埼玉県北部にある古墳と城と足袋の街、行田。忍(おし)城から程近い忍書房は、1949年創業の老舗書店。一見すると雑誌や漫画本が並ぶ、どこにでもありそうな本屋さん。初めて訪れた方にはその魅力が分からないかもしれない。でも、思い切って店のおやじさんに声をかけてみてほしい。郷土の本やとっておきの面白本を次から次へと紹介してくれるはずだ。忍書房は2021年に火事を起こし、店舗を縮小して営業していたが、23年秋にめでたく全面復活。店主の大井達夫さんにお話を伺った。

埼玉県行田・忍書房
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大井さんは亡くなったお姉さんからお店を引き継いだそうですね。

 2020年、一緒に店をやっていた姉が亡くなり、その後火事を起こしてしまいました。一時は閉めようかとも思いましたが、続けることにしました。もともとは1949年に父が始めた店です。今行田にある書店は忍書房と宮脇書店の2つだけですが、以前はもっとたくさんの書店がありました。「終戦書店」とか「ポツダム書店」という言葉をご存じですか。戦時経済統制が撤廃されるとともに、次々と生まれた書店のことを意味します。戦争で夫を亡くした女性や戦地からの引き揚げ者が書店を始める例も多かったようです。

 父はシベリアに抑留されていたので、他の引き揚げ者よりも帰国が遅くなりました。共産主義に洗脳されてしまったんじゃないかと勘繰られ、そうではないと説明するのが大変だったそうです。戦前、父は出版社に勤め編集者をしていました。保守論客の急先鋒(せんぽう)だった文芸評論家、保田與重郎(やすだよじゅうろう)の担当でした。ところが、保田は戦争賛美の論陣を張っていたことから、戦後公職追放されました。保田を助けるために出版社を立ち上げ、原稿を依頼する友人たちもいたそうです。父は埼玉で書店を始めることで、何か手助けをできないかと考えたようです。

旧店舗は映画『騙し絵の牙』にも登場しました。

 映画『騙し絵の牙』の高野書店として撮影に使われた旧店舗は、ラストシーンで新商品を積み上げた部分を残し、焼けてしまいました。火事を起こしてしまった時、あ、これで本屋さんを経営することはできなくなったんだ、というのが、最初に頭に浮かんだことでした。でも定期購入と注文のお客様がいますから、その分だけでもお届けしたいと思いました。毎日の荷物は注文品に絞って、緊急避難で貸していただいた市営住宅に持ち込み、午前中は配達に充てました。「遅れてもいいよ、待っているから」と言ってくださる方がほとんどでした。「また本屋やりなよ」なんて言われるとうれしくなりました。

「父は、本の注文をしてきたお客様に『なぜ岩波の本を読まないんだ。勉強が足りない』と叱るような人でした」と話す大井達夫さん
「父は、本の注文をしてきたお客様に『なぜ岩波の本を読まないんだ。勉強が足りない』と叱るような人でした」と話す大井達夫さん
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大井さんも編集者だったそうですね。本に囲まれて育ったので、出版社に就職するのは自然な流れだったのですか?

 私は理学部の生物学科を卒業したのですが、就職先がありませんでした。教科書会社ならば勉強したことを生かせると思い就職しました。開隆堂出版という会社で、主に理科、保健体育、家庭科の教科書を作っていました。特に本が好きだったわけではないのですが、社会人になってからは本のある生活が当たり前になりました。

行田の書店が次々と消える中で、忍書房が生き残ったのには、何か秘訣(ひけつ)があったのでしょうか?

 特に秘訣や工夫といったものはなくて、今は本屋をやりたくてやっているだけなんです。統計を調べたことがあるのですが、戦後の全盛期には小中学校の学区に1軒ぐらいの割合で書店がありました。本だけでなく学校向けの教材や文房具を扱い、また美容院、医院、中華料理店などの個人経営の店に雑誌を配達するだけで経営が成り立ちました。ところが、子どもの数が減って学校向けの売り上げが減り、子ども向けの雑誌も売れなくなり、個人経営の店はチェーンの傘下に入って雑誌を置かなくなりました。全盛期には30冊、40冊仕入れた『週刊少年ジャンプ』が完売していましたが、今は5冊仕入れて売り切れるかどうか。昨年の店の売り上げは1200万円ぐらい、粗利はその2割ですので、経費を引けば私の人件費も出ません。年金があるからやっていけます。なんとか売り上げを2000万円ぐらいにはしていきたいと思いますが。

お店の棚を見せてください。大手版元と中小版元の本がバランスよく並んでいますね。

 大手書店の「今月売れたタイトル」のような情報を見たり、ラジオやインターネットで名前がよく出てくる著者をチェックしたりして仕入れています。全国的に売れている本ならば、周回遅れでうちでも売れると思いまして。最近は、「出したい本」だけを出しているような小規模の出版社が増えています。例えば夏葉社、1万年堂出版、アノニマ・スタジオなど。私は編集者出身なので、こういう出版社が頑張っているのを見ると、本屋を続けていこうという気になります。

 雑誌『山と渓谷』の副編集長だった若菜晃子さんは、山や旅のエッセーを書いてきた人ですが、地方ごとにあるお菓子に目をつけ、図鑑にしたのが、この 『地元菓子』(新潮社) です。いいところに目を付けたと思います。熊谷の「五家宝」という、ポン菓子にきなこをまぶしたお菓子も出てきます。

若菜晃子の本。左から『東京甘味食堂』(講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』『途上の旅』(以上、アノニマ・スタジオ)、『地元菓子』(新潮社)
若菜晃子の本。左から『東京甘味食堂』(講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』『途上の旅』(以上、アノニマ・スタジオ)、『地元菓子』(新潮社)
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売れ筋をそろえているビジネス書棚
売れ筋をそろえているビジネス書棚
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郷土や歴史に関する本がたくさんあります。

 行田には古墳やお城、たくさんの寺社があるので、土日になると歴史好きの人がやってきます。そうした方々とお話しするためにも、歴史の本を集めています。これはこの辺りに住んでいた下級武士、尾崎石城(おざきせきじょう)という人が残した日記です。最初は農村経済を研究している学者が探り当てたのですが、研究に必要ないからと放置されていました。その資料が慶応大学図書館で公開されているのを住居学の研究者が見つけ、本にまとめました。2014年に 『武士の絵日記 幕末の暮らしと住まいの風景』(大岡敏昭著/角川ソフィア文庫) というタイトルで文庫になり、19年には絵もカラーになって、大判化、 『新訂 幕末下級武士の絵日記 その暮らしの風景を読む』(大岡敏昭著/水曜社) として復刊されました。

 この尾崎石城は面白い人で、お酒をよく飲み、近くのお寺に行っては本を読んでいます。具合が悪く食事の支度がおっくうだという友達のところに上がり込んで、米を研いで炊き、サンマを焼いて二つに切り、さあ一緒に食べよう、などと言っています。

『武士の絵日記 幕末の暮らしと住まいの風景』(大岡敏昭著/角川ソフィア文庫)と『新訂 幕末下級武士の絵日記 その暮らしの風景を読む』(同/水曜社)
『武士の絵日記 幕末の暮らしと住まいの風景』(大岡敏昭著/角川ソフィア文庫)と『新訂 幕末下級武士の絵日記 その暮らしの風景を読む』(同/水曜社)
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「巻頭には日記に登場する人物が詳しく紹介されています」
「巻頭には日記に登場する人物が詳しく紹介されています」
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忍城が舞台で、映画にもなった 『のぼうの城』(和田竜著/小学館文庫) を読むと、領主と領民の距離がとても近く感じます。実際のところはどうだったのでしょうか?

 これは私見ですが、このあたりの武士は二つに分けることができます。一つは地元に生まれ農民から武士になった、いわば自警団のような地侍の集団。もう一つは京からやってきた貴族の子孫が武士になったグループ。北鴻巣に屋敷跡が残っている箕田(みだ)源氏はその一例です。彼らは文字を読むことができ、土地争いの差配もできるので重宝されました。

 忍城の領主だった成田氏は、もともと熊谷にいた成田氏の分家筋。地場の武士たちは貴族ゆかりの成田氏を担いで領主にしました。石田三成による「忍城水攻め」は、外からやってきた寄せ集めの軍に対し、地縁・血縁でつながった武士たちが徹底抗戦し、負けなかった話として語り継がれているわけです。

小説『忍城落日』(渡辺せつ子/郁朋社)。「忍藩は譜代の松平家、徳川家の『使いっ走り』的な存在だったので、維新後は明治政府にずいぶんいじめられました」
小説『忍城落日』(渡辺せつ子/郁朋社)。「忍藩は譜代の松平家、徳川家の『使いっ走り』的な存在だったので、維新後は明治政府にずいぶんいじめられました」
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埼玉古墳群は素晴らしい史跡ですね。あれだけの古墳が一つの場所に集積しているところはなかなかありません。

 地元の人間からすると、ただの土盛りぐらいにしか思っておらず、その価値はよく分かりませんでした。ところが、稲荷山古墳から金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)が出土したのがきっかけで、評価が一変しました。この 『埼玉の古墳めぐり 謎とロマンの70基』(宮川進著/さきたま出版会) にも載っているのですが、市内に八幡山古墳という巨石を積み上げた古墳があります。行田は沼地が多く、昭和初期に沼を埋めるために古墳の盛土が削られ、玄室(げんしつ=横穴式石室の墓室)だけが残ったわけです。この辺りの地面を掘ると縄文から平安あたりの遺跡がいろいろ出てきます。昔は家の入り口に大きな埴輪(はにわ)を飾っている農家もありました。今なら盗掘になってしまいますね。

『埼玉の古墳めぐり 謎とロマンの70基』(宮川進著/さきたま出版会)
『埼玉の古墳めぐり 謎とロマンの70基』(宮川進著/さきたま出版会)
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『鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』(高橋和夫著/新泉社)。金錯銘鉄剣は1968年に稲荷山古墳から出土した
『鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』(高橋和夫著/新泉社)。金錯銘鉄剣は1968年に稲荷山古墳から出土した
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漫画本も充実していますね。お薦めはありますか?

 うちは街の本屋なので、お客さんが求めている本を仕入れていくと、自然とコミックが増えます。問い合わせも多いですし。個人的に好きな漫画家は諸星大二郎。中でも 『暗黒神話』(集英社文庫コミック版) はいいですね。埴輪の形をした戦士と土偶のスタイルの敵が戦う 『古代戦士ハニワット』(武富健治著/双葉社) という漫画があるのですが、この絵は諸星大二郎の影響を受けていると思います。当初、雑誌連載が打ち切られる話がありましたが、止めないでほしいという署名運動があって今も続いています。 『天幕のジャードゥーガル』(トマトスープ著/秋田書店) は、モンゴル帝国の奴隷となったペルシャ人女性が主人公。知識や教養を武器に、モンゴルの宮廷の中でのし上がっていくストーリーです。 『島さん』(川野ようぶんどう著/秋田書店) は、コンビニでアルバイトをしているおじいさんの人生を延々と描いています。主に女性のお客様が面白そうと言って買っていかれます。

『世界伝奇行』『諸星大二郎デビュー50周年記念 異界への扉 展覧会図録』『諸星大二郎デビュー50周年記念 トリビュート』(いずれも諸星大二郎著/河出書房新社)
『世界伝奇行』『諸星大二郎デビュー50周年記念 異界への扉 展覧会図録』『諸星大二郎デビュー50周年記念 トリビュート』(いずれも諸星大二郎著/河出書房新社)
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史実をベースにした『天幕のジャードゥーガル』(トマトスープ著/秋田書店)
史実をベースにした『天幕のジャードゥーガル』(トマトスープ著/秋田書店)
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これからやっていきたいことはありますか。

 まずはお店を続けることですね。再建を決めた理由を一言でいえば、やっぱり本屋として死にたい、と思ったからです。この年で、他のことができるとは思えませんし。ただ、僕は独り身ですから、最後の最後は誰かに迷惑をかけてしまうんじゃないかと、それだけが気掛かりですが。

 再建に預金と退職金をほぼ全部使いました。『騙し絵の牙』のスタッフの皆さんからは、クラウドファンディングができないか、と申し出をいただいています。うれしいのですが、本当のことをいえば、あまり目立つことが好きじゃないので、目立たずに応援してもらえる方法はないのかな、というのが正直な気持ちです。

文/桜井保幸 写真/木村輝

【フォトギャラリー】

行田市(旧忍藩)は2023年に阿部正権が白河へ、白河藩主松平定永が桑名へ、桑名藩主松平忠堯が忍へ転封した「三方領地替200年」を迎えた
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忍城。『のぼうの城』の舞台にもなった
忍城。『のぼうの城』の舞台にもなった
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改装し、元の店舗面積に戻った忍書房の外観
改装し、元の店舗面積に戻った忍書房の外観
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改装前の忍書房(2017年)のイラスト。赤れんがと緑の看板文字が印象的だった。よく見ると行田でロケが行われたドラマ『陸王』の文字が見える。「元編集者の村上健さんに描いていただきました。映画『騙し絵の牙』の高野書店として映った外観がしのばれます」
改装前の忍書房(2017年)のイラスト。赤れんがと緑の看板文字が印象的だった。よく見ると行田でロケが行われたドラマ『陸王』の文字が見える。「元編集者の村上健さんに描いていただきました。映画『騙し絵の牙』の高野書店として映った外観がしのばれます」
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村上健さんの著作。柔らかなタッチが美しい(写真は大井さん提供)
村上健さんの著作。柔らかなタッチが美しい(写真は大井さん提供)
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忍城の絵図を印刷したブックカバー。指をさしている箇所が忍書房の辺りと思われる
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『島さん』(川野ようぶんどう著/双葉社)。わけありのおじいさんが深夜のコンビニで働く話
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『ストリート・キッズ』(ドン・ウィンズロウ著/東江一紀訳/創元推理文庫)。「ドン・ウィンズロウは暴力小説が多いのですが、この本は少年探偵が主人公で楽しく読めます」
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『ソングライン』(ブルース・チャトウィン著/北田絵里子訳/英治出版)。「芭蕉の俳句に出合ったのがきっかけで旅行作家になった著者が、オーストラリアを放浪する記録。歩いている時に頭に浮かんだことがそのまま文章になっているような本です」
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『ハイン 地の果ての祭典』(アン・チャップマン著/大川豪司訳/新評論)。「南米最南端のフエゴ諸島に暮らしていた少数民族(モンゴロイド)の記録です。読めば読むほど人間って何なんだろうと思います」
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大井さんお薦めの地元スポット「水城公園」。「行田出身で戦前に検事総長、大審院長、司法大臣、中央大学学長などを歴任した林頼三郎の顕彰碑があります」大井さんおすすめの地元スポット「水城公園」。「行田出身で戦前に検事総長、大審院長、司法大臣、中央大学学長などを歴任した林頼三郎の胸像があります」
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