その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はジェームズ・K・セベニウス、R・ニコラス・バーンズ、ロバート・H・ムヌーキン(著)、野中香方子(訳)の『 キッシンジャー超交渉術 』。「へンリー・A・キッシンジャーによる序文」「序文」「イントロダクション」をお届けします。
【へンリー・A・キッシンジャーによる序文】
国政の技術の中でも、戦略的交渉はきわめて重要である。私は職務を通じて数多くの交渉を行い、戦略的交渉について多くの意見を述べてきた。実際、さまざまな問題について最善の戦略や方法を見いだすべく、数多くの交渉に関わってきた。しかし、それらについて入念に見直したことはなかった。また、国務長官および国家安全保障問題担当大統領補佐官としての私の外交政策をテーマとする本は多いが、私の戦略的交渉について深く分析した本は、私の知る限り本書の他には存在しない。つまり本書は、他に例を見ない著作なのだ。私の交渉術と交渉哲学を深く探求した、初めての著作と言っていい。筆頭著者であるジェームズ・K・セベニウス(ジム)は、ハーバード大学の同僚であるR・ニコラス・バーンズ(ニック)、ロバート・H・ムヌーキン(ボブ)と共に、複雑な状況下でどうすれば価値ある合意を生み出せるかという問いを、巧みに分析し、実際に役立つ答えを導いた。
本書を企画したのは私ではない。数年前まで、私はジムのこともボブのことも知らなかった。ニックのことはよく知っていたが、彼が政府の仕事をするようになったのは、私が国務長官職を辞した後のことだ。著者の誰とも職業上のつながりはない。この取り組みが始まったのは、2014年に著者三人が私をハーバード大学に招いたのがきっかけだった。歴代の国務長官にそれぞれの最も困難だった交渉についてインタビューするという、大がかりな計画の一環としてである。著者三人はこれまでに七人の元国務長官に詳細なインタビューを行ってきた。それらの貴重なインタビューをもとに、過去40年間のアメリカの外交に関する大著をまとめ、3部構成のテレビ番組を制作する、というのが彼らの計画だ。
しかし、あなたが今手にしている本書が追求するのは、より焦点を絞った問いだ。それは、複雑で高いレベルの交渉において、どのような分析や行動が成功(あるいは失敗)につながるか、という問いである。それについて私は、信頼の大切さというようなありきたりの原則や決まり文句を超えた堅牢な答えを、文書の記録から導き出せるだろうかと、ハーバード大学のインタビューで述べた。交渉はそれぞれ状況も性質も異なるのだから、すべてに通用する助言などというものは、見つけられるはずがないと思ったのだ。
しかし、その後、ジム、ニック、ボブと対話を重ねるうちに、何か有益な方法を突き止められそうな気がしてきた。この作業のために著者らは、私が関わった数々の出来事を簡潔に列挙した。彼らは何より交渉そのものを重視し、歴史的背景や当時の政策については、分析に必要な情報があればそれでよしとした。中国との関係の改善や、第四次中東戦争後のエジプトとイスラエルの講和など、いくつかの事例は広く知られている。一方、1976年の、ローデシアの黒人多数支配に関する英国やアフリカの国々との交渉のように、当時は広く議論されたが、今ではほぼ忘れられているものもある。しかし、これらの出来事を交渉というレンズを通して見ることで、新たな理解が得られた。ベトナムの問題など、著者らの政策観には同意できない部分もあるが、彼らはこれらの複雑な交渉を調べ、有益な洞察を引き出すという偉業を成し遂げた。
私が愕然とさせられるのは、経験豊かなはずの公人や経営者が、きわめて重要な交渉で、得てして場当たり的なアプローチをとりがちなことだ。たとえば裁判で、自らの本来の利益や目的とはかけ離れた戦略や戦術で法廷に臨み、敗訴する人がいる。別のよくある誤解は、面と向かって交渉すれば取引は成立すると楽観して、相手を交渉の席に着かせることに多大なエネルギーを注ぐことだ。実際は、交渉の前に、自分にとって有利になるように状況を固めておくことのほうがよほど重要である。合意・不合意に応じてアメとムチを用意しておくこともできるだろうし、注意深く援軍を集める一方、妨害しそうな敵を未然に無力化することも可能だ。ジム、ニック、そしてボブは、交渉の失敗例を列挙し、それを回避するための助言を、私の実績から導き出した。
私の交渉の実績は、華やかで歴史的に興味深く思えるかもしれないが、本書の目的は、それらを詳細に語ることではない。読者の皆さんはじきに気づかれるだろうが、むしろ本書の意義は、私自身、在職中から今に至るまでそれほど意識していなかった行動原理と実践の神髄を、明らかにしたところにある。ジムは交渉に関連した学術研究に精通し、自らも重要な交渉を数多く経験しており、複雑な交渉について深く理解している。それは共著者のニックとボブも同様である。だから彼らは、私の経験を正しく理解し、その核となるものを思慮深く引き出すことができた。
史実の活用という精神でこのプロジェクトに着手したセベニウス、バーンズ、ムヌーキンは、交渉および外交という仕事の重要性と有益さが見過ごされがちなこの時代に、それらへの理解を深めてくれた。危機に瀕しているこの問題について、完璧な知識を土台とする彼らの巧みな分析は、外交能力の向上に大いに役立つはずだ。複雑な交渉問題に直面しているCEO、外交官、交渉者にとって本書はきわめて有益な情報をもたらすだろう。
【序文】
世界で最も優れた交渉者は誰か。彼らの成功の源は何だろうか。同僚や学生、あるいは依頼人からこう尋ねられると、私たちは必ずヘンリー・キッシンジャーの名前を挙げる。長年敵対していた米中の関係を改善するため彼が行った秘密交渉を覚えている人もいる。ソ連との緊張緩和(デタント)、初の核兵器制限の取り決め、エジプト・シリアとイスラエルとの兵力引き離し協定、カンボジアやチリをめぐる論争を思い出す人もいる。キッシンジャーの経歴を詳しく知らない人でも、偉大な交渉者についての会話では、このかつての国務長官についてしばしば語ろうとする。
キッシンジャーの優れた交渉能力が広く知られているのには、深い理由がある。1974年6月に行われたハリス世論調査によれば、アメリカ人の85パーセントという驚くべき数の人がキッシンジャーは「素晴らしい」働きをしていると考え、88パーセントが彼を「非常に優れた交渉者」だと考えていた。これらの数字は、「ハリス世論調査が始まって以来、最も支持率の高い政治家」を意味した。40年後の2014年に、国際関係学を教えている1375大学の1615人の学者を対象としてアンケートを行ったところ、その大半がヘンリー・キッシンジャーを過去50年間で最も有能な国務長官と見なしていることがわかった。回答者をリベラル、中道、保守、あるいは男性・女性に分けて見ても、その評価は変わらなかった。キッシンジャーをたびたび批判していた伝記作家のウォルター・アイザックソンでさえ彼を、「(20)世紀で最も重要なアメリカの交渉者」だったと評価している。
強い影響力を備えた国務長官にして、外交的手腕に長けた歴史学者で、外交政策の分析家でもあるキッシンジャーについては、他者も彼自身も無数の言葉を綴ってきた。数多い好意的な、あるいは批判的な評論家と共に、キッシンジャー自身も、数々の交渉で自らが果たした役割を記録してきた。だが驚いたことに、これまでに、交渉者としてのキッシンジャーの記録を真剣に、かつ総合的に、考察した人はいなかった。本書はキッシンジャーの重要な交渉を総覧し、共通する特徴を見つけ出すことによって、キッシンジャーの交渉アプローチと、その背後にあるロジック、戦略、戦術を、批判精神を忘れずに探究しようとするのが目的だ。私たちの目的は、それが国家間、国内、あるいは公的、私的にかかわらず、現代の紛争や交渉上の難題を理解し、取り組むための手引きとなる洞察を生み出すことだ。
キッシンジャーのアプローチに学ぶこの取り組みは、進行中のさらに大きなプロジェクトに端を発している。ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学とタフツ大学の協力による教育研究機関「交渉学研究所(プログラム・オン・ネゴシエーション)」は、2001年以来毎年、大きな障壁を克服して価値ある合意を導いた人、すなわち「偉大な交渉者」を表彰するイベントを主催してきた。
教授団と大学院生は十分な調査と事例執筆(ケースライティング)を行った後に、その年の偉大な交渉者に選ばれた人々をハーバード大学に招いた。そして、彼らが結実させた難しい交渉の一つひとつについてインタビューし、その様子を録画した。質問は以下の内容だ。「交渉の最も難しかった要素は?」「それをどのように処理したか?」「他にはどんな方法があったか?」「その理由は?」「それらの経験からどのような洞察を得たか?」「似たような状況に直面している人にどのようなアドバイスをするか?」
2012年の受賞者は元国務長官のジェイムズ・A・ベイカー三世で、NATO内でのドイツ統一に至る交渉で中心的役割を果たしたこと、湾岸戦争時に多国籍軍を組織してサダム・フセインをクウェートから追放したこと、そして、1991年の中東和平会議(イスラエルとアラブ諸国が初めて参加した多国間交渉)を実現した外交手腕を評価されての受賞だった。その年のイベントに刺激された私たちは、2014年から2016年までの「偉大な交渉者」の手法にならって、アメリカの国務長官経験者へのインタビューを行うことにした。その結果始まった「米国務長官プロジェクト」の一環として、ジョージ・シュルツ、マデレーン・オルブライト、コリン・パウエル、コンドリーザ・ライス、ヒラリー・クリントン、そして、ヘンリー・キッシンジャーにきわめて長いインタビューをするとともに、広範に及ぶ調査を行った。
45年ぶりにハーバードの教室を訪れたキッシンジャーとの最初の対話は、知的魅力にあふれていた。かつてハーバードで学び、その教授を務めた彼にとって、きわめて感動的なホームカミング(母校訪問)になったはずだ。ハーバード大学学長のドリュー・ギルピン・ファウストの言葉を借りれば、この公開討論に参加したおよそ300人の大学生は、92歳の「ロックスター」を見るようなまなざしでキッシンジャーを見ていた。とは言え、学生たちはこの元国務長官に非常に難しい質問をぶつけた。
キッシンジャーとの最初の対話の途中で、ジムは、ジョージ・シュルツの洞察に満ちたエッセイ『交渉の十戒』を引き合いに出し、ジェイムズ・ベイカーの外交術から私たちが見いだした、いくつかの普遍的教訓について述べた。それから私たちはキッシンジャーに尋ねた。「もし、あなたなりの交渉の十戒をまとめるとしたら、リストにはどんなものが入りますか?」。キッシンジャーは、その問いには答えようとせず、そうした類いの普遍的なアドバイスが、多種多様な交渉のすべてに当てはまるとは思えない、と返した。
この懐疑的な回答に、私たちは言葉を失った。「交渉者キッシンジャー」の本質を、広く応用できる一連の教訓にまとめることは、本当に不可能なのだろうか。ジムはこの難題に興味をそそられ、何時間にも及ぶ彼へのインタビューを慎重に分析し、全3巻からなるキッシンジャーの回顧録(WhiteHouse Years,Years of Upheaval,Years of Renewal)と、彼の代表的著作である『外交』(日本経済新聞社、1996年)、『中国』(岩波書店、2012年)、『国際秩序』(日本経済新聞出版社、2016年)を読み直すことを決意した。合計でおよそ6000ページ(原書)に及び、いずれの本にもさまざまな交渉の詳細がびっしりと記されている。それらを読破した後にジムは、試案を長い草稿にまとめ、「この分析は、幅広い交渉におけるあなたのアプローチを正確に捉えていますか?」という簡潔な質問を添えて、ニューヨークにいるキッシンジャーのもとへ送った。
その後、私たちはキッシンジャーに会って、その草案について話し合った。キッシンジャーの反応は良く、私たちの研究は最初のものだと述べ、交渉のいくつかをさらに深く掘り下げることを私たちに強く勧めてくれた。言うまでもなく、中国との関係改善や、ベトナム戦争を終結させたパリ和平協定など、キッシンジャーがまとめたいくつかの交渉については多くの研究がある。しかし、キッシンジャーの交渉術という横串のテーマについての研究はこれまでなかった。また、現在の交渉理論に関する洞察の中に、キッシンジャーのアプローチを系統的に検証したものもない。このテーマは重要であり、そこから交渉の理論と実践を発展させるための多くのことを学べるはずだと私たちは確信した。そこでジムを筆頭著者とし、彼が分析と編集を主導する形で、本書を共同執筆することにした。
本書が目指したのは、ヘンリー・キッシンジャーの交渉術の根底にある教訓を正確に捉え、説明することだ。私たちにとって本書の執筆は、「交渉者の心」の特徴を明らかにする作業だった。キッシンジャーは、19世紀の偉大な政治家クレメンス・フォン・メッテルニヒについて研究し、「メッテルニヒの素晴らしい外交手腕」を称賛し、「外交においては、国際関係の要因を正しく評価し、巧みに活用すれば、多くの成果を得ることができる」と述べた。
キッシンジャーはメッテルニヒについて研究し、効果的な交渉戦略と戦術を理解し、採用した。私たちもキッシンジャーの研究を通じて、そうした戦略や戦術を学びたいと思っている。だが本質的に、交渉技術には限界がある。技術は、交渉の目的やその目的を取り巻く世界観とは無縁だ。目的が正しいか正しくないか、賢明なのか愚かなのかは、技術の良し悪しからは判断できない。
したがって、キッシンジャーの交渉を研究するに当たって、私たちは彼の目的と世界観を大前提、少なくとも出発点と見なしたい。1960年代後半から1970年代半ばにかけて公職に就いていた間、キッシンジャーはアメリカの安全を確実にするために、三つの目的を何より重視した。それは、(1)核戦争という悲惨な災いを防ぐこと、(2)ソ連の拡大を抑え、冷戦におけるアメリカの優勢を保つこと、(3)中国、ソ連、アメリカの間でより安定した「平和構造」を築くことだ。本書で、ベトナム戦争をめぐってのパリ和平協定など、特定の交渉を分析する時には、その紛争についてのキッシンジャーの考えが、交渉戦略にどのような影響を及ぼしたのかに焦点を当てたい。
現在の問題は冷戦時代のものとは大きく異なり、かつての米ソ二極構造は、多極的な世界にとって代わられ、中国やインドといった新興大国が影響力を強めている。地球温暖化や国際的な資金の流れから、国境を越えた犯罪や飛行機によって運ばれるウイルスに至るまで、国境をまたぐ問題が増えつつある。それでも、効果的な交渉はきわめて重要だ。キッシンジャーの経験から導き出し、慎重に選んだ教訓は、賢明な目的のために活用し、変化する状況に適応させるのであれば、公私を限らず交渉の重要性を知る人にとってかけがえのない助言の宝庫となるだろう。
著者三人は専門分野も背景も異なるが、知的生活と職業人生が交渉を中心に回っているのは同じだ。三人の中の一人、ニック・バーンズは、ハーバード・ケネディスクールで外交術と国際政治を教えているが、その前の27年間は米国務省で外交官として働いていた。ボブ・ムヌーキンは、調停と法律交渉の経験が豊かで、ハーバード・ロースクールで交渉について教えている。ジム・セベニウスは、数年をウォール街で働き、取引と論争の専門家として、数十年にわたって世界中のクライアントにアドバイスし、今はハーバード・ビジネススクールで交渉について教えている。2010年に、私たち三人は「偉大な交渉者」を表彰するイベントの一環として、優れた交渉者であり、元フィンランド大統領でノーベル賞受賞者のマルッティ・アハティサーリのハーバード大学訪問を手伝った。この経験に刺激されて、私たちはそれぞれが教壇に立つ三校を結んでの調査と教育を通じて、互いの視座と経験を統合することを目指すようになった。
本書とさらに大きな「米国務長官プロジェクト」は、私たち三人の共同作業だが、キッシンジャーの交渉哲学と業績について書くことを思いついたのはジムだ。ジムは各章の最初の草案を書き、本書の骨格を築いてくれた。それは多大な研究努力の成果だった。ジムが本書に惜しみない情熱を注ぎ、交渉者キッシンジャーから正しい教訓を導き出そうとする共同作業でリーダーシップを発揮してくれたことに、ニックとボブは感謝している。
本書では、歴史上の出来事に関する記述では正確さを重視した。しかし、本書の主たる目的は、歴史的記録の間違いを正すことでもなければ、政治的論争に終止符を打つことでもなく、交渉の効果を高めるのに役立つ方法を見つけることである。
「交渉者の心」をつかむことは本来、主観的な仕事だ。それを成功させるために私たちが頼ったのは、キッシンジャーとの対話だった。交渉の戦略と戦術の原理を彼がいかに説明するかが重要だと考えて、対話や彼自身の著作から、彼の言葉を多く引用した。私たちはまた、彼の覚書とインタビューも参考にした。その多くは、交渉が行われた当時のものだ。私たちの目的は、キッシンジャー自身が一連の過程をどう捉えたかを記録することなので、本文中に彼の言葉を引用した。
回想や事後の記録は、ともすれば自分にとって都合のいいように事実を歪めがちなので、私たちはそのような出来事に関する独立した情報や、時には相反する情報を探した。巻末の参考文献や注の多さがそれを証明している。それらの中には、多数の一次資料(訳注*研究者などの手を経ない生の資料)、インタビュー、国家安全保障デジタルアーカイブによる優れた要約が含まれる(特に、その非常に貴重な編集物である「キッシンジャー・テレコン アメリカ外交の逐語記録1969‐77年」)。また、以下も含まれる。外交研究・研修協会(ADST)、ニクソン大統領図書館、フォード大統領図書館、米国務省歴史部。可能な場合は、キッシンジャーの交渉相手の見解も引用した。
キッシンジャーの交渉の戦略と戦術に対する考え方を正確に代弁するために、さまざまな会話やインタビューに関して、彼の助言を得ることができた。しかし、彼は自分に利するように編集することを求めなかったし、もし求めたとしても、私たちはそれを認めなかっただろう。良くも悪くも、本書の記述と結論は私たち自身のものだ。
【イントロダクション】
最高の交渉者、キッシンジャー ──本書で言いたいこと
ジョン・F・ケネディ以降のアメリカ大統領の誰もが、ヘンリー・キッシンジャーに助言を求めた。世界中のCEOや政治指導者もそれは同じだ。外交政策、国政術、世界秩序に関するキッシンジャーの洞察は、多大な影響力をふるった。だが、どういうわけかこれまで、交渉者としての彼の素晴らしい業績が、包括的に分析されたことはなかった。
私たちはキッシンジャーの交渉の経験や著書を研究し、また、長時間にわたって彼にインタビューするうちに、彼のアプローチが非常に洗練されており、一貫していることに気づいた。この発見に突き動かされ、私たちは二つの目的を果たすために本書を書くことを決意した。
一つ目の目的は、過去の重要な交渉を振り返って、「交渉者キッシンジャー」の特徴を明らかにすることだ。交渉相手は中国、ソ連、ベトナム、それに中東や南アフリカの諸国である。キッシンジャーはニクソンおよびフォード政権の、国家安全保障問題担当大統領補佐官および国務長官として重要な役目を果たした。「交渉者キッシンジャー」の特徴を探求した後、彼のアプローチを支える一連の特徴を明らかにしていこう。
二つ目の目的は、将来に目を向けたものだ。キッシンジャーは主に過去数十年の外交術から、効果的な交渉とは何たるかを導いたが、私たちは彼のアプローチの価値と限界を見極め、そこから現代の外交官やビジネス、金融、公共政策、法律の世界で交渉をする人々に役立つ手引きを導き出したい。永続的価値があり、幅広く応用できる交渉の原則と技術を見いだすのが私たちの目標だ。以下の三つの例が、交渉者キッシンジャーを研究することで何が学べるかを示している。
第一に、戦略的という言葉がよく用いられるが、キッシンジャーのアプローチを注意深く調べると、戦略的交渉とは実際に何を意味するのか、それがなぜ強力な武器になるのかが見えてくる。
第二に、キッシンジャーは交渉において常にズームアウトとズームインを繰り返した。ズームアウトでは幅広い戦略に目を向け、ズームインでは面前の相手の説得に力を注いだ。一流の交渉者の多くは、この「ズームアウトとズームイン」のアプローチを活用して、戦略上の難問や、難しい交渉を乗り越えている。キッシンジャーのこの特徴を掘り下げることで、学生や管理職養成プログラムの参加者は、公私どちらの交渉も、より巧みにこなせるようになるだろう。
第三に、数々の交渉におけるキッシンジャーの行動を調べれば、「交渉のテーブルから離れた場所での」行動の多くが、「交渉のテーブル」でのよく知られる戦術と連動して、結果を飛躍的に高めたことがわかる。もっと簡単に言えば、有能な交渉者が交渉しているさまをよく観察すれば、交渉とは単に人を説得することではないことがわかる。手ごわい障壁を越えて、求める「イエス」という答えを得るには、交渉をより幅広く、かつ堅牢な概念として捉えることが重要なのだ。
私たちが本書を書き終えた今、95歳のヘンリー・キッシンジャーは依然として政界の長老、グローバル戦略家、外交問題に関する活発なコメンテーターとして、世界から注目を浴びている。彼は定期的に論説を書いており、近年出版した『中国』と『国際秩序』はベストセラーになった。政治的手腕に関する新しい本も執筆中だ。そして彼自身が、いまだに論争の的になっている。たとえば、公職を去ってからおよそ39年後の2016年、大統領選の民主党予備選挙の最中に、キッシンジャーの記録をめぐって「激しい対立」が起きた。キッシンジャーに対するヒラリー・クリントンの称賛とバーニー・サンダースの非難をきっかけとして、『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムニストたちが、「ヘンリー・キッシンジャー 賢人か社会ののけ者か?」という記事で賛否両論を戦わせたのだ。この大々的な対立のほんの12カ月前に出版された、ニーアル・ファーガソンによるキッシンジャーの伝記(全2巻の1巻目)は総じて好意的な内容だったが、歴史学者のグレッグ・グランディンは、新しい著作の中でキッシンジャーを痛烈に批判した。
これらの本やメディア報道(称賛、批判、冷静な分析のすべて)は、1970年代以来、書かれてきた数々の記事や著作と同じく、キッシンジャーの交渉アプローチではなく、国際関係についての彼の分析力と、現実主義に立脚する政治家としての幅広い実績を強調している。
さまざまな交渉におけるキッシンジャーの活躍は総じて、個々のエピソードの観点から語られ、あらゆる状況に共通する、交渉者としての彼の特徴が、深く検証されたことはなかった。キッシンジャー自身の著作には、交渉の技術と科学に関する記述が多いが、それらも大半は、特定の状況について書かれたものだ。キッシンジャーの業績の中で、重要だが比較的なおざりにされているこの側面、すなわち彼ならではの交渉アプローチは、彼が交渉者としてきわめて優れていた理由を語るものとして、もっと注目され、分析される価値がある。
キッシンジャーは世界中の人々から高く評価されているが、一方で彼の業績を批判する人も多い。特に批判されるのは、カンボジア、ラオス、北ベトナム、アルゼンチン、チリ、東パキスタン(現在のバングラデシュ)、東ティモールを舞台とする、人権の扱いや秘密工作、非民主的な秘密主義、および独裁政権への支援である。したがって、彼の交渉アプローチに関する分析は、公職時の彼の行動に対する評価につながり得る。しかし本書の目的は、キッシンジャーが聖人か罪人かを判断すること(つまり、聞き飽きた議論を繰り返すこと)ではなく、そもそも私たちは、そうしたテーマに通じているわけでもない(興味のある読者は、さまざまな批判者や擁護者の間で交わされた多数の議論を参照するとよい)。
私たちの目的は、人を裁くことでも、歴史的記録の歪みを正すことでもない。そうではなく、きわめて困難な数々の交渉を見事にまとめたキッシンジャーの業績を調べ、評価することによって、この重要なテーマに関して彼からできるだけ多くを学ぶことが目的だ。うまくいけば、最高レベルの交渉の技術と科学について、実際に役立つ洞察を引き出すことができるだろう。
ヘンリー・キッシンジャーとは何者か?
キッシンジャーの人生と経歴のあらましは広く知られている。彼は1923年にユダヤ系ドイツ人の家庭で生まれた。1938年、一家はナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の始まりを察して、アメリカに移住した。それは反ユダヤ主義の暴動、クリスタルナハト(水晶の夜)が起きるほんの数カ月前のことだった。キッシンジャーは1943年にアメリカに帰化し、同年、アメリカ陸軍に入隊、終戦までヨーロッパで従軍した。ハーバード大学と大学院を修了した後、同大学の教授に任命され、ついには終身教授の地位を得た。1954年から1969年まで、ハーバード大学の政治学部とその国際問題研究所で活躍した。
キッシンジャーはハーバードの教授を務めながら、ニューヨーク州知事ネルソン・ロックフェラーの私的外交顧問も務めた。ロックフェラーは、共和党の大統領候補指名争いでリチャード・ニクソンと三回戦った人物である。大統領に就任したニクソンは、キッシンジャーがロックフェラーを支持していたにもかかわらず、彼を国家安全保障問題担当大統領補佐官に選んだ。キッシンジャーはこの役目を果たしながら、1973年9月22日には第56代国務長官に就任した。翌年、ニクソンはウォーターゲート事件によって辞任に追い込まれたが、キッシンジャーは1977年1月20日までジェラルド・フォード大統領の下で国務長官として働き続けた。
本書を書いている今(2018年)も、キッシンジャーは世間から大いに注目されているが、かつての彼の知名度は、大方の想像を超えているはずだ。公職にあった間、キッシンジャーは『タイム』誌の表紙を15回以上飾り、1972年にはリチャード・ニクソンと共に同誌の「マン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。1973年には、ベトナム戦争を終結に導いた功績により、レ・ドゥク・ト(訳注*受賞を辞退した)と共にノーベル平和賞を受賞した(キッシンジャーは後にそれを辞退しようとした)。また、1977年には、民間人に贈られるアメリカ最高位の勲章である大統領自由勲章を授与された。
国務長官を辞した後、キッシンジャーは世界的なコンサルティング会社を設立し、数々の著名な公的および私的委員会や集団に力を貸した。90歳代になっても、評論家、あるいは解説者として活躍し、バラク・オバマからドナルド・トランプまで、また、ウラジーミル・プーチンからアンゲラ・メルケルや習近平まで、多岐にわたる世界の指導者から意見を求められている。
キッシンジャーは優れた公人であると同時に、17冊の本の著者であり、他にも数え切れないほどの論文や記事を書き、演説を行ってきた。初期に書いた2冊の著書、『キッシンジャー 回復された世界平和』(原書房、2009年)と『核兵器と外交政策』(駿河台出版社、1994年)は、キッシンジャーが若い大学教師だった1957年に出版され、概念としても、政治的意味においても、新たな道を開いたと広く認められている。公の場から退いた後は、公職にあった時代を回顧する3巻からなる自叙伝を著し、衆目を集めた。1巻目の『ホワイトハウス時代』は1980年に全米図書賞を受賞した。
1994年に出版した『外交』は、20世紀と西洋に注目して、国際関係と外交について大局的視座から書いている。この本はキッシンジャーの「現実主義」指向を反映し、力の均衡と「国益」の重要性を論じている。その中でキッシンジャーは、過度に理想主義的な外交政策を批判し、外国での行動は少なくともその国の道徳的信念と一致するものでなければならない、と訴える。2011年に出版した『中国』では、中国の歴史と、毛沢東から習近平に至る指導者との長い交渉を振り返り、21世紀の米中関係を予測した。近年の著作としては、2014年刊行の『国際秩序』が、これまでキッシンジャーがテーマとしてきた戦争、平和、国際システムにおけるパワーバランスなどについて、さらに国際的かつ歴史的な見方を提示している。
なぜ、「交渉者キッシンジャー」について研究するのか?
キッシンジャーの経験と大量の著作を思えば、外交政策に対する彼の考え方や政治手腕を研究することは理にかなっているが、交渉者としてのキッシンジャー自身を分析することにどんな意味があるのだろうか。キッシンジャーが関わった数々の重大な交渉から、今あらためて分析する価値のある何かを示せたり、得られたりするのだろうか。そして、歴史的興味を満たす以外に、そうした事例が現在と将来の交渉にとって有益な何かを教えてくれるだろうか。
これらの問いに答えるには、主に1969年から1976年の間にリチャード・ニクソン、ヘンリー・キッシンジャー(そして、後にはジェラルド・フォード)が直面した世界を振り返る必要がある。以下の概説は、この時代に起きたことのすべてを述べているわけではないが、本書でこれから分析する重大な交渉のきっかけになった出来事を思い出す手がかりになるだろう。この概説は、それぞれの交渉でキッシンジャーと彼の同僚が成し遂げたことだけを述べている。彼がいかにそれを行ったか、そしてより広い教訓については、後の章で語ろう。
冷戦
1969年にニクソン大統領の国家安全保障問題担当大統領補佐官に任命されたキッシンジャーは、世界の存亡に関わる脅威に直面した。過去数十年にわたって米ソが繰り広げてきた冷戦は、危機のピークを迎えていた。3万7000超の核兵器の大半が互いに照準を定め、いつでも発射できる状態にあった。ヨーロッパはベルリンと同じく二分され、ワルシャワ条約機構とNATOという東西の軍事同盟に分かれてにらみ合っていた。同時に、ベトナムでは悲惨な戦争が続き、ソ連が北ベトナムに提供する大量の兵器が、何万人もの米兵の命を奪っていた。
この恐ろしい状況下で、キッシンジャーは「デタント」に基づく交渉を重ね、ソ連との関係を改善した。デタントとは、広い分野で米ソ間の緊張を緩和しようとする政策で、超大国間で初の戦略兵器制限条約(SALTⅠ)の締結を導いた。
敵対する米中関係
1949年に中華人民共和国が建国されて以来、20年にわたって、アメリカは同国を認めず、意味のある接触もしてこなかった。中国は、朝鮮戦争では米軍と戦い、ベトナム戦争では北ベトナムに軍事物資を送り、顧問団を派遣した。キッシンジャーが語ったように、「20年間、アメリカの政策担当者は中国を陰気で、無秩序で、狂信的で、理解しがたく、揺さぶりをかけることもできない異質な国と捉えていた」。中国は頻繁に米国を脅し、そうした印象が正しいことを立証してきた。たとえば、ニクソン大統領就任1年目の1969年5月、毛沢東主席が書いた記事のタイトルは「世界中の人々が結束し、侵略国アメリカとその犬たち(訳注*手先の国々)を打ち負かせ」だった。
キッシンジャーはニクソン大統領の側近として働きながら、1971年にひそかに中国の指導者、毛沢東、周恩来との交渉を始めた。当時、彼の行動は、特にアメリカの保守派に強く批判されたが、このプロセスを土台として、1972年、アメリカは中国との関係正常化の第一歩を踏み出し、それが10億超の人口を擁する中国を認め、関わりを深める道へとつながった。
ベトナム戦争
1969年までにベトナムでは残忍な戦闘により、約3万6000人のアメリカ人の命と、さらに多くのベトナム人の命が奪われた。この戦争のせいで、リンドン・ジョンソンは大統領辞任を余儀なくされた。ベトナム戦争に反対する学生のデモと抗議活動が、時には暴力を伴いつつ、国中に広まった。1968年8月、大統領選の予備選挙の結果は、アメリカ人の約三分の二がベトナムに軍隊を派遣したのは間違いだったと考えていることを示した。ニクソンは、国内の強い圧力を受けて、インドシナ半島の米軍を速やかに縮小することを約束した。ニクソンの大統領就任時には約55万人いた米軍兵士のうち、20万人超が1969年から1970年の間に引き揚げた。1972年には、ベトナムにいる兵士の数は2万5000人を切り、ピーク時のわずか5パーセントになった。キッシンジャーが交渉を始めると、撤退はますます加速し、北ベトナムもそれを認識した。1969年に始まった一連の交渉において、北ベトナムは一貫して、アメリカが(同盟国の)南ベトナム政府を倒して撤退することを求めた。交渉中、アメリカ陸軍のバーノン・ウォルターズ将軍は、北ベトナムの代表であるレ・ドゥク・トがこう言い放つのを目撃した。「(パリの)国際会議センターの階段の最上段からキッシンジャーを見下ろし、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、『あなたと交渉する意味がわかりません。先ほどまで、(ジョージ・)マクガバン上院議員と数時間にわたって話し合いました。私が求めるものを与えるよう、彼が話をつけてくれるでしょうから』」。一方、南ベトナムの指導者は、米軍の撤退を約束する協定のすべてに、断固として反対した。
さまざまに入り組んだ要素がベトナム戦争の終結につながったが、その中にはキッシンジャーとニクソンが画策した「マルチ・フロントの交渉キャンペーン」として私たちが分析するものも含まれる。キッシンジャーはパリで、北ベトナムの交渉者であるレ・ドゥク・トと直接、取引をした。また、中ソ両国との関係を改善し、共産主義を奉じるその二大国に、北ベトナムへの支援を縮小するよう、直接的にも間接的にも圧力をかけた。これらの交渉は、西ドイツや他の西欧諸国も巻き込んだ。結果として1973年に結ばれたパリ和平協定(ベトナム和平協定)は、戦争終結、戦争捕虜の解放、米軍の撤退、南ベトナム政府の存続と新たな選挙への参加を約束した(ウォーターゲート事件を受けて1974年にニクソンが辞任し、アメリカはこの協定を実行する気がなかった、あるいは実行できなかったため、北ベトナムは協定を破り、内戦は続いた。1975年4月にサイゴンが陥落し、南ベトナムは北ベトナムに敗北した)。
第四次中東戦争
1973年10月の、ユダヤ教徒にとって1年で最も神聖な日であるヨム・キプール(贖罪の日)(そしてイスラム教徒にとっては神聖なラマダン月)に決行されたエジプトとシリアによるイスラエルへの奇襲攻撃は、期せずしてイスラエル軍の脆弱性を暴いた。エジプト軍がスエズ運河を渡るなど、アラブの軍勢は前例のない進攻を成功させた。キッシンジャーが国務長官だったアメリカは、緊急行動によってイスラエル国防軍を支援し、劣勢を立て直して反撃できるようにした。一方、ソ連は当時、エジプトやシリアを含むアラブの主要な国々と通商し、中東で強い立場にあった。そのためソ連はアラブの同盟国を支援し、イスラエルがカイロやダマスカスへの進軍を続けるのであれば、直接介入し攻撃を拡大する、と脅迫した。超大国の対決が目前に迫った。
1973年末から1974年初めにかけて、キッシンジャーは当事国間を何度も行き来し、エジプトおよびシリアとイスラエルとの兵力引き離し協定をまとめるために尽力した。これらの協定のほとんどは今日まで守られている。キッシンジャーは、中東におけるソ連の影響力を大幅に縮小するという明確な目的を持って、これらの交渉に当たった。その成果は40年以上続いた(しかし、2015年9月、ロシアはシリア内戦に介入し、影響力を再び強めたことを世界に知らしめた)。
南部アフリカ
1970年代半ば、ソ連は、ポルトガルからの独立を目指すアンゴラを支援し、キューバ軍も同じ目的でアンゴラに侵攻した。当時、南部アフリカの鉱物資源の豊かな国々はソ連の勢力下に入り、冷戦の最前線に立たされているように見えた。それに対して、ベトナムでの悲惨な経験に学んだアメリカは、軍事行動を起こすどころか、支援する気にもなれなかった。実のところアメリカ議会はソ連とキューバの武力行使に自国がひそかに応じることを早々に禁じた。問題は非常に複雑で、ソ連とキューバの動きに対抗するための要となるローデシアと南アフリカ(南アフリカ共和国)は、少数の白人が支配しており、アメリカの保守勢力から強い政治的支援を得ていた。1965年に南ローデシアの白人政権が英国からの独立を一方的に宣言し、ローデシア共和国を設立した。英国はその初代首相イアン・スミスを説得して、30万人弱の白人が600万人の黒人を支配する状況を、黒人多数支配へと逆転させようとしたが、完全な失敗に終わった(たとえば、ローデシアの憲法が定めた議会は、50名のヨーロッパ人議員と16名のアフリカ人議員で構成され、直接選挙で選ばれたのは、その半数にすぎなかった)。
あまり知られていないが、1976年の構想(イニシアチブ)(後章で詳しく分析する)において、キッシンジャーはアフリカのさまざまな国と交渉した。その中には急進的な国も穏健な国もあった。頑迷なローデシアとの交渉では、黒人多数支配を2年以内に受け入れることを納得させた。特にこの件では、キッシンジャーは、ローデシアと同様に少数の白人が国を支配する南アフリカを説得して、本来は南アフリカにとって不都合なはずであるにもかかわらずローデシアに強い圧力をかけさせた。これらの交渉は、アンゴラにおけるソ連とキューバの影響力を弱め、ローデシア(後のジンバブエ)が最終的に独立するための地固めをし、また、この地域で懸念された「人種間戦争」を回避させ、さらには南アフリカを黒人多数支配へと一歩前進させた。
私たちは、このようなキッシンジャーの外交上の業績(特に、デタント、軍縮、中国、ベトナム、中東、南アフリカに関する業績)の記録を振り返るにつれ、さらに詳しく調べれば、何が明らかになるだろうか、と好奇心をそそられた。複雑な綱渡り的な交渉を、キッシンジャーはどのように準備し、計画し、実行したのだろうか。公私を問わず、現代の難しい交渉に対処する時、キッシンジャーの交渉へのアプローチ(その根底にあるロジック、戦略、戦術)のどの側面が、重要なのだろうか。
当然ながら、私たちは狭い意味の交渉だけでこれらの成果を生み出せたと考えているわけではない。多くの政策や行動がそれを助けたはずだ。私たちはまた、キッシンジャー一人の働きだと考えているわけでもない。偶然もあっただろうし、他の関係者も影響を及ぼしたはずだ。私たちはこうした警告を胸に、キッシンジャーの行動記録や著作を調べ、障壁を乗り越えて目指す合意を得るのに役立つ洞察を引き出そうと思った。そして、それらの洞察を用いて、個々の交渉者が最高の成果を上げることを可能にする、よりよい分析とより効果的な方法を開発したいと考えた。
「交渉」という言葉の意味
手短に言って、国際関係という文脈における二国間あるいは多国間の「交渉」は、外交とその政策の一部と見なすことができる。交渉で向き合う相手は、それぞれ視点が異なり、利害が対立しがちだが、交渉者は少なくとも、あらかじめ目指す合意を念頭に置く必要がある。
「交渉」という言葉は、一般的にも、現代の学術的な著作の大半においても、一連のプロセスにおける「話し合いの部分」、あるいは、「交渉のテーブル」での対人的な動きに焦点を絞りがちだ。通常それには、顔を合わせてのコミュニケーション、感情移入、断言、強い説得、ボディーランゲージ、文化的・性格的違いの扱い、提案と対案のパターンなどが含まれる。しかし、より多角的な視野に立つ従来の交渉研究がそうであるように、キッシンジャーの交渉戦略と戦術には、よりよい結果を得るために「テーブルから離れて」行う戦略が含まれる。そうした戦略には、たとえば、交渉のプロセスに関係者を招き入れたり締め出したりすることや、協調体制を築いたり壊したり、行き詰まりがもたらす結果をより良くしたりより悪くしたりすることが含まれる。
このより広い意味での「交渉」を、「国政術」や「外交術」と明確に区別しようとすると、言葉を無駄に連ねることになる。これらの密接につながった行動は境界が曖昧で、言葉が意味するところは多様だからだ。そのため本書では、「交渉」をより広い意味で捉えることにした。テーブルに着いての対話だけでなく、テーブルから離れての行動もそれには含まれる。また、多くの著作や記事において、キッシンジャーの交渉は、より大きな国政の物語に付随するエピソードのように描かれてきたが、本書では逆に国政の物語を背景として、キッシンジャーの交渉に焦点を絞った。
本書の方針
つまり本書の目的は、キッシンジャーの交渉アプローチがいかに正しかったかを明確にし、それを評価し、そこから学ぶことだ。そのために先ほど概略を述べた出来事の記録を主に利用し、必要に応じて補足するが、詳細な事例研究はほとんど行わない。
まず交渉者としてのヘンリー・キッシンジャーの性格を知るために、パート1ではフォード政権末期の1976年に彼が南部アフリカで行った交渉から見ていこう。先にざっと述べたこの複雑な会談は、当時は称賛されたものの、現在では、ソ連、中国、北ベトナム、中東諸国との交渉ほどには知られていない。キッシンジャーが南部アフリカでの外交に着手したきっかけは、ソ連とキューバによるアンゴラ内戦への介入がもたらした冷戦への懸念だったが、最終的に彼が目指したのは、後にジンバブエとナミビアになる地域での少数派の白人による強固な支配を終わらせることだった。共和党政権にとってそれは、驚くべき構想であったはずだ。
きわめて興味深い南部アフリカでのこれらの交渉を用いて、キッシンジャーの戦略と戦術が示唆するいくつもの教訓を明らかにしていこう。冒頭の三つの章では、言葉だけでなく図も用いて、キッシンジャーの交渉へのアプローチを、より広い視野に立って説明する。以降の章では、キッシンジャーの他の交渉の実例を引きながら、これらの洞察を発展させ、より普遍的なものにしていく。そして最後に、この普遍的な洞察の価値を、現代の外交や他の領域での交渉との関連において検討する。
本書を通じて読者は、気が遠くなるほど複雑で魅惑的な交渉の数々に出会うことだろう。キッシンジャーが多くの難題をどう解決したかを学び、そこから洞察を得れば、困難な交渉でも格段に良い結果を出せるようになるはずだ。そうした洞察には以下のものが含まれる。
・交渉における「戦略」とは実のところ何を意味するのか
・合意の可能性を判断する現実的な方法とは
・交渉のテーブルから離れた「広い視野に立って判断すること」とゲームを変える行動が、合意のための余地をつくり出し、テーブルでの好ましい結果を導く
・多国間の交渉では、慎重に順位を定め、協力体制を築き、交渉の邪魔をする人間をうまく扱うことが重要である
・交渉相手を正しく理解し、その性格を見抜き、信頼関係を築く
・率直な主張と相手への共感は、生産的な方向で結びつけることができる
・状況が変わる時には、戦略上の視点を保ちつつ、臨機応変に行動する
・成功するためには、素晴らしい洞察よりも不屈の粘り強さのほうが、総じて重要である
・以下の項目についての効果的な(あるいは効果的ではない)方法──提案、譲歩、信頼の構築、「前向きな曖昧さ」の利用、当事者全員といっぺんに交渉するのではなく、個々の当事者と個別に交渉すること、機密会談ではなくオープンな会談
本書全体を通して読者は、交渉においてキッシンジャーが、戦略へのズームアウトと、面前の相手へのズームインを繰り返したことと、その重要性を理解するだろう。交渉には多くの側面があるが、その土台には、どれほど独創的な交渉の技術を用いたとしても、最終的な成功をもたらすのは、基本的な前提の正しさ、関係者の本音の見極め、歴史、政治、経済、文化に対する深い知識だということだ。目標に欠陥があったり、状況判断が間違っていたりした場合は、いくら交渉技術を駆使しても、価値ある結果を導くことはできない。キッシンジャーという偉大な交渉者について学ぶことで、私たちはビジネス、法律、政治の交渉をはるかに巧みにこなせるようになるだろう。
【目次】
【関連記事】


