その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は加藤巧さんの『 マーケティングの真実 P&G・グリコで学んだ失敗と成長の法則 』です。「序文」をお届けします。

【序文】P&Gとグリコで培った「経験」と「勘」からの脱却法

VUCAという言葉に覚える「強烈な既視感」

 生成AI(人工知能)の台頭による、生活環境、並びにビジネス環境の激変。ロシアや中東情勢を中心とした国際社会の不安定さ……。これまでの成功法則が通用せず、将来の見通しが立たない現代は「VUCA(ブーカ)」の時代と呼ばれます。VUCAとは、変動性、不確実性、複雑性、曖昧性の4つの意味を表す用語です。「変化のスピードが速く、過去の経験が通用しない」「要因が複雑に絡み合い、シンプルな解決策が見当たらない」──。

 2016年のダボス会議で「VUCAワールド」という言葉が使われたことを境に、日本でもビジネスリーダーたちがこぞって言及し、誰もが「既存の知識がすぐに陳腐化するVUCAの時代に対応しなければならない」と口にします。しかし、私はこの言葉を耳にするたび、強烈な既視感を覚えます。

 私が初めてVUCAという言葉を耳にしたのは、今から30年以上前、1995年のことでした。阪神・淡路大震災の直後、神戸の街は壊滅的な状況にありました。当時、私が在籍していたプロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インク(現P&Gジャパン)の神戸本社ビルも甚大な被害を受け、多くの社員がライフラインの途絶えた過酷な生活の中で、明日の見えない不安の中にいました。

 その混沌の最中、P&Gの日本支社に赴任してきたのが当時の日本ヘアケアおよびランドリー担当ジェネラルマネジャーであり、後にP&G本社のCEO(最高経営責任者)となるボブ・マクドナルド氏でした。米国のウエストポイント陸軍士官学校を卒業し、米軍精鋭部隊の第82空挺師団に所属していた彼は、震災に打ちひしがれる私たちに対し、このVUCAという言葉を使って、混迷を生き抜く心得を説いたのです。

 彼によれば、VUCAとはもともと冷戦終結後の先行きの見えない情勢を表す軍事用語でした。当時の私にとって、それは震災直後の混乱を映し出す、あまりに切実な言葉でした。

 ここで重要なのは、VUCAとは決して「最近になって始まった特異な現象」ではないということです。これは、いつの時代も繰り返される「若者論」と同様の性質を持っています。歴史をひも解けば、数千年前の古代エジプトの記録や古代ギリシャの書物にも、「近頃の若者は礼儀を知らない」「今の若者は全くできていない」といった記述が見つかります。

 私の世代がかつて「新人類」と呼ばれ、従来の価値観が通用しない異質な世代として定義されたように、現代の「Z世代」や「α世代」に対する視線も、本質的にはこれと同じことが繰り返されているに過ぎません。「今の若い世代には、年輩世代の常識が通用しない」という嘆きと、「今はVUCAの時代だから過去の定石が通用しない」という言説は、全く同じ現象を指しています。

 実際には、過去の世界大戦、明治維新、さらに歴史を遡ると戦国時代やそれ以前の日本統一を巡る戦い、あるいは絶え間なく発生し続ける天災や飢饉(ききん)に襲われていた過去の時代の方が、現代よりもはるかに予測困難で不確実な世界であったはずです。歴史を遡るほど、当時の人々は今よりもずっと過酷な不確実性に対応する必要がありました。

 いつの時代も、新しい世代は旧世代にとって「予測不能な存在」であり、いつの時代も、社会はその時々の混乱を「予測不能な情勢」と呼んできたのです。つまり、私たちはいつの時代も常にVUCAの中にあり、常に新しい価値観との遭遇を繰り返してきました。だとすれば、私たちマーケターが今すべきことは、得体の知れない時代の変化に怯え、既存のスキルが陳腐化することに右往左往することではありません。

 大切なのは、時代や世代が変わっても決して揺らぐことのない「人間の本質」と、ブランドを成長させるための「不変の原理原則」をつかみ取ることにあります。

科学的なマーケティング30年の歴史

 一方で、マーケティング業界がこの30年でどう歩んできたのかを考察してみましょう。私がP&Gに入社し、マーケティングを始めたのは92年のことでした。当時は日本のバブル経済が弾けるちょうど直前、日本経済が最高潮の分岐点に当たる年です。その頃、部門別採用をする日本企業は珍しく、いわゆるブランドマネジメントの組織体を持つ会社もあまり存在しませんでした。日本企業に入社せず、外資系の会社に入社すると「変わり者」扱いされた時代です。

 当時、マーケティングという言葉すら知らなかった私が最初に所属したP&Gのマーケティング部門は「アドバタイジング」、日本語では「宣伝本部」という部署名でした。マーケティングの役割を担うことは今と変わりませんが、テレビ広告をつくることが主流の業務だったこともあり、その部門名を何十年も冠していたようです。

 私が入社後しばらくして、広告だけでなく、ブランド戦略、価格戦略、販促など、より広範なビジネス管理を担う実情に合わせて「マーケティング部」と改名されました。それでも当時の日本の産業界におけるP&Gのプレゼンスはそれほど高くはなく、紙おむつ「パンパース」や生理用ナプキン「ウィスパー」といった紙製品以外に大きなヒット商品はなく、マーケティングやブランドマネジメントに強いという特徴も、全く有名ではありませんでした。むしろ、一部の外資系による「少し変わったやり方」としか見られていなかったと思います。

 では、当時のP&Gが進んだ「科学的企業」であったかというと、日系企業と同様に、御多分に漏れず「KKD(経験と勘と度胸)」に満ちた会社でした。市場調査や消費者調査を行い、データ分析を重要視していたため、多少は日系企業よりも科学的アプローチを志向してはいたかもしれません。

 しかし、実態は、自国で優秀な成績を上げ、各国から集まってきた多国籍の駐在員や、成績優秀で若くして出世を果たした「勝ち組経験」の豊富な先輩方に、徒弟制度のように習い伝わった「お作法」を一生懸命に学ぶ場でした。それを自分が担当したブランドに使う、あるいは新ブランドに活用して日本市場に投入していくわけです。

 インターネットはなく、一人一台のパソコンもない時代です。パソコンは先輩が使い終わった後にようやく使わせてもらえる。そのため、どうしても夜間や土日に作業する日々が続き、しかも、当時はマウスすらありません。いちいちコマンドを打ち込んで実行させなければならない、今思うととても非効率な時代でした。

 そんな環境下で、「ファインディング」や「ラーニング」という名の下に、ブランドの成功や失敗談がまとめられ、社内で共有されます。そこから「ブランド必勝法」なるものが編み出され、社内では「神話」化され、やがてアジアを超えてグローバルでの神話となっていく……。

新ブランドでの挫折

 そんな日々を繰り返し、マーケティングの仕事をしばらく続けた頃、私は日本発の新ブランド担当となりました。プロジェクトに参加した時には、既にターゲットやポジショニングが確定しており、製品やパッケージを含めてプロトタイプ(試作品)は出来上がっていました。最後の重要局面であるテレビCMの制作では、コンテからアニマティックやフォトマティックをつくり、何度もコピーテストをしましたが、なかなか合格点が出ません。市場投入の機会を何度か逸した時、私は元々のコンセプトテストの結果を徹底的に分析し直しました。そこで気付いたのは、ターゲット設定そのものが間違っているのではないか、ということでした。

 そのブランドは高い年齢層の女性をメインターゲットとしていました。ところが、私が過去に発売した新ブランドのデータを精査したところ、そのブランドが高い年齢層をターゲットにすべき特有の理由はない、と気付いたのです。

 消費者データには「クセ」のようなものが存在します。例えば、国籍による傾向です。日本人は調査に対して、非常にポジティブな評価をすることはあまりありませんが、ラテン系諸国はどんな設問に対してもポジティブな回答をする傾向があります。

 日本国内では性別と年齢によって特徴があります。男性よりも女性がよりポジティブな反応を示し、若い人よりも中高年の方がポジティブな回答をする傾向が非常に強く見られます。そのため、単純なデモグラフィック(人工統計学的属性)の違いをそのまま受け取ると、どんな商品でも年配の女性がその他の属性と比較して、高い購入意向を示すことになるのです。本来、このブランドにおいても、データベース上の比較の指標となるノルム値に対して検証を行い、誰が本当のターゲットになるかというところまで踏み込む必要がありました。

 それ故、私は自身の分析結果に基づいてターゲットの年齢を下げ、コンセプトを変えるべきだと進言しました。誤ったターゲットに向けて広告をつくり続けても、事前の広告テストで合格することはなく、また、テストを何度も繰り返すことによって、偶然合格してしまうリスクを避けるべきだと提案したのです。しかし、この提言が採用されることはありませんでした。

 悲嘆に暮れた私は転職活動を行い、他社からオファーをいただき、P&Gに辞表を提出する直前までいきました。しかしその時、ふと思ったのです。「プロジェクトの初期段階から、データをしっかり分析して、正しいブランド戦略を描けていれば、こんなことにはならなかったはずだ」と。

「戦略的リサーチャー」への転身

 新製品投入の度に、「事前調査をもっと丁寧にしていれば」「調査結果の読み込みが不十分だった」と悔やむ場面を、私は何度も見てきましたし、自分でも経験してきました。その悔恨が、私を「消費者の声を丹念に聞き、データから戦略を練り上げる仕事」へと強く引きつけました。

 私はP&Gで当時導入されたばかりの「オープン・ジョブ・ポスティング・システム(公募制)」を使い、戦略調査部門へと異動する決断をしました。ちょうどその頃、P&Gの調査部門は「CMK(コンシューマー・アンド・マーケット・ナレッジ)」と部門名を改定し、調査の管理監督者から戦略的リサーチ部門へと役割が拡大する時期で、この決断が私のマーケター、リサーチャーとしてのキャリアの大きな転機となりました。

 質的・量的調査のイロハを学び、マーケターとして「現場が何を欲するか」を知っている強みを生かしました。「調査のための調査」ではなく、ブランド成長を消費者の幸福に直結させるための意味のある戦略。フェミニンケア、ベビーケア、ヘアケア、ファブリックケア、ホームケア……、様々なカテゴリーの商品で、リージョナルやグローバル経営陣の一員としてビジネスリーダーを経験し、数多くの成功と、それ以上の失敗を重ねてきました。その後、P&Gの日本の拠点が神戸からシンガポールへ移ることになり、私は家庭の事情と、「世界一要求の厳しい日本の消費者から学び続けたい」という信念から、P&Gを去る決断をしました。

 40歳を過ぎて入社した2社目は江崎グリコです。そこでも私を待っていたのは、やはり「KKD」と「神話」の世界でした。「センミツ(千に三つ、1000個の商品を発売して、3個売れれば良い)」という言葉が常識となっている業界で、一から科学的手法を導入していくことに、私は情熱を注ぎました。

 当時のグリコは、マーケティングを重視し、学ぶ社員は多くいるものの、おのおのが好きな時に好きな解釈のマーケティング理論を使う、といった印象でした。多くの企業に共通していますが、自身の成功体験や成功事例を引用して、業務に活用するというアプローチも多かったです。私は組織としてマーケティングを実行できるよう、社内で改善点を見つけては解決策を提案し、標準的な仕組みをつくっていくことに奔走しました。

 その一つとして、P&Gでの経験を参考にして、商品開発に「ステージゲート制」を設けました。コンセプトの確かさが確認できたら、次のステップとして本格的な商品開発に移る。そして製品の良さをデータで確認してから広告制作に進むといった具合に、ステップごとに精査して移る方法です。マーケティングプロセス全般に、科学的な測定法を導入しました。

 加えて、社内で読んでほしいと考えて、南オーストラリア大学(26年にアデレード大学と統合)アレンバーグ・バス研究所で教授を務めるバイロン・シャープ氏の著書『ブランディングの科学 誰も知らないマーケティングの法則11』(朝日新聞出版)を企画・監訳し、2018年に出版しました。

 当時の日本企業では、行き過ぎたロイヤルティー信仰やターゲットの過度な細分化といった、従来のマーケティング理論を現場の都合や計測のしやすさに合わせて解釈した手法がはびこり、明らかに限界を迎えていると感じていたからです。

 多くの企業は、既存顧客の維持こそが最優先事項であり、最も効率が良いと盲信し、新規顧客の獲得コストを嫌うあまり、自らの市場をじわじわと縮小させていたのです。そこに提示されたシャープ氏のエビデンス(科学的根拠)は、従来の慣習を否定する、極めて科学的な事実でした。

 売り上げの80%は、20%の上位顧客からもたらされるという「パレートの法則」に従って既存顧客だけを見つめても、ブランドの持続的な成長は望めないこと。ターゲットを絞り込んで効率を追うのではなく、全カテゴリーユーザーに対して広範にリーチを広げることこそが成長の源泉であること。そして、競合他社との微細な差別化に腐心するよりも、消費者の記憶の中でブランドを際立たせる独自性こそが、実際の購買行動を左右するといった事実です。

コトラー論とシャープ論の対立

 これらの主張は、客観的な根拠を渇望していた日本のマーケターに熱狂的に受け入れられましたが、同時に予期せぬ衝突も引き起こしました。シャープ理論を絶対視するあまり、「近代マーケティングの父」とも称される、米国の経営学者フィリップ・コトラー氏が築き上げてきた人間理解に基づく価値創造を、古い時代の遺物として切り捨てるような極端な二項対立が目立つようになったのです。

 現在、マーケティングの現場で起きている混乱の本質は、これら二つの巨大な理論を、それぞれの機能や適用すべきフェーズ、あるいはマーケティングの目的そのものを無視して、勝手に解釈し、無理に運用してしまっている点にあります。

 コトラー理論の曲解においては、本来はブランドの存在意義や市場での立ち位置を定めるための高次な概念であるはずのSTP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)を、単なるデジタル広告の配信ターゲット設定と同義に捉えてしまうケースがあります。その結果、狭いターゲット内でのROI(投下資本利益率)のみを追求することになり、ブランドが本来リーチすべき潜在顧客を自ら切り捨て、市場を縮小させています。

 あるいは、顧客の心理変容を細かく定義したものの、実態を伴わないカスタマージャーニーの迷宮に迷い込み、存在しないロイヤルティーをCRM(顧客関係管理)で追いかけ続けるという、手段の目的化が散見されます。

 一方で、シャープ理論の曲解においても、深刻な課題があります。シャープ氏が提唱する「メンタルアベイラビリティ」と「フィジカルアベイラビリティ」という2つを、単なる広告露出の物量作戦や、ECサイトの利便性の向上といった、極めて表層的な戦術へと矮小(わいしょう)化してしまっているのです。その結果、そのブランドが消費者の人生においてどのような意味を持ち、なぜ他の何物でもなくそのブランドでなければならないのかという、最も重要なブランドの設計が放棄されるという事態を招いています。

 しかし、マーケティング実務の最前線において、この二人は決して対立する存在ではありません。むしろ、マーケティングのプロセスにおいて、機能する場所が明確に役割分担されているのです。コトラー理論は、ブランドを通した深い顧客理解と、それに基づく顧客満足と社会的価値の創出に役割があります。これは、ブランドを立ち上げる「0→1」のフェーズにおいて、絶対に欠かすことのできない最重要の設計図となります。

 一方で、シャープ理論は、膨大なデータから導き出された科学的な法則に基づき、ブランドの選ばれやすさを最大化することで、市場浸透を図ることに役割があります。これは、ブランドの市場を拡大し、「10→100」に伸ばしていく成長のフェーズにおける、厳格な運用ルールなのです。

 この二大理論を、それぞれの強みが最大化されるフェーズで正しく統合し、実務において使いこなす技術こそが、今、最も求められています。

 本書の趣旨は、理論の言葉遊びや流行のキーワードに振り回され、勝手な解釈がまん延する現代の日本企業に対して、その正しい使い分けと運用のコツを伝授することにあります。理論の迷宮を抜け出し、確信を持って市場を切り開くための航海図を、ブランドの開発段階ごとに解き明かしていきます。


【目次】

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