その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は河名秀郎さんの『 ほんとの野菜は緑が薄い 「自然を手本に生きる」編 』です。
【プロローグ】 ほんとの野菜とは?
「虫が食っている野菜はおいしい。虫が食うぐらいなんだから」
「色が濃いのは、自然でおいしい野菜の証拠」
「化学肥料より有機肥料の方がやっぱり安全だ」
「時間が経てば、野菜は腐ってゆくのが当然」……
当たり前のように伝わっているこれらの話。でも、僕のなかでは、どれも自然なことではありません。
その具体的な理由は、この本を読み進めてもらえば、きちんとわかるようになっています。じらして後回しにしているわけではありませんので、悪しからず。
買った柿は「腐る」、庭先の柿は「枯れる」
僕が自然栽培を知ってから四十七年という月日が経ちました。
この自然栽培という言葉、まったく聞いたこともない人もいると思います。簡単に言えば、農薬も肥料も使わずに野菜を育てる栽培法のことです。ただそう言っても、ピンとこない人もたくさんいるでしょう。
たとえば、野山や庭先になる柿や梅、夏みかん。誰かがなにかを加えることなどないのに、虫に全滅させられることもなく育ち、毎年きちんと実をならします。なのになぜ、僕たちが食べる果樹や野菜は、虫を殺すために農薬をまき、栄養を補足するために肥料をやらないと育たないのか。
そしてまた、野山に生える草花は、その生命をまっとうすると枯れていきます。一方で、僕たちが食べている野菜は? 時間が経つと「枯れる」のではなく「腐る」のが大半でしょう。冷蔵庫の中で、野菜が腐っている姿を一度は目にしたことがあると思います。
野山に生える草花と、野菜。同じ植物のはずなのになぜ?──僕の中に生まれたこんな疑問が、今の仕事にたどり着くための第一歩となりました。
「姉の死」をきっかけに、野菜について考えた
最近では、肥料はともかく、農薬不使用の野菜の存在はかなり巷(ちまた)に浸透したと思います。しかし、僕が、この自然栽培の普及に努めようと決意した四十年前は、肥料はもちろん、農薬を使わず野菜を育てるなんてあり得ない話で、「あいつちょっとおかしいんじゃないか」という扱いを受けたこともありました。
自然栽培野菜の普及に携わるとは、それほど、常識とは真逆の道を歩きはじめることだったのです。
まず、僕がはじめたことは自然栽培野菜の引き売りでした。二十六歳のときのことで、ぽんこつトラックをローンで購入し、野菜を載せて街を徘徊しました。
「農薬も、肥料も使わずに育った野菜です」
「エネルギーが詰まった野菜です」
まぁ、どんなに声高に叫んでも、ほとんど売れません。自然栽培なんて誰も知らないのはもちろん、そもそも当時はまだ、自然栽培の野菜を栽培している農家さん自体をほとんど知らず、お世辞にも「八百屋さん」と呼べるような種類の野菜を用意できなかったのですから、買ってもらえるわけもないのです。
結局、売れ残った野菜を持ち帰っては食いつなぐ毎日で、僕の志はこんなにも早く途絶えてしまうのかと、近所の公園で泣いた日もありました。
それでも僕は自然栽培による生命力みなぎる野菜を多くの人に食べてもらいたかった。なぜそんなにも強くこだわったのか。
僕は十六歳のときに、四つ上の姉を骨肉腫で亡くしています。彼女は発病して五年もの間、入退院を繰り返し、からだは手術の跡で傷だらけでした。まだ高校生で、その闘病生活をただ見ていることしかできなかった僕は、「どうして人は病気になるのだろう?」「どうして入院するたびに姉は弱っていくのだろう?」、そんなことばかりを考えるようになっていました。
そして姉は、彼女の二十歳の誕生日にその短い生涯を閉じました。
その後僕は、さまざまな書物を読みあさる日々を送りました。そんななか、からだと食の関係がおぼろげに見えてきて、添加物や農薬のことに興味を持ちはじめます。食についてまったくの素人だった僕にとって現代の食事情、とりわけ野菜の農薬事情についてはただただ驚くばかり。
「こんなにも大量の農薬を使わなくては、野菜は育たないのか」
「野菜も人間と同じように、病気になって苦しみ、クスリに頼らなければ育たないのか」
そんな疑問を抱いていた頃、農薬を使わずに元気な野菜を育てている人たちがいることを知りました。自然栽培の実施農家さんです。
そして、その人たちのもとで修業をさせてもらうことになったのです。数年間のサラリーマン生活を過ごしたあとだったので、姉の死からすでに十年が経過していました。
修業は、一年という短い期間でしたが、自然栽培と向かい合うなかで、僕は自然界から本当に多くのことを学びました。
農薬や肥料など人為的なものを加えないということは、野菜が植物として本来持つ力と、土が持つ力を頼りに自然の摂理に則って野菜を育てるわけです。だから、タネが、出て来た芽がどうしたいのか、否応なしに自然の声に耳を傾けなくてはいけませんでした。そうしなければ、野菜は育ってくれなかったのです。そのことに集中してきた結果、野菜づくりだけでなく日常のさまざまな場面で、自然の声を強く意識するようになりました。
不純物を入れない、不純物を出す
僕は自然栽培を知ってからはクスリを飲んだことがありません。風邪をひいても、頭が痛くてもクスリは飲みません。健康診断を受けることもなく、お医者さんにかかることもありません。
それでも元気に生きています。
まあ、結果を振り返ってみると、僕がこれまで運良く健康体だっただけかもしれませんが、農薬にも肥料にも頼らず、自分のちからで元気に生長する自然栽培の野菜を見て、「自然とはどういうことなのか? 自然に生きるとは?」と、ただそれだけを考えて生きてきた結果だと思っています。現に、「健康でいたい」と思い、クスリを飲まない代わりになにか特別なことをしてきたわけではないのです。
自然栽培では、「不純物」が入っていない野菜は病気にかからない、虫が寄ってこない、そして、虫は病気のもとが野菜の中にあることを教えてくれる存在で、病気は「不純物」を出そうとする浄化の作用、と考えます。
人間も同じだと考えると、熱が出るのは、「不純物」が体内から出たがっているサイン。だから、熱に対しては「上がった」のではなく自ら必要があって「上げている」ものとして捉え「からだの中に溜まったものを溶かし出してくれてありがとう」と感謝します。
一般的な考え方とはだいぶちがうかもしれません。
でも今、四十年以上病院にかからなくてもこのように健康でいられるのは、こうやって考えてこられたからだと信じることができます。
なぜ自然栽培でなければいけないのか
現在僕は、ナチュラル・ハーモニーという会社で、自然栽培の生産者と消費者をつなぐため、流通という分野で野菜やお米に関わっています。神奈川には自然と調和するライフスタイルショップを、そして千葉に流通の拠点を置き、オンラインストアで自然栽培の野菜やお米、それらを原料とした加工品などを消費者の人たちに提供したり、飲食店に卸したりしています。
さらに、自然栽培をより普及させるため、「自然栽培全国普及会」を発足し、全国各地の生産者さんをたずね歩き、自然栽培について話したり、セミナーを開いたりしています。
自然栽培を普及させようと決意してから、ようやくここまでこぎつけました。なぜ自然栽培でなければいけなかったのか、その思いをこの本にしたためました。
これから話すことは、あくまでも僕が実際に体験してきたことから、僕が感じ、考えてきたことです。だから、もし納得のいかないことがあれば、それはあなたの体験として、あなたが感じたことを大切にしてほしいのです。なぜなら僕が話すことは、今まであなたが蓄えてきた知識や世の中の常識とは少なからずちがうと思うからです。
でも決して、僕は飛び抜けた体験をしたわけではなく、そこから特別なことを話すわけではありません。
一度、頭と心をまっさらな状態にして、僕の話すことを、知識ではなく、あなたの感性で感じてみていただけると幸いです。
【目次】




