その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は安藤優一郎さんの『 田沼意次 汚名を着せられた改革者 』。「プロローグ」をお届けします。

【プロローグ】 再評価される田沼意次

 田沼意次といえば、今なお賄賂政治家のイメージが強い。意次が幕政を主導した時代は田沼時代と称されるが、賄賂の横行で政治が腐敗した時代というイメージで捉えられることも未だに珍しくない。

 意次が老中として幕府のトップに立った時代は、極度の財政難を背景に商人の知恵や経済力を活用することで、それまでにない政策がとられた時代だった。民間からの献策を取り入れ、バラエティーに富んだ新規事業も積極的に展開された。一連の政策により税収は増加し、財政難が克服される兆しもみえはじめた。従来の幕政の原則にとらわれず、自由な発想のもと幕政に臨んだ結果であった。

 しかし、そんな幕府の政治スタンスに利権を見出した商人が賄賂を贈るなどして舞台裏で暗躍したため、政治の腐敗が進行してしまう。政治と金の問題が強く批判されるなか意次は失脚し、田沼時代は終焉を迎える。

 こうして、意次の賄賂政治家としてのイメージが定着するが、意次の政治を悪政であるとアピールしたい政治勢力の思惑が影響を与えたことは否めない。過剰にバッシングされたことで、意次の政治やその実像がみえにくくなっている。

 意次による一連の政策や新規事業は現代の政策にもつながる先駆的なものだった。当時は江戸の社会が大きな曲がり角に直面した時代で、そんな閉塞した社会状況を打破するため悪戦苦闘した改革政治家こそ他ならぬ意次であった。そうした時代背景を踏まえずして、意次の政治を評価することはできない。

 意次には成り上がり者のイメージも強い。六百石ほどの小身(しょうしん)旗本の家に生まれたものの、その才覚により時の将軍徳川家重そして家治の厚い信任を勝ち取り、五万七千石の大名に取り立てられる。そして、幕府トップの老中として権勢をふるい、田沼時代と呼ばれるにふさわしい一時代を築いた。

 しかし、家柄が重視された当時の武家社会では、その異数の立身出世が保守的な勢力から妬みを買うのは必至だった。失脚後の悪評に拍車がかかる要因にもなる。本書は、田沼時代の諸政策の検討を通じて、賄賂政治家のイメージが強い意次の改革者としての実像に迫るものである。


 本書の構成は以下のとおりである。

 第1章「九代将軍家重の側近として台頭する──旗本から大名へ」では、父の代に幕臣となった意次が将軍側近として頭角を現す過程に焦点を当てる。幕閣を巻き込む疑獄事件となった美濃郡上(ぐじょう)一揆を手際よく処理したことは、意次の政治力が注目される契機となった。

 第2章「老中として幕政を担当する──十代将軍家治の厚い信任」では、意次が幕府の実権を握れた理由を探る。老中であるだけでなく、将軍側近の筆頭たる側用人を事実上兼任したことが権勢をふるえた最大の理由だった。

 第3章「田沼政権の経済・財政政策──新規事業の時代」では、意次がとった諸政策の実態を明らかにする。一連の政策を立案したのは、経済・財政・金融政策の司令塔たる幕府勘定所であった。

 第4章「改革者田沼意次の光と影──成り上がり者への反感」では、意次の政策が社会に与えた影響を考察する。民間からの献策で政策化されたものは少なくないが、それは賄賂が横行する背景となり、意次が賄賂政治家のレッテルを貼られる所以にもなった。

 第5章「田沼時代の終焉──嫡男田沼意知の横死」では、政治・経済・社会面から田沼政権が瓦解した理由に迫る。成り上がり者の意次にとり、身代を嫡男意知(おきとも)に世襲させることは悲願だった。

 第6章「失脚後の意次と田沼家──失意の晩年」では、意次失脚後の激動の政局を追う。代わって幕府のトップに立った松平定信の政策の大半は、意次の政策を踏襲したものであった。

「エピローグ 改革者としての功罪」では、意次の政治家としての評価を、定信との対比で試みる。

 以下、田沼意次の人生とその時代を改めて見直すことで、その実像に迫っていこう。


【目次】

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