その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は髙橋潔さんの『 現場で役立つ人材評価学 人を見る目を養い仕事・教育に活かす 』です。「まえがき」をお届けします。

【まえがき】

 本書は人の評価について書いた本であり、会社の評価制度のことだけを扱っているわけではない。評価という切り口を通して、仕事や教育の場面を含めて、広く人を見る目について考えたり、経済の成り立ちや社会の価値について考えたりすることも、テーマとしている。だから、組織で働く管理職だけでなく、学校の先生とか子どもをもった親など、評価能力や本物を見る力について関心がある人にとっては、きっとなにか心に刺さるものがあるだろう。

 日本人は制度が好きだ。だから、人事評価と聞いて、すぐに人事制度と結びつけてしまう。はなから評価のことを忘れて、賃金制度のことを考えようとする。人事制度といったら、年功制に始まり能力主義や成果主義に至るまで、組織が人材に対して大切にしている価値観を示している。

 しかしその価値観は、制度という名が示す一般論であることが多い。組織の価値観が、評価の基準にはっきりと組み入れられているわけではないし、組織のメンバーに対してメッセージとして伝えられているわけでもない。そのまどろっこしさが、人事評価の現状を映し出しているといってよいだろう。

 評価は会社だけのものではない。もっと身近なのが教育の場面だ。教育現場では、児童や生徒や学生の点数や成績を一方的に決める評価権者としての立ち位置に、教員の頭が凝り固まっている。だから、なにが正しい評価のあり方なのかを是々非々(せぜひひ)で論じることを避けてきた。評価するにあたっても、決して間違いを犯さないという無謬性(むびゅうせい)の理念を担保にして、評価がうまくいくケースも、うまくいかないケースも、どっちもあることを認めるのをはばかってきた。さらに、だれもを一律平等に扱うことと、それぞれの違いに応じてきちんと格差をつけることのジレンマに、正面から向き合ってこなかった。

 人事評価は、あらかじめ定められた基準に基づいて、優劣の判定を行うことである。優れたものと劣ったものとに白黒をはっきりつけることは、世界中のどこでも行われており、人類に普遍的な理性に根差した活動であると信じられている。ただしこれが、善悪や美醜と同じく、優劣を二つに分けて考える西欧近代的な認識の二元論に基づいていることを意識することはあまりない。

 欧米のまねをして近代化を図ってきた日本では、人材の評価についても、先進的な施策や評価制度を欧米から導入すれば、それが万能だと考えるくせができている。自分たちで考えるのをやめ、ひとまず周りの動向を眺め、時代の流れに合った流行(はや)りの施策を取り入れることが、解決策だと信じてきた。

 しかし、東洋には東洋のものの考え方があるとするならば、これまであたりまえのように行ってきた人の評価も、一度立ち止まって考え直すべきだ。他所(よそ)を見習ったり、前例を踏襲したりして実施してきた伝統的なやり方を、そっくりそのまま、無批判に受け入れてしまうわけにはいかない。

 日本にはどのような評価の仕組みが合っているのか? この率直な問いに対するヒントは、本書の各章にちりばめられている。人材評価学と名乗っているが、一つの学問分野で成り立っているわけではない。強いてあげれば、経営学と心理学と認知科学のクロスオーバーである。

 本書は、ふつうのビジネス書とは違って、先端の知識や目新しいケースばかりを紹介しようとは考えていない。人の評価がなされてきた分野と時代を行きつ戻りつして、多種多様な観点から、評価について論じている。人の評価という切り口で、時空(時間と空間)を超える学問の幅広さを感じてほしい。

 だから、読者にとっても、本書を読破したからといって、知識をひけらかしてマウントを取ったりするのではなく、自分の勤め先で、家族が通っている学校で、自分たちの世代だけでなく、将来を担う子どもや孫たちが、どのような観点で評価されるのがよいのかを考えるきっかけとしてほしい。

 「学べば則(すなわ)ち固ならず」(『論語』学而第一 〇八)という。知識のない人は一つの考えにとらわれて頑固になってしまうが、学問を得れば視野が広がり柔軟な発想ができるということだ。

 では、日本人が理想とする人間像は、いったいどのようなものなのか? どのようにすれば、人より優れ、人から尊敬を得ることができるのか?

 宮澤賢治が描いた人間観は、今でも日本人の心をつかんで離さない。その遺作として名高いのは、『雨ニモマケズ』(『新編 宮沢賢治詩集』新潮文庫)である。詩の冒頭で記されているように、一日に玄米を茶碗八杯も平らげるマッチョな体格とヘルシーな食生活を、賢治が理想としていたこと(一日に玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べ)はトリビア(雑学)だが、それに続いて次のように書かれている。


東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の朿を負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと言い

日照りの時は 涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなに木偶(でく)の坊(ぼう)と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず
そういう者に 私はなりたい


 賢治が理想とするのは、損得を考えずに自発的に動く「行動の人」である。今風にいえばプロアクティブ人材だ。出した結果ではなく、行動すること自体を大事にする。彼の理想とすることは、自発的で利他的な行動を評価する仕組みが社会になければ、陰の努力として埋没してしまうことになる。

 また、周りから疎(うと)まれ無視されるいじめられっ子のような立場に身をやつしても、まったく気に留めることなく、平凡で吹けば飛ぶような身分であること(みんなに木偶の坊と呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず)を、理想の姿として描いている。

 それは、どんなに貧しくどんなに身分の低い人にも、敬いの念を絶やすことのなかった、法華経(ほけきょう)に出てくる常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)がモデルとなっている。賢治の遺作メモからも、それは明らかである。流行りのポリティカル・コレクトネス──人種・性別・宗教・出身国・障がいの有無・性的指向の違いなどによる差別を、なくそうとアピールする政治的立場──とは、まったく違った東洋的な世界観がそこにはある。

 「沈香(じんこう)も焚(た)かず屁もひらず」という言葉がある。芳香もなく悪臭もなく、毒にも薬にもならない平凡な生き方を理想とする。そんな人間観が、この国で広く得心されているとすれば、それを映し出す人材の評価の仕組みはどうあるべきなのだろうか? それを世に問うてみたい。


 本書を執筆するにあたって、多くの人から支援を受けた。ここであらためて感謝の意を表したい。

 まずは、本書を出版するにあたり、その内容と読者層についてアドバイスをいただいた同僚、立命館大学総合心理学部の宮口幸治教授に感謝したい。『ケーキの切れない非行少年たち』というベストセラーを書いた人気作家でもあり、マンガやドラマにもなっている。彼の足跡を見習って、本書もひょんなきっかけでベストセラーになれば、マンガ化やドラマ化されることもあるだろう。知らんけど。

 次に、本書の出版に尽力いただいた神戸大学大学院経営学研究科の服部泰宏教授にお礼を申し上げる。筆者が神戸大学を退官した後に、後任としてその穴を埋めるべく赴任したのが服部さんだが、筆者の穴を埋めて余りある貢献を果たしている。組織行動と人的資源管理の研究と教育は、その中心を、東京から遠く離れた神戸が担ってきた。日本における 「経営学の発祥の地」である神戸大学において、組織行動をリードする伝統と責任をしっかりと引き継いでいる。

 また、本書の執筆を陰で支えてくれた妻 紅にも、あらためて感謝する。人材評価学に東洋的思想を吹き込むプロセスで、とりどりの知的示唆を与えてくれた。最後に、日経BP堀口祐介氏には、本書の企画から校正に至るすべての面でお世話になった。あらためて感謝を申し上げたい。


【目次】

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