東京・千代田区にある「昆虫文献 六本脚」は、昆虫書の専門書店である。昆虫や自然に関する図鑑、学術書、専門雑誌、同好会誌などの出版物に加え、採集道具や標本用品など、およそ昆虫愛好家が求めるものすべてがそろう。同店は明治から続く化学品原料商社である「川茂」の四代目社長が始めた新規事業で、今年で25年になる。日経ナショナルジオグラフィック編集部で、書籍『虫・全史』と『絶滅危惧昆虫図鑑』を担当した川端麻里子とともに、代表の川井信矢さんにお話を伺った。
虫好きが高じて新事業
いつもは私一人で取材をしているのですが、今日は日経ナショナルジオグラフィック編集部で、『虫・全史』『絶滅危惧昆虫図鑑』を担当し、個人的にも虫好きの川端麻里子とともにお話を伺います。「昆虫文献 六本脚」のホームページを拝見すると、お店は「川茂」という会社が経営しているのですね。
昆虫文献 六本脚代表 川井信矢さん(以下、川井) 川茂株式会社は明治から続く小さな化学品原料の商社で、私は四代目社長です。「昆虫文献 六本脚」は、私が昆虫好きだったことから、2001年にインターネット上で昆虫の本を売り始めたのがきっかけです。
昆虫の本には一冊5万円もするような高額本が結構あります。現物を見て買いたいというお客様の声に応えるため、実店舗を併設しています。今では、月に100名以上のお客様が全国からいらっしゃいます。仕事の合間に立ち寄る方が多いですね。
お店には昆虫や自然に関する出版物とさまざまな採集・標本グッズなどがありますが、売り上げの構成はどうなっていますか。
川井 およそ6割から7割が出版物、残りが紙以外です。もっとも一箱1万円ほどする標本箱の注文が大量にあるようなときには、この比率は変わってきます。
大口の取引先も多いのですか。
川井 かなりあります。理学部や生物学部などの昆虫関連部門のある大学、博物館、研究機関や、環境アセスメント調査会社などです。
祖業である化学品原料は、昆虫関連の事業と関係しているのですか。
川井 薬品については関係します。昆虫標本に用いる酢酸エチル、クロロホルムなどは毒劇物なので、資格がなければ扱うことはできません。当社は工業用向けに大容量で販売していたこれらの薬剤品を小瓶に詰め替え、昆虫用に販売しています。
立ち上げ当初は本をそろえるのに苦労されましたか。全国の同好会誌などはどうやって集めたのですか。
川井 最初は学術書数冊からスタートしました。当時、TTS昆虫図書という昆虫本を扱う書店がありました。そのオーナーが高齢で店をたたむことになり、在庫を引き継ぎました。その後“虫屋”の世界で当店が有名になるにつれ、愛好家や研究者から自然と出版物の販売依頼が増え、現在は各都道府県に最低1つはある同好会の会誌はほとんどそろっています。
昆虫文献 六本脚の出版部門ではどんな本を出していますか。
川井 最初に刊行したのが『日本産コガネムシ上科図説 第1巻 食糞群』(川井信矢・堀繁久・河原正和・稲垣政志編著/コガネムシ研究会監修)という本で、私も著者の一人です。
食糞群とは、『ファーブル昆虫記』にも登場するフンコロガシをはじめとする糞虫(ふんちゅう)のこと。刊行当時は日本の糞虫だけの図鑑は存在せず、亜種を含む全種類の写真を様々な角度で、各部位の拡大画像も含めて掲載した図鑑は、昆虫界では画期的な試みでした。おかげさまでロングセラーとなり、シリーズ3巻までを刊行しています。
2021年に出したのが、『世界のアゲハチョウ図説』(中江信著)。世界に生息しているアゲハチョウ603種すべてが掲載されている図鑑です。基本データや写真は著者が集めた標本をもとにしていますが、レイアウトをして編集するのに3年、レタッチ(写真の調整)に1~2年はかかっています。
当店で刊行している書籍の多くはチェコで印刷しています。チェコは昆虫大国で、昆虫の本もたくさん出ています。チェコにいる相棒は長年やってきた人なので、虫のことをよく分かっています。虫は死んで時間がたつと色が変わります。そこで生きている昆虫の写真を見ながら細かな色調整をしていくのです。
現存するアゲハチョウ603種が掲載されているとのことですが、今では絶滅しているチョウもあるかと思います。いつの時点の603種なのですか。
川井 昆虫は絶滅したと思われても、何十年かたって再び発見されることがよくあります。だから、絶滅したと言われていても標本があるものはすべて入れています。一方、化石でしか見つかっていない虫は化石種と呼び、それらは掲載していません。
お客様の約9割はリピーター
お店の中を案内していただけますか。
川井 店の棚にある本は在庫の中から代表的なものを並べています。こちらは一般の読者や子ども向けの本の棚で、比較的著名な著者の本が多くあります。当店には無料の会員制度があって、お客様の約9割はリピーター。こちらにある本の著者の大半は当店の会員で、新著が出れば教えてもらっています。
一般向けの本では『昆虫学事始 日本の昆虫研究を支えた人々』(奥本大三郎著/青土社)がお薦め。昨年9月に出た本で、昆虫研究の歴史がテーマです。虫仲間にも評判がよく、僕も名前しか聞いたことがないような研究者の実績を分かりやすく紹介しています。
川井 これは企画の持ち込みがあって、当社で刊行した本なのですが、熱量のこもった素晴らしい本なので紹介させてください。『日本産アゲハチョウ属 Papilio 幼生期のすべて』(深澤美佳著)という本で、25年かけて収集した、日本にいるアゲハチョウの幼虫の全ステージの写真を、変異も含めて3000枚並べた労作です。著者は主婦の方で、写真と文章、スケッチ、データを当社に持ち込んでこられました。レイアウトして写真のレタッチをするのに丸々1年かかりました。
こちらは全国の都道府県ごとにある研究会や大学の同好会などが発行している会誌類の棚です。これらは比較的歴史のある会のものだけで、この4、5倍は在庫があります。
神奈川県の研究会は会員が多く、レベルも高いと思います。この『神奈川虫報』は神奈川昆虫談話会の会誌です。小田原市にある神奈川県立生命の星・地球博物館には昆虫専門の学芸員が所属しており、同会は博物館とも連携して活動しています。
川井さんの昆虫への興味は、何がきっかけになったのですか。
登山家の母の影響で虫を捕るようになった
川井 私の母が登山家だったので、しょっちゅう母に山に連れていかれ、虫を捕るようになりました。私は東京・世田谷で生まれ育ったのですが、家の周囲には住宅しかありません。そこで小田急線に乗って多摩川を渡り、神奈川県側のフィールドで虫を捕りました。身近に自然がなかったからこそ、逆に自然に興味を持ったんだと思います。
“虫屋”の世界では、ジャンルのはやり廃りというのはありますか。
川井 僕は甲虫にはまってしまったので、そこから抜けられないのですが、はやり廃りというのはあります。
以前、カードゲーム「甲虫王者ムシキング」が子どもたちにはやった頃、大人の虫好きの間でもクワガタのブームがありました。大きなクワガタは「黒いダイヤ」などと言われ、飼育するのが流行りました。その後海外の昆虫の輸入が解禁されて、珍しい虫が高額取引されるようになりました。やがてブームは下火になり、クワガタとはまた別の虫がはやるようになります。
直近では、少し前まで「気持ち悪い」と思われがちだった蛾やイモムシが「よく見るとカワイイ」「好き」、という人が増えているようです。
これからやってみたいことはありますか?
川井 僕はライフワークとなる本を2冊も出せたので、これからは本を出したい人のお手伝いをしていきたい。本が売れないと言われますが、当店で扱っているような昆虫の専門書はずっと残っていくと思います。
最後に、お店を訪れたついでに立ち寄るとよい、近所のお薦めスポットはありますか?
川井 近くの靖国神社です。境内の森には古木がたくさん残っていて、都内では珍しい昆虫が見つかります。また皇居や皇居周辺の緑道にも古くからの林が残っていて、昆虫観察にお薦めします。
取材/桜井保幸、川端麻里子 文/桜井保幸 写真/木村輝
参考サイト 昆虫文献 六本脚 http://kawamo.co.jp/roppon-ashi/index-j.html【フォトギャラリー】




















