その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はミッチェル・レズニック著の 『ライフロング・キンダーガーテン 創造的思考力を育む4つの原則』 です。伊藤穰一氏による日本語版序文と、ケン・ロビンソン氏による序文をお届けします。
【日本語版序文】
伊藤穰一
創造的な学び(Creative Learning)はマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボにとって最も大切な原理のひとつです。メディアラボでの私たちの活動は、ジャン・ピアジェの認知発達理論(Theory of Cognitive Development)、つまり人間は実世界に触れたり体験したりすることを通して学ぶのだとする思想の上に成り立っています。ピアジェの弟子でありメディアラボの創設者の一人でもあるシーモア・パパートが、ピアジェの考え方を構築主義(Constructionism)という学習理論によって発展させました。子供たちは、自ら進んで自分にとって大事なものを創っているときに最もよく学ぶとする理論です。50年以上前にシーモアは、世界で最初の子供向けのプログラミング言語、ロゴ(Logo)を開発しました。彼は、コンピューターが、子供たちが学んで創造力を表現することを支えるために、大事な役割を果たすと信じていました。
この本では、ミッチ(ミッチェル)・レズニックがどのようにこの考え方を進化させ、深めていこうとしているかを知ることができます。シーモアの弟子であり、現在はメディアラボの学習研究(Learning Research)の教授であるミッチは、すべての年齢の子供たちの、プロジェクト型で、各自の興味に基づいた、共同学習体験を支えるツールや方法を生み出すことにより、創造的な学びに関する私たちの理解を引き続き前進させています。ミッチが掲げる4つのPの原則(Projects,Passion,Peers,Play)は、メディアラボの大学院生の教育プログラムはもとより、世界中で数百万の子供たちが利用しているプログラミング環境(言語でありコミュニティでもある)スクラッチ(Scratch)の基盤となる考え方です。
メディアラボが1985年に創設されたとき、個人レベルのコンピューター革命は始まったばかりでした。インターネットは主に非営利かつ学術的な試みで、ウェブはまだ10年先の話だったのです。「未来を予測する一番の方法は、それを発明することだ」と説いたアラン・ケイの言葉を人びとはよく引用します。それは私たちの多くが、技術を発明することで世界は魔法のように良くなると信じていた、楽観的な時代でした。
30年が経った今、どこでもインターネットにつながるようになり、技術が私たちの生活に浸透してきています。それにもかかわらず、世界は、より平等で、理解があり、思いやりにあふれた場所になっているようには見えません。マシンはずっと賢くなったのに対して、人びとは自動化によって仕事が失われるのではないかと心配し始めました。パーソナルコンピューターやスマートフォンは普及しましたが、ほとんどの人はそれらを特に建設的あるいは創造的な方法で活用してはいません。
私たちの多くが、技術が世界の創造性や理解力を強化するという希望をまだ持っている間に、私たちは技術をただ発明するだけでなく、それを革新的で創造的なやり方で広めていかなければなりません。
メディアラボの私たちは、1987年に発行されたスチュワート・ブランドの書籍『ザ・メディアラボ』(The Media Lab)の中で、彼が壁に書いてあるのを見たと触れたことで有名になった一文、「デモをしないなら死ね(Demo or Die)」という言葉が好きです。メディアラボの創設者であるニコラス・ネグロポンテはよく、「一度動きさえすればいいんだ」といいました。これは、「出版しないなら滅びよ(Publish or Perish)」といいながら、学術論文を書くことに集中するよう学者に強要してきた、他の学術界と明確に相対する主張です。
私がメディアラボのディレクターとして2011年に就任したとき、ラボが実世界に与える影響力を高めていくことを決めました。そこで、「デモをしないなら死ね」ではなく、「展開(Deploy)」について話し始めたのです。
ミッチのスクラッチプロジェクトは、そのような創造的な展開の最も優れた例のひとつです。ミッチのライフロング・キンダーガーテン(生涯幼稚園)研究グループがスクラッチを2007年に立ち上げたとき、簡単に使えるプログラミング言語だけではなく、オンラインコミュニティも提供しました。スクラッチを使って、子供たちはインタラクティブな物語やゲーム、アニメーションを作れるだけでなく、創ったものを世界中の子供たちと共有できるようになったのです。スクラッチのオンラインコミュニティでは、2500万人以上の8歳から16歳までのユーザーが、毎日3万個以上のプロジェクトを共有しています。スクラッチはMIT中で最も活発なウェブサイトで、MITのホームページより多くのアクセスがあるそうです。
スクラッチはミッチの学習哲学を具体化しています。焦点は、「コーディングを学ぶ」ではなく、「学ぶためにコーディングする」なのです。これはとても大切な違いです。現在、たくさんのコーディングのためのワークショップが存在し、多くの学校は子供たちにコンピューターのためのソフトウェアの書き方を教えています。ところが、それらの多くの授業は子供たちにアルゴリズムを覚えさせたり、ひとつの答えでパズルを解く方法を学ばせたり、正しい解決策を生み出したことに対して報酬を与えたりしています。
それに対して、ミッチの夢は、探究し、実験し、自らを表現する機会を子供たちに提供し、創造的な思考の持ち主(創造的思考者)として成長してもらうことです。ひとつの障害は、教育システムそのものです。ピアジェが、最初に子供たちが講義よりも体験によってよく学ぶことを指摘したときから、世界中のほとんどの学校は変わっていません。いまだに多くの学校が講義を通して教え、テストによって成功を測っているのです。
それらの学校は、従順で、標準的な、特定の知識やスキルで満たされた人間をつくりだします。明らかな課題は、現代のAIロボットやコンピューターが、従順で、標準的で、効率がよいことに非常に優れており、特定の知識やスキルで満たされた完璧な生徒であるということです。明らかに、人間は将来、創造性と多様性に特化した、今とは異なる役割を担わなければなりません。子供たちが、ネットワークやAIやロボットに支えられ、つながりの強い、協力的で創造的な世界で生きていくために、世界を見る目と人生への取り組み方を身に付けられる教育環境を作ることは緊急の責務です。
世界が、子供だけでなくすべての人にとっての創造的な思考と学びの大切さについて理解し始めるにつれ、メディアラボにおけるミッチの役割とライフロング・キンダーガーテン・グループの取り組みは、ますます重要になっています。この計量的(metricsdriven)で競争が激しく、個人主義に特化した世界では、演習とテストに基づいた直線的な教育に対する全面的な抵抗と、興味追求型の共同学習への深い献身を、ミッチのように継続していくことは簡単ではありません。しかし、これらの考え方が創立のときからメディアラボの遺伝子に盛り込まれているため、彼はこの理想主義的な、しかし極めて大切な取り組みに、忠実でいることができているのです。
私の願いは、この本が「急速に変貌する世界で生き残るためのコンパス」としての役割を果たすことです。もう疑う余地はありません。私たちが、生物として生き残り繁栄していくためには、創造性と多様性を支え、それらの低下を防ぎながら、学びに対する取り組み方を根本的に変えなければならないのです。
(訳:村井裕実子)
【序文】
ケン・ロビンソン卿(訳注1)
人間の創造性は技術と調和しながら進んでいます。歴史の中で私たちのツール(道具)は、フリントナイフ(ナイフ形石器)から始まり、やがて大型ハドロン衝突型加速器のようなものにまで発展し、その進化は止まることを知りません。それらが機械的なものであろうと、またはデジタルであろうと、あるいは単純であろうと、複雑であろうと、ツールはふたつの方法で私たちの創造性を促進します。まず、ツールは私たちの身体を拡張し、それらがなければ困難あるいは不可能なことを、実現可能にします。農具の鋤(すき)があれば耕すことが可能になり、望遠鏡を使えば見ることが可能になり、エンジンがあれば旅行することが可能になります。いずれも自然のままの身体の限界をはるかに乗り越えていくことができます。しかし、ツールは私たちの身体を拡大するだけではありません。ツールは私たちの心をも拡張するのです。技術はそれなしでは想像もできなかったようなアイデアを促進する役割を果たします。
鋤(すき)は土壌を掘り返すようにデザインされましたが、それを使った結果、生活全体が変革されて、全く新しいものが生み出されたのです。ガリレオが望遠鏡で遠くを眺めたとき、彼はただ惑星を拡大して見ることができただけではありません。彼は宇宙における地球の位置を新たに認識し、宗教革命に影響を与えることになったのです。18世紀には機械エンジンによって、人びとは自分で走るよりも速く移動できるようになりました。それらはまた産業革命を急速に進め、文明全体を変革することになる革新的な奔流を生み出しました。
ミッチェル・レズニックは、特に子供たちに向けた、創造性と技術の相乗効果を探究するために、職業人生を捧げてきました。そのMITの研究室であるライフロング・キンダーガーテン(生涯幼稚園)で、彼は創造性に関する一般的な迷信(たとえば、創造性はアートに限定されている、など)を払拭し、創造的思考とその驚くべき成果に関する、説得力のある事例を紹介しています。彼はまた、自身がクリエイティブ・ラーニング・スパイラルと呼ぶ、創造的思考の魅力的な原動力についても掘り下げています。MITメディアラボでの仕事を通じて彼は、そうした原動力とそれらが教育に対して果たす重要な役割についての私たちの概念的理解に、大きく貢献してきました。この本を読めば明らかなように、彼の仕事の価値は単なるアカデミズムを超えたものです。彼と彼のチームは、世界中の何百万人もの青少年の創造力のための触媒として働く、プログラム、デバイス(機器)、そしてアクティビティ(学びの体験活動)を開発してきました。
親や教育者は、青少年がデジタル機器にどれくらいの時間を費やしているかについて心配しています。しかしレズニックが指摘しているように、最も重要なことは、どれくらいの時間を費やしたかではなく、それで何をしているのかなのです。消費者向けの気晴らしに過ぎない洗練されたプログラムやデバイスも存在しています。そのデザイナーはおそらく多くの創造的思考をその製品に投入したことでしょう。しかしそうした製品の多くは、それを使う人びとに対しては、あまり(あるいは全く)創造的思考を要求することはありません。
デジタル技術は、創造的思考を促進するようにデザインすることもできます。レズニックは、レゴ(LEGO)グループとの長年にわたる創造的コラボレーションに始まり、スクラッチ(Scratch)プログラミングソフトウェアによる先駆的な仕事に至る、創造的思考を促進する技術に対する長い経験を持っています。それらの活動は、若者の創造的思考の育成を意図して実現された製品やアクティビティを生み出しました。
なぜ創造性がそれほどまでに大切なのでしょうか? 創造的であることは人間であることの一部だからです。創造性が価値のある独創的なアイデアを生み出し、黎明期から人類の歴史をあらゆる方向へと導いてきたのです。人間の創造性の源は、それまで考えたこともなかった事柄を想像し心に思い浮かべることのできる、私たちのユニークな能力に由来しています。創造性は想像を一歩先に進めたところにあるものです。あなたの想像を現実のものとする力です。創造性は概念的なプロセスであるだけでなく、実践的なものでもあります。何をどのように作り出すかは、私たちが手にしている道具と素材に大きく影響されます。
デジタルまたはその他のツールをデザインすることは、それ自体が創造的な活動であり、他の活動と同じく実践とともに進化します。それはクリエイティブ・ラーニング・スパイラルの大切な実例です。プロトタイプされたツールは十分に機能するかもしれませんが、それは使われている間に、最初の段階では想像できない方法で改良されていくかもしれません。バージョンを重ねるうちに、全く違う目的に使われるようになったり、オリジナルをはるかに超えた影響を与えたりします。印刷機、自動車、インターネット、またはスマートフォンが、最初の頃にはどのようなものであったかを考えてみてください。
創造性は徐々に積み上げられるものであるだけでなく、コラボレーションともなじみやすいものです。どれほどオリジナルであろうと、創造的な発想は、元来常に他の人のアイデアを基にしています。アップルは2007年にアイフォーン(iPhone)を発売しました。2008年にアップルがアプリストアをオープンしたときには、800個のアプリがありました。それが現在は200万個以上になっています。その大部分が、アップルによって開発されたものでも、あらかじめ計画されていたものでもありません。創造的思考の原動力とその教育への影響を浮き彫りにすることは、この本が持つまた別のテーマです。
この本には、より大きなテーマもあります。すべての子供が、大きな才能を秘めて生まれてきます。才能がどのように育っていくのかは、彼らが育てられる環境と与えられる機会に関係しています。教育はそれらの機会の中でも最高のものでなければなりません。しかし、あまりにも多くの場合、そうはなっていません。多くの国で、学校教育は、試験と競争に明け暮れる侘(わび)しい文化に足を取られています。その文化はいまや幼児期の教育にも浸透しつつあり、幼い世代に芽生えつつある創造的なエネルギーを、妨害してしまうリスクがあります。この本の中心に据えられているのは、教育に対してその方向を変えていこうという、緊急の呼びかけなのです。
フリードリッヒ・フレーベルは、初期教育としての幼稚園(キンダーガーテン)を考案しました。なぜなら彼は、庭師が植物を丹精して育てるように、子供たちもある特定の条件の下でよく育つことを理解していたからです。教育者の役割は、それらの条件を整えることです。フレーベルがそのような実践を推進していた一方で、19世紀の社会では産業革命が力を集め、工業的な性格を持った一斉教育の形が作り上げられていました。彼は困難な闘いを強いられていました、そして彼のような子供中心のアイデアを推進しようとする人たちは、今でも大変な苦労を強いられています。子供中心のアイデアが重要であるにもかかわらずです。それどころか、私たちが21世紀の複雑な課題に向き合うにつれ、そうしたアイデアの重要性はますます高まっています。
人間の長い歴史の中で、創造的な生産のためのツールは比較的手薄でした。しかし今ではデジタル革命が、ほとんどすべての人の手が届く、洗練されたツールを提供しています。しかし、それらの中で最もアクセスしやすいものでさえ、使う人にアイデアや専門知識がなければ無価値です。この本が重要な理由もそこにあります。これは教育全体に対する、基礎的で先見的な呼びかけです。私たちの中に横たわる古くからの創造の力を、私たちが手にした新しいツールで磨き上げるのです。
レズニックが指摘するように、幼稚園は残念ながら、いまやその先に待ち受けている学校のようになりつつあります。しかしこの本では、それとは反対に、彼はその先に待ち受ける学校(さらにはその先の人生すべて)こそが、もっと幼稚園のようにならなければならない、と主張しているのです。私は彼が正しいことを確信しています。
訳注1:イギリスの能力開発・教育アドバイザー、思想家。
(訳:酒匂寛)
【目次】