その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は水島藤一郎さんの『 雲上蒼天 日本年金機構の4000日 相次ぐ不祥事と危機を乗り越え、信頼回復に捧げた11年間の軌跡 』です。

【はじめに】

 2023年12月28日、日本年金機構理事長として最後の日、退任式に臨みました。11年間に及ぶ在任でした。
 退任挨拶の中で、私は「鷹の選択」の話をしました。

 「鷹は、長命で70歳まで生きるという。
 しかし、40歳を過ぎたころ、爪も嘴も羽も衰え、狩りに耐えられなくなってくる。
 そこで、そのまま衰えて死を待つか、新たな希望のために苦しい試練を受け入れるかの選択を迫られる。
 新たな希望探しの道を選択した鷹は、旅に出、山に登り、まず自らの嘴を砕き、新たに得た嘴で爪を剝ぎ、新たに生えた爪で古い羽を一本一本抜き、そして半年がたち、新たな羽を得た鷹は次の希望に向け飛び立つ」

 という話です。
 そして私は、出席している幹部職員に言いました。「君たちは鷹の決断をした。厳しい逆境によく耐え抜き、自らを変え、組織を再生してきた。よく頑張った。そして強くなった」と。

 職員の目には、それまでの辛い思い出が蘇ってきたのでしょう、涙が滲んでいました。
 私にとっては、ほとんど休みもなく必死に働いた、そして緊張が途切れることのなかった11年間が終わった日でした。

 私は、元々は銀行員でした。2005年、三井住友銀行の副頭取を退任し、独立行政法人年金・健康保険福祉施設整理機構(RFO)の理事長になったことが公的機関の世界に入るきっかけでした。それから日本年金機構理事長を退任する2023年まで18年間、公的機関の世界にいました。
 銀行の時代は36年間でありましたので、3分の2が銀行、3分の1が公的機関ですが、公的機関ではトップとして経営に携わりましたので、経営という観点からは公的機関のほうが長くなりました。

 日本年金機構の理事長に就任したのは2013年でした。
 日本年金機構は、年金記録問題や年金記録の覗き見問題をはじめ数々の不祥事により解体された旧社会保険庁の後継組織ですが、就任当時、記録問題を正常化させる道筋を巡り厳しい議論が続いていました。新たな組織をどのように軌道に乗せていくかについて、内部は混乱し、議論は多様であり、方向が定まらない状況であったと思います。
 職員も自信を失っていました。当時何人かの職員から聞いた「子どもの学校に行っても自分の勤め先の名前は子どもがいじめられるから言えない」「同窓会には行けない」という言葉はいまでも忘れられません。
 また、引き継ぎで廊下を歩いている際、俯(うつむ)き加減に通り過ぎる職員を見ながら、誰からか忘れましたが「こいつら挨拶もできない」と忌々(いまいま)しげに言われたことも。

 その後も数々の不祥事が発生し、「不祥事のデパート」と揶揄(やゆ)されました。それらの不祥事は国民の年金受給権を侵害するかもしれない、組織のミッションの基本に関わる事案でした。
 なぜそれらの不祥事が発生したのか。
 いずれの事案にも共通する基本的背景として、日本年金機構の組織設計のベースとなる考え方あるいは組織コンセプトと言ってもいいかもしれませんが、そこに大きな問題があった、あるいは整理されないままスタートしてしまったことに原因があるのではないかと考えています。

 本稿では、まず公的機関での最初の仕事であったRFOでの経験や実績をお話しします。
 RFOでの6年半は日本年金機構理事長就任のきっかけとなったとともに、その経験には公的機関における経営において留意されるべき重要な教訓が含まれているように思うからです。
 そして、日本年金機構について、2013年に理事長に就任した後に発生した事案を中心に、「どのような問題であったのか」「なぜ発生したのか」「事案はどのように対処されたのか」「再発防止のためにどのような改革を行ったのか」「残された課題は」等について、公的機関の経営の観点から、記憶をたどりつつ、記録に残すことを試みたいと思います。


【目次】

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