京浜急行梅屋敷駅近くにある葉々社(東京・大田区)は、デジタルカメラ雑誌の編集者だった小谷輝之さんが2022年に始めた独立系書店だ。開業当初から出版部門も設立。オープンから2週間後、近所に住む翻訳者の柴田元幸さんが店を訪れたのが縁で、柴田さん翻訳の海外小説集を2冊刊行することに。23年からは独立系書店、ひとり出版社、翻訳家が集う「梅屋敷ブックフェスタ」をこれまで8回開催。下町の商店街は、本好きの集まる街に変貌しつつある。偶然の出会いを逃さず、次々と新たな試みに挑戦する小谷さんにお話を伺った。
「ひとり出版社の本」を扱いたくて開店
小谷さんはどういう経緯で葉々社を始めたのですか?
私はもともと新聞記者志望でした。雑誌『AERA』(朝日新聞出版)を愛読していて、同誌に載っているような記事を書く仕事をしたかった。社会問題に関心があり、戦争についての本をよく読んでいました。作家では開高健や遠藤周作、村上春樹が好きでした。
就職活動では新聞社をたくさん受けましたが、全部落ちました。1990年代半ば、就職氷河期でもありました。最終的に東京ニュース通信社に就職し、『週刊TVガイド』を編集しました。でも、1週間で「寿命」が終わる雑誌ではなく、ずっと取っておいてもらえる本を作りたかった。
会社を辞め、書籍を刊行している出版社に片っ端から連絡しました。でも、未経験者はどこも採ってくれません。それでカメラが好きだったこともあり、デジタルカメラ雑誌の仕事をすることになりました。編集部では雑誌以外にムックやカメラのハウツー本も担当。でも年齢を重ねるにつれ、実用書ではない本を作りたくなりました。
再び会社を辞め、就職活動をしていた時、コロナ禍に見舞われました。その頃、「BOOK MARKET」や「Books&Something」など出版社が集う展示会で、ひとり出版社の方々に出会いました。彼らが出している本は独自性があるし、質も高い。そうした本をそろえた書店を作って、同時にひとり出版社も始めたいと思ったのが、葉々社設立のきっかけです。
開店直後に初めて訪れた時、昭和色の濃い商店街の一角にあるお店に、文芸や人文書など趣味の良さそうな本が並んでいるのを見て、失礼ながらそのギャップに驚きました。どうしてこの場所にお店を作ったのですか?
私は東急池上線沿線に住んでいまして、自宅から自転車で20分以内の範囲で、小上がりのある物件を探していました。たまたま知り合いが、東京R不動産のホームページでこの物件を見つけ、私に教えてくれました。
どんな方々が暮らしているのかチェックするため、周辺を散策しました。休憩のために近くの「仙六屋カフェ」というお店に入ったところ、女性客4人が本を読んでいました。「お、少なくとも彼女たちはお客さんになってくれそうだ」と、内見1軒目のこの物件を借りることを直観で決めました。
梅屋敷はどういう街ですか?
とても活気のある下町の商店街です。単身の若者世代、子育て世代からシニアまでさまざまな方がいらっしゃいます。この20~30年、梅屋敷に新刊書店はなかったらしいです。隣町の蒲田まで行けば中型のチェーン書店が2軒あります。
翻訳家の柴田元幸さんが来店
小谷さんの著書『本をともす』(時事通信出版局)によると、開店して間もなく、アメリカ文学者/翻訳家の柴田元幸さんがいらっしゃったそうですね。
はい。柴田さんは、葉々社の近所にお住まいです。初めて来店された時、「僕の訳した本をたくさん置いてくれてありがとう」と名乗られました。私はポール・オースターをはじめ、柴田さん訳の小説を愛読しており、学生時代の憧れの人でしたので、感激しました。
柴田さんには選書のフェアやサイン本への協力、「小さな海外文学」という短編小説シリーズの翻訳、さらには梅屋敷ブックフェスタへの協力と、本当にお世話になっています。
売り上げは順調に伸びているそうですね。
開業から5年は赤字覚悟でスタートしました。1年目は450万円の赤字。2年目は150万円の赤字。3年目も赤字でした。でも出版部門は制作費の回収に時間を要するので、書店部門だけなら恐らく黒字です。今後、店の認知度が少しずつ上がり、常連のお客さんも増えていくでしょうから、売り上げは伸びていくだろうと楽観しています。
もっとも、書店経営というのは利益率が低いので簡単ではありません。当店には毎日のように「書店を始めたい」という方がいらっしゃいます。私が皆さんに必ず言うのは、今の仕事は辞めず、本屋と兼業できるようにしてくださいということ。私も以前の職場からムックや書籍の校正の仕事を請け負っていますし、知り合いの独立系書店の店主も、デザイナーや会計士など、別の仕事を持っている方が多いです。
また、直取引をしている出版社とは、機会があるごとに「これだけ買い取るから掛け率(販売価格に対する仕入れ価格の割合)を考慮して」と交渉します。直取引をしている書籍は店の売り上げ全体から見れば少ないですが、書店が生き残っていくためには掛け率の引き下げが必須だと思います。
梅屋敷ブックフェスタはどんなイベントですか?
梅屋敷ブックフェスタは2023年8月、仙六屋カフェで第1回を開催。25年の9月に9回目を開催します。独立系書店やひとり出版社、海外文学の翻訳者にお声がけしています。葉々社と同じころに開業した書店を応援し、一緒に成長したい、小規模版元や人気翻訳家の本をアピールしたいという狙いがありますが、なによりも参加されるお客さんに楽しんでほしいと思っています。
充実の海外文学棚
店内を案内していただけますか?
土間には新刊、小上がりには古本やシェア本棚を置いています。入り口正面には葉々社で刊行した本や私の自著、翻訳小説などを並べています。
海外文学は文芸書ジャンルの中ではマイナーですので、相当大きな書店に行かないとこれほどはそろっていないと思います。棚差しには定番の小説、平台には新刊を入れ替えながら並べ、常連のお客さんにとっても常に目新しい景色になるようにしています。
毎年お薦め本を決める
小谷さんお薦めの本を紹介してください。
うちのような店は、ただ本を置いておくだけでは売れません。それで毎年、お薦めの本を決めるとともに、折に触れてお客さんに紹介しています。『手話を生きる 少数言語が多数派日本語と出会うところで』(斉藤道雄著/みすず書房)は、品川区にある私立のろう学校の子どもたちを取材した記録。手話という言語の豊かな世界が伝わってきます。
『パトリックと本を読む 絶望から立ち上がるための読書会』(ミシェル・クオ著/神田由布子訳/白水社)は、若い人にとってメンターのような存在が必要であることがよく分かるドキュメントです。ハーバード大学を卒業した著者クオは、ロースクールに進む前に、アメリカ南部の貧困地域の学校で2年間ボランティアの教師をします。後にそこでの教え子の1人パトリックが殺人を犯し、拘置所に入っていることを知る。パトリックは、拘置所でクオが行う読書会を通じ、少しずつ読書や勉強の楽しみに気づくという話です。
この『風をこぐ』(橋本貴雄著/モ・クシュラ)は、写真家の橋本貴雄さんが、後ろ脚をケガした愛犬フウと共に、日本やドイツを12年にわたって旅した写真集です。引き気味のカットばかりで、客観的な目線が斬新です。巻末の約2万字のエッセーを読むと、橋本さんがどれだけフウを大事に想っていたかが分かると思います。
小説のお薦めはありますか?
最近、読んだばかりなのですが、ノーベル文学賞作家ハン・ガンの『少年が来る』(井出俊作訳/クオン)をお薦めします。光州事件を舞台にしており、凄惨な話も出てきますが、言葉がとてもきれいです。物語は各章ごとにそれぞれの登場人物の視点で展開します。
2階に「分室」を作りましたね。
この建物の2階は住居スペースでしたが、空き部屋になっていました。それで知り合いに声をかけ、4人で借りることにしました。うち2人はプロの写真家なので、半分は写真の展示スペース、もう半分はワークショップや読書会などを行う場所にするため、2カ月かけて自分たちで改装しました。
「分室」ではさまざまな企画を行っています。例えば「○○の日」というイベントがあります。○○には出版社や人の名前が入り、お客さんが著者や本の作り手と交流できる場にしています。
最後に、葉々社に来たついでに訪れるといい、地元のお薦めスポットはどこですか?
2軒隣に、「ショコラ」というカフェレストランができました。軽井沢で30年間店をやっていたシェフが始めたそうで、常連のお客さんが「すごくおいしかった」と報告してくれました。また、近くには「Book & Kitchen 青い窓」という、本の置いてあるダイニングバーがあり、そこのオーナーはうちのお客さんです。
取材・文/桜井保幸 写真/木村輝
参考サイト 葉々社 BOOKS&PUBLISHING【フォトギャラリー】





















