明治神宮の表参道と青山通りの交差点に位置する山陽堂書店は、創業133年の老舗。谷内六郎の壁画が描かれた3階建てビルは、青山の街のランドマークになっている。関東大震災と山の手空襲。青山通り拡幅による店舗縮小。バブル崩壊、リーマンショックと数々の荒波を越え、のれんを守ってきた。創業家5代目世代に当たる萬納嶺(りょう)さん、4代目世代で、代表取締役である遠山秀子さん、嶺さんの母の萬納優子さんにお話を伺った。
山の手空襲の避難場所に
山陽堂書店は創業133年の老舗です。ホームページにその歴史が詳しく紹介されています。
萬納嶺さん(以下、嶺) 山陽堂は1891(明治24)年、岡山から上京してきた萬納孫次郎が創業しました。最初は新聞の販売、その後書店を始めました。大学教授の家に書生として下宿していた縁もあり、一般書のほかに教科書も扱っていました。当時この辺りには野っぱらも多くて、初代は本の配達の帰りにキツネに出くわすこともあったそうです。
青山かいわいで何回か移転した後、1931年にこの場所に移ってきました。関東大震災の後だったので、鉄筋鉄骨コンクリート、地下1階地上3階の頑丈なビルを建てました。
1945年5月の山の手空襲の際、近所には山陽堂と安田銀行(現みずほ銀行)の2棟ぐらいしかコンクリートの建物がなく、大勢の被災者が逃げ込んできました。元豆腐屋さんだった店の地下には井戸があったおかげで、火が入るのを防げたそうです。
1963年、東京五輪のため、青山通りが拡幅されるのに伴い、店舗の3分の2が削られてしまいました。詳しいことは定かではないのですが、改築工事を見ていた新潮社の方から『週刊新潮』の表紙でおなじみの谷内六郎氏の絵を壁画にしませんかというお話があり、そのときから壁画があります。現在の絵は2代目の「傘の穴は一番星」です。
2011年に大きな方向転換があったそうですね。
嶺 私が大学生だった当時、店に行くと母たちがため息をついていました。本の売り上げが芳しくないということでした。私は、何かを変えなくてはいけないと、「企画書」を作りました。倉庫や事務所として使っていた2階と3階をギャラリーやカフェにして、書籍販売だけに頼らない店に転換するという提案でした。学生でしたから、思いばかりを書いた稚拙な企画書でしたが、その後家族で話し合って、リニューアルを決断しました。
リニューアルはうまくいきましたか?
嶺 まだまだ模索中ではありますが、ギャラリーを始めたことで、これまでお付き合いすることのなかった編集の方、装丁家、作家さんと交流する機会が増え、店の認知度が高まったことが一番大きなことの一つです。ギャラリーを運営するのも初めてでしたが、本と街に関わる展示という基本方針を決めて運営しています。5月25日の山の手空襲の日には必ず青山の歴史についての展示を行っています。
また2019年から「山陽堂ブック倶楽部」という名の読書会を始め、2024年2月で50回目となります。取り上げる本は小説から古典、エッセー、実用書までジャンルを問わず。読書会には最大で10名しか集まれないのですが、参加者の人数とは関係なく、課題にした本は店で20冊から30冊ほど売れるようになりました。 『月の満ち欠け』(佐藤正午著/岩波文庫的) のときには70冊くらい売れました。
お店の業務にはどなたが関わっていて、どのような分担になっていますか?
嶺 私と母たち3姉妹、それに大叔母の5人です。私は5代目世代、母と2人のおばは4代目世代に当たります。3代目世代の大叔母は86歳ですが、今も店のレジに入っています。
嶺さんの担当は?
嶺 私はギャラリーの企画運営、カフェ業務、読書会、取材対応や書店組合、商店会との付き合いなど渉外業務を担当しています。本の仕入れと販売は母の世代と大叔母が担当。いずれは私も書店業務を行うことになると思いますが、上の世代が元気なうちは今のままでいくつもりです。
「セレクトせざるを得ないショップ」
ここで、嶺さんの伯母で同店の代表取締役である遠山秀子さんに棚をご案内いただく。
どのくらいの本がありますか。
遠山秀子さん(以下、遠山) 4000冊ぐらいです。リニューアルの前は棚をもっとたくさん置いていたので、1万冊はありました。昔は雑誌7割、書籍3割でしたが、今は逆の割合になっています。
この棚はなんでしょうか?
遠山 ハンディーサイズの辞典・事典を集めています。テーマは「花ことば」「ねこ」「ロマンス」「悪魔」「禅語」「草」「星」などさまざま。版元もグラフィック社、雷鳥社、遊泳舎といろいろですが、女性のお客様が、“ジャケ買い”していかれます。以前、ここには『地球の歩き方』をはじめガイドブックを置いていましたが、思い切って全面的に入れ替えたところ、よく動くようになりました。
セレクトショップのような品ぞろえになりつつありますね。
遠山 うちは「セレクトショップ」になろうとしているというより、「セレクトせざるを得ないショップ」なんです(笑)。大手取次のランク配本から外され、新刊が入らなくなっているので、お客様からの注文と、新聞などを見ていいなと思ったらそのたびに注文しています。これはという新刊だけはお願いして入れていますが。そのほかトランスビューや専門取次会社集団の神田村(東京出版物卸業組合)の弘正堂図書販売などの中小取次経由や、版元との直取引で本を仕入れています。
うちは約7割が女性のお客様なのですが、 『星の王子さま』 (サン=テグジュペリ著/岩波文庫、新潮文庫ほか、リンクは岩波文庫版)と 『写真文庫「オ―ドリー・ヘプバーン」』(高山裕美子編/クレヴィス) はよく動くので欠かさず置いています。2階のギャラリーで展示した作家やイラストレーター関連の本もよく動きます。当店の年間ベストセラーを見ても、ギャラリー関係や読書会の課題本に取り上げた本が多くを占めます。
金曜日は美容院の人たちが開店を待った
お店にはファッションデザイナーやイラストレーターなど、カタカナ職業の方がいらっしゃるのではないですか?
遠山 私は13歳からお店を手伝ってきましたが、第1世代の方々が引退したり、ご近所に先端をいく書店ができたこともあり、最近はあまりお見かけしなくなりました。
1970年代後半~80年代、そういう方々は外見から違っていました。店に入ってくると空気が変わって、私たちも緊張したことを覚えています。当時は雑誌の全盛時代。金曜日は雑誌『anan(アンアン)』(マガジンハウス)の発売日で、美容院の人たちが開店を待っていました。
ここにいると、時代を超えていろんな情報が集まってきます。近所で縄文時代の遺跡が見つかったこと、1964年以降青山通りにヴァンヂャケット本社やVAN99ホールができて、街が変わったこと。ユアーズという深夜営業のスーパーがあったこと。うちで本を買い、斜め向かいの大坊珈琲店に行くという定番コースもあったこと。今はいずれもなくなってしまい、寂しい限りです。
この辺りには美容院がたくさんあります。雑誌の配達もされていますか?
遠山 はい。配達は今もやっていますが、昔ほどではありません。1994年~95年ごろ、ちょうどインターネットが普及し始めた時代。お昼時、以前ならお客様でいっぱいだったのに誰もやってこないことに気づきました。これはまずいと一念発起し、半径600メートルぐらいの美容院を自転車で回り、注文を取り始めました。毎日毎日、荷台に付録のついた女性誌を大量に載せ、ゴムベルトで固定して配達しました。自転車が傾いたら戻せないくらいの重量でした。
しかし、その注文も次第に減っていきました。読者の雑誌離れも一因ですが、なによりも雑誌を中心に配達サービスをする業者が出てきたのが大きかったです。
ここで、レジに立たれていた、嶺さんの母、萬納優子さんにも加わっていただく。
こちらには、硬派なテーマの本が並んでいますね。
萬納優子さん(以下、優子) 岩波ブックレットや岩波新書は、若いお客様がよく買っていかれます。 『新版 縄文聖地巡礼』(坂本龍一・中沢新一著/イースト・プレス) は少し前の本ですが、新版も出てずっと売れ続けています。
こちらにあるのは古書ですね。
優子 「河野さんの本棚」です。雑誌『婦人公論』『中央公論』(中央公論新社)や『考える人』(新潮社)の編集長を務めた河野通和さんの蔵書の中から、定期的に当店用に選書してもらい、販売しています。この棚を楽しみに来店するお客様もいらっしゃいます。中には付箋が貼ってある「痕跡本」も混じっています。
奥には文庫がたくさんあります。
優子 これでもずいぶん減りました。以前は片岡義男や池波正太郎などをずらりと並べていました。文春文庫と新潮文庫だけは神田村から仕入れていますが、それ以外の文庫は自分たちで選んで注文しています。棚は男性筆者と女性筆者に分け、アイウエオ順に並べています。
ところで、山陽堂書店を訪れたときに、ついでに立ち寄るといいおすすめのスポットがあれば教えてください。
嶺 近くにある善光寺別院です。青山墓地とともにサクラの季節に訪れるのがおすすめです。
優子 飲食店なら、小原流会館地下にある中華料理の「ふーみん」と、交差点近くにある和食の「やんも」 。どちらも長くやっていて、とてもおいしいですよ。
嶺 青山・神宮前エリアには、書籍の仕事もしているイラストレーターの作品を展示するギャラリーが結構あります。ギャラリーハウスMAYA、HBギャラリー、ピンポイントギャラリー、ペーターズギャラリー、OPAギャラリーなど。それらを巡るのも楽しいと思います。
取材・文/桜井保幸 写真/木村輝
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