その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は西川邦夫さんの『 コメ危機の深層(日経プレミアシリーズ) 』です。
【はじめに】
2024年の端境期※1におけるコメ不足に端を発した「令和のコメ騒動」は、本書を執筆している2025年7月現在も続いている。高騰した米価は一時期よりは低下したとはいえ、7月7日から13日の週の平均小売価格は5㎏当たり3589円と、対前年比でプラス1219円(51.4%上昇)と高止まりを続けている※2。この1年間、私たちは様々なところでコメの話題に接した。そして、日本のコメが拠って立つ基礎が、生産、流通、消費、そして政策の全ての部面において脆弱であることを、強く思い知らされることになった。筆者自身にとっても、研究のための調査や、報道によって毎日のように知らされる事実は、それまで思いもよらないことばかりだった。
また、「令和のコメ騒動」では大量の情報が混乱・錯綜し、様々な解釈を生む余地を発生させた。しかしながら、筆者の見解では、「令和のコメ騒動」の要因はいたってシンプルに需要と供給の問題であった。データと理論を素直に解釈すれば要因は明瞭に見えてくる。コメは決して巷で言われているような「複雑怪奇」な商品ではない。誰かが悪意を持って米価をつり上げているという言説は一見分かりやすいが、その帰結はコメに関わるプレイヤーの相互不信である。「令和のコメ騒動」の期間は、そのような言説に溢れた1年間でもあった。データをもとに論理的に考えれば、解決方法は自ずと導き出されるはずである。本書で強調したいことはまさにこの点である。
本書では、現時点で「令和のコメ騒動」を振り返るとともに(第1章)、需要(第2章)、流通(第3章)、生産(第4章)、政策(第5章)、貿易(第6章)のそれぞれの部面を1つずつ検証していきたい。そのうえで、日本のコメの将来とあるべき政策について考えていきたい(第7章)。
コメが関係者以外にとって分かりにくいのは、1つは現在ある姿が長い歴史によって形作られてきたため、そのいきさつを知らない者にとっては議論の文脈を理解し難いためである。なぜ流通は多段階構造なのか、稲作経営は小規模なのか、生産調整をしているのか、海外からの輸入を制限しているのかといった点には、それが必ずしも現在は合理的ではなくても、これまで継続してきた理由がある。そのことを理解していないと、ドラスティックな改革案は全て机上の空論に終わるのである。本書のタイトルでもある「コメ危機の深層」は、まさに歴史の深さの中に現在の危機があることを示している。
もう1つは、コメに独特の用語が多いことである。そのことも、今回の騒動で初めてコメに関心を持った者を遠ざけてしまう1つの要因だろう。以下では、本書での用語の使い方の説明を兼ねて、それらの一部を紹介したい。まず、本書では「主食用米」と呼ばれる、私たちが口にするコメを対象とする。国内で流通しているコメには、主食用米以外にも飼料用米や加工用米等の「非主食用米」がある。特に近年は、生産調整によって主食用米からの作付転換が進んだため、非主食用米の生産は無視できなくなっている。本書では、非主食用米は必要に応じて言及することにする。
また、「農家」という用語にも注意が必要である。農家は日本独特の用語であり、経営と家計が未分離な農業経営のことを指す。「家族経営」にニュアンスが近いが、家計の部分が含まれる点で異なる。本書では、農家という用語は主に統計指標の場合のみに使用する。『農林業センサス』等の統計では、現在でも農家のデータを収集した部分がある。むしろ本書では、近年はより一般的になってきた、農業に従事する個人を広く指す「農業者」という用語を主に使用する。
コメをめぐる時間軸を示す単位としては、「年(1~12月)」「年度(4~3月)」「年産(7~6月)」がある。「年度」は予算を伴う政策の区切りとして使用される。説明が必要なのは「年産」である。新米が出回り始める7月を起点とした単位で、生産調整の需給見通しの単位にもなっている。政府等で特に定められた用語は無いが、筆者は便宜的に「年産」と呼んでいる。ちなみに、かつては「米穀年度(11~10月)」もあったが、現在はあまり使われていない。本書では上記の3つの単位が登場するが、それぞれ厳密には区別して使用していない。
最後に、近年は政府が公表する統計や資料は、ホームページで公開されることが多くなった。入手が容易になった半面、更新の度に過去の資料が失われたり、同種の資料が複数回掲載されて引用が煩雑になったりする場合がある。本書ではなるべく資料を特定することを試みているが、紙幅の制限もあるためまとめて表記をしたり、簡易な引用にとどまっていたりする場合もある。なお、農林水産大臣の会見や国会での議論も紹介しているが、全て農林水産省、国会のホームページからの引用である。
本書は一見複雑な日本のコメを、一般の読者にも理解がしやすいように、なるべく分かりやすく書くことを心がけた。専門用語もなるべくかみ砕いて説明し、コメに対する関心が高まることを狙ったが、それが成功したかどうかは読者の判断に委ねたい。「平成のコメ騒動」以来、30年ぶりにコメに対する関心が高まっていることは、コメの未来を考え直すチャンスでもある。
「令和のコメ騒動」が起こってから、現場、研究者、マスコミ等、多くの方々からお話を聞くことができた。ひとつひとつお名前を挙げることはしないが、感謝申し上げたい。なお、筆者のもとにも多くの問い合わせがあったが、茨城大学広報・アウトリーチ支援室の皆様のご協力に助けられた。最後に、日経BPの渡辺一さんには、本書の企画の段階から執筆、校正、出版までお世話になった。渡辺さんの励ましと的確なアドバイスにより、ここまでたどり着くことができた。記して感謝申し上げる。
※1 端境期とは、前年に生産されたコメと新米が切り替わる、7月から9月頃の時期を指す。新米は南九州や四国の早場米地帯では7月中旬から収穫が始まり、その後全国に収穫が広がっていく。
※2 農林水産省「スーパーでの販売数量・価格の推移(KSP-POSデータ全国等)」、2025年7月22日を参照。
【目次】



