その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は中澤創太さんの 『TOKYOストラディヴァリウス1800日戦記 総額210億円、幻の名器21挺が日本に集結した「奇跡の7日間」はいかにして実現したか』 です。本書に登場するストラディヴァリウス「ダ・ヴィンチ」。稀代の名匠アントニオ・ストラディヴァリがその「黄金期」真っ只中の1714年に製作した傑作ヴァイオリンが米ニューヨーク時間2022年6月9日、約50年ぶりにパブリック・オークションにかけられます。その行方やいかに。世界の注目が集まっています。
【プロローグ】
2018年10月15日(月)午後5時30分過ぎ、東京・六本木ヒルズ森タワー52階。森アーツセンターギャラリーには21の透明な強化ガラスで作られたケースが整然と並んでいた。柔らかな照明を浴びるその中には、世界各地から集まったヴァイオリンたちが1挺ずつ収まっている。
21挺のヴァイオリンを作った人物の名はアントニオ・ストラディヴァリ。今から300年ほど前、彼が93年の生涯をかけて作った名器たちは「ストラディヴァリウス」と呼ばれている。世界に現存するのは600挺ほどで、世界トップクラスの演奏家や超一流のコレクター、世界中の音楽財団、投資家、音楽専門の名だたる博物館などが所有している。
ある1挺は演奏家とともに世界各地を飛び回ってその音色をホールに響かせ、ある1挺は門外不出とばかり厳重に管理された博物館の保管ケースの中に眠っている。一般には「飛び切り高額な楽器」の代名詞として知られているが、マーケットに出てくるのは常に全世界でわずか50挺以下。総数が少ないのはもとより、手にした人の多くが魅了され、容易に手放せなくなるからだ。
そして過去100年、安定した値上がりを続ける歴史的名器はもはや最高峰の弦楽器というだけではなく、ピカソやゴッホなどの歴史的アート作品のような価値が認められ、超安定資産としても認識されるようになった。数十年前までは「家を一軒売れば買える」とされていたが、今は何軒も売らないと買えないほどに高騰。もはや音楽家が自ら所有することはほぼ不可能な時代となり、資金力のあるスポンサーやパトロンが所有し、音楽家に無償貸与する形が一般的になっている。
そんな稀有な名器たちを「20艇以上、東京に集結させてフェスティバルを開く」。2013年の春に僕がそう宣言した時、関係者の反応は一様に冷たかった。「本気か?」「馬鹿なことを…」「無理に決まってるだろ!」…。厳しい言葉ばかりが返ってきた。
それらの声も、もっともなのだ。ストラディヴァリウスの多くは、製作者の故郷イタリアを中心に、イギリス、スイスなどヨーロッパにある。これまで大規模に開かれたストラディヴァリウスの展覧会はわずか2回。場所はイタリアとイギリスである。そんな本場ヨーロッパから遠く離れた日本で「史上最大規模のストラディヴァリウスのフェスティバルを開く」と言い出す、楽器商の2代目の若造と、「やめておけ」と冷静に諫める人がいたとして、業界の事情を知っていればいるほど、後者を支持するのは仕方のないところだ。
「日本にあるストラディヴァリウスを頑張って集めるだけでも、かなりの催しはできるんじゃないか」。そう助言してくれる人もいた。しかし、それではダメなのだ。実現したいのは、名匠ストラディヴァリの生涯を辿り、折々に作り上げたストラディヴァリウスを一望できるフェスティバルだったからだ。
瑞々しい快作が生み出された初期から、新たな試みが際立つ挑戦期、脂が乗り切った傑作が並ぶ黄金期、老いてなお円熟味を増した晩年期まで、それぞれの特徴がわかる作品を一堂に集める。そのためには本場イタリアはもちろん、ヨーロッパ、さらに世界各地にある名器たちを同じ時期に日本に運んでくる必要がある。展示にとどまらず、一流演奏家のライブも楽しんでもらいたい。現代のテクノロジーによって「ストラディヴァリが作った当時の音の追体験」も実現したい。
業界の常識で考えれば「無理に決まっている」が正解だ。でも、僕は本気だった。何としても開催すると心に決めていた。
あれから5年、フェスティバルは実現した。連日、入場を待つ長い行列ができ、7日間の会期中、国内外から集まった延べ1万人以上の人たちがここで、眼前に並ぶ名器たちを存分に眺めた。そして、その美しい音色を間近で浴びるように聴いた。
フェスティバルが終わり、つかの間の静寂に包まれた会場で、僕の頭の中に様々な出来事が浮かんできた。
ここに辿り着くまで、色々なことがあった。このチャレンジを始めた頃、僕の中で育っていったのは言い知れぬ孤独感だった。世界各地にいるストラディヴァリウスの所有者に連絡を取るも、色よい返事はほぼもらえず、端から門前払いも多かった。話を聞いてもらえることになって現地を訪ねても、遥か遠方の日本での開催を危ぶみ、貸し出しを認めてくれる人はなかなか現れなかった。ようやく話が進み、ほぼ決まりという段階まで至りながら最後の最後でNGということもあった。盛りだくさんの企画案はことごとく進まず、楽器は揃わず、スポンサーは集まらず、会場は決まらず…。遠くから近くから「全く無謀なことを始めたものだ」などと嘲る声が耳に届く。「何としてもやり抜くんだ」と自分に言い聞かせつつも、「こんなはずじゃなかった」という気持ちを押さえ切れず、眠れぬ夜も数々あった。
でも、振り返ってみて実感する。僕は決して1人ではなかった。1人また1人と多くの人が手を差し伸べてくれた。この向こう見ずな挑戦が実現するまで、どんなことがあったのか。力を貸してくれたすべての人たちへの感謝とともに、ここに記したい。
そしてそれは、全くもって「華麗なる成功譚」ではない。フェスティバルの成功は結果であって、開催に至るまで、また開催中も、想定通りに進まないことがたくさんあった。何しろ日本のみならずアジアで誰もやったことがない新たな取り組みであり、すべて手探りで進む日々は、周到な計画と万端な実行とはかけ離れた、綱渡りの連続だった。そうしたお恥ずかしい数多のあれこれは抜きにして、うまくいったあれこれだけを記すことも可能なのだろうが、そんなものは誰の役にも立たないだろう。
この試行錯誤の記録を読んでほしいと思うのは、例えば、新たな挑戦を密かに思い描きながら一歩を踏み出せずにいる、どこかの誰かだ。あるいは、挑戦するも困難に直面し、もう諦めようかと肩を落としている誰かだ。
もし「いつか完璧な計画さえできれば…」と逡巡しているなら、「完璧な計画なんてないよ」と伝えたい。もし「何でこんなトラブルばかり…」と嘆いているなら、「チャレンジとはそういうものじゃないか?」と伝えたい。
大切なのは、明確なビジョンと想定外の事態に対処し続けること、リスクを取って決断し続けること、そしてやり切るまで諦めないことだ。成功するかどうかなんて保証はない。
でも、誰の足跡もない荒野をハラハラドキドキしながら進む、何とも言えないワクワク感は、進んだ者だけが得られるご褒美だ。この本が、立ち止まってしまった誰かの背中をポンと押すきっかけになってくれたら嬉しい。
巻末には、集まってくれた21挺のストラディヴァリウスについて記す。1挺1挺それぞれに歴史があり、ドラマがある。そしてその先に、僕がフェスティバルを通じて示したいと願った、ヴァイオリンが持つ力と不思議さと素晴らしさが、多くの皆さんに伝わったなら、とても嬉しい。
中澤創太
【目次】