じられることは少なく、そればかりかストックとフローが混在した大福帳式の議論も時にまかり通っている(注5)。
他方で経済研究では「戦時財政」が対象となっても、「戦時の通貨金融政策」は財政の一部という扱いであり、これは戦時の財政当局と金融当局の力関係がそのまま映し出されているようでもある。また総じて個別の戦争ごとに分析が独立しており、時間軸は分断されている。
本書は各戦争の考察を通して、この空白を埋めることを企図している。細かな記述に入り込んだ部分もあるが、主眼はそれぞれの戦争をまたぐ大きな流れに置いている。この理解に資する目的で、戦費調達の経済的な意味について説明する章も設けた。各章を読み進めるうちに、近代日本の「政府による大規模な消費活動」と通貨金融政策の関わりを、世界の中での流れとしてつかんでもらえたら、著者にとってそれに如く喜びはない。
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1)Alfred Marshall,Principles of Economics(London:Macmillan and Co.,1891),p.1.
2)中山伊知郎『戦争経済の理論』(日本評論社、1941年、『中山伊知郎全集 第10集』〔講談社、1973年〕所収)9頁。
3)大蔵省昭和財政史編集室編『昭和財政史 第4巻 臨時軍事費』(東洋経済新報社、1955年)3頁。
4)Paul Kennedy,The Rise and Fall of the Great Powers:Economic change and Military Conflict from 1500 to 2000(New York:Random House,1987),p.536.
5)「大幅帳式」とはあくまで慣用表現で、実際には江戸期の大福帳は、洋式簿記に匹敵する複式構造を持っていた(友岡賛『日本会計史』〔慶應義塾大学出版会、2018年〕第1章)。
【目次】