その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はスティーブ・ニコルズ(著)、熊谷玲実(訳)、丸山宗利(日本語版監修)の『 虫・全史 1000京匹の誕生、進化、繁栄、未来 』。「イントロダクション 昆虫入門」をお届けします。

【イントロダクション 昆虫入門】

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昆虫について話す相手がいないせいで死にそうだ。

チャールズ・ダーウィン、1828年


どんな子どもにも虫好き期があるが、私はそれを卒業していない。

E・O・ウィルソン、2013年


 昆虫は、種(しゅ)の数と個体数のどちらで見ても、これまで地球上に存在した動物の中で最も繁栄しているグループだ。今までに約110万種が確認されていて、それ以外に未発見の種が世界に500万種がいると考えられている。そう、世界のどこかに。そして個体数は推定1000京匹だ。地球上に生息する動物の4分の1が甲虫で、10分の1がチョウかガという計算になる。何年か前には、ロサンゼルス市内だけでハエの新種が30種も発見されている。

 私はこれまで50年間近く、昆虫の写真を撮ったり、勉強したり、本を読んだりしてきたが、いまだに新しい研究論文や本を手にするたびに、または地元の森で倒木をひっくり返すたびに、夢中になれるものが新たに見つかって、それをもっと追いかけたくなる。私は野生生物を撮影する映像作家だ。仕事を通して、昆虫のさまざまな面を研究する科学者に世界各地で出会うという貴重な機会を得てきた。そうした科学者たちは自分たちの研究成果や見識について、どんな時も丁寧に話してくれた。そうやってたくさんの時間をかけて、あれほど広く世界を探検してきても、昆虫の自然誌や生物学といった方面を見てみれば、それまでまったく知らなかった研究分野が見つかる。昆虫をめぐる研究の魅力には本当に終わりがない。私はこの本で、そうした魅力をみなさんと共有したいと考えている。

 110万種、推定1000京匹にのぼる生物の世界を旅するこの本に、全体を貫くひとつのテーマと言えるものがあるとするなら、それはそうした昆虫の驚くべき繁栄の理由を探ることだ。昆虫が地球を(あるいは少なくとも陸地と淡水域を)征服したレシピにはたくさんの材料が載っている。昆虫の独特な体の基本構造が持つ柔軟性が根底にある材料もあれば、驚くほど多様な生活環や行動のレパートリーに根ざすものもある。この本では、それぞれの章でそうした昆虫の生活に見られる重要な特徴をひとつ、あるいは複数取り上げながら、昆虫という生物の成功の理由を探り、彼らが陸地や淡水域の環境をこれほど長い間、どうやって支配してきたのかを考えていく。

 とはいえ、自然界でも特に壮大な物語に頭から飛び込んでいくのはいい考えではない。まずは旅を進めやすくするために、背景情報をいくらか盛り込んだ便利なガイドとして、基本的な事柄を少し説明しよう。このイントロダクションでは、よく使われる専門用語を説明するとともに、よくある疑問にも答えていく。また、この本の構成についても説明するつもりだ。

 この物語は、地球全体で展開するだけでなく、時間を大きくさかのぼることにもなる。地球上に古くからいる昆虫が達成してきたことをきちんと理解するには、地球全体を占領している現状はもちろん、長い進化の歴史について知ることも必要だ。昆虫の進化がどれだけの時間をかけて起きたか、その地質年代の長さは人間の想像を超えているが、少なくとも図式化は可能で、それを見れば私たちが地質年代順にたどっていく物語の大まかな流れがつかめる。地球の歴史はいくつもの地質年代に分かれるが、本書にはその中から12が登場する。スティーブン・スピルバーグ監督のおかげでジュラ紀はよく知られていると思うが、参考として、その他の年代も並べた、6億3500万年前からスタートする地質年代区分の図を用意した。

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 歴史を振り返ると、この年代区分は少しずつ組み立てられてきたもので、初期に考えられた年代区分はイギリスでの研究にもとづくものが多く、特にイギリス南西部に偏っているように見える。カンブリア紀(Cambrian)はウェールズの古名であるカンブリア(Cambria)に、デボン紀(Devonian)はイングランド南西部のデボン州にその名が由来する。シルル紀(Silurian)とオルドビス紀(Ordovician)はどちらもウェールズに住んでいたケルト民族の名称にちなむ。一方で、白亜紀(Cretaceous)〔訳注:白亜は石灰岩の一種であるチョークのこと〕や、石炭紀(Carboniferous)のように、その時期に多く見られる岩石の種類に由来するものもある。その他には、ロシアのペルミにちなむペルム紀(Permian)や、スイス・フランス国境にあるジュラ山脈にちなむジュラ紀など、世界の他の地域にちなむ年代がある。ただしここで知っておく必要があるのは、地質年代の順序とその地層の生成時期だ。というのは、これから私たちはこの年代区分をキャンバスとして、昆虫の進化の歴史を描いていくことになるからだ。

 まずは昆虫学の紹介から始めよう。昆虫学(entomology)を語源学(etymology)と混同しないように(間違える人が多いので)。私自身が初めて昆虫学に接したのは、1973年にブリストル大学に入学して、動物学を専攻した時だ。私はずっと鳥類と爬虫類に強い興味を抱いていた。物心がついた時から鳥類と爬虫類に夢中だったのだが、あっという間に昆虫に変わってしまった。

 当時の動物学科を率いていたのは、著名な昆虫学者で、たびたび議論を引き起こすハワード・エベレスト・ヒントン教授だった。私たち学生は彼をイニシャルでHEHと呼ぶことが多かったが、それが王族に呼びかける際の「殿下」(His Royal Highness)の略称HRHに似ているのはまさにぴったりに思えた。ヒントン教授はたびたび、仲間の昆虫学者たちを相手に、昆虫学のあらゆる基本概念について激烈とは言わないまでも活発な議論を繰り広げていた。講義では、自説に反対する人々への毒舌をふるいながら、びっくりするような話で私たちを未知の世界に導いた。ヒントン教授が昆虫世界のあらゆる面に抱く好奇心には、周囲にも伝染する力があった。彼にとっては、どんな細部も取るに足りないと言って無視していいことにはならなかった。そういうささいな事柄がはるかに重要な驚くべき新事実につながることは珍しくないからだ。昆虫学者には、研究テーマを限られた範囲に絞る人や、実験室で飼いやすい昆虫を選んで研究する人が多い。これだけ多くの種がいる生物グループに対する研究アプローチとしては、賢明なやり方と言えるだろう。しかしヒントン教授は、ほとんどすべての昆虫の研究領域を熱心に、かつ気ままにぶらついては、何でも目についたものに疑問をぶつけた。フィールドワークにも実験室での研究と同じくらい慣れていて、奇妙な外見の昆虫や、見たことのない昆虫のすばらしい標本コレクションを持っていた。そして、相手がうんざりした顔をしない限り、誰にでもその標本コレクションを嬉々として見せびらかすのだ。

 ヒントン教授の講義は、私の目を驚くべき世界に向けさせてくれた。だから、後にヒントン教授が、有給で昆虫学を研究できる博士課程学生に採用してくれた時にはとても嬉しかった。とはいえ、私たちが昆虫の世界への旅を始めるにはまず、ヒントン教授が最初の授業でしたのと同じことをすべきだ。「昆虫とは何か」を考える必要があるのだ。動物学者も含めて、非常に多くの人がそう聞かれると戸惑う。科学全体で見ても、どの生物が昆虫でどれがそうでないかについての考え方はその時々によって変化してきた。だからある程度の混乱があるのは無理もない。しかし、そうした混乱が日常レベルで定着しているのは、世の中の人々がこの小さな生物を分類する時の方法のせいだ。

 多くの人が、「bug」という言葉を、甲虫やハエ、チョウ、コオロギのような生物だけでなく、クモやサソリからムカデやヤスデまでの、あらゆる「ぞわぞわ這い回る」生物に結びつけて考えている。「bug」と「insect」(昆虫)という語は同じ意味で使われることが多いので、こうした世間一般の見方では、さきほどの生物すべてを「昆虫」としてひとまとめにしている。クモやサソリ、ムカデ、ヤスデなどは明らかに昆虫ではない。しかしこの昆虫学的には異端にあたる考えに与する人々には、立派な仲間がいる。かのアリストテレスでさえ同じ間違いをしていたのだ。アリストテレスは「エントマ」(entoma)という生物分類を考え、そこに真の昆虫とともに、クモやムカデ、ヤスデなどを含めた。こうした分類は(この後すぐに説明する)豊かで興味深い進化の歴史を過小評価するものだが、少なくともアリストテレスは私たちに、真の昆虫についての研究分野の名前を与えてくれた。

 ところで「bug」という単語は、昆虫学者にとってはきわめて具体的な意味がある単語だ。bugは、カメムシ(shield bug)やハナカメムシ(flower bug)といった、カメムシ目に分類される昆虫を指すのだ。カメムシ目以外のものを指すのに「bug」を使った人に殴りかからんばかりの反応を見せる昆虫学者を私は何人も知っている。ヒントン教授のいる場で私はそんな罰当たりな言葉をわざわざ口にしたことはない。では、昆虫とは厳密には何を指すのか。そして腹を立てた昆虫学者に殴り倒されたくなかったらどうすればいいのか。実は、この疑問にひと言で答えるのは驚くほど難しい。しかし、この単純そうに見えて本当は難しい疑問を探究することが、昆虫の世界への旅の始まりに他ならないのだ。

 何が昆虫か(またはそうではないか)を理解するには、壮大な系統樹(いわゆる「生命の樹」)で昆虫が占める位置を見てみるのがいい。この系統樹のすべての枝には名前がついているので(それはそうだ。生物学者はものを分類してラベルを貼るのが大好きなのだから)、昆虫をこの方法で定義するなら、まずは生物の階層式分類体系を少し詳しく見てみる必要があるだろう。この体系は、生物に備わるあふれんばかりの多様性にある種の秩序を与えるために科学者が発明したものだ。生物のほうでは、きっちりと積み重ねられた箱に押し込めるような人間のやり方などお構いなしのことが多いが、それでもこの分類体系は、戸惑うほど多種多様な生物を相手にする手段としては使い勝手がよいし、何より昆虫のとてつもない多様性の意味を理解するには間違いなく便利だ。

 まず、昆虫は節足動物だ。つまり節足動物門に属しているということだ。さきほどの他の「bug」(クモやムカデなど)も節足動物である。その点では、クモやムカデなどは昆虫ではないものの、遠縁ながらすべて親戚関係にあると言える。残念ながら昆虫とクモやムカデなどには、科学的に正しい総称がないので、「bug」という語は今後もしばらくの間、そうした陸生の節足動物すべてを指す便利な総称として一部の昆虫学者にもきっと使われ続けることになるだろう。イギリス最大の昆虫保護団体の名称はその一例で、ルールにうるさい昆虫学者の血圧を上げることになろうとも、「バグライフ(Buglife)」と呼ばれている。

 門(もん)は動物を分類するいくつもの大きなカテゴリーだ。この門(phyla、単数形はphylum)という語は1866年にドイツの動物学者エルンスト・ヘッケルが作り出したもので、ギリシャ語のphylon(民族や種族、部族の意味)に由来する。節足動物門の他には、環形動物門(さまざまな種類の体節を持つ蠕虫)や刺胞動物門(イソギンチャクやサンゴ、クラゲ)、棘皮動物門(ヒトデやウニ)、そして脊索動物門(ヒトを含むすべての脊椎動物と、脊椎動物に近い目立たない数種の動物)がある。門はさらにいくつものカテゴリーに分かれ、それぞれのカテゴリーはより近縁の動物のグループを表す。そしてそれぞれがさらに近縁の動物からなるグループに分かれる。この階層構造にはひどくたくさんの段階があるし、どの動物がどのカテゴリーに分類されるかについてはかなりの意見の相違があるが、大きなカテゴリーの分け方から、昆虫とは何かを理解できる面もあるだろう。門は綱(こう)に分かれ、綱は目(もく)に分かれる。そして目は科(か)からなる。この階層を視覚化する別の方法が、大きな枝から細い枝先へと分岐していく、このうえなく細かい進化系統樹だ。

 現在は動物には32の門がある。その中では節足動物門がずば抜けて大きく、規模という基準で判断すれば最も繁栄していると言える。こうした門は、それぞれに他と根本的に異なるボディプラン〔訳注:体の構造の基本的な形式〕があると考えるのが一番合っている。たとえば、環形動物は体節が繰り返す構造をしているし、棘皮動物は対称性のある五芒星形になっている。そして脊索動物の体は背の「脊柱」を中心とした構造になっている。節足動物の体にはさまざまな特徴があるが、すべての節足動物に共通するのが体の外側にある硬い骨格(「外骨格」という)だ。この外骨格は主にキチンという物質でできているが、炭酸カルシウムなどの無機物で強化されて硬い殻になっていることも多い。これが私たちには節足動物がとても異質に見える理由のひとつだ。節足動物は、私たちヒトと比べると逆さまに作られていると言える。ヒトでは、体の内部に頑丈な基本構造となる骨格があり、その骨格の外側を柔らかい組織が覆っている。一方、節足動物では甲冑のような外骨格の内側に、生命維持に欠かせない臓器がすべてぶら下がっている。外骨格にも甲冑と同じように、体を曲げ伸ばししたり、泳いだり歩いたりできるようにする、自由に動く関節が必要だ。

中国産で、古くから養蚕に使われてきたサクサン(Antheraea pernyi)の幼虫。
中国産で、古くから養蚕に使われてきたサクサン(Antheraea pernyi)の幼虫。
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 節足動物(arthropod)の文字通りの意味は「関節のある(古代ギリシャ語でarthron)脚(pose)」になる。この名は、そうした関節のある脚(関節肢)を持ち、歩行や泳ぎ、さらには呼吸にも使うという、もうひとつの共通する特徴に由来する。このイノベーションは節足動物の歴史が始まってすぐに登場し、このグループ全体の繁栄を大きく後押ししてきた。そして最近の衝撃的な発見によって、この節足動物の基本的な特徴に備わる柔軟性の高さに注目が集まっている。

 2011年にモロッコで、保存状態がとびぬけてよい巨大な(体長2メートル)節足動物の化石が発見された。オルドビス紀にあたる4億8000万年前の古代の海を泳いでいたこの巨大な節足動物は、アノマロカリス類の一種で、水中の細かな餌を漉し取って食べる「濾過摂食」をしていた。アノマロカリス(anomalocarid)は、節足動物の系統図の大元から枝分かれしたグループで、その名は「奇妙な(古代ギリシャ語でanomalos)エビまたはカニ(caris)」を意味するが、この立派な動物にそんな名前をつけるのはまったくひどい仕打ちだ。多くのアノマロカリスが大型で、濾過摂食をする種もあったが、多くは他の生物を捕食していたことから、「殺人エビ」(killer shrimp)と呼ばれることもある。

 シュノーケルをつけてカンブリア紀やオルドビス紀の海を泳いだら、本当によその星にいるような体験だっただろう。その頃、陸上生物はいたとしてもほんのわずかだったが、海は奇妙な生き物の集団であふれていて、その多くが節足動物だった。そんな古代の海を、アノマロカリスは体の両側に並ぶひれを波打たせて推進力を得ながら、ゆっくり泳いでいた。海底には、やはり巨大なサイズになる広翼類(ウミサソリ)も這い回っていた。その一種であるジャエケロプテルスは体長が2.5メートルにもなり、少なくとも知られている中では、これまでに地球上に生息した最大の節足動物だ。海底をのそのそと歩き回る巨大なダンゴムシのような三葉虫は、個体数も種類もとても多かった。同じ頃、私たちの最も遠い祖先はピカイアという生物の姿をしていた。数センチメートルしかないにょろりとした体で、海底堆積物を嗅ぎ回って餌を探す典型的な海底生物だった。

 モロッコで発見されたアノマロカリスはアエギロカッシス・ベンモウラエ(Aegirocassis benmoulae)という種で、2メートルという体長は最大の広翼類にも負けないサイズだ。保存状態がとてもよかったので、ひれをかつてないほど詳しく調べることができた。それぞれの体節には、背側と腹側に1枚ずつの二重のひれがあった。この構造は他の節足動物の脚と起源を同じくするようだ。ひれと同じように、節足動物の脚も本来は二重構造になっていて、それぞれの脚が外肢と内肢の2本に分岐した二又型になっていた。一部の節足動物では、外肢が呼吸のための鰓(えら)として分化し、内肢は泳ぎか歩行のために使われた。現在の昆虫では、鰓は必要ないので、節足動物にもともとあった二叉型の脚のうち、歩行用の内肢だけが残っている。ただ、多くの甲殻類は今も元の二叉型の脚を持っている。

オーストラリアのタスマニア島産の陸生ザリガニである、ミナミザリガニ科の一種(Engaeus sp.)。 甲殻類は昆虫と同じ節足動物であり、関節肢と硬い外骨格という共通点がある。
オーストラリアのタスマニア島産の陸生ザリガニである、ミナミザリガニ科の一種(Engaeus sp.)。 甲殻類は昆虫と同じ節足動物であり、関節肢と硬い外骨格という共通点がある。
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 節足動物は、カンブリア紀(5億4100万年前から4億8500万年前)の初期か、あるいはカンブリア紀が始まる直前の海で進化した。頑丈な外骨格とさまざまな用途を持つ脚のおかげで、節足動物はすぐに優位な立場を確保した。こうした初期の節足動物の話は2章で詳しくするつもりだ。ここで強調したいのは、そういったわけで、昆虫の最も古い祖先も海洋生物だったに違いないということだ。ただ、海に生息した「最初期の昆虫」の化石のたぐいは見つかっていないので、昆虫の最古の祖先が実際にどんな姿をしていたかはまったくわからない。しかし、2章で見るように、1979年になって予想外に発見された奇妙な生きた化石を材料として、直感的な推測をすることはできる。

*まず言っておきたいのだが、「生きた化石」とか「原始的」といった言葉は、便利な慣用表現ではあるが、誤解を招きやすい。「生きた」化石は存在しない。「生きた化石」とか「原始的」などと言われる生物は現生生物である以上、他の生物と同じくらい長い間進化を重ねてきている。しかし中には、古代の化石にも見られる特徴をとどめている生物もある。私はこの先で、どうしても慣用表現を使わざるをえない場合には、前後関係をはっきり説明するつもりだ。

 節足動物の典型的な特徴は、この門が長く繁栄し続けるのに役立った。しかし昆虫においては、その節足動物のボディプランに独自の解釈を加えて進化したことが、世界征服に向けてさらに邁進していく助けになった。節足動物の80パーセント以上が昆虫であることを考えれば、彼らがうまくやったのは間違いない。節足動物の基本設計を昆虫が独特な形で変化させたことは、昆虫とは何かを考えるヒントにもなる。

 昆虫は他の節足動物とは違って、体が3つの部分にはっきり分かれている。頭部(感覚をになう部分で、眼と口器(こうき)、2本の触角がある)、胸部(エンジンルーム。脚や翅を動かす筋肉もある)、腹部(栄養を貯蔵する脂肪体や生殖器など、生命維持に必須のその他すべての器官がある)だ。胸部には3組の脚と2組の翅がついている。ただし翅と脚の数はこれより少ない場合もある。

 しかし話はそんなに単純ではない。真の昆虫の中にも、翅を進化させたことがないグループがふたつあるのだ。そういう翅のない昆虫のひとつには、あなたも出くわしたことがあるだろう。食器棚の裏側あたりを素早く動き回っているシミだ。シミはシミ目(Zygentoma)に分類される。一方、見た目がよく似ているイシノミは、イシノミ目(Archaeognatha)という別の目になる。シミ目のほうが翅のある他の昆虫に近縁だが、どちらも、昆虫が陸上に棲みついてから翅を進化させるまでの期間にどんな姿をしていたのかを知るちょっとした手がかりになる。

 水中に生息していた昆虫の古い祖先がどんな姿をしていたかは不明だが、どこかの時点で陸地に上がり込んできたのは確かだ。それはおそらくオルドビス紀(4億8500万年前〜4億4400万年前)の初期だろう。その時点で彼らは、水生節足動物から受け継いだ体を陸上での暮らしに合わせて変化させなければならなくなった。そうやって新しい生活を始めるうえで、彼らの外骨格はとても便利だった。空気という水よりずっと密度の小さい生息環境で、体の構造の支えになったからだ。また関節のある脚は、多少の変更は必要だったが、海底を歩いたり、海中を泳いだりする場合と同じように、陸上を歩くのにも役に立った。しかし一方で、空気中での呼吸には問題があった。水生節足動物は薄くて水を通す鰓を使って、水に溶けた酸素を吸収する。残念ながら、その構造は空気中では使えない。鰓は乾燥してしなびるだけだ。昆虫は陸上で呼吸する新たな方法を生み出さなければならなかった。

 そこで昆虫が進化させたのが気管系だ。昆虫の体節のそれぞれに「気門」という小さな孔が1対ある。時とともに一部の体節から気門がなくなった種もあるが、気管系の基本的な仕組みは変わっていない。気門は「気管」と呼ばれる太い管につながっている。気管は細い管に枝分かれして網目状に広がり、その末端では細胞の隙間に入り込めるくらい細い「毛細気管」になる。空気で満たされた気管の中を、酸素はただ拡散していき、細胞活動の燃料として必要とされる場所の近くで、毛細気管の薄い壁から外に出る。小型の昆虫では、このような気管のネットワークを通じた受動的な拡散プロセスでも素早く効率よくたっぷりの酸素を供給できるが、体が大きくなるにつれて気管内での酸素の拡散には時間がかかるようになる。そのため多くの大型昆虫は激しい活動をする時に、腹部を何度も激しく動かして、空気を素早く気管に送れるようにする必要がある。それでも、細い管に沿った酸素の受動的な拡散に頼っている以上、昆虫の体のサイズには上限が出てくる。

 この気管ネットワークは全身に広がっている。マイクロCTスキャンで観察すれば、この気管系のとんでもない複雑さと並外れた美しさがわかるが、ハイテク実験装置がなくても観察できる。硬い外骨格を脱皮する時の抜け殻に、枝分かれした気管ネットワークが見られるのだ。

*気管系の進化は、昆虫の外層のくぼみがさらに深くなり、外部とつながったままの長い管になるという形で進んだ。つまり気管の内側は、昆虫の体の外側を覆っているのと同じキチン質の外骨格で裏打ちされているということだ。これはさらに、脱皮のたびにこの複雑なネットワークの内側も脱皮することを意味する。毛細気管は直径が1000分の1ミリメートルから1万分の1ミリメートルくらいで、気管のようにキチン質ではない。そのため毛細気管の内側は脱皮しない。

 昆虫の気管系をじっくり観察するには、トンボの抜け殻が一番簡単だ。水中に棲むヤゴ(トンボの幼虫)は十分に成長すると、水面から突き出た植物の茎を登ってきて、最後の表皮を脱いで翅のついた成虫になる。抜け殻(専門用語では脱皮殻〔exuviae〕という)は、池のそばの植物にかなり長い間くっついたままになっていて、探すのは難しくない。そうした抜け殻の内側にはふさふさした白い毛の束がついているので、すぐにわかる〔訳注:セミの抜け殻でも同じように観察できる〕。

イトトンボの一種であるシロアシグンバイトトンボ(Platycnemis pennipes)。眼などの感覚器がある頭部、翅と脚がある胸部、そして腹部という、昆虫の基本的なボディプランがよくわかる。
イトトンボの一種であるシロアシグンバイトトンボ(Platycnemis pennipes)。眼などの感覚器がある頭部、翅と脚がある胸部、そして腹部という、昆虫の基本的なボディプランがよくわかる。
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 多足類(ムカデやヤスデ)も気管を通して呼吸するが、最新の研究から昆虫と多足類はそれほど近縁ではないことがわかっているので、このふたつのグループは空気中で呼吸するためのよい方法として、気管系を別々に進化させたに違いない。進化というのは、優れたアイデアを使い回すことをためらわないのだ。

 昆虫はこうした特徴を持つことで、節足動物のひとつの「綱」になっている。綱は生物の分類階層で門の下にある。最もシンプルな分類では、節足動物は5つの綱からなる。鋏角(きょうかく)類(クモやサソリの他、ウミグモやカブトガニを含む)、甲殻類(カニ、エビ、ロブスターなど)、多足類(ムカデとヤスデ)、三葉虫類(絶滅した三葉虫)、そして昆虫だ。しかし何を綱とするかについては分類学者の間にもきちんとしたルールはないので、こうしたグループを「亜門(あもん)」という分類階級として、節足動物全体をもっと多くの「綱」に分ける場合もある。ここではこうした分類の裏事情に深入りするつもりはない。それはことわざ的に「ミミズの缶」と言われるような、触れたくない厄介な問題なので、もし興味があるなら、あるいは一人前の分類学者が泣くところを見たいなら、自分で調べてみてほしい。

 昆虫の話に戻ると、独自の綱とするのが簡単な方法だが、六脚類(6本の脚を持つグループ)の一部として六脚網に入れるほうが、明確な理由のある正確な分類だと言える。ただし六脚類には亜門や上綱などの階級が与えられることもある。言った通り、「ミミズの缶」なのだ。どちらにしても、六脚類というカテゴリーの存在自体がちょっとした複雑な問題を生む。私はさっき、昆虫の定義のひとつは6本の脚を持つことだと言った。そしてすべての昆虫に6本の脚があるというのは確かに正しい。しかし困ったことに、六脚類すべてが昆虫とは限らない。

 簡単な話をややこしくしているのは、トビムシ(トビムシ目〔Collembola〕)、コムシ(コムシ目〔Diplura〕)、カマアシムシ(カマアシムシ目〔Protura〕)という、耳慣れない「ほぼ昆虫」の3グループだ。こうしたグループはかなり昆虫に近いので、以前は真の昆虫として分類されていたが、科学者たちは最近になって考え方を変えたところだ。こうした生物のいくつかについては、後の章でまた簡単に説明しよう。

 では、昆虫の正確な定義を考えるにはどうすればよいのだろうか。昆虫が節足動物だということはわかっているが、クモやムカデ、カニも節足動物だ。「昆虫には6本の脚がある」というが、これはトビムシやカマアシムシなど、他の少数の非昆虫グループにも言える。「昆虫には2対の翅がある」という点については、シミなど一部の昆虫には翅がまったくない。「昆虫の体は頭部、胸部、腹部の3つに分かれている」ともされるが、これもまたトビムシにも当てはまることだ。ただすべての昆虫には、どんな生物かはわからないが、はるか遠い過去にひとつの共通祖先が存在する。彼らは系統樹の中に独自の大枝を作り上げている。この1本の大枝がさらに何度も枝分かれして、昆虫の多様性を生み出したのだ。これが最も正確な昆虫の定義だが、最初に言った通り、とてもではないがシンプルな定義ではない。

 昆虫は、その多様性に対応するために、27の「目(もく)」に分けられている。目は綱の下にある大きな分類階級だ。この27の目は、甲虫(コウチュウ目〔Coleoptera〕)やハエ(ハエ目〔Diptera〕)、チョウやガ(チョウ目〔Lepidoptera〕)などの昆虫の大まかな「タイプ」を表している。さらにはるか昔に絶滅した昆虫の目もあるが、そうした目の数はつねに増減している。調べられていない岩の中にはそうした昆虫がまだ他にも潜んでいるのはほぼ間違いない。生きた個体がいない以上、そうした絶滅した目の分類は控えめに言っても流動的だし、かなり複雑にもなる。絶滅した昆虫で特に有名なものについては、適切なところでいくつか紹介するつもりだ。

 現生する昆虫の新しい目が誕生することも時々ある。最近誕生したのは2001年で、この話は1章で紹介する。世界の中での昆虫の位置づけを理解するために使ってきた系統樹は、実は分類学という流れる砂の上に生えているのだ。地球上の生命を分類しようというのは黒魔術に手を染めるようなもので、研究が進めば目の数がまた変わるということも十分ありうる。たとえば、シロアリを含むシロアリ目〔Isoptera〕とゴキブリを含むゴキブリ目〔Blattodea〕は、以前は別の目だったが、最近ひとつの目になって、引き続きゴキブリ目と呼ばれている。

 これで昆虫の定義がわかったので、昆虫の長い歴史を導いてくれる地図を手に、昆虫の不思議な世界をめぐる探検に出発する準備ができた。昆虫の物語には重要なターニングポイントがいくつかあり、そのたびに昆虫は勢いを得てさらに繁栄したことが広く認められている。この本の構成の中心となるのはそうしたターニングポイントだ。まず外骨格や関節肢のような、祖先である古代の節足動物から受け継いだ特徴が昆虫の大きな強みとなった(2章と3章)。しかし昆虫が独自に生み出した進化のイノベーションもいくつかある。翅の進化と、後に起こった、翅を安全に折り畳むメカニズムの進化が昆虫のサクセスストーリーに貢献した点は、どれだけ強調してもしすぎということはない(4章)。たとえば翅があるおかげで、昆虫は遠く離れた場所へ移動して、地球をそれまではありえなかった形で利用できるようになった(5章)。

 花をつける植物が進化した時に、昆虫は新たな機会を与えられた。昆虫と花は複雑な協力関係を次々と結んだが、その中にはとても密接で複雑なため、何とも信じがたいようなものもある。そうやって協力し合うことで、昆虫と花を咲かせる植物の両方が生態系の中でさらに優勢となった(6章)。

 昆虫は数を増やすのがとてつもなく得意だ。成虫になるまでの過程によって、昆虫はふたつのグループに分けられる。ひとつ目のグループは、種類によって程度の違いはあるが、若虫が成虫のミニチュア版になっている昆虫だ(この方式は「不完全変態」と呼ばれることが多いが、より専門的には「半変態」という)。もうひとつのグループは、ウジやイモムシのように、成虫の形とはまったく異なる別の幼虫段階がある昆虫だ。そのような極端な見た目の変化には、幼虫が成虫に姿を変える蛹(さなぎ)段階を進化させる必要があった。この方式は「完全変態」と呼ばれる。一部の昆虫学者は、完全変態を進化させたことが昆虫の繁栄の唯一最大の原因であり、翅の進化よりも重要だったという説を唱えている。確かに、昆虫の中では完全変態をする種類が最も多い(7章)。

写真上=オビヤスデ属の一種(Polydesmus sp.)。昆虫とヤスデは、以前は近縁と見られていたが、今 ではそうとは考えられていない。気管系などの共通する特徴は、それぞれ独自に進化したものだ。/写真下=ツマジロスカシマダラ(Greta oto)。チョウやガを含むチョウ目は、昆虫の中でも最も繁栄し ているグループのひとつだ。
写真上=オビヤスデ属の一種(Polydesmus sp.)。昆虫とヤスデは、以前は近縁と見られていたが、今 ではそうとは考えられていない。気管系などの共通する特徴は、それぞれ独自に進化したものだ。/写真下=ツマジロスカシマダラ(Greta oto)。チョウやガを含むチョウ目は、昆虫の中でも最も繁栄し ているグループのひとつだ。
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 多くの昆虫が見せる意外なほど複雑な子育ては、将来世代の繁栄をもたらしている(8章)。しかし子育ては同時に、数グループの昆虫が生態系で優位につくための鍵となる別のイノベーションにつながった。社会的行動の進化だ。驚くほど多くの昆虫が社会生活を送っているが(9章)、シロアリ(ゴキブリ目)とアリやハチ(ハチ目)〔訳注:英語ではハチをbee(ハナバチ)とwasp(カリバチや寄生バチ)に区別する〕の2グループでは、きわめて高度な社会性を発達させている。シロアリやアリはどの種も、非常に多くの個体が群がるコロニーで生活しているが、ハチ類の多くは単独行動をするか、小さなコロニーで生活する。そのため、こうした身近な昆虫を通して、単独での生活から複雑な社会での生活にいたるひとつの道筋をたどることができる(10章)。アリとシロアリはきわめて高度な社会組織を作り上げていて、その社会には数百万匹が生活している場合もある。彼らの作る複雑な巣は非常に洗練されていて、人間の建築家さえそこから影響を受けることがある。そしてその生息範囲は他のどんな昆虫や脊椎動物よりもはるかに広い(11章)。

 私たちは昆虫が多数を占める世界で生きている。昆虫は、陸と淡水に広がる生態系のほとんどを支えている。生態学者で昆虫学者である、ハーバード大学のE・O・ウィルソンは1987年に、ワシントンDCのスミソニアン国立動物園に無脊椎動物展示室が開設された時のスピーチで、昆虫を含めた無脊椎動物を「世界を動かす小さなものたち」と言い表した。昆虫がいなかったら、私たちの世界はたちまち崩れ去ってしまうだろう。

 この世界の、そしてこの物語の主役は昆虫たちだ。


【目次】

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