東京・文京区、都営三田線千石駅すぐのところにある「旅と暮らしの本屋 アンダンテ」は、出版社の産業編集センターが、2024年11月に始めた書店。「旅と暮らし」のキャッチフレーズ通り、店の半分は旅の本、もう半分が暮らしの本のコーナーとなっている。特筆すべきは、47都道府県別と各国別にガイドブックや関連書を集めた本棚があること。アンダンテの店長で、書籍編集者も兼務している前田康匡(やすまさ)さんに聞いた。
本を売る場所が減っているのなら書店を始めよう
アンダンテは、出版社の産業編集センターが経営する書店です。なぜ、出版社が書店を始めることになったのですか?
前田康匡さん(以下、前田) 昨今、書店の閉店が続いており、とりわけこの数年は本を売る場所が減っているなと感じていました。私たちは出版社として本を作りながらも、本屋が減っているのなら、いっそのこと自分たちで本屋をやってみたらどうかと考えたのです。
書店の利益構造が厳しいことは十分承知していました。でもこの建物は自社ビルなので、家賃はかかりません。事務所として使っていた1階を改装し、店舗にすればやっていけるかもしれない。本屋で大きくもうけようというよりは、本屋をやることで出版社としてプラスになることが多いと考えたのです。
書店を始めることについては、どのように決まったのですか?
前田 書店が減り、自分たちが作った本を売る場所がどんどんなくなってしまう。「このままではまずい。何かできることはないか」というような話をしている中で、自社で本屋を運営するというアイデアが出てきました。もともと新しいこと、面白そうなことには積極的にチャレンジしていこうという社風もあり、やってみようとなりました。私は店長になった今も、編集者として本を作っています。
実際、書店を始めてみて、手応えはいかがですか?
前田 オープンから1年半ほどたったところですが、「本当に楽しい」というのが率直な感想です。編集者として本を作る仕事をしていても、毎日これだけの数の本に出合うことはありません。レジに立って、お客様の反応をじかに感じられるのも面白い。若い人は本を読まないと言われていますが、結構買うじゃないかと気づいたりします。
「旅と暮らしの本屋 アンダンテ」という店名とコンセプトはどこから?
前田 アンダンテは「歩くような速さ」という音楽の速度記号から取りました。効率を求められがちな世の中で、ゆっくりとお店を楽しんで、読書をしてもらいたい、旅先でも歩きながらのんびり時間を過ごしてほしいという意味を込めています。
「旅と暮らしの本屋」のコンセプトは、私たちが作ってきたジャンルの本の魅力をもっと広めようと思って決めました。実際、旅と暮らしの本を並べてみたら、こんなに面白い本があるんだと知りました。
売り上げは好調
新たに書店を始めた方からは、店が認知されるまでしばらくは大変だったという話も聞きますが、お店の売り上げはいかがですか?
前田 おかげさまで、売り上げはとても順調です。書店開業後6カ月ぐらいはお客様が来てくれるけれど、その後売り上げが減るみたいな話を私も聞いていました。でも、2年目に入っても前年比で売り上げは伸びており、だんだん定着してきたかなと思っています。
それは素晴らしいですね。好調の理由は何だと思いますか? 立地が良いのか、それともお店のコンセプトが刺さっているからでしょうか?
前田 書店閉店のニュースが相次ぐ中で、チェーン店以外の書店がオープンすること自体が珍しいのかもしれません。立地面では、確かに駅から近いのですが、周辺は住宅地で繁華街ではありませんし。
「旅と暮らしの本屋」という切り口があまりないせいか、週末を中心に遠方からもお客様がいらっしゃいます。旅行の予定のある方には旅の本を買ってもらい、近隣の方々には暮らしの本や小説、雑誌をそろえることで、普段使いをしていただければと思っています。
「旅」と「暮らし」という発想を広げていけば、相当な範囲の本をカバーできそうですね。
前田 当店にない本は学習参考書や学術書でしょうか。もっとも地域別の棚には哲学とか社会問題の本も少しは置いています。
圧巻の都道府県別書棚
この店に入って、まず驚かされたのは都道府県別の本棚です。これだけ集めるのに相当苦労されたのではないですか?
前田 当店はトーハンと取引をしています。雑誌以外の書籍は自動配本を受けておらず、1冊1冊注文して仕入れています。最初に都道府県別の本棚を作る際には、こちらで本のリストを作り、トーハンにもリストを出してもらい、すり合わせをしていきました。開業後も「あれが足りない、これが足りない」と増やしていきました。
地域によっては本自体が少なかったり、在庫が切れたりして数をそろえるのが難しいところもありました。例えば岐阜県はガイドブック類が少ないので、朝井リョウさんや米澤穂信さんなど岐阜県出身作家の作品や、岐阜県が舞台の歴史小説なども集めてボリュームを出しています。
反対に、本の数が多い県はどこですか?
前田 数が多いのは、東京、京都、沖縄です。スペースを大きく取っていますが、それでもまだまだたくさん本があって、全部は置ききれません。
北海道の棚では『クマにあったらどうするか』(姉崎等・片山龍峯著/ちくま文庫)、『石狩少女』(森田たま著/ちくま文庫)がよく売れています。『石狩少女』は明治末の札幌を舞台にした小説で、元の本は1940年刊行です。文芸や文庫の棚ではなく、北海道の棚にあるからこそ売れるんだと思います。
各国別のガイドブックや関連書も相当な数がありますね。
前田 本の数が多いのは、やはり英国やフランスです。『舌の上の階級闘争 「イギリス」を料理する』(コモナーズ・キッチン著/リトルモア)は、フィッシュ&チップスやローストビーフなどのイギリス料理がどのように誕生し食べられてきたのか、社会的背景がわかる本です。
逆に少ないのはアフリカ。エジプトとモロッコだけは一区画作り、それ以外のアフリカ諸国は大きくアフリカというくくりでまとめて置いています。『ルワンダでタイ料理屋をひらく』(唐渡千紗著/大和書房)はシングルマザーの日本人がルワンダでタイ料理店を開くお話です。
文京区関連の本のコーナーがありますね。
前田 ここは開店したときに作ったフェア棚だったのですが、あまりによく売れるので常設コーナーにしています。とくに『茗荷谷の猫』(木内昇著/文春文庫)を筆頭にここにある本はずっと売れ続けています。『六義園の庭暮らし』(小野佐和子著/平凡社)は、六義園を作った柳沢吉保の孫、信鴻(のぶとき)の日記を読み解きながら、当時の庭暮らしの魅力を伝えた本です。
産業編集センターの本でお薦めはありますか?
前田 『駅から徒歩138億年』(岡田悠著/産業編集センター)は、弊社が刊行したということを抜きにしても、個人的にとても面白かったエッセーです。多摩川を源流まで遡って歩いたり、上京時に新幹線の車窓から一瞬見た海を訪ねたり、古いカーナビをベビーカーに付けて、予測不能な指示に翻弄されながら旅をする話などが出てきます。本書を読むと、どこか特別な場所に行くことだけが旅ではなく、日常のちょっとした視点の変化も旅になるということがわかります。
お店の残り半分は「暮らしの本」のコーナーですね。
前田 暮らしの本は「衣」「食」「住」「遊」とジャンルを分けており、小説も「遊」のところに置いています。「食」のコーナーの中央には一段、食をテーマとした文庫の棚を作っています。吉田篤弘さんの『月とコーヒー』(徳間書店)シリーズはよく売れています。この本も小説の棚ではなく、食の棚にあることで読者層が広がっているんだと思います。
これからやりたいことや課題はありますか?
前田 私たちは書店の経験なしに始めたので、まずは本屋として土台をしっかりさせたい。そのためにはもっともっとお客様に来てほしいと思っています。
棚で言えば、それぞれの棚にまだまだ足りない本があり、充実させるべく勉強中の日々です。例えば手芸の本などは、個人的には難しいジャンル。自分なりに情報を集め、詳しい人に聞いてもいますが、果たして手芸好きのお客様に満足していただいているのかどうか自信はありません。
本の売り上げを補うためにカフェやイベント、本以外の物品を販売するところも多いですが、うちは「本屋をやろう」が始まりだったので、まずは本に集中していきたいと思います。
書店を始めたことで、出版企画への好影響はありますか?
前田 具体的に企画につながったものはないのですが、企画会議の場で、「この国は、知名度はあるけれど、本が少ない」とか、「昔はこういうテーマの本がたくさんあったけれど、今はあまりない」など、書店の仕事で知ったことを、実感をもって伝えられるようになりました。
また想定読者というのも、以前は頭の中でイメージしているだけでしたが、書店を始めてからはお客様の顔を具体的に思い浮かべられるようになったのも大きいです。
最後に、アンダンテを訪れたついでに立ち寄るといい、近所のお薦めスポットはありますか?
前田 本好きの方なら、ここから数分のところにある東洋文庫ミュージアムに行かれるのがいいと思います。東洋文庫はオーストラリア人のジョージ・アーネスト・モリソンが所有していた中国関連の欧文資料を、三菱財閥が買い取ったのが始まり。その後東洋全般の文献を所蔵する図書館兼研究所となりました。マルコポーロの『東方見聞録』をはじめ、東洋の貴重資料を閲覧することができます。庭園に面した素敵なレストラン「オリエント・カフェ」もお薦めです。
取材・文/桜井保幸 写真/木村輝
参考サイト 旅と暮らしの本屋 アンダンテ | 産業編集センター 出版部【フォトギャラリー】




















