その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は小倉仁志さんの『 表現でロジックは変わる 「なぜなぜ分析」で磨く論理的言葉力 』です。「プロローグ」とともにお届けします。
【はじめに】
考えるときに、ちゃんと表現を選んで使っていますか?
あなたは、次の問いに的確に答えることができるだろうか。
この2つの表現は、何が異なるのか述べなさい。
答え
それぞれ捉えている時点が異なる。
「(ある状態に)なった」は、ある状態が生まれた時点を指すが、「(ある状態に)なっていた」は、ある状態が生まれたあとに、しばらくしてそれを発見した時点を指す。
英語でいうと、「(ある状態に)なった」は過去形。一方、「(ある状態に)なっていた」は過去完了形に相当する。
たとえば、「水が漏れた」は水が漏れた時点を指すが、「水が漏れていた」は水が漏れているのを発見した時点を指す。
どの時点を取り上げているのかがはっきりわかる表現にして、あるいは表現を使い分けて、話の筋道(ロジック)を組み立てていくことが大事だ。
答え
1つ目はすでにわかっている人がほとんどだろう。
それは、どんな内容の誤りだったのか、誤りの中身がはっきりしない点だ。
だが、「誤入力」という単語のあいまいさは、それだけではない。
2つ目は、すでに気づいている人もいるだろうが、主体がはっきりしない点だ。主体というのは、文の主語に相当するものだ。
「誤入力」という単語だと、人を主体とした表現なのか、それともモノゴトを主体とした表現なのか、主体がぼける。
「誤入力」を、人を主体とした表現では「太郎さんが、AではなくBを入力した」と解釈できるが、モノゴトを主体とした表現では「Aではなく、Bが入力された」と解釈できる。
主体をはっきりさせないと、話の筋道(ロジック)もいい加減なものになってしまう。
3つ目は、気づいている人はかなり少ないのだが、「誤入力」という単語だと、どの時点を指すのかはっきりしない点だ。
「誤入力」という単語を見て、「誤って入力した」時点を指すと考える人が大半だが、人によっては「誤入力」という単語を見て、「誤入力を見つけた」時点を指すと考える人もいる。
時点をはっきりさせないと、話の筋道(ロジック)も決まらないし、話が混乱する。
話の筋道(ロジック)をしっかり考えるときは、「誤入力」という単語ではなく、「太郎さんが、AではなくBを入力した」、あるいは「Aではなく、Bが入力されていた」と、文で考えることが大事だ。
答え
×(バツ)
前述の問い2で、「誤入力」があいまいなのは説明したが、「あった」という表現もあいまいだからだ。
「誤入力があった」を、「誤った行為があった」と解釈すればよいのか、それとも「誤入力された状態があった」と解釈するのか。
つまり、「誤入力があった」は、人が誤って入力した「行為」を指すのか、それとも誤入力されていた「状態」を指すのか、はっきりしない。
だから、「誤入力があった」と文にしても、その解釈は、人によってブレてしまう。しかし多くの人は、解釈がブレることに気づかず、「誤入力があった」を堂々と使っているようだ。
話の筋道(ロジック)をしっかり組み立てていく場合には、誤った「行為」として、「太郎さんが、AではなくBを入力した」とするか、あるいは「状態」として、「Aではなく、Bが入力されていた」とするか、解釈がブレず、わかりやすい表現が求められる。
問い1~3の3つの問いに答えられなかった人は、ぜひ本書をご一読いただきたい。
【プロローグ】
論理的に考えることが苦手?
子どもは身近な大人との会話から考え方を学ぶ。
はじめは、「好き・嫌い」「~をしてほしい」「これ、何?」といった、自分の欲求を満たすための発言がほとんどだが、大人との会話がかみ合うようになると、次は「なんで、そうなるの?」と問いかけるようになる。
そのうち、子どもがいたずらをするようになると、「なんで、そういうことをするの!」と、今度は大人が子どもに問いかける。
子どもは、最初のうちは大人からの問いかけに対して、思いつくまま答える。答えるときに、話の筋道が合っているかどうか、言い換えればそれが論理的かどうかなど、ほとんど考えてはいない。よほどのことでない限り、子どもに論理的な答えを求める大人もいない。
論理的に考えたり、答え(話し)たりするには、何に注意すればよいか、義務教育の場で教えることもほとんどない。
そんな子どもが大人になり、仕事をするようになると、今度は上司、あるいは顧客から、いきなり論理的な答えを求められる。
こんな状況では、論理的に考えたり、答え(話し)たりすることに、苦手意識を持つ人が少なくないのも無理はない。すでに得ている知識をもとに答えるのは容易(たやす)いが、目の前で起こったことに対して、論理的に説明するのは容易なことではない。だからといって、社会人として論理的に考える、話すということを避けて通るわけにもいかない。
一方、有名な人が発言しているからといって、それが論理的な説明になっているとは限らない。さらに近年は、有名人だけでなく、一般の人が自分の意見をSNSなどの場で発信できるようになった。だからなおさら、その発言が論理的であるかないかを見抜く術を持つことは、非常に大事になってきている。
「なぜ?」に始まる「問い」と「答え」で論理的思考力を磨く
では、どうすればいいのか?
筆者の長年の経験からいえば、そもそも話の筋道(ロジック、あるいは論理)がつながるように考える論理的思考は、「なぜ?」に代表される「問い」とその「答え」のやりとりから始まる。「問い」と「答え」が論理的につながるかどうかが判断できてこそ、その論理から外れるものも見えてくる、と筆者は考える。
生活や仕事のなかで問われる「なぜ?」に対して、どのように考え、そして答えを出せばよいのか、その術を持つことが重要になる。
ただ、「問い」と「答え」のやりとりが論理的に的確にできる人、そして論理的かどうかしっかり判断できる人は、大人でもそう多くはいない。
本書は、「なぜ?」の問いかけに対して論理的に考えるための術、あるいは論理的につながっていない考え方を見抜くための術をまとめたものである。
- 的確な答えを導き出したい場合は、どういった「問い」にしたらよいか
- その「問い」に対し、どう「答え」ていったらよいか
筆者は、1970年代に生まれた「なぜなぜ5回」という考え方に疑問を持ち、どうやったらうまく「なぜ?」を繰り返すことができるのかについて、1997年に拙著『なぜなぜ分析徹底活用術 「なぜ?」から始まる職場の改善』(日本プラントメンテナンス協会)にまとめた。
その後、様々な企業で起きる多種多様な事象において、上記2点を「なぜなぜ分析」という形に置き換えて、30年以上にわたって追究してきた。
「なぜなぜ分析」には様々な流儀があるが
一方、拙著をきっかけに、様々な人たちの独自の工夫のもと様々な「なぜなぜ分析」が世に出回った。
ラーメンやカレーにも様々なものがあるように、様々な「なぜなぜ分析」が語られるのは構わないのだが、誤った考え方で語られていたり、誤った方法で実施されていたりするものも多数ある。たとえば以下のようなものだ。
- 「なぜ?」を3回、または5回繰り返さなければならない
- 「なぜなぜ分析」は、「人」に関わる事象には使えない
- 「なぜなぜ分析」は、「人」「設備」「材料」「方法」「管理」「環境」といった観点、あるいは関係する「人」単位に観点を分けて考えたほうがやりやすい
- 「なぜ?」の答えは数多く出したほうがよい
- 「なぜ?」を繰り返すたびに、枝が広がるように答えが広がっていかなければならない
上記の考え方は、限られた狭い範囲でしか通用しない話だったり、「なぜなぜ分析」は難しいからと安易に簡略化したり、誰かが言った話を鵜呑みにしたりしているにすぎない。
どの誤った考え方も、様々な業種・業態において数多くの「なぜなぜ分析」を指導してきた筆者から見ると、論理的な考え方からは程遠いのだ。
また、「なぜなぜ分析」はトヨタ自動車が考えたものだ、と述べている記事等も多数存在するが、そもそもトヨタ自動車の人が考えたのは「なぜなぜ5回」であって、「なぜなぜ分析」ではない。もともとトヨタ自動車の「なぜなぜ5回」は、おまじないのように、単に「なぜ?」を5回繰り返せ、としか述べておらず、どうやったらうまく「なぜ?」を繰り返したらよいかまでは、突っ込んで説明されていなかった。また、「なぜなぜ5回」は一本筋であり、1つの問いに対して、1つの答えしか出せない形式だった。
そのため、実際に大勢の人がうまく「なぜ?」を繰り返すことができず、悩んでいたのである。
そこで、どうやったらうまく「なぜ?」を繰り返すことができるかについて、筆者は長年にわたって実践的に研究してきた。
本書は、その成果をもとに、①と②について一般解としてまとめたものである。以降は、あえて「なぜなぜ分析」という堅苦しい言葉を使わず、「なぜなぜ」という親しみやすい言葉で説明していくことにしよう。
【目次】



