その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はブライアン・カーニハンさんの 『教養としてのコンピューターサイエンス講義 第2版 今こそ知っておくべき「デジタル世界」の基礎知識』 です。
【前書き】
デジタル社会をより良く生きるために必要な
「コンピューティング」の基礎知識
1999年からほぼ毎秋、私はプリンストン大学で「Computers in Our World」(私たちの世界におけるコンピューター)という講義を教えてきました。講義のタイトルは恥ずかしいほど曖昧ですが、これはある日、5分以内にひねり出す必要があって付けた名称で、その後の変更が難しくなってしまったものです。とは言うものの、この講義を教えること自体は、常に仕事を楽しむ私にとっても、特に楽しいものとなりました。
身の回りにあふれる「コンピューティング」
この講義は、コンピューターおよびコンピューティングが、私たちの身の回りをぐるりと取り巻いている状況に基づいています。
コンピューティングの中には、とても目立つものがあります。今の学生は皆、私が大学院生だった1964年当時のIBM7094コンピューターよりも、はるかに強力なノートパソコンを持っています。IBM7094の価格は数百万ドルを超えていて、大きな空調付きの部屋を占領し、プリンストン大学のキャンバス全体にサービスを提供していました。また、学生は皆、1964年のコンピューターよりもはるかに高い計算能力を備えた携帯電話も持っています。さらに、世界中の多くの人々と同様に、高速インターネットアクセスも利用しています。誰もがオンラインで検索や買い物をし、友人や家族と連絡を取るためにメールやテキスト、ソーシャルネットワークを利用しています。
しかし、これらはコンピューティング(コンピューターを使った営み)という氷山の一部に過ぎず、その多くは水面下に隠れています。家電製品、自動車、飛行機、そして当たり前のように使っている日常的な電子機器、具体的にはスマートテレビ、サーモスタット、ドアベル、音声認識装置、フィットネストラッカー、イヤホン、おもちゃ、ゲームなどに潜んでいるコンピューターについては、普段は目にすることも考えることもありません。また、電話網、ケーブルテレビ、航空管制、電力網、銀行・金融サービスなどの社会的インフラが、どれほどコンピューターに依存しているかについても、あまり考えられていません。
ほとんどの人はこのようなシステムの開発や製造には直接関わってはいませんが、誰もがその影響を強く受けますし、そうしたシステムに関して重要な決断を下さなければならない人もいます。教育を受けた人なら、少なくともコンピューティングの基本を知っていなければなりません。コンピューターは何ができて、どのように行うのでしょうか? コンピューターが全くできないことは何で、単に今は難しいから行えないだけのものは何でしょう? コンピューターはどのようにしてお互いに対話し、対話の際には何が行われているのでしょう? さらに、コンピューティングとコミュニケーションが私たちの周囲に与えている様々な影響についても知る必要があります。
脅かされる個人情報
すみずみまで広がるコンピューティングの特性は、私たちに予想外の影響を与えます。日々、監視システムの発展によるプライバシーの侵害や個人情報の盗難の危機が増大していることに気づかされますが、一方でそれがコンピューティングとコミュニケーションにより、どの程度可能になっているのかをおそらく意識していません。
2013年6月、米国家安全保障局(NSA)の契約業者だったエドワード・スノーデンは、NSAが定常的に通話記録、電子メール、SMS、インターネットなどの電子通信を監視して収集していたことを、証拠となる文書とともにジャーナリストに提供しました。世界中の人が監視対象でしたが、特に米国内に居住する米国市民が中心でした(こうした市民は、米国の安全に対して、いかなる意味でも全く脅威ではない人たちでした)。スノーデンの文書はまた、他の国々もその市民を監視していることを暴露しました。しかし、おそらく最も驚くべきなのは、最初の怒りが過ぎ去ったあと、ますます多くの政府による監視とスパイ活動が行われているにもかかわらず、市民は諦めているのか、無頓着にそれを受け入れる日常に戻ったことです。
企業もまた、私たちがオンラインや実世界で何をしているかを追跡し、監視しています。多くの企業のビジネスモデルは、広範なデータ収集と、私たちの行動を予測して影響を与える能力に基づいています。膨大なデータが利用できるようになったことで、音声理解、画像認識、言語翻訳などが大きく進歩し、その代償としてプライバシーが損なわれ、誰もが匿名でいることが難しくなっています。
あらゆる種類のハッカーたちによるデータリポジトリ(訳注:データの一元的な貯蔵庫)への攻撃が巧妙になっています。企業や官公庁にある電子機器への侵入はほぼ日常的に行われており、顧客や従業員の情報が大量に盗まれ、詐欺や個人情報の盗用に利用される場合も少なくありません。また、個人への攻撃も普通にあります。かつては、ナイジェリアの王子やその親戚からのメールを無視していれば、オンライン詐欺から安全に逃れることができました。しかし、標的型攻撃は今でははるかに巧妙になっており、企業のコンピューターに侵入が行われる際の、最も一般的な方法になっています。
Facebook、Instagram、Twitter、Redditなどのソーシャルメディアが、人々のかかわり方を大きく変えました。良い方向に変わったものもあります。友人や家族と連絡を取り合ったり、ニュースを見たり、あらゆる種類のエンターテイメントを楽しんだりできることがその例です。また、たとえば2020年半ばに、警察の残虐行為を撮影した動画がBlack Lives Matter(ブラック ライブス マター)運動への注目を集めたように、ポジティブな効果をもたらすこともあります。
しかしソーシャルメディアは、かなりの量のネガティブな要素も含んでいます。信条や政治的立場にかかわらず、人種差別主義者、ヘイトグループ、陰謀論者、その他のおかしな人たちが、インターネット上で簡単にお互いを見つけ出し、その行動を互いに調整して大きくできるのです。言論の自由に関する厄介な議論や、コンテンツを管理するための技術的な困難さが、憎しみや愚かな考えの拡散防止を難しくしています。
インターネットで完全につながった世界では、管轄権の問題は難しくなっています。2018年、欧州連合(EU)は一般データ保護規則(GDPR)を施行しました。EU居住者は自分の個人データの収集と使用をコントロールできるようになり、企業がそのようなデータをEU外に送信したり保存したりする行為が禁止されました。GDPRが個人のプライバシー向上にどれだけ効果があったかについては、まだ評価が定まっていません。もちろん、これらのルールはEUのみで適用され、世界の他の地域での事情は異なります。
高まるシステムリスク
個人や企業が、Amazon、Google、Microsoftなどの企業が所有するサーバーに、データを保存しコンピューティングを行うクラウドコンピューティングの急速な普及は、また別の複雑さをもたらします。データはもはやその所有者によって直接保持されるのではなく、異なる課題、責任、そして脆弱性を有する第三者によって保持され、法執行機関からの要請に直面する可能性があります。
あらゆる種類のデバイスがインターネットに接続する「モノのインターネット」(IoT)が急速に拡大しています。携帯電話はもちろんですが、車、防犯カメラ、家電製品や屋内制御、医療機器、そして航空管制網や電力網などの多数のインフラストラクチャ(基盤)も関係しています。ネットにつながる利点が魅力的であるため、身の回りのモノすべてをインターネットに接続しようとする傾向は、この先も続きます。残念ながら、これらのデバイスの中には、娯楽だけでなく、生死に関わるシステムを制御するものもあるため、大きなリスクも伴います。さらに、そうしたデバイスのセキュリティは成熟したシステムのセキュリティよりもはるかに弱いことが多いのです。
通信やデータの保存を秘密かつ安全に保つ方法を提供してくれる暗号技術は、こうした問題に対する数少ない有効な防御策です。しかし、強力な暗号は絶えず攻撃を受けています。政府は、個人や企業やテロリストが真にプライベートな通信が行えるという考えが気に入らないため、暗号メカニズムに政府機関が破れるバックドアを要求する提案を繰り返しています。もちろん、「正しい防御」と「国家安全保障の観点」に限定された話ですが。
しかし、これは、良い意図に基づいているにしても、とても悪いアイデアです。政府は常に高潔に振る舞い、秘密情報が漏れることはないと信じていたとしても(まあスノーデン氏はともかく)、脆弱な暗号は味方に役立つと同時に敵も助けてしまうからです。それに悪人はいずれにしても弱い暗号など使いません。
このようにシステムリスクは、本講義の受講者や専門家はもちろんのこと、経歴や教育歴を問わず、街を歩く普通の人々が皆、心配しなければならない問題であり課題なのです。
コンピューティングについて未来の大統領が知るべきこと
本講義の受講者は、エンジニア、物理学者、数学者といった技術的背景を持つ人たちではありません。英語や政治学の専門家、歴史学者、古典学者、経済学者、音楽家、そして芸術家の人たちです。人文科学や社会科学の素晴らしさを引き受けている人たちなのです。講義が終わるまでには、こうした聡明な人たちは、コンピューティングに関する新聞記事を読んで理解できるようになるはずです。記事からより学べるようになりますし、ひょっとすると正確ではない記述を指摘できるようになるかもしれません。もっと広い言い方をするなら、私は学生や読者が技術について知的に懐疑的であってほしいと願っています。技術は基本的には良いものですが、決して万能薬ではないことを知ってほしいのです。もちろん技術が悪い影響を及ぼすこともありますが、決して純然たる悪ではありません。
リチャード・ムラーの素晴らしい著書“Physics for Future Presidents”(未来の大統領のための物理学)は、指導者たちが取り組まなければならない、核脅威、テロリスト、エネルギー、地球温暖化などの、重要な問題に通底する科学的ならびに技術的背景を解説しています。大統領になることを熱望していなくとも、知的な市民ならこうした話題についてもある程度知っている必要があります。ムラーのアプローチは、私が達成したいと思っていること、つまり「未来の大統領のコンピューティング」のための良いヒントです。
未来の大統領は、コンピューティングについて何を知っているべきでしょう? そして知的な市民は、コンピューティングについて何を知っているべきでしょう? そして、あなたは何を知っておくべきでしょう?
知っておくべき4つの技術領域
私は、ハードウェア、ソフトウェア、コミュニケーション、データという4つの中核的(core)な技術領域があると考えています。
ハードウェアは目に見える部分です。家庭やオフィスに置かれたり、携帯電話として持ち歩けたりする、見たり触れたりできるコンピューターです。コンピューターの中身は何でしょう? どのように機能し、どのように作られているのでしょうか? どのように情報を保存して、処理しているのでしょう?
ビットとバイトとは何でしょう? また、それらを使って音楽や動画などを表現するにはどうすればよいのでしょう?
ハードウェアとは対照的に、コンピューターに何をすべきかを指示するソフトウェアは、ほとんど目に見えません。私たちは何を計算できて、それをどれくらい速く計算できるのでしょうか? コンピューターに何をすべきかを、どのように指示するのでしょうか? ソフトウェアを正しく機能させることはなぜ難しいのでしょう? なぜソフトウェアの多くは使いにくいのでしょう?
コミュニケーションは、コンピューターや電話といった機器が相互に通信して、私たちが対話できるようになることです。
インターネット、ウェブ、電子メール、そしてソーシャルネットワークなどがコミュニケーションに使われます。これらはどのように機能しているのでしょうか? 利点は明らかですが、特にプライバシーとセキュリティに対するリスクは何でしょうか? またそうしたリスクはどのように軽減できるでしょうか?
データは、ハードウェアとソフトウェアが収集、保存、処理するすべての情報で、世界中の通信システムが送信しています。こうした情報の一部は私たち自身が、慎重であろうとなかろうと、記事や写真、そしてビデオをアップロードすることで、自発的に提供しています。その多くは、個人情報であり、日々生活する中で、私たちの合意や認識がないまま、集められて共有されているのです。
あなたに関わるコンピューティング
大統領であるかどうかにはかかわらず、コンピューティングのしくみについては知っておくべきです。なぜなら、あなた個人に関わってくるからです。
あなたの生活と仕事が、どれほどコンピューティング技術とはかけ離れていても、必ずその技術を利用したり技術関係者とやりとりすることになります。各種機器やシステムが動作するしくみをある程度知っていれば、セールスパーソンやヘルプデスク、または政治家による嘘を見破れるぐらいの知識だったとしても、大いに役立ちます。
実際、無知であることが直に有害な場合があります。ウイルスやフィッシングなどの脅威を理解できていなければ、その悪影響を受けやすくなります。プライベートだと思う情報が、ソーシャルネットワークからどのように流出(場合によっては広範囲に)しているかを知らないとしたら、おそらく自分自身で認識している以上に個人情報を公開してしまっています。
もしあなたの生活について学んだことを悪用しようとする、営利組織の猛烈な勢いに気が付いていないとしたら、わずかな利便性と引き換えにプライバシーを手放してしまっているのです。
喫茶店や空港でのインターネットバンキングの危険性がわからないとしたら、お金や個人情報の盗難に対して無防備です。データがいかに簡単に操作できるかを知らなければ、フェイクニュースや詐欺まがいの画像、陰謀論などに騙されてしまう可能性が高くなるのです。
本書の読み方
本書は最初から順番に読まれることを想定していますが、個人的に興味のある話題を先に読んで、また戻ってきてもよいでしょう。たとえば、第8章から始まるネットワーク、携帯電話、インターネット、ウェブとプライバシー問題に関する話題を先に読むこともできます。いくつかの部分を理解するためには、前の章へ戻らなければならないかもしれませんが、ほとんどが理解可能でしょう。たとえば第2章の2進数(バイナリー)の働きに関する説明といった、数値に関する話題は読み飛ばすことができます。そして複数の章に登場するプログラミング言語の詳細も無視できます。
最後にまとめた原注(原書注釈)には、私が特に好んでいるいくつかの本を挙げてありますし、役に立つ補足情報源へのリンクも掲載してあります。用語集では、重要な技術用語と略語の簡単な定義と説明をまとめてあります。
コンピューティングに関するすべての書籍は、すぐに時代遅れになりがちです。本書も例外ではありません。前の版が発行されたのは、悪意のある連中が世論を動かし、米国やその他の国の選挙に影響を与える可能性が判明するはるか前でした。私は本書を、新しい重要な話題でアップデートしました。その多くが個人のプライバシーとセキュリティに関係しています。なぜならこの問題はここ数年で大きく重要性を増しているからです。
また新たに、人工知能、機械学習、そしてそれらを効果的にしたり、場合によっては危険なものにしたりするビッグデータの役割についての章を書き下ろしました。また、わかりにくかった説明が明快になるよう努めました。一部の古くなった情報は削除したり、置き換えたりしました。それにもかかわらず、読者が本書を読まれるときには、情報のごく一部は間違っているか、時代遅れになっているでしょう。それでも私は、永続的に価値を持つ情報がどれなのかがはっきり識別できるように努力しました。
本書での私の目標は、コンピューティングのしくみ、経緯、今度の動向を理解し、評価できるよう、読者に基礎知識を身に付けてもらうことです。その過程で、デジタル世界について考えるために役立つ方法を発見できるでしょう。そうなることを願っています。
【目次】
【はじめに】
それは最良の時代であり、最悪の時代でもあった
チャールズ・ディケンズ、『二都物語』、1859.
私と妻は2020年の夏、イギリスでの休暇を計画していました。予約をして、手付金を払って、チケットを買って、留守宅や猫の世話をしてくれる友人を手配したところで、世界が変わってしまいました。
3月初旬には、新型コロナウィルス感染症(Covid-19)による世界的に重大な健康危機が明らかになりました。プリンストン大学では、対面授業を停止して、ほとんどの学生を急遽自宅へ戻しました。荷物をまとめて帰るために与えられた猶予は1週間だけ。そしてすぐに、その学期中には大学に戻れないことが決まりました。
新型コロナが加速したオンライン化
授業はオンラインに移行。学生は、講義を視聴して、レポートを書いて、試験を受けて、成績を受け取る一連の流れすべてを遠隔で行いました。Zoomビデオ会議システムに関しては、専門家とまではいかなくても、アマチュアユーザーくらいの経験は積めました。幸いなことに、私が教えていたのは十数人以下の小さなセミナーふたつだったので、グループの全員を同時に見られて、対話も普通に行えました。しかし、大規模な講義を担当していた同僚にとってはあまり良いことではなく、もちろんバーチャルな教壇の向こう側にいる学生たちも悪影響を受けました。
ほとんどの学生は、電力が安定していて、インターネットに接続でき、家族が協力的で、食料やその他の重要な物資が不足していない、快適な家庭へと戻りました。当然のことながら、強制的に引き離されたことで人間関係が悪化したり、強制的に一緒にいることで人間関係が良好になったり、その逆も見受けられました。しかし、これらは小さな問題でした。
もっとひどい状況に置かれていた学生もいたのです。また、インターネットの接続が断続的にしかできなかったり、そもそもない場合もあり、動画やメールの送受信がほとんどできない学生もいたのです。病気になったり、長期間隔離された人もいました。身内が病気になって看病したり、家族が亡くなったりすることもありました。
大学の日常的な事務作業もオンライン化され、廊下での何気ない会話が毎日のバーチャルミーティングに変わり、書類作成はほとんどメールに置き換えられました。Zoom疲れがすぐに始まりましたが、今のところハッカーが私のオンライン空間に侵入してくるZoom爆撃の被害には遭っていません。
世界の多くの地域では、恵まれた人々はオンラインで仕事ができるようになり、企業はすぐに「在宅勤務」モードに移行しました。また人々は、本を並べたり、花や写真をきれいに飾ったりしてビデオ背景を洗練させ、子供やペットを含む大切な者たちを(ほぼ)静かにさせてカメラフレームに入れないようにする方法を学びました。
以前から人気のあったNetflixなどの動画配信も、一層盛んになりました。オンラインゲームも成長して、現実のスポーツが完全に中止された後には、ファンタジースポーツ(訳注:実在の選手のデータを用いて好きなチームを編成し、試合を行うゲーム)が登場しました。
私たちは、Covid-19の急速な広がりと、がっかりするほど遅く不安定な封じ込め状況の報告を受け続けていました。それにもかかわらず不思議な思考を披露し完全な嘘を撒き散らす政治家はあまりにも多く、正直で頼りになる指導者は本当に稀でした。そして私たちは、指数関数的な性質を持つ感染が、いかに素早く拡大するかを少し学びました。
この新しいビジネスのやり方には、驚くほど簡単に適応できました。幸運な人たちは仕事を続け、友人や家族とオンラインで連絡を取り合い、食料や物資を注文し、ほぼ以前と同じように生活できました。インターネットやすべてのインフラが私たちをつないでくれたのです。それは驚くべき回復力を見せてくれました。通信システムは常に動作し、幸いなことに電気、熱、水も途切れませんでした。
これらの技術的システムは、世界的な危機の中で非常にうまく機能しました。そのため時折不安になることを除けば、私たちはそれらについて考えることはありませんでした。しかし、これらのシステムがなければ、私たちはどうにも身動きが取れないことになっていたでしょう。また、語られることはありませんが、当然ながら、舞台裏では多くの勇敢な人々が、しばしば自分の健康や命を危険にさらしながらも、物事を動かし続けていたのです。また、インターネットではできない仕事が一夜にして消えてしまい、本当に多くの人たちが失業してしまったことについても十分に考えていませんでした。
2020年3月に使い始める必要が生じるまで、私はZoomというアプリを全く知りませんでした。Zoomは、Microsoft TeamsやGoogle Meetのような巨大IT企業のシステムに対抗できるビデオ会議システムを提供することを目的に、2013年に設立されました。Zoomは2019年に上場し、私が本書を書いている2020年秋の終わりには、1250億ドル(約14兆円)以上の評価を受けており、General Motors(610億ドル、約7兆円)やGeneral Electric(850億ドル、10兆円弱)などの古くて有名な企業をはるかに上回り、IBM(1160億ドル、約13兆円)をも大きく上回っています(訳注:円換算はいずれも2021年11月時点)。
高速で信頼できるインターネットと、カメラとマイクを備えたコンピューターがあれば、オンラインでの活動が可能でした。インターネットやクラウドサービスプロバイダーは、トラフィックの増加に対応できる十分な能力を持っていたのです。ビデオ会議サービスが一般的になり、多くの人が使いやすいように洗練されました。もし10年前だったなら、このようなことはほとんどうまく行かなかったでしょう。
つまり、身の回りに普通に存在する現代技術によって、幸運な人たちは、日常生活のシミュレーションをある程度行えるようになっていたのです。この経験は、テクノロジーの幅広さ、私たちの生活にいかに深く浸透しているかということ、そしてあらゆる方法で生活を向上させているのだということを実感させてくれます。
オンライン化の負の側面
しかしここには、それほど楽観的ではない別の側面もあります。
ただでさえ被害妄想やヘイト、奇態な理論の温床となっていたインターネットがさらに悪化したのです。ソーシャルメディアは、政治家や政府関係者たちが嘘を広め、私たちをさらに分断し、責任を回避することを可能にしました。事実を無視した「ニュース」報道がそれを後押ししたのです。TwitterやFacebookのようなサイトは、思想を自由に表現するためのプラットフォームとしての役割と、扇動的な連続投稿や明らかなデマの氾濫を抑制する役割を果たす中立的な立場であろうとしましたが、うまくいきませんでした。
監視は新たな水準に達しています。多くの国で人々を制限し、行動を監視・強制するための技術が用いられています。たとえば中国では、少数民族の追跡などに顔認証技術を利用しています。Covid-19のパンデミックの際に中国政府は、とあるアプリのインストールを義務付けました。このアプリは一種のワクチンパスポートのような役割を果たしますが、同時にユーザーの位置情報を警察に通知します。アメリカやイギリスでは、地域の法執行機関が顔認証やナンバープレートリーダーなどの技術を使って人々を監視しています。
携帯電話は常に私たちの位置をモニターしており、様々な関係者がそのデータを集約できます。スマートフォンの追跡アプリケーションは、テクノロジーの両面性を示す優れた例です。感染の可能性のある人に接触したかどうかを教えてくれるCovid-19接触追跡システムに反対する人はいないでしょう。しかし、あなたがどこにいて、誰と話していたかを把握できるテクノロジーは、政府が効果的に監視・管理を行うのに役立ちます。病気の追跡を行うことと、平和的な抗議者、反体制派、政敵、内部告発者などの当局が脅威と考える人物を探し出すこととの間には、わずかな違いしかありません(アプリケーションを使った接触者追跡は、偽陽性率や偽陰性率が高いため、本当に効果があるかどうかは不明です)。
数え切れないほどのコンピューターシステムが、ほぼすべてのオンライン上でのやりとりはもちろん、多くの現実世界のやりとりについても監視しています。あなたや私が誰と取引したか、いくら支払ったか、その時どこにいたかを監視し記憶しているのです。このようなデータ収集の大部分は商業的な目的で行われています。企業が私たちのことを知れば知るほど、広告のターゲットとして、より正確に絞り込めるからです。データが収集されていることは、多くの読者が知っていると思いますが、その量と詳細さを知って驚かれる方も多いのではないでしょうか。
私たちを観察しているのは企業だけではありません。政府も監視に深く関わっています。エドワード・スノーデンが公開したNSAの電子メール、内部レポート、パワーポイントなどから、デジタル時代のスパイ活動について多くのことが明らかになりました。要するに、NSAは壮大なスケールで全員を監視しているのです。
スノーデンの暴露は衝撃的でした。NSA自身が認めている以上に人々を監視しているだろうことは広く信じられていましたが、その範囲は皆の想像以上でした。NSAは、米国内でかけられたすべての電話について、誰が、いつ、どのくらいの時間かけたかなどのメタデータを日常的に収集しています。そしてこれらの通話内容も記録していた可能性があるのです。また、私のSkype(スカイプ)での会話やメールの連絡先、そしておそらくメールの内容も記録していました(もちろん、あなたのものもです)。そして世界のリーダーたちの携帯電話も盗聴していました。海底ケーブルがアメリカに出入りする場所に置かれた機器に記録装置を接続し、膨大な量のインターネットトラフィックを傍受しました。大手通信会社やインターネット会社に、ユーザーの情報を収集して提供するように求めたり強制したりしました。大量のデータを長期間にわたって保存して、その一部を他国のスパイ機関と共有していました。
その一方で、商業的な世界では、どこかの企業や機関でセキュリティ侵害が発生し、正体のよくわからないハッカーたちが何百万人もの人々の氏名、住所、クレジットカード番号などの個人情報を盗み出したというニュースを耳にしない日はほとんどありません。通常、これらはハイテク犯罪ですが、時には貴重な情報を探している他国のスパイ活動の場合もあります。情報を管理している人の愚かな行動や不注意によって、個人情報が誤って流出してしまうこともあります。流出の経緯がどのようなものであっても、私たちについて収集されたデータが公開されたり、盗まれたりして、私たちが不利になる可能性は珍しくありません。
本書は、こうしたシステムがどのように動作するかを理解できることを目標に、その背景にある技術を説明します。どのような仕掛けで、写真、音楽、映画、そして個人的な生活の詳細が、あっという間に世界中に送られてしまうのでしょうか。メールやテキストはどのようなしくみになっていて、どのくらいプライベートなものなのでしょうか。なぜスパムは簡単に送信できて、排除するのが難しいのでしょうか。携帯電話は常に持ち主の居場所を知らせ続けているのでしょうか。オンラインや携帯電話であなたを追跡しているのは誰で、それがなぜ問題なのでしょうか。人混みにいるあなたの顔を認識されてしまうことはあるのでしょうか。それがあなたの顔だとわかる人は誰なのでしょう。ハッカーはあなたの車を乗っ取れるでしょうか。それが自動運転車ならどうでしょう。私たちはプライバシーやセキュリティを守れるのでしょうか、それともさっさと諦めるべきなのでしょうか。
本書を読み終える頃には、コンピューターや通信システムのしくみや、それらが自分にどのような影響を与えるのか、また、便利なサービスの利用とプライバシーの保護をどのように両立させればよいのかについて、きちんと理解できるはずです。
デジタル表現、プロセッサー、ネットワーク、データ
本書では、次に述べる基本的な考え方について、詳しく説明していきます。
最初にお話しするのは、情報の普遍的なデジタル表現についてです。20世紀のほとんどの期間、文書、写真、音楽、映画を保存していたような、複雑で洗練された機械的なシステムは、単一の統一された保存メカニズムに取って代わられました。情報は、プラスチックフィルムに埋め込まれた着色された染料や、ビニールテープに描かれた磁気パターンのような特殊な形ではなく、数値としてデジタルで表現されます。紙のメールはデジタルメールに道を譲りました。紙の地図も同様にデジタル地図に変わっています。紙の書類がオンラインのデータベースに置き換えられています。これらのバラバラなアナログ表現は、すべて数字となる共通の低次元な表現、すなわちデジタル情報で置き換えられました。
二番目にお話しするのは、汎用のデジタルプロセッサーです。すべてのデジタル情報は、単一の汎用機器であるデジタルコンピューターで処理できます。アナログ表現を処理する精巧で複雑な機械装置に代わって、均一なデジタル表現を処理するデジタルコンピューターが登場したのです。これから説明するように、コンピューターは、何が計算できるのかという意味ではどれも同じで、演算速度とデータの保存量が違うだけです。スマートフォンは、ノートパソコンと同等の演算能力を持つ、非常に高度なコンピューターです。このように、かつてはデスクトップパソコンやノートパソコンに限られていた処理が、携帯電話でも可能になっています。デジタル化による収束(convergence)のプロセスはますます加速しているのです。
三番目は、ユニバーサル・デジタル・ネットワークです。インターネットは、デジタル表現を処理するデジタルコンピューター同士をつなぐもので、コンピューターや携帯電話を、メール、検索、ソーシャルネットワーク、ショッピング、バンキング、ニュース、エンターテインメントなどあらゆるものにつなげます。世界人口の大多数がこのネットワークにアクセスしています。相手がどこにいようと、どのようなメールアクセスをしようと、誰とでもメールを交換できます。スマホ、ノートパソコン、タブレットから検索して、店を比較して、商品を購入できます。ソーシャルネットワークでは、友人や家族との連絡を、同じく携帯電話やパソコンから行えます。無尽蔵のエンターテイメントを、ほとんど無料で見られます。「スマート」デバイスは、家庭内のシステムを監視して制御します。こうしたデバイスに話しかけて指示を出したり、質問をしたりできます。これらのサービスを連携させるための世界的なインフラがあるのです。
四番目は、継続的に収集・分析されている膨大な量のデジタルデータです。世界の多くの地域の地図、航空写真、路上からの眺めが自由に利用できます。検索エンジンは、問い合せに対する結果を効率よく表示するために、インターネットをたゆまずスキャンしています。莫大な数の書籍がデジタル化されています。ソーシャルネットワークや共有サイトが、私たちのために、そして私たちに関する膨大な量のデータを保持しています。オンラインと実際の店舗やサービスの両方が、商品へのアクセスを提供する一方で、検索エンジンやソーシャルネットワーク、携帯電話の助けを借りて、私たちがその店舗やサービスを訪れたときの行動をすべて静かに記録しています。オンラインでのやりとりのすべてに関して、インターネットサービスプロバイダーは、私たちが行った接続を記録していますが、おそらくそれ以上のことを行っています。政府は、10年から20年前には不可能だったような範囲と精度で、常に私たちを監視し続けています。
このような状況は、デジタル技術システムの小型化、高速化、低価格化によって急速に変化しています。より良い機能、より良い画面、より面白いアプリケーションを備えた新しい携帯電話が次々と登場しているのです。新しいガジェットが次々に登場し、便利な機能は携帯電話のアプリへと集約されていきます。これはデジタル技術の自然な副産物で、技術の発展がデジタル機器全体の改善につながっていきます。ある変化によってデータをより安く、より速く、より大量に扱えるようになれば、すべての機器が恩恵を受けられるのです。その結果、デジタルシステムは、私たちの生活の中で目に見える形で、また見えない形でも、欠かせないものとして浸透しています。
このような進歩は間違いなく良いことですし、ほとんどの場合でそうなっています。しかし、良いことの周りには悪いことも伴っています。最も明白で、おそらく個人にとって最も心配なことは、テクノロジーが個人のプライバシーに与える影響です。あなたが携帯電話を使ってある商品を検索し、店舗のウェブサイトにアクセスすると、同時にすべての関係者が、どこを訪れ、何をクリックしたかを記録します。携帯電話はあなたをユニークに識別できるので、彼らはあなたが誰であるかを知っています。携帯電話が常に100メートル以内の位置情報を報告しているため、彼らはあなたがどこにいるかも知っています。電話会社はこの情報を記録し、販売することもあるでしょう。GPS(全地球測位システム)を使えば、5〜10メートルの範囲で位置を特定できますが、もし位置情報サービスをオンにしていると、その情報がアプリに提供され、アプリもその情報を販売できます。実際には事態はもっと深刻です。仮に位置情報サービスを無効にしても、アプリがGPSデータを利用できなくなるだけで、携帯電話のOSがデータを収集したりアップロードしたりするのを止めることはできません。これらは携帯電話ネットワーク、Wi-Fi、Bluetoothを使って行われます。
ネット上だけでなく、リアルの世界でもあなたは監視されています。顔認識技術は、路上やお店の中であなたを識別できます。交通カメラはナンバープレートをスキャンして車の位置を把握しますし、電子料金収受システムも同じです。インターネットにつながったスマートサーモスタット、音声レスポンダー、ドアロック、ベビーモニター、セキュリティカメラなどは、私たち自身が家の中に招き入れた監視装置です。今日、私たちが深く考えずに許可しているトラッキングに比べれば、ジョージ・オーウェルの『1984』に登場する監視機構はカジュアルで取るに足らないものに見えます。
私たちの情報の行方
私たちが何をどこで行ったかの記録は、永遠に残るかもしれません。デジタルストレージは非常に安価な上に、データはとても貴重であるため、情報が廃棄されることはほとんどありません。恥ずかしいことをネットにアップしたり、後悔するはめになるようなメールを送ったりしてからでは遅いのです。複数の情報ソースを組み合わせることで、個人の人生の詳細な情報を作成できます。そして個人が知ることも許可することもないままに、その情報を企業、政府、犯罪関係者が利用できるのです。こうした情報は無期限に残り続ける可能性があり、いつ個人に損害を与えるかはわかりません。
普遍的なネットワークとデジタル情報は、わずか10年か20年前には想像もできなかったレベルで、私たちを他人からの悪意に対して脆弱にしたのです。ブルース・シュナイアーは、2015年に出版したその素晴らしい著書“Data and Goliath”(邦訳『超監視社会:私たちのデータはどこまで見られているのか?』)の中で、「私たちのプライバシーは、絶え間ない監視によって、絶えず傷つけられている。これがどのように起こるかを理解することが、何が危機に晒されているかを理解する上で重要である」と述べています。
私たちのプライバシーと財産を保護するための社会的なしくみは、技術の急速な進歩に追いついていません。30年前には、私は地元の銀行や他の金融機関とは物理的なメール(つまり郵便)で取引をしていましたし、時折は個人的な訪問も受けました。私のお金にアクセスするには、時間がかかり、大量の書類が残されていました。誰かが私からお金を盗むことは難しかったのです。現在私は、金融機関との取引にインターネットを主に使っています。自分の口座には簡単にアクセスできますが、不運なことに私が大きなヘマをやらかしたり、関係者の誰かが間違いを犯してしまったら、あっという間に、対応するチャンスも得られないままに、地球の裏側の誰かにアカウントが晒され、識別情報が盗まれ、クレジット記録は改竄(かいざん)されるかもしれません(それ以外の悪いことが起きる可能性はいくらでもあるでしょう)。
基本的なアイデアを理解しよう
本書の目的は、これらのシステムがどのように機能し、どのように私たちの生活を変えているのかを、読者が理解することです。最新のシステムは常に一時的な姿に過ぎないので、今から10年後には、現在のシステムが、不便で時代遅れになっていることは間違いないでしょう。技術的な変化は独立した出来事ではなく、素早く絶えず加速し続ける、現在進行中のプロセスなのです。
ただ幸いなことに、デジタルシステムの基本的なアイデアは変わらないでしょう。そのため、基本的なアイデアを理解しておけば、未来のシステムも同じように理解できます。さらに、そうした未来のシステムがもたらす挑戦やチャンスに対して、有利な立場で取り組むことができるでしょう。