その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はジェシー・S・ニーレンバーグ(著)、小川敏子(訳)の『 「話し方」の心理学 必ず相手を聞く気にさせるテクニック 』(日経ビジネス人文庫)。第1章「人とわかりあうことのむずかしさ」から抜粋・再構成してお届けします。
私たちは言葉を通じて相手とわかりあおうとする。だが、溢れるほどの言葉を費やしても、なぜかうまく意志を伝えられない。いったい何が互いを隔てているのだろうか。どうすればそれを乗り越えられるのか。
意思疎通を阻む理由を根源までたどれば、そもそも人間と人間が話すことにいちばんの問題がある。相手も人間、こちらも人間。そのことを忘れているのだ。
話す相手がロボットなら、言いたいことはストレートに伝わるだろう。ロボットはこちらの言葉をまっすぐに受け止め、すみやかに行動に移すはずだ。意見を持たず、何を言われても反発を感じない。気を悪くしたり、隠しごとをしたり、我を張るようなこともない。
それにひきかえ人間は常に頭のなかでさまざまな感情が生まれ、矛盾する願望も次々に湧いてくる。無意識のうちに世のなかを自分に都合よくとらえ、それにもとづいて行動しようとする。たとえどんなにトンチンカンな振る舞いであっても、自分では理にかなっていると思い込んでいる。
私たちの思考はとても忙しい。自分でも気づいていない欲求に常にひっぱられ、その一方で現実的な問題にも対処しなくてはならない。
皆を味方につけたい、人に嫌われたくない、傷ついたり病気になったり死んだりしたくない、あらゆる快楽を味わいたい、もっと権力を握りたいなど、知らず知らずのうちに人はさまざまな願望を抱く。そうした願望が思考を操ろうとするのである。
しかし思考は別の方向からもひっぱられる。職場に行き、仕事をこなし、同僚とうまくつきあい、友人をつくったり、交際をつづけたり、子どもを育てたりといった実生活の問題にも頭をはたらかせる必要がある。
ある課題について理性的に話し合おうとしているのに、気がつけば互いの自慢になったり、相手からの励ましをさりげなく要求したり、嫌みを言ったりしている。
本人も気づいていなかった願望が論理的な思考を妨害し、理性的な話し合いも本来の目的もどこかに行ってしまうのだ。
冷静に考え、かけひきのないコミュニケーションをし、意思疎通をはかる。たったそれだけのことが、私たちにとってはじつにむずかしい。
意思疎通をさまたげる5つの性質
人には意思疎通を阻もうとする性質が5つそなわっている。
(1)変わることへの抵抗
人は誰でも習慣という名のクモの巣にからめとられている。このクモの巣は何とも心地よいので、たいていは逃れようという気にならない。ここにいる限り不安を感じないですむ。だから、私たちは巣にかかったハエであり、同時に巣に居座るクモでもある。
ものの考え方、感情、行動。どれも習慣と切り離すことはできない。髪の毛のとかし方、卵の調理法、購読紙、身だしなみなど日常生活のあらゆる場面で私たちは習慣にしたがっている。
何かを決めるときに必ず人にアドバイスを求める人もいれば、少しでもペースを乱されるとイライラする人もいる。何につけても心配し過ぎる、自分以外の人間がみな利己的に見えて信用できない、どんなことでも勝たなければ気がすまない。このような性分も習慣の影響を受けている。
ある行動を繰り返すだけでは習慣にはならない。ある行動を繰り返し、何らかの見返りがあった場合に習慣として定着する。
私たちがある特定のものの考え方、感じ方、行動にこだわるのは、いつもそうだから、という理由からではない。そのやり方をすると得をするからだ。たとえば自分の判断力に自信がない場合は、他人にアドバイスを仰ぐことですこしでも不安がやわらぐ。だから習慣になる確率が高い。
では他人のことが自分勝手に見えてしまいがちな性分はどうだろう。じつはそれは相手が勝手なのではなく、相手に過剰な期待を押しつける自分が勝手なのである。必要以上のものを返さない相手を自分勝手だと決めつけてしまうことで、我が身の勝手さに目をつむろうとしているのだ。
習慣を断つのはむずかしい。いままでの習慣にしたがっていれば得をする、その得を手放すことについつい躊躇してしまう。はっきりと目に見える得でもそうでなくても、得をしていると自分が信じているかぎり、習慣を断ち切ることはできない。得るものが大きいほど、私たちは習慣というクモの巣から逃れられなくなる。
(2)自分の考えを優先させ、相手の意見に耳を傾けない
話をするということは、相手の注意をこちらに引こうとする綱引きのようなものである。聞き手は全神経をこちらの話に集中させているわけではない。相手には相手の関心事があり、それが絶えず注意を引こうとしている。
妻が午前中に病院に行った、子どもたちの成績がふるわない、ゴルフのこと、近いうちに昇進できるかもしれないと匂わせる上司の言葉、おととい一時停止の標識が泥で汚れていたので見落としてしまい交通違反の切符を切られたのは心外だ……など、相手はあれこれ思いをめぐらせている。
こちらの話を聞いてもらうには、もっと関心をそそるようなことを言わなくてはならない。聞き手の関心はひとところに留まろうとしない。楽しそうなこと、わくわくすること、あれをどうしようか、これをどうしようかとあちこちに飛び、面倒くさいことや複雑な思考からはできるだけ逃げようとする。いきなり物音がすれば、いま考えていることなど、あっけなく吹っ飛んでしまう。
ここいちばん、じっくり腰をすえて慎重な判断を下さなければならない、というときにかぎって、私たちの関心はふらふらと関係のない方向にむかってしまう。そうならないためには、日頃から厳しい自己鍛錬が必要となる。だがいくら鍛えても集中力は思いのままにはならないものだ。
ためしにこんな実験をしてみていただきたい。部屋にあるものをひとつ選ぶ。ランプや椅子など、何でもよい。そしてそれだけに意識を集中させる。それ以外のいっさいのことを頭から締め出す。もって5秒、あるいは10秒だろうか。いつのまにか頭のなかはランプや椅子に替わって雑多な思いで溢れているはずだ。ふたたび集中してみても、あっという間に元の状態にもどっている。
このように注意力があてにならないとしたら、私たちははたしてどれだけ相手の言いたいことを理解しているのだろうか? 相手の言葉をひとことももらさず聞くことができないとしたら、相手の思いを受け止めていないということなのか?
話し手の豊富な語彙、内容の繰り返しが聞き手の注意力の不足を補っている。だから少々聞き逃しても大丈夫。耳がすくいあげた言葉だけで相手の言いたいことは十分伝わる。
話すときには意図的に内容を繰り返すように気をつければよい。相手に話を聞いてもらうには、とても有効な方法だ。ただし、同じ言葉をそっくり繰り返すだけでは相手が退屈する。同じ内容でも言い方を変えれば万全だ。
複雑なことを伝える場合、言葉をたくさん使って詳しく話したほうが、無駄のない言葉で話すよりも内容が伝わりやすい。
言葉1つひとつの情報量が多いと、ほんの数語聞き逃しただけで聞き手は話が見えなくなる。一語の意味が重すぎるので、話に追いつけなくなってしまうのである。
(3)先入観をもった聞き手
私たちが抱く願望は、私たちに魔法をかける。その結果、私たちは催眠術にかかったような状態になる。
願望が実現して望むものが望むタイミングで手に入るならいいが、現実にはそうもいかない。あきらめきれないまま、願望だけが強くなり過ぎると、ものごとをゆがんだ目で解釈するようになる。
外部と接触するときに、自分が聞きたいように聞き、見たいように見るのだ。いくつかの断片的な事実から即座に結論を引き出してしまう。事実を事実のまま受け止めることはなぜかできないらしい。
弁護士によれば、証人の証言は案外あてにならないそうだ。夜の闇のなかでかぎりなく遠くからほんのちらりと見たたけなのに、宣誓をして立った証言台で堂々と証言するという。目撃者が2人いる場合、日中の明るい日射しのなかで間近で見たにもかかわらず、どんな容貌だったかについて真っ向から意見が対立するそうだ。壁越しに、あるいは遠くで甲高い声を聞いたとき、ある人は悲鳴だと思い、ある人は笑い声だと思う。ある人には泣き声に聞こえる音がある人には歌声に聞こえる。楽しそうにおしゃべりしているのを小耳に挟んだと誰かがいえば、それは激しい口論だったと言い出すものがいる。
私たちのこころのなかにある願望は日々の暮らしを明るくもすれば暗くもする。何の根拠もないのに自分は正しいと感じたり、自分はライバルよりも報われて当然だなどと信じたりする。自分とは好みがちがう人を趣味が悪いと決めつけたり、嫌いな相手の不幸を願ったりする。自分がそう思うことに疑いを抱かないのである。腹を立てれば、周囲の人の不幸を願ってしまうこともある。
聞き手が自分の願望をまじえて人の話を聞くと、話に怒りやよろこびといったニュアンスがプラスされてしまう。聞き手は勝手に言葉を補足し、話を自分に都合よく解釈する。話し手が言った内容と聞き手が聞いた内容に食い違いがあるとすれば、聞き手がそこに自分の願望を込めてしまっているからだ。
(4)根拠のない推測
恋人が、伴侶が、まともに意見を聞いてくれないとぼやく人に朗報がある。そう思っているのはあなただけではない。たいていの人は自分以外の人間など眼中にないのである。少なくとも人の知識や意見にはさして注意を払っていない。
情報交換する際、こちらが発信する情報をそっくりそのまま相手が受け取るなどと考えてはならない。相手に伝わるときにはかなり目減りしている。その目減りした部分を聞き手は自分に都合よく埋め合わせようとする。勝手に情報を加え、自分の願望に沿った内容に仕立て上げようとする。
聞き手の沈黙は決してよいサインではない。黙っているのは理解してくれている証拠と早合点すると、意思疎通に失敗する。何も言わないのは理解し同意してくれているからだと話し手は解釈したがる。が、それはあくまでも話し手の願望である。実際には聞き手は話をまったく聞いていないかもしれない。
いま話をしている相手が何をどれだけ知っているのか、憶測するのは禁物だ。相手にはかならず十分な情報を与えなくてはならない。これまでのいきさつから相手がこれについては知っていると確証があるなら別だが、確証がなければ放置してはならない。
きっとわかっているだろうと憶測して説明を省くと、こちらの意図はまったく伝わらない。それどころか、相手は中途半端な情報を自分勝手に解釈してしまう。
(5)根強い秘密主義
自分の考えや気持ちを人に知られまいと厚いカーテンを閉ざしてしまう人がいる。誰かに自分の本音を知られたら、嫌われたり拒絶されたりするのではないかと怖れている。だから自分の内面を見せまいとする。
だが、それほどまでにして隠さなければならないことが、いったいどれほどあるだろうか? たとえば隣人や友人との会話で、しゃべるつもりのなかったプライベートなことまで打ち明けてしまったとする。それであなたは痛い目に合うだろうか? その情報が悪用されれば、あなたは窮地に立たされるだろうか? それが可能だとして、相手はほんとうにそんなことをするだろうか?
プライベートな情報を知られるのは確かに不安かもしれないが、案外それは取り越し苦労であったりする。たいていは心配するほどのことではない。冷静に考えてみれば、いくらプライベートな情報といっても、極秘扱いするほどの情報ではない。あえて人にさらして気詰まりな思いをする必要はないが、うっかり知られてしまったとしても気にすることはない。
会話をしているときの自分を観察してみよう。あなたは自分について、相手から聞かれていないことまで話すタイプだろうか? 質問されたらたずねられた範囲のことだけをこたえるだろうか? それとも、質問の枠を超えて相手に必要な情報をすべて提供するだろうか?
人にどれだけこころをひらくのか、その加減は1人ひとり驚くほどちがう。たくさん話したがる人、できるだけ話すまいとする人、さまざまである。それに応じて、コミュニケーション能力は大きく差がつく。
コミュニケーションを阻む障害物を乗り越えるには
質の高いコミュニケーションの原点は、思っていることを相手にそのまま理解してもらうことである。単なる言葉をやりとりであってはならない。
意思疎通を阻む要因は、私たちの内にあるさまざまな思いや願望である。これが常に会話を脱線させようとする。うまく対処しなければ、意思疎通をはかることはむずかしい。会話はたちまちかみ合わなくなり、コミュニケーションが成り立たなくなってしまう。抱えている荷物を降ろすことばかり考え、相手と考えを共有し共通のゴールめざして進もうという目的を忘れてしまう。
だがテクニックさえつかめばこうした問題をうまく解決してお互いの意志を伝えあうことができる。次の章からは解決法について述べてゆきたい。ぜひ実践を通じてこうした技術を身につけていただきたい。
人を理解し、人に理解してもらうために。さらに、ものごとをストレートに考え問題を効率的に解決するために。まずは話し方から始めよう。どのような話し方をすれば、言いたいことが相手に伝わるのだろうか。
【目次】




