その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は門間一夫さんの 『日本経済の見えない真実 低成長・低金利の「出口」はあるか』 です。
【はじめに】
岸田政権は「新しい資本主義」を掲げ、「成長と分配の好循環」を目指す。国民はあまり期待していない。それは「新しい資本主義」という考え方がわかりにくいからでもなく、中身に新鮮味が乏しいからでもない。もっと根本的なところで人々は何となく感じている。
1996年度版の『経済白書』のタイトルに「改革」の文字は既にある。『経済財政白書』と名前が変わった2001年度版からは、5年連続で「改革なくして成長なし」のタイトルが使われた。四半世紀以上もの長きにわたり、政府は構造改革や成長戦略に取り組んできた。アベノミクスに期待を寄せた人たちもいただろう。それらすべてを経て、今の日本がある。「誰が何をやっても日本はこんなものだろう」と国民が感じているとしても、おかしくはない。
それは必ずしも悲観ではない。内閣府の「国民生活に関する世論調査」によると、今の生活に「満足」と答える人の割合は、近年は歴史的な高水準にある。人々は、低成長を積極的に肯定しているわけではないだろうが、現実を等身大で受け止め相応に順応してきているようにも見える。
一方、経済論壇では、「失われた30年」といった自嘲的な捉え方が今も定番である。企業にも個人にも、そして何より政府に対し、奮起を促す論調が多い。奮起を促すのは悪いことではないが、「今までさぼっていたのだから、ちゃんとやればできるはず」というニュアンスが交じっているとすれば、おそらくそれは違う。
日本の生産性上昇率は、他の先進国に劣っているわけではない。人口の減少・高齢化が急速に進行中であること以外、日本は普通の先進国である。もともと普通の先進国なのだから、ここから成長を高めるということは、卓越した先進国になるということである。それは奮起すればできるなどと気軽に言える話ではない。
より高い成長を諦めるべきではないが、そうならない可能性も意識して、現実的な経済政策のあり方を模索すべきなのではないか。本書の根幹にはそういう問題意識がある。
経済学はミクロ経済学とマクロ経済学に分類されることが多い。ミクロ経済学は、個人や企業の経済行動を分析する。考察すべき相互関係の範囲が絞られており、工夫次第でデータを多くとれる場合もある。それゆえに実用に適する研究が多くあり、マーケティングや制度設計などに応用されている。
一方、マクロ経済学は、経済成長、失業率、物価などを扱う。経済全体はひとつの大きな「システム」として動いているので、様々な事象の因果関係や影響度を解き明かすのは容易ではない。データも限られるので、他国や過去のできごと、今起きていることへの洞察が、導かれる結論に大きく影響する。しかも、ミクロの洞察だけではマクロの理解は難しい。精緻(せいち)に見える理論モデルでも、特定の世界観が入り込むことは避けられない。
それでも学問は、その秩序が大切にされる。その時代までに積み重ねられてきた知見は、よほど良い代替案がなければ、塗り替えられることは少ない。高齢化、グローバル化、低インフレ、大幅資金余剰など、教科書にない条件に長く支配されている日本経済に、頼れる羅針盤は乏しい。政府や中央銀行の経済政策は、限られた知見に基づく試行錯誤の連続である。
中長期的な経済成長を確実に高める方法があるなら、透明性のある議論で世論の支持を得て、既得権益も乗り越えることができるだろう。しかし、現実にあるのは不確実性を伴う処方箋や仮説だけであり、懐疑論や反対論にも一理ある場合が多い。それを突破するのも政治の役割かもしれないが、専門家の間でさえ意見が割れる政策を、政治の責任で「思いっきり試す」ことは簡単ではない。民主社会においては、おそるおそる、いろいろなことを試してみるしかないように思う。
近年の経済政策で「思いっきり試せた」のは、アベノミクスの金融政策である。それが時の学問からの薦めでもあり、打破すべき既得権益も少なかったからであろう。やりやすいから試せたわけであるが、やりやすいことから得られる成果は限られる。
本書は、中長期かつマクロ的な視点から、金融政策、財政政策を含めて、日本経済を論じたものである。あくまで筆者の見解を述べたものであり、事実の整理や標準的な解説は最低限にとどめた。あまり言われていないことや通説と異なる内容が、結果的に多くなった。より正統的ないし体系立った日本経済の理解には、大守編(2021)、小峰(2019)、鶴ほか(2019)、福田(2018)などをお薦めする。
筆者自身、できるのは精々論点の整理や問題点の指摘までであって、有効な代替案にはたどり着けない。ただ、問題の性格や難しさを読者に知ってもらうことにも、意味はあると考えた。本書のタイトルを『日本経済の見えない真実』としたことには、そのような思いを込めている。
筆者は2016年まで日本銀行に在籍した。金融政策の実務を担当していた時期もあるが、その時期に関係する部分を含め、日銀の政策に関する記述は現時点における第三者の目で書いた。異次元緩和には日銀在籍中も関わらなかったので、事実以外の記述はすべて筆者の解釈である。政策決定者たちが本当にどう考えていたのかは(あるいは今どう考えているのかは)、公式文書でわかること以外は、筆者にもわからない。
異次元緩和よりも前の金融政策については、当事者の立場から記録・考察されたものとして白川(2018)を推薦する。異次元緩和を理論的な側面を含め丁寧に解説したものとしては早川(2016)が良い。より一般的に近年の金融政策を巡る標準的な考え方については翁(2013、2022)が有益である。
以下、第1章、第2章では、アベノミクスの時期を中心とした観察を基に、日本経済の現状認識と政策的な含意について考察する。第3章では異次元緩和について述べ、第4章ではより一般的に金融政策の限界について述べる。第5章は、低成長・資金余剰時代の財政政策に関する試論である。
【目次】