その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は岩田一政・日本経済研究センター(編著)の『 2075 次世代AIで甦る日本経済 』です。「まえがき」をお届けします。
【まえがき】
戦後日本における長期経済予測のさきがけは、1946年(昭和21年)3月に作成された外務省特別調査委員会報告『日本經濟再建の基本問題』であると考えられます。同報告書では1950年の総人口および産業別人口を予測するとともに、その半年後の1946年9月の改訂版では国民所得および工業の生産規模と構成を予測しています。
これらは戦争賠償問題への対応のために行われたものですが、窮乏のどん底にあったなかでも自国の経済の将来像を自らの手で定量的に描く力を日本が有していたことは、戦後復興に向けての大きな希望であったと考えられます。
そして同報告書を礎として経済予測技術は発展し、日本経済研究センターは1963年の設立以降、予測機関の一端を担っています。的確な予測と責任ある提言。これは、その精神を受け継ぎ、日本経済研究センターが自らに課した使命です。長期経済予測はこの使命を達成するための重要なツールとして、おおむね5年おきに日本経済の将来像を世に示してきました。
2019年12月に公表した前回の長期予測「デジタル資本主義の未来 日本のチャンスと試練」(『2060デジタル資本主義』、日本経済新聞出版)において指摘した、データ等の無形資産の重要性の増大、デジタル分野を含むサービス貿易における日本の存在感の低下、現役層の実質的な生活水準の低下、そして米国の保守化の可能性については、方向性はおおむね予測通りであったと思われます。特に米国における第2次トランプ政権の発足は米国社会の保守化の象徴であるといえます。
一方で、人工知能(AI)の発達スピードは予想をはるかに超えており、今回の長期予測においても生成AIを活用して、次世代AIである汎用AI(Artificial General Intelligence、AGI)が代替または補完できる人間のタスク(作業)の分類作業を行うなど、すでに我々が仕事を行ううえでも不可欠なツールとなっています。
今回の長期予測では、出生率と移民を内生化するとともに、生成AIおよびAGIによる生産性上昇率の押し上げ効果を定量的に織り込むという、これまでにない新たなマクロ経済モデルを構築し、国内総生産(GDP)と人口を一体的に予測しています。この予測結果にもとづき、産業連関表を用いた産業構造の将来予測、応用一般均衡モデルを用いた炭素税導入の影響の評価、社会保障の給付と負担および財政バランスの将来予測を包括的に行っています。
生成AIの活用は進むものの現行政策や経済環境が継続する下では(「標準シナリオ」)、米国は高水準の移民純流入もありGDPランキングでは首位を維持し、中国は出生率低迷と人口流出で2030年代以降成長率は急低下し、米中逆転は起こりません。しかしブラジル、インド、中国などで構成するBRICS10のGDPは2075年に米国の1.4倍へ拡大し、新興国の存在感が高まります。
日本は移民純流入は現状程度が見込めるものの、出生率は緩やかに低下することから、2060年代に人口が1億人を割りこみます。生産性の低迷も続くことから2075年の実質GDP順位は世界11位(24年は4位)まで低下し、1人当たりGDP順位も45位(同29位)に低下します。
しかし、AGIの導入を含む改革の実現(「改革シナリオ」)は、日本の国際社会における立ち位置を守ることに大きく寄与します。この改革とは、主にAGI社会における労働時間の削減(週休4日)と教育への公的支出拡大等による出生率の回復、ジョブ型雇用のさらなる普及や教育年数の上昇等による人的資本の拡大、およびスタートアップの増加や対内直接投資の増加等の産業構造の変革からなります。
改革シナリオでは、日本の人口は出生率が1.3程度まで回復することや医療AIの発展を受けて2050年代以降は1.13億人程度を維持し、生産性の伸び率も大幅に上昇することからGDPは世界4位を維持できます。1人当たりGDPの順位も25位へと上昇します。産業もAI・デジタル関連が牽引し、ヘルスケアも大きな柱となります。新たな技術は雇用を奪うとの懸念が常につきまといますが、AI関連の新職種の需要は増加しています。年金・医療・介護の改革を行い世代間の不公平を是正する必要性は変わりませんが、成長率の上昇は財政の持続可能性を向上させます。
巨大災害や感染症への備えも忘れてはなりません。改革シナリオでは、週休4日により増えた自由時間は災害への備えのための活動を充実させることを可能とします。カーボンニュートラル(温暖化ガス排出実質ゼロ)の達成は経済活動を維持するためだけでなく、生態系の維持を通じた新たな感染症の抑制策として重要です。そのためには大気中の二酸化炭素(CO₂)を吸収する技術が必要ですが、改革シナリオではその費用が下がる一方で、CO₂排出量が増えるという矛盾が生じ、克服のために脱炭素技術のさらなる研究開発が必要です。
世界的にみると各国間の所得不平等は縮小してきましたが、各国国内の所得不平等は拡大傾向にあります。第2次トランプ政権は米国型デジタルAI資本主義が生み出した病の帰結として誕生し、社会の分断を深めつつあります。
そして自由貿易体制は、米国による各国への追加関税とその応酬が繰り広げられ、危機的状況にあります。多角的自由貿易体制を推進してきた世界貿易機関(WTO)は機能不全に陥っています。
WTOは新しいルール形成の場となっている地域貿易協定と補完関係を築き、自身の機能不全を補うべきです。また、日本は自国の不可欠性や信頼性を高め、個別の2国間貿易協定や地域貿易協定の利益を示すことを通じ、協定参加国を増やし多角的自由貿易体制につなげるべきです。
ドイツの哲学者カントは、「人は他のすべての人がとるであろう行動のみをとれ」という定言命法にもとづく平和論(カント均衡)を唱えました。パワー・バランスの維持のみが平和を可能とするという見解がある一方で、このようなカント的な「私とあなたにとって最適な戦略」を少数であっても選択する国があれば、自己の利得を最大化するような「私にとって最適な戦略」を選択する国が多いなかでも、最終的にはカント均衡が達成されうることが理論的に示されています。すなわち、世界が多極化するなかであっても、カント的最適化を実行する国が少数でも存在することが、世界を平和と繁栄に導きうるのです。
長期予測には「当たる」「当たらない」といった側面があることは事実です。予測期間が長くなればそれは尚更のことです。新型コロナウイルス感染症やロシアによるウクライナ侵略、中東における武力衝突等、予見しがたい内容も数多くあります。しかし、計量分析の知見に技術進歩や制度改革を織り込んだ定量的な将来予測は、将来に向けた家計、企業や政府の意思決定をより明確化・具体化するために不可欠のツールであると我々は考えます。
予測のなかでは改革シナリオとして、当事者にとっては痛みを伴うような政策提言を行っています。しかしその改革を通じて実現できるより良い経済社会の将来像を定量的に示すことは、その改革を実行するための勇気を当事者に与えるとともに協同を促し、多くの人々に生きる希望を与えるものでもあると考えます。日本経済研究センターは、不確実な世界にあっても、臆さずにあるべき姿を発信することがシンクタンクとしての責任だと考えています。
本書をまとめるにあたり、当センターの「未来社会とテクノロジー研究会」(座長・岩田一政)に参加いただいた有識者や実務家の方々および各分野の専門家の方々から貴重な助言を多数いただきました。この場をお借りして、深くお礼申し上げます。文中の意見と残る誤りは、すべて筆者らのものです。
2025年10月
日本経済研究センター 長期経済予測班主査 石橋 英宣
【目次】





