その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は高杉康成さんの『 キーエンス流 性弱説経営 』です。

【はじめに】

 突然ですが、質問です。とある企業が顧客の要望を聞いてタブレットPCの新商品を開発しました。顧客の要望は以下の通りです。

「価格は多少高くてもいいので、小さいタブレットPCが欲しい」

 これに対応するために、従来品と同等の性能を持ち、縦横2cmずつ小さい新商品を開発。価格は従来品より2000円高くしました。

 ところが、この新商品は売れませんでした。

画像のクリックで拡大表示

 なぜ売れなかったのでしょうか。それはこの会社が、「顧客ニーズの罠(わな)」にはまってしまったからです。顧客は、商品に対して自分が感じたことを話してくれます。「小さいものが欲しい」「黒色が欲しい」「軽いものが欲しい」など、様々な要望=ニーズを教えてくれます。

 実は、ここに罠が潜んでいるのです。顧客が教えてくれたものすべてが、新商品に採用できるニーズとは限らないのです。「相手は正しい内容を話してくれているに違いない」「顧客からの要望通りに新商品を作れば売れる」という、性善説的な前提に立っていると、この罠に引っかかってしまいます。

 先ほどの、「価格は多少高くてもいいので、小さいタブレットPCが欲しい」という顧客の要望は、2つのニーズに分けることができます。

■ 小さいサイズが欲しい
■ 価格は多少高くてもいい

この2つですね。問題は、これらの要望の根拠です。1つ目の「小さいサイズが欲しい」というニーズについて詳しく聞いてみると、

「持ち物が増えたので小さいタブレットPCが欲しい」

という話でした。これだけではよく分からないのでさらに聞いてみると、

■ ゲリラ豪雨に備えて、折り畳み傘を常に持ち歩くようになった
■ 暑い日が多いのでペットボトルの飲み物を持ち歩くようになった
■ コロナ禍を経てマスクや消毒用品などを持ち歩くようになった

といった話を教えてくれました。なるほど。今まで持ち歩いていなかったものを持ち歩くようになったので、一緒に持ち歩くタブレットPCのサイズを小さくしたいというニーズでした。ここまで掘り下げると根拠が分かり、納得感があります。

 では2つ目の、「価格は多少高くてもいい」のニーズはどうでしょうか。これについても詳しく聞いてみると、

■ 友達が持っている小さくて高性能なスマートフォンの価格は高いので、タブレットPCもサイズを小さくすると価格が高くなると思った
■ 本当は安いほうがいいけど、サイズが小さくなるなら価格は妥協しないといけないと思った

一見すると「なるほど!」だけど……

 一見すると、「なるほど!」と思えます。しかし、どちら文末に「思った」とあるのがポイントです。サイズに関する話は、傘やペットボトル、消毒用品などを持ち歩いているという事実に基づいた要望でした。

 ところが、価格に関する話は、具体的な根拠がない中での、この人の「意見」です。しかも、心の中では価格が安いほうがいいと思っているのに、友達が持っているスマートフォンの情報に影響されて、本心と真逆の内容を伝えています。そもそもニーズとして正しくないのです。そんな意見を「顧客からのニーズ」として商品開発に反映させてしまったため、この商品は失敗してしまいました。

 少し考えてみれば合点がいきます。コストパフォーマンス(コスパ)やタイムパフォーマンス(タイパ)というように、最近は何かと効率性が求められます。2cmずつ小さくなっても価格が上がってしまってはコスパが合わない、という理由で売れなくなってしまうのです。

 こうやって丁寧に分解・分析してみたら分かるのに、それでも罠にかかってしまうのはなぜでしょうか。答えは先ほどお伝えした通り、「顧客からの要望通りに新商品を作れば売れる」という前提に立っているからです。顧客ニーズ志向(マーケットイン)という言葉がある通り、顧客の声は重要です。だからといって、言われた通りに作ればいいというわけではありません。今回の事例のように「顧客ニーズ志向という言葉を錦の御旗にして、顧客の要望通りに商品を作ったのに売れなかった」という失敗談は、星の数ほどあります。非常に多くの会社がこの罠にかかってしまっているのです。

画像のクリックで拡大表示

 繰り返しになりますが元凶は、「顧客からの要望通りに新商品を作れば売れる」という前提です。もしこれが、「顧客の要望通りに新商品を作っても、売れないかもしれない」という前提に置き換わったらどうでしょうか。先ほどの「価格が高くてもいい」という個人の思いを新商品開発に反映させて失敗するケースはなくなりそうです。

 この2つの前提の違い。実は、前者は「性善説に立った前提」であり、後者は「性弱説に立った前提」です。

 ここでの性善説は、中国の思想家である孟子が唱えたものとは少し違います。ビジネスの場において、顧客、取引先、会社の上司や部下をどのような性質を持った人として捉えるか、という意味でこの言葉を使っています。この意味での性善説とは、

■ 人はみな本来善人であり、「正しく聞けば正しく答えてくれる」「やるべきことをきちんとできる」「物事の道理や常識を分かっているし実践できる」

という捉え方です。先ほどのタブレットPCの失敗は、まさに性善説の視点で顧客を捉えていました。

画像のクリックで拡大表示

 もう1つの性弱説とは、

■ 人は本来弱い生き物なので、「難しいことや新しいことを積極的には取り入れたがらず、目先の簡単な方法を選んでしまいがち」

という捉え方です。先ほどの話では、「目の前の顧客は、自分の困りごとや感情を正確に把握して言葉にすることが難しいかもしれない」「思いついたことを何となく話してしまっているかもしれない」という視点になるのです。

 どちらの前提に立ってビジネスをするかによって、会社単位でも個人単位でも、その成果は大きく変わってきます。

 筆者は、高収益企業として知られるキーエンスという企業で商品開発に携わった後、コンサルタントとして上場企業から中小企業まで、たくさんの企業と関わってきました。その長年の経験で見つけたものがあります。それは、

キーエンスは性弱説の考え方で動いている

というものです。

 実際キーエンスでは、顧客から集められたニーズをそのまま新商品に採用することはありませんでした。私自身、キーエンス在職時代は新商品を企画する担当として、毎年数万件の顧客ニーズを見てきました。その際、顧客ニーズはあくまで「ヒント」としての活用にとどめていたのです。

 私が新商品の企画担当になったばかりの頃、先輩からよく言われた言葉があります。

「それは、顧客の意見ですか、それとも事実ですか」

というものです。先ほどのタブレットPCの事例と同じく、大切なのは事実と根拠です。顧客が話してくれたり書いてくれたりするニーズには、事実に基づかない意見や感想が含まれるという、性弱説の前提に立っていたのです。

 他にもキーエンスには、性弱説の視点に立った取り組みや考え方が多くあります。例えば、上司・部下の報連相(報告、連絡、相談)もそうです。キーエンスにおける報連相で有名なのが、「外報」と呼ばれる面談時のコミュニケーション。これは、営業担当者が顧客と面談する日より前に、面談でどういった内容を話すかをディスカッションして、アドバイスを受ける機会です。

 これだけだと、「自社でもやっています」と思う人もいらっしゃるでしょう。キーエンスが特徴的なのは、これを「事前」に実施するところです。もちろん事後報告もあります。多くの企業は新人の指導期間中や超大型案件以外は、事後のみでしょう。これも、性弱説の視点に立った考え方に基づいています。

上司と担当者の「当たり前」が違うのは当たり前

 「なぜ、この機能に関する説明をしてこなかったのか」

 とある商談の事後に設けた報連相の場面で、上司が部下に問いかけるシーンをイメージしてください。読者の皆さんもこういう言葉を上司や先輩から言われた経験があるのではないでしょうか。自社商品を販売するために、「上司が重要だと思う商品の特長」を、部下が顧客に説明してこなかったことに対する質問です。実際には叱責と言っていいかもしれません。

 上司は、「この商品が持つこの特長は非常に重要だし、面談した顧客にとっても重要だから、当然話をしてくるだろう」と想定し、期待していました。しかしながら、その期待通りに部下は動きませんでした。面談後にそれを嘆いても後の祭りです。

 一方、部下の視点に立ってみると、「 この商品は多くの特長があり、自分はこの機能が最重要だとは思わなかった。本当にそんなに大事だと思うなら、面談する前にアドバイスしてくれればいいのに」という思いでいっぱいでしょう。

 上司の「部下はちゃんとこの特長の重要性を理解し、顧客に話してくるだろう」という視点は、まさに性善説視点です。上司が役割を果たそうと思えば、「部下はこの特長の重要性を見落とし、顧客に伝えないかもしれない」という性弱説視点に立って、アドバイスをすべきなのです。

 そして、事前に部下の提案内容を確かめるなら、キーエンスが実践しているように、事前に報連相をするしかありません。そうすることで、商談が成功する確率が高まるのです。

キーエンスと他社の最大の違いは「性弱説」

 中小企業から大企業まで様々な企業を見てきた中で、私がずっと抱いてきた疑問が「キーエンスと他社は何が違うのか」というものです。初めは、「世界初・業界初の新商品を連発する」「顧客のニーズをしっかりと聞き出し、役に立つソリューション提案を行う」「ファブレス(工場を持たない経営)を採用している」など、世の中のビジネス誌で語られている内容が両者の違いだと考えていました。

 ところが、そうは考えながら、なぜかそれだけでは腑に落ちませんでした。説明できない場面が出てくるのです。それがずっと引っかかっていました。そんなある日、

キーエンスは性弱説の考え方で動いている

という事実に気付き、自分が心から納得したことを覚えています。性弱説の視点は失敗を減らし、成功する確率を高めてくれます。それが積み重なっていくと、非常に大きな成果につながるのです。

画像のクリックで拡大表示

 ではこれから、性弱説をベースにした経営手法『キーエンス流 性弱説経営』の世界をご案内いたします。

画像のクリックで拡大表示

【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示