その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。…が、本日の1冊、杉山正明さんの『 遊牧民から見た世界史 増補版 』(日経ビジネス人文庫)は「はじめに」がありません。代わりに「あとがき」をご紹介します。
【あとがき】
前近代のユーラシアにおいて、大きな歴史の動因となった遊牧国家のありようを眺め、それが主軸となって展開したユーラシア世界史の脈絡のなかで、「国家」と「民族」をもう一度あるがままにとらえなおすこと。できればそれを、肩いからせたいかめしいことばや、現実から遊離した美しいことばではなく、ごく素直な普段着のことばで述べてみたい。それも、細部にたちいることは、むしろなるべく避けて。――それが、本書の目的であった。うまくいったのかどうかは、わからない。ただ、筆者には楽しい仕事であった。
いまあらためて感じるのは、歴史における「文明の壁」である。いや、歴史研究における「文明の壁」といったほうが正しいかもしれない。それは、ほとんど「文献の壁」といってもいい。
ある「文明」が記述する文献には、その「文明」の価値観やスタンスが共通してある。 そして、その「文明」に属さないことがらについては、記述は冷淡であったり、冷酷であったり、悪意や中傷に満ちていたりする。そうした「文明」が生んだ文献の壁を乗りこえて、歴史を「あるがまま」に見つめることは、言うはやすいが、じつは困難さにあふれている。だいいち、事実そのものを、ことさらに無視して記述しないこと、つまり黙殺という名の曲筆はどうしようもない。
くわえて、複数の「文明圏」の文献を扱うということも、やはり言うはやすく行なうはかたし、である。たんに、多言語というばかりではない。それぞれの「文明圏」には、固有の伝統や価値体系がある。それに、いったん身をひたしたうえで文献の語る虚実や陰翳を推し測るのでなければ、本当に「読んだ」ことにはならない。しかし、その態度を複数の「文明圏」にたいして一貫して取ることは、どうしても人間の限界を越えるところがある。
ただし、そうはいうものの、最低限ふたつ以上の異種の「文明」の文献を扱うと、ひとつの「文明」の文献を扱っている場合には決して見えないものが、おのずから見えてくる。それは、その「文明」を外から眺めた姿である。ある「文明」やそれが生んだ文献のくせ、特徴、限界などが、プラスとマイナスの両面で浮かびあがってくる。
じつは、文献をおもな手掛かりに歴史を扱おうとするならば、その人が拠って立つ文献群の特性を知るためにも、同一の「文明圏」に属する文献だけで自足せずに、むしろすすんで、ふたつ以上の異種の「文明」の文献群を扱うことが不可欠ではないか、とさえおもえてくる。他者を知ることは、おのれを知ることである。また、外国を眺めることは、自国の姿をかえりみることになる。どこか、そうしたことと似かよう。
ようするに、過去を眺める「複眼の視角」である。 歴史研究にとって、あることだけを絶対視せず、一方にしない心でものごとを相対化して位置づけ総合把握することが一つの要であるからには、外側からのまなざしは、歴史研究者の必須の条件だろう。そうしたことにかかわって、もし本書のなかに、いささかでも採るべきところがあるならば、 筆者として望外・無上の喜びである。
本書は、もともと「民族のユーラシア」という企画にもとづく。筆者に求められたのは、中央ユーラシアであり、本書のタイトルも、はじめから頂戴したものであった。なお、そこでの兼ね合いから、空間でいえばイスラーム中東世界、時間でいえば十五世紀以降については、それぞれあまり踏みこんでいない。その点、読者のみなさまの御了解を抑ぐとともに、他日を期したい。
スタートしたのは、じつはもう三年以上もまえのことである。そのころ、ソ連の崩壊をきっかけに、それまでは自明のものだとおもわれがちだった「民族」の理解に疑念が生まれ、その由来と実像を過去の歴史に遡ってたずねてみる、というのが企画の主旨であった。
しかし、本書ができるまでには、とても時間がかかり、ひどく難した。 そもそも、まず早々に、筆者は渡米してしまった。他に先行する締切りを、それも複数かかえているという体たらくで、一年間の米国在のおわりころ、申しわけ程度の分量の原稿をお送りしたにとどまった。本書の1・2章がそれである。そのころ、世界各地で「民族紛争」「地域紛争」が一斉にふきだしていた。その雰囲気が原稿にも漂っていたが、本書では、あえてほとんど改めないままにした。
帰国後は、諸事に追われて日を送り、あともう少しというところまできた昨秋には、おもいがけないことに右手にトラブルが発生した。いまどき鉛筆などで書くからだと、周囲から冷やかされたが、握れないつらさは初めてだった。けっきょく、書けるときにポツリポツリと字を埋めて、通算すれば足掛け三年かかって、やっと成稿したことになる。
さて、ほとんど本書ができあがったころ、たまたま本田實(ほんだみのぶ)先生とお話しをさせていただく機会があった。その席で、西欧近代国家というのは、なによりもまず軍事国家で、これまではその点にことさら目をむけないできたのではないかと申し上げたところ、ほぼおなじ考えを西洋史家の成瀬治(なるせおさむ)氏が最近のべられていることを教えていただいた。「初期近代国家と軍事革命」と題する公開講演要旨を拝見すると、わずか一日のなかに非常にコンパクトに緊縮したかたちで、ポイントの大半は見事に挙げられていた。しめくくりの「初期近代国家の研究には軍制・戦争史の知識が不可欠」ということばには、強いメッセージが感じられた(『日本歴史学協会年報』十二号、一九九七年)。
もう一点。本書の原稿を書きおえたころ、沢田勲(さわだいさお)『匈奴 古代国家の興亡』(東方書店、一九九六年)がすでに出版されていることを知った。 匈奴というと、いくらでも通史など出ていそうにおもわれるかもしれないが、じつは日本ではこの書がはじめてといっていいものであった。たくさんの創見も盛り込まれ、多くの点で啓発された。読者には、沢田氏の著作をあわせ読まれることをおすすめしたい。
最後になってしまったが、企画・立案から刊行にいたるまでのあらゆる局面で、日本経済新聞社出版局編集部の大谷潔・桜井保幸の両氏には、本当に御面倒をおかけしてしまった。身勝手でずぼらな筆者に、ときには毎日のように督励の御架電をいただき、すべての我儘を呑み込んでお許しくださった。少量ずつお送りした原稿には、その都度、適確・懇切なアドヴァイスをくださり、右手トラブルのさいには、ひとかたならぬ御心配をおかけした。おふたりの熱意と友情によって、なんとか本書は成った。おわびとともに衷心より感謝の意を表したい。
一九九七年九月
杉山 正明
【目次】






