その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は夫馬賢治さんの『 データでわかる2030年 雇用の未来 』。「プロローグ」をお届けします。
【プロローグ】 日本人の知らない21世紀の産業革命
私たちの社会は大きく行き詰まっている。その結果、2030年に新たな産業革命が世界中で始まる。その産業革命の規模は、18世紀後半から19世紀にかけてイギリスで始まったかつての産業革命を超えるものになるだろう。人類史を一変させたイギリス産業革命から、すでに150年以上が経過しており、産業革命は歴史上の出来事と化している。今日、当時の産業革命を実際に経験したことがある人はいない。
だが、後世に生きる私たちは、イギリス産業革命が、あらゆる分野の産業構造や雇用のあり方を劇的に変えてしまったことを知っている。さらに、イギリス産業革命は、教育のあり方や、キャリア形成のあり方、社会構造までをも一変させた。
それほどまでに大きな産業革命を、人類はもう一度経験しようとしている。
だが、いまにも始まろうとしている新しい産業革命を前に、あまりにも私たちは無防備だ。ほとんどの人はこれから産業革命が始まろうとしていることにも気づいていない。学校教育の現場でも、産業革命が始まるということを予見している人はほとんどいないだろう。この状態で、日本社会が産業革命時代に突入にしていけば、私たちは時代の変化に適応できなくなってしまう。そうなれば、産業は弱体化し、雇用は失われ、そして経済は落ち込み、社会は衰退していくだろう。
ラッダイト運動から考える現代の教訓
私たちが、19世紀イギリスの産業革命から学べることはたくさんある。そのひとつが、「産業革命はいったん動き出すと、容易には止められない」という事実だ。
イギリス産業革命では、それまでは手工業が中心だった毛織物業界に、自動織機が持ち込まれ、品質が安定した生地を大量かつ低コストで生産できるようになった。それに伴い、非熟練工だけでなく、高賃金の熟練工までもが失業することとなった。それを不服とする労働者たちは、1811年から16年までの間、イギリス中・北部の織物工業地帯で自動織機や工場を打ち壊す「ラッダイト運動」を引き起こした。
ラッダイトという言葉の由来は、伝承上の職工ネッド・ラッドからきているという説が有力だ。ラッドには、私憤で靴下編機2台を破壊したという逸話がある。そのことから「織機を破壊した人=ラッド」という俗語が生まれ、「ラッダイト運動」と名付けられた。
労働者が巻き起こしたラッダイト運動が最後どうなったかを、ご存じだろうか。イギリス国会は1812年に機械破壊法を制定し、機械を破壊する行為に死刑を適用する刑事罰を科した。だがこれでも暴動は収まらなかった。次にイギリス政府は、ラッダイト運動の主導者を密告した場合に多額の懸賞金を支払う策に出た。すると仲間割れが起き、指導者の逮捕・処刑が頻発し、勢いが衰えた。最後にイギリス政府は、1万2000人の軍隊を投入し、力づくで労働者の暴動を鎮圧し、ラッダイト運動は終焉した。
ラッダイト運動や、それを武力で鎮圧した政府の対応については、賛否両論あるだろう。だが、ラッダイト運動は、結局は時代の流れにさからえなかった。繊維業界はその後、急速に機械化されていき、私たちはいま、当たり前のように自動織機で織られた衣類を身に着けている。そしてそのことに疑問を抱く人は21世紀にはほとんどいなくなった。
産業革命が近代的な学校教育制度をもたらした
ではイギリス産業革命の中で、どのように人類は時代の変化に適応していったのだろうか。産業革命によって組織の中で機能的に活動する人が必要になると、共通の基礎学力とコミュニケーション能力を修得する教育制度が普及していった。これが今日まで続く「近代的教育制度」だ。大勢の人たちに、同じ内容を効率的に教えていくためには、教室で同じ内容を先生が教える「学校」という制度は理に適っていた。こうして、産業革命が始まった国々では、学校教育制度が整えられていき、それまでの貧困層も含めて徐々に学校に通うようになった。ヨーロッパでは産業革命前までは誰もが「読み書きできる」という状況ではなかったが、近代的教育制度によって識字率は一気に上昇していった。
同時に、徒弟制度に基づく中世の「技能学習」から、アカデミックな「技術学習」へと重点が移った。いわゆる「工学」分野の確立だ。宗教学に端を発した伝統的な大学ではなく、自然科学を教えることを理念とした新興大学が世界各地に創設された。数学や理学の教育課程も整備されていった。自然科学を教える大学を求めたのは、産業革命によって誕生した産業家や、新たな時代に向けた社会変革の必要性を認識した法曹家たちで、彼らが寄付して新興大学が創設された。彼らが望んだのは、商人階層や中産階級の子弟の学び場として実務能力を修得するための新しい学部だった1。
近代的教育制度は、イギリスで産声をあげたが、最も劇的に整備されていったのは、大西洋を渡った先のアメリカだった。理由は、イギリス産業革命は、徐々に舞台をアメリカに移していき、アメリカが産業革命の震源地になっていったからだ。本書の中でも紹介するが、この時代にアメリカでは全土に大学が創設されていき、大学入学者が急増していく。日本では明治維新後に近代的教育制度が整備されつつも、大学入学者が急増したのは戦後だった。これが1955年頃から73年頃までの高度経済成長期を生み出した。産業革命によって、教育のあり方までもが一変した。
イギリスの産業革命と21世紀の産業革命の違い
イギリス産業革命のきっかけは、「労働生産性の向上」だった。中世のイギリスはヨーロッパの中では辺境の地だったため、もともと人口が少なかった。だが、ロンドン周辺が都市化するにつれ、人手不足に陥り、賃金が上昇していった。ロンドン周辺の高賃金に魅せられたイギリス各地の労働者は、職を求めてロンドンへと移住していく。すると、今度はイギリスの地方でも人手不足が始まり、賃金が上昇した。その結果、ヨーロッパの他の地域に比べ、イギリスでは熟練技能者だけでなく、非熟練技能者の賃金も高水準となった2。 このことが、イギリスで産業革命が始まる要因の一つとなり、イギリスで機械化技術が大成し、熟練技能者を代替していくこととなった。
一方、21世紀の産業革命は、「世の中の行き詰まり」が主要因だ。科学技術やデータマネジメントの発展により、様々な予測技術を身につけた人類は、このままでは人類が大きな課題に直面するということを知るようになった。
そのことを象徴するものが、「サステナビリティ(持続可能性)」という言葉の興隆だ。サステナビリティという言葉は、日本ではつい最近使われるようになったのだが、学問分野では約50年も前から、欧米のビジネス界でも約15年も前から使われるようになっている3。それだけ、人類社会は「持続可能ではない」ことが認識されるようになった。
イギリス産業革命が、労働生産性の向上による利潤の追求が大きな動機となっていたことと異なり、21世紀の産業革命は、「人類社会の存続」という壮大なミッションを背負って始まろうとしている。このような産業革命は、先史時代にまで遡っても例がなく、ホモ・サピエンスにとって初めての経験と言っても過言ではない。
3 夫馬賢治(2020)『ESG思考』講談社+α新書
日本政府と日本企業の迷走
産業革命の予兆はすでに始まっている。「カーボンニュートラル」を掛け声とした企業への大規模な補助金や、職場でのAI活用はその一例だ。これほどまでに大きな産業革命が始まるのであれば、普通であれば、政府も企業も十分な対応をしていってしかるべきだ。
だが、日本政府は迷走している。政府はいま、「働き方改革」という錦の御旗を掲げ、次々と政策を打ち出してはいる。だが、その改革の狙いは、少子高齢化による人手不足への備えであって、産業革命への備えではない。現状の改革を進めても、私たちを待ち受ける21世紀の産業革命に立ち向かうことはできない。
日本企業も迷走している。ここ最近、企業では「人的資本経営」という言葉が一種のブームになってはいるが、語られているのは、いま存在している産業の働き方をいかに改善していくかという話が中心だ。しかし、どんなに“いまの仕事”が働きやすいものになっていたとしても、新たな産業革命が始まり、その“仕事”そのものがなくなってしまえば意味がない。それどころか、働き方改革に費やした時間も予算も無駄になってしまう。
いま、政府にも、企業にも、そして私たち一人ひとりにも必要なことは、すでに始まりかけている産業革命の内容を理解し、将来の雇用の大転換に備えていくことだ。
【目次】






