その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は竹内純子さんの 『電力崩壊 戦略なき国家のエネルギー敗戦』 です。

【プロローグ】 揺らぎ始めた〝当たり前〟

 日本の電力供給がおかしくなっています。

 電気はスイッチを押せば点つくもの、と多くの人が思っていましたが、それは過去のことになったのでしょう。電力需給ひっ迫警報や注意報の発令が続き、2022年度冬季にも、全国を対象とした節電要請が出されています。さらに、大企業などを対象とした「電力使用制限令」が発令されれば、違反した企業には罰金が科される可能性もあります。こうした残念な事態に、「電力の安定供給もできないなんて、日本はもはや後進国なのか?」という悲痛な声が聞こえてきます。

 3月に強い寒の戻りがあったり、6月に気温40度に達する猛暑になったりするのですから、そもそも気象がおかしくなっているのかもしれません。気候変動問題は、科学的な分析に基づいて議論することが重要で、解明されていないことも多いのですが、ここ数十年で急速に地球の気温が上昇しており、豪雨被害や気象パターンの変化が見られることは明らかです。

 気候変動問題に関する科学的知見を集めた国連の報告書は「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がなく、大気、海洋、雪氷圏及び生物圏において、広範囲かつ急速な変化が現れている」としています。

 とはいえ、気象パターンの変化が急速に進んでいるから電力供給が追いつかなくても仕方ない、というわけにはいきません。猛暑や厳寒など厳しい気象環境から身を守る上でもエネルギーは生命線ですし、我々の生活は、デジタル化の進展に伴って、ますます電気というエネルギーへの依存を高めています。以前から私は、「電気は『インフラ中のインフラ』」と表現していますが、通信、水道、医療、交通など世の中のあらゆるインフラは電気なくして成り立ちません。

 電気の安定供給は、国民生活にとってまさに生殺与奪のかかった一大事です。

 安定供給に不安が生じているだけではありません。電気代の高騰が続き、小売事業者の倒産も急増、メディアでは「電力難民」という言葉が躍るようになりました。

 こうした状況に、政府の「無策」を批判する声もあります。

 でも、日本は本当に電力に対して「無策」だったのでしょうか?

「無策」がもたらした結果なのか?

 東日本大震災を契機とした福島第一原子力発電所事故(以下、福島原子力事故)と計画停電によって、日本はエネルギー政策を大きく転換しました。

 まず自由化です。震災前の電力自由化は、消費者保護の観点から家庭部門を除いて、大きな工場や商業施設のような大規模ユーザーへの電力小売りに限るなど、慎重に進められていました。一般家庭の消費者、特に低所得世帯は電気代が上昇すれば家計への打撃が大きく、多様な事業者の提供するメニューを比較検討することが難しい高齢世帯などもあるからです。しかし、震災後の2013年には、家庭部門も含めた全面自由化に踏み切ることが決定しました。2016年から一般家庭でも電力会社(小売電気事業者)を選んで電気を購入することができるようになりました。また、電力自由化に伴って、「発送電分離」が行われ、各地域の大手電力会社は発電、送配電、小売りの3つの会社に分割されました。

 次に温暖化対策です。正式には気候変動対策と言いますが、ここ数年、世界中でこの問題への関心が高まり、CO2削減目標は急速に引き上げられました。そのための対策の1つが再生可能エネルギー(以下、再エネ)の導入です。

 東日本大震災の前は、いまほどではないものの高い温暖化目標を掲げ、各地域の大手電力会社には電源の一定割合を再エネにすることが義務づけられていました。導入量がコントロールできるので、再エネへの補助金で消費者負担が膨らみすぎることはありませんでしたが、再エネ導入のスピードは物足りないものでした。震災後にはそのスピードを上げるため、支援策が見直されました。

 この10年ほどの日本の再エネ導入スピードは世界に例を見ないもので、日本の再エネ導入量は世界第6位、太陽光発電は中国、米国に次いで第3位です。一方で、再エネ補助のための消費者負担や乱開発などの問題も多く見られるようになりました。

 変わったことが、もう1つあります。同じく気候変動対策として拡大しようとしていた原子力政策の転換です。震災前には、当時の温暖化目標を満たすために10年間で9基の原子力発電所を新規建設するというのが政府の方針でしたが、福島原子力事故を受けて、原子力依存度は極力低減することとなりました。新規建設は「念頭にない」とされ、既存の原子力発電所は大幅に引き上げられた安全基準に合致するまで稼働させないこととなったので、震災後は、ほとんどの原子力発電所が稼働していません。

 こう見ると「無策」とは言えませんね。震災前は、良く言えば安全運転、悪く言えばノロノロ運転であったエネルギー政策について、急ハンドルを切り、アクセルを一気に踏み込んだように見えます。しかしその結果、エネルギーの安定供給がおぼつかない状態になってしまったのはなぜなのでしょう。

足りなかった「悪いシナリオ」への想像力

 私から見ると、無策というよりもむしろ同時にいろいろやりすぎていること、そして、エネルギー安定供給・安全保障の視点が少ないことが気になります。

 それぞれの政策には、メリットもあればデメリットもあります。

「競争原理の導入で効率化させる」
「自然の力を利用する再エネを増やそう」
「事故のリスクのある原子力はやるべきではない」
どれも1つの側面としては正しいのですが、全体を捉えてはいません。

 競争には効率化という正の側面と、不安定化や余裕を失うという負の側面があります。

 再エネは発電時のCO2排出はゼロですが、自然との調和には相当の配慮を要します。

 原子力には事故のリスクがありますが、少量のウラン燃料で大量の電気を、CO2を出さずに発電できるので、利用にはリスクを伴いますが、利用しないことによるリスクもあります。

 さまざまな政策を同時に進め、それぞれのメリットが相乗効果をもたらせばよいのですが、デメリットが重なったときにどうなるのか。その悪いシナリオをシミュレーションして、最悪の事態にはならないようにすることが必要だったのではないか、そのことが欠けていたのではないかと思えてならないのです。

 悪いシナリオを想像することは決して楽しいことではありませんが、そうした議論こそ尽くしておきたい。昨今の電力危機は、偶然起きた不幸な出来事ではなく、耳に痛い議論を避けてきた結果生じた必然なのかもしれません。

 ことは、エネルギー問題だけではありません。少子高齢化、経済停滞、地方の地盤沈下、国防、防災など、あらゆる課題に対して、日本ではその場しのぎで、出血が続く傷口に絆創膏(ばんそうこう)を貼るような対処しかできなくなっているように思えます。

 悪いシナリオへの想像は、変化しようという気持ちを削ぎ、足をすくませてしまいます。楽観と悲観、ビジョンとリスク管理。2つのバランスを保つことが大切ですが、そもそも国民には悪いシナリオがあり得ることすら説明されてこなかったのではないでしょうか。

本書でお伝えしたいこと

 世界において、日本において、これからエネルギーの大変革が進むことは間違いありません。産業革命以降、人類は化石燃料(石油・石炭・天然ガス)を大量消費することで発展してきましたが、化石燃料に依存しない社会に構造転換しようとしています。

 世界各国が、主に気候変動対策としてこれを進めようとしています。国外から輸入した化石燃料に依存する日本は、その消費を減らすことが安全保障に直結しますし、世界のマーケットでは化石燃料への依存が少ない製品が求められるようになりつつあります。ここで一気にエネルギー転換に向けて飛躍したいところですが、日本のエネルギー供給は「液状化現象」を起こしています。足元がグラグラと揺らいでいる状態で、将来に向けた変革を語ることはできるでしょうか。

 本書では、世界に冠たる安定的な電力供給を誇っていたわが国がなぜ、停電前夜にまで追いつめられているのかを1つずつ解きほぐし、最後に、起死回生の策を探ります。本書でお伝えしたいことは単なる情報や知識だけではなく、政策の粗探しや、ましてや犯人捜しをしたいわけでもありません。読者の皆さんと共有したいのは、そこに通底し、私たちの社会が抱える構造的な課題についてです。

 エネルギーを題材として、読者の皆さんと日本の課題を正面から議論し、生き残り戦略を考えるきっかけをつくりたいと思います。


 日本の未来に灯りをつなぐ。

 そのために、いま、すべきことについて、一緒に考えていきましょう。


【目次】

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